【第8話】緑の領地
「もう大丈夫よレイン!あなたも隠れていないで出てきなさいよ、
新鮮な空気が美味しいわよ!」
ガタガタと揺れる馬車の荷台から身を乗り出して、黒髪の少女が風に髪をなびかせながら雲一つない、晴れた青空を仰いで言った。
「ちょっとレイン、あなた煤で髪が真っ黒よ?せっかく綺麗な銀の髪が台無しじゃない」
「だってアズサ、積荷の隙間は狭いし揺れるしで、隠れるだけで精一杯だったから……」
黒の国の領地を抜けて、2人の少女を乗せた行商の馬車は、ゆっくりと未開拓の中立領地を横断していた。
「お嬢ちゃん達、馬車はこのままナターリア領に向かうがどうするかい?」
ナターリアはブラクリーの隣接に位置する豊かな自然と山林に囲まれた緑の領地、
通称『翡翠の国』。
「このまま乗せてってもらってもいいですか?」
「勿論構わんよ」
御者はそう言って、アズサに向かってピースした。
「追加料金で2割上乗せだってさ、レイン」
え、2割って
「ちょっと、アズサいいの?」
確かお金はあの時全部、黒の国を出る前に御者に渡して、財布は空になった筈……
ってまさか!
「乗り逃げするつもり?!」
「やーねレイン、そんな事しないわよ」
「じゃあどうやって」
疑う僕にアズサが耳打ちをした。
「領地に入っちゃえばこっちのもんよ、心配しないでレイン、ここは私に任せなさい」
※※※※※※※※※※
「なにぃ?追加料金が払えんだ!?」
ひ、ひいぃ!
町に着き、お金が無いと言う僕たちに馬車の御者は大激怒。
「ごっごめんなさいッ!」
鬼みたいな形相で怒る御者に、僕の体は怯えて竦む。(ほらアズサ、やっぱり悪いことしちゃいけないじゃない)
しかしアズサは涼しい顔で、僕の肩をポンと叩くと
「大丈夫、交渉してくるから」と御者と2人で近くにあった酒場に入って行った。
※※※※※※※※※※
賑やかなナターリアの町通り、そこに1人残された僕は、路肩に停めた馬車の荷物番をさせられる。
そんな僕を、隣りでじーっと見張る馬車の馬。
何だよその目、「逃げようものなら噛みつくぞ」なんて意志の感じる目をしてる。
失礼しちゃう!アズサを置いて逃げるわけないじゃない!
ーーでも、本当に大丈夫かな……
(心配しないでレイン、ここは私に任せなさい)
アズサはああ言ったけど、御者は相当怒っていたし……
やっぱりとっても心配だよ……
そんな気持で2人が出てくるのを待ってると。
「おい!そこのあんた」
?!
後ろから誰かに声を掛けられた。
振り返ると、そこには見知らぬ男の子が1人、じっとこっちを見つめていた。
どうしたんだろう、年齢はおそらく10歳くらい。流石に迷子って年じゃないよね?
短く均等に切り揃えたサラサラのおかっぱヘアーの栗色の髪に、まるで小鳥のさえずりが聴こえてきそうな透き通った緑の瞳。
仕立ての良い襟付きの服に短パン姿で、
(スンスン……) それから何やら甘い香りが。
見た目から物乞いってわけでもなさそうだけど……
「きみ「あんた、どの国の商人だ?」
「えっとぼ「いや、商人には見えないな、旅行客?それとも旅人か?」
喋らせろよ!
男の子は無遠慮に僕の体を眺め回すと
「帰れ!」
いきなりそんな言葉を吐き捨てた。
「な、何よいきなり!」
「いいから帰れ!ここはあんたみたいなよそ者が来る領地じゃない!
いいか?忠告はしたからな!」
「あっ……ちょっと!」
男の子はそう言うと、人混みの中へと走り消え去った。
な……「んだよあのガキ!」生意気な!
僕は思わず激怒した。
いきなり話しかけてきて、それで帰れだ忠告だ?!
プルプルと手を拳にして震わせる。
一体何様のつもりだ!?僕を誰だと思ってる、
僕はヴァスギニア領主の息子、レイン・ヴァスギニアだぞ!!
こんな場所で、馬車の番でもしてなけりゃすぐにでもとっ捕つまえて、お父様の権力でぎったんぎんたんにしてやーー
(ヴァスギニア領主毒殺されたし)
ーーハッ……!
一瞬、脳裏に燃えるヴァスギニアの旗が駆け抜けた。
……そうだった。僕の故郷はもうーー
途端に胸の奥がしゅん、となってしゃがみ込む。
ブルブルと震える体。
賑やかで人の多い町通りのはずなのに、発作的にとてつもない孤独感に襲われる。
……そうだ、僕はレイン……唯のレインだ。
通行人が時折僕の方を見て通り過ぎる。
スッと晒す目冷たい視線、革命で地位も権力も失った僕を、もう誰も守ってなんかくれないのだ。
首にかけたペンダントを抱きながら、僕は体の震えを必死に抑えた。
やだ……こわい……独りはいや……
「早く……早く戻ってきて……アズサ…………」
※※※※※※※※※※
カランカラン♪ (……!)
アズサ!
しばらくして、2人が店から帰ってきた。
「ーー確かに、ここは黒の国じゃないからな、上手くいけば注目は間違いなしだ。
しかし、よくこんな物を手に入れたもんだぜ」
「ね?彼女のは特別なのよ。だから成功したら……」
まだ何か話してる。
「ああわかってるさ、少しぐらいは分け前をくれてやる」
得意気なアズサに頷く御者。
2人の表情からして、どうやら交渉は上手くいったみたいだ。
「アズサ!」
「お待たせレイン!」
アズサがにこっとこっちを向いて微笑んだ。
はうっ……アズサ! 体の震えはいつの間にか消えていた。
「上手く交渉できたんだね?!」
「ええレイン!あなたのおかげよ」
「流石アズサ!
……え?」
僕の……おかげ……?
悪い顔で笑う2人に、僕はごくりと固唾を呑んだ。