【第6話】教育部屋の猫
「ねえあなた、私と一緒にここから出ない?」
声の先には
夜空の様な黒い髪、燃える紅玉みたいに赤い瞳の少女。
「きみは……?」
「私は「黒猫」、店ではそう呼ばれてる。
ここから出ようと思っているんだけど、あなた、私に協力してくれない?」
黒猫と名乗った少女はそう言ってにこりと僕に微笑んだ。
「私とあなた、2人で協力すればきっとここから出られると思うの」
仲間……と言っていいのだろうか、
ここから出たい。そんな僕の気持ちと彼女のお願いはまったくの同じ、協力しない理由が無い。
でもこんな所で出会ったばかりの彼女を信用して良いのだろうか、そんな疑心も同時に芽生えた。
「……僕もここから出たい。でも、どうして僕だけ?」
僕以外にもあと2人、この部屋には彼女も含めて4人いる。協力者は多い方がいい筈だ、
「だってあなた以外、店から出ようって意思は無いみたいだから」
「え?」
「目を見ればわかるわ、あなたはまだ正気を保とうとしている。けど彼女たちを見て?」
人形みたいに力なく座り込み、口は半開きで、その瞳は虚で曇りきっていた。
「この子達は魔草の中毒者、ブラクリーの孤児はみんなそう、拾われて無理矢理働かされて、使えなくなったらまた売り飛ばされて、
可哀想だけど……」
「私たちもこのままじゃ近いうちにああなってしまう。言うことを聞かせるために乱暴されて、抵抗したり、反応が悪くなったらまた再教育。あなたもそうなりたい?」
「そんなの嫌だ!」
それは想像しただけでも恐ろしかった。
「ここから出れば、少なくともそれは回避できる。でも無理強いはできない、決めるのはあなた」
きっと自力ではここから出られない……
彼女を信じる信じない以前に、僕に選択肢は無かった。
「協力する。僕はここから出たい!こんなとこ……もう嫌だ!」
僕は彼女を信じることにした。
※※※※※※※※※※
「これで準備は完了、あとはあの店主がここへ来るのを待つだけね」
必要な準備を終え、後は作戦の成功を祈るだけ。
自信満々の彼女は呑気に鼻歌なんて歌っている。
けれど、僕は不安で仕方がなかった。
それがこの作戦、作戦と呼んで良いのか疑問なほど単純なものだったからだ。
作戦内容
『店主を倒して逃走する』 ーーー以上。
「こんなので本当に成功するのかな……」
「なによ、そんなに不安?」
「だって……」
「あなたを見た時、私とっても嬉しくなっちゃったのよ?技術も無ければ魔力も無い、非力で無力なEランク。でも寝顔が可愛い美少女がここに!って」
「な、何の話だよ!」
「あなたの事よ、寝ている間に調べさせてもらったの。鑑定魔法なんて、ブラクリーでは挨拶みたいなものじゃない」
「そ、そうなの?」
そういう魔法があるってことは知っていたけど、
ヴァスギニアで鑑定魔法といえば魔法薬や鉱石の鑑定が主な使用方法だったし、そういう専門の鑑定士が使う魔法で一般に使われる魔法ではなかった。
てゆーか、僕ってEランクなの?
それって1番下のランクじゃないか!
そんな嘘だ……ショックすぎる……!
「SSランク勇者って変な偽造職業、あれには笑っちゃった。あなた訳ありでしょ、いくらここが詐欺師の国って言われてても、そんなんじゃ誰も騙されないわよ?
鑑定に盗手、すり替えの魔法なんかが毎日飛び交ってるんだから」
「もう分かったからやめてょお……てか何だよ!それ悪口?馬鹿にして!なによEランクがそんなに笑えますか、魔法が使えなくて悪いですか!」
なんだか馬鹿にされているようで、僕は彼女を睨みつけた。
「ちょっと何ムキになってるのよ、誰も悪いなんて言ってない、寧ろその逆!
あなたとーーーーっても、最っ高よ!」
へ?
「魔法が使えるとね、警戒されてしまうのよ。特にここブラクリーでは家族、親戚、友達から御近所までみんな詐欺師。当然みんな魔法が使える相手には常に警戒して接するからそう簡単に隙を見せてはくれないわ」
「けどあなたは違う。
魔法が使え無い、力も無い、そんなあなたは警戒の対象にすらならない」
何か不自然なことをしても、気付かれない確率が高い。
「これでも私、魔法学校に通っていた時は黒魔術の成績がトップクラスで有名な魔法使いだったんだから。訳あってここへ入れられちゃったけど、大丈夫!必ずここから脱出してみせるから、私を信じて」
※※※※※※※※※※
「お前ら!教育の時間だ!」
鍵で閉まった扉が開き、店主が部屋に入って来た。
「なぜこの部屋へ入れられたかわかっているな?
お前達は躾がなってねえ愚図どもだ、ここでその腐った態度を改めさせてやる」
店主は懐から鞭を取り出すと、それを床にバシン!バシン!と叩きつけて言った。
「さあ反省しているやつから前に出て四つん這いになって尻を向けろ」
店主が入ってきたら作戦開始、
ナナシが店主の気を引いて、黒猫が隙を見て魔法を使って攻撃を当てる。
作戦を実行するには今が絶好のチャンスだ。
ナナシが一歩前に出る。
「ほぅ……お前が初めに出てくるとは思わなかったぞナナシ。いいだろう、ではこっちに尻を向けろ」
大丈夫……大丈夫。鞭くらい平気だ、
そうだ、たとえお尻を叩かれたって、ここから出るチャンスになるのなら安いもの!
痛くない……大丈夫……
「どうしたナナシ、早く尻を向けろ!」
店主の鞭が床を激しく叩いた。バシン!
ひいっ……!
その痛そうな音に腰はひけ、足はガタガタと震え上がった。
あ、やっぱり無理かも。
その心は情けないほどに臆病になっていた。
黒猫さん……ごめんなさい。
僕は……作戦を遂行することができません。
痛い思いをするのはもう嫌だ。
それにだって仲間って言ったって、ついさっき知り合ったばかりだし、だから仕方がないんだって、震えた唇を開いた。
「店主様……その前に、僕……いえ、私の話を聞いていただけますか?」
「なんだ?言ってみろ」
ナナシは静かに深呼吸をすると、
瞳を潤ませて
「店主様、ここに店から逃げ出そうなんて考える悪い猫が今か今かとチャンスを伺っています!」
そう言って店主へ駆け寄って、後ろの3人、その真ん中にいる少女に向かって叫んだ。
「あの女!黒猫とかいう女です!彼女は私にこう言ったんです、「私と一緒にここから出よう」って!」
部屋中に彼女の名前が響き渡った。
ごめんなさい……だってでも痛いのは嫌だから。
信じられないのは黒猫だった。
「な……何言っているのよナナシ!あなた、自分が何を言っているかわかっているの!?」
まだ何も始まってすらいない、それなのに!
「ははは!何だ仲間割れか?しかしその反応、どうやらここから逃げようとしていた事は本当らしいな」
「ナナシどうして……私を裏切ったの?!」
「ごめんなさい……でも、私クズだから。こうしてあなたを生け贄にした方が、賢い選択だって思ったの」
絶望の表情を見せる黒猫、
そんな彼女に対し、ナナシはあざ笑うような笑顔を作って笑って見せた。
「黒猫さん、あなた言っていたじゃないですか、ここは詐欺師の国だって。どうですか?私、ここの住人になれましたぁ?」
「ふざけるな!!!!」
激情した彼女がナナシに飛びかかる。
「『拘束のリング』!」
「ぎゃっ!!!」
しかし黒猫は突如現れた魔法でできた光の輪に捕らえられ、そのまま床に倒された。
輪を放ったのは店主だった。
「ははは!その通りだナナシ、どうせ逃げられないんだ、仲間を売って俺のお気に入りになるって考えは正解だぜ」
光の輪がギリギリと黒猫を締め上げる。
「あ゛ぐ……お゛っ……!!」
彼女の表情が苦痛で歪む。
「あ゛んた……絶対許さないから……!!呪ってやる!呪い殺してやる!!」
黒猫は口の端に泡を溜めて、床に這いつくばりながらもナナシを睨みつけた。
「やぁ〜ん、店主様ぁ聞きました?呪うだなんて、あの女怖いですぅ……」
ナナシは店主に胸を擦り寄せて上目遣いで甘い猫なで声を出す。
「なぁに心配はいらない、こいつの魔力は輪で封じてある、何もできやしないさ。
それに俺からしたらお前も十分怖い女だよ」
店主はそんなナナシを抱き寄せると、いやらしい手つきで彼女の腰に手を回した。
「そんな怖いだなんて酷いですわ……これは店主様への忠誠の証、ほら見てください店主様、私の瞳が信じられません?」
「まったく、一晩のうちに色気使いを覚えるとは、才能あるよ、気に入ったぜ。ナナシお前は俺好みの愛猫にしてやろう」
見つめ合う2人、
「はぁ……んっ……店主様、そんなに見つめられたら私……私ぃ……」
店主の手がナナシの胸を掴む。
ナナシの瞳は店主をじっと見つめて離さない。
「ほんと…滑稽ですわね、店主様」
「?!」
一瞬、ナナシの雰囲気が変わった。
異変に気がついた店主は彼女の顔を二度見する。
蒼玉の瞳が紅玉の瞳に色を変え、白銀の髪は夜空の色に染まっていく。
なんだお前、その瞳の色……!」
「やっと気がつきました?」
「まさか、
お前ら『20面鏡』で顔を入れ替えて……!」
2人の顔が入れ替わる。
ナナシは黒猫に、黒猫はナナシにーー
店主はドン!と抱き寄せていた黒猫を突き飛ばし、瞬時に鞭を握って戦闘態勢に入った。しかし、
ーーー勝負は既についていた。
「作戦大成功!」
見つめあっていた事で、黒猫の仕掛けていた魔法が発動の条件を満たした。
「夜までおやすみ良い夢を、
『快眠の瞳』!」
!!
「ぐああぁあ!!あ……あ……」
魔法を食らった店主は酔っ払いみたくふらふらとバランスを崩して壁に祟れかかる。
「お……前ら俺を……ハメやがったな……!
に……逃げられると思うなよこの……猫ども……が……」
そしてそのまま床へ倒れた。
同時に魔法で黒猫に顔を変えていた僕、ナナシを拘束していた魔法が解ける。
店主のいびきが部屋に響いた。
「いい演技だったじゃない?」
満足げな彼女、僕も満更でもなかった。
でも、もう二度とやりたくはないかな、
本物の自分ではないとはいえ、あんな姿の自分を見るのは正直ちょっと……凄い引いたし、恥ずかしかった。
「ほら、追っ手が来る前にさっさと出ましょ!」
「あ……うん!」
でもこれで自由だ、
僕は彼女に手を引かれ、猫の宿の外へ出た。