【第2話】黒い男
「何だお前は、身分証も無い?その身なり、もしや物乞いか?そんな奴をこのブラクリーの領土に入れる訳にはいかんな!とっとと消え失せろ!」
まともな食事にありつけないまま彷徨い続けて3日、
やっとの思いで辿り着いた先で門前払いをくらった僕は、もう復讐なんてどうでもいいくらいに疲れ果てていた。
「あの……そう言わずに、ほら……お金ならここにありますから……!」
「ん?なんだこれ、ヴァスギニアの紙幣じゃねぇか」
「そうです!ここのお金とは通貨が違うと思うけど、価値としては悪くないでしょう?」
ここに来るまでに魔獣や追い剥ぎに襲われたけど、この金だけは守り抜いたんだ、所詮は安月給の門番、金さえ払えばちょろいちょろい!
「お前馬鹿なのか?」
「え?」
「ヴァスギニアつったら、内乱で滅んだお笑い領地じゃねぇか!今は何てったかな、リーヴェンだっけか?領名も変わって通貨も変わったんだよ、お前の持ってるそれはもう何の価値も無い紙切れ以下のゴミ屑よ!」
「そ、そんな……嘘だ!酷いこと言わないでよ!僕がこれをどれだけ死に物狂いで……」
「あーもう、五月蝿えよお前!大体俺を金で買おうってか?てめーみたいなハエがたかる様な物乞いが笑わせる!仕事の邪魔だからとっと消えろ!おら!」
どん!と蹴飛ばされて、湿気で柔らかい地面に足を取られて水溜りにダイブする。
泥まみれになって水面に写る自分の惨めな顔を見るも、見てられなくて両手で顔を隠した。
沼地と闇商人の領地、ブラクリー。通称『黒の国』
犯罪者や売春婦の集まりだってもっぱらの領地、
「こんな事になってなきゃ…誰がこんな糞領池に来るものか…!」
とは言っても、領土に入れないのは絶望的だった。領土の中なら、少なくとも食事にはありつけただろうし、魔獣に襲われる心配も少ない。
「僕……死ぬのかな……」
もう歩く力どころか、立ち上がることもできない。何かが遠くから近づいてくる。
魔獣か?追い剥ぎか?……もう、どうだっていいや
どうだって……
ヒヒィーン!!!
ガタガタン!!!
「危ない!!馬鹿もんが!何だってこんな道端で、危うく轢き殺すところだったぞ!!」
黒い馬の馬車が僕の鼻の先ギリギリで止まった。
馬車の御者が降りてきて、僕が生きているのを確認するとゴミを放る様に道の外へ投げ飛ばした。
「何の騒ぎだ」
「ああ旦那様、お休みの所を起こしてしまいましたか、いやはや、道端であの蛆虫が行き倒れておりましたので……あり、旦那様?どうされましたか」
客席から出てきたのは黒い髪、黒いコートの黒いハットを被った男、僕は半開きの目で見つめていると男はこちらに近づいて来た。
男は横たわる僕の顔を覗き込むと、顎を掴んでぐいっと自分の方へに手繰り寄せた。
「ふぅん……物乞いの様な姿をしているが育ちは悪くない顔をしている。小僧、お前訳ありだな?」
男の言葉に返す元気が無い。代わりにお腹がぐぅ~…とだらしない音を鳴らした。
「ふはは!腹の虫が代わりに返事とは、気に入ったぞ小僧、おい御者!客が増えるが構わないな?」
「そ、そりゃあ構いませんが旦那、そいつを乗せるおつもりで?」
「困っている人を見過ごせない、私はそういう人間なのさ」
男に抱き抱えられ、僕は馬車に乗せられた。
あれほど頑なに閉まっていたブラクリーの門が開き、馬車はそのまま黒の国へ入っていった。
※※※※※※※※※※
「おい、起きろ小僧!いつまで寝ているつもりだ」
男の声に目を覚ます。
どうやら馬車で揺すられて、そのまま寝てしまったらしい。
「ここは……」
薄暗い木造の建物、ぎしりと軋むソファーに僕は寝かされていた。窓から外を見てみるともうすっかり夜になっていた。
目の前のテーブルに置かれた蝋燭の黄色い灯りが部屋の中をぼんやりと照らしている。城の物置の方が大きくくらいだ。
質素な部屋だな。
「そんなにボロい家が珍しいか?」
男は何やら湯気の出る液体の入ったコップを2つ持って、1つを僕の手の届くテーブルの上に置いた。
「なにこれ?」
何だか黒くて気味の悪い飲み物だ。
フルーツジュースみたいな甘い匂いじゃない、
なんだこれは?乾燥した糞みたいな臭いがする。
……これ、毒じゃないよね?
「ホットドリンクだ。飲め、体が温まる」
いつもならこんな泥水みたいな飲み物、口にする前にメイドに下げさせるが、とにかく空腹で喉もカラカラだったので、僕は仕方なくこのホットドリンクを口にした。
しかし…
「うげっ…!!にっがい!なんだこれ!!!ゴホゴホッ!」
毒かと思った、でも毒ではない。だが苦い!苦い、臭い!苦すぎる!
やっぱ毒?
「珈琲は口に合わなかったか?」
こ、コーヒー?そう言えば、お父様から黒の国ではそんな名前の飲み物があるって聞いたことがあったっけ……?
男は悶える僕を見て意地悪そうに笑っている。
「これは……本当に人間の飲み物ですか?!」
「なに馬鹿なこと言ってんだ、飲み物に決まっているだろう」
男はなんの躊躇いもなく珈琲を口にする。
うげぇ……よくこんなもの飲めるな……信じらんないよ。
男は椅子を僕とテーブルを挟んだ向かい側に持ってくると、よっこらせと腰かけた。
僕は男に尋ねた。
「どうして僕を助けてくれたんですか?僕はあなたに渡せるものなんか何も持っていませんよ」
僕の質問に男はにやりと笑うと、何故か扉の方へ行ってガシャリと扉の鍵を閉めた。
「ちょ…何で!」
「失礼、ブラクリーはとても治安が悪くてね、特に夜は物騒なんだ」
なんだ、てっきり閉じ込められたのかと思ったよ。
急な出来事の連続で、僕は人が信じられなくなっていたらしい。
「さて、私がなぜ君を助けたか?その質問にはこれを見せれば話が早いかな」
男は1枚のチラシをテーブルの上に置いた。
「君だろ?懸賞金1千万ゴールド、リーヴェンの尋ね人、ヴァスギニア領主の息子、
レイン・ヴァスギニア」