98.霊廟と遺影
「陛下……似ておりんせん」
あら、うっかり初代の言葉が。
しかしそれはそれとて、思わず憮然としてしまいます。
「どこのおっさんでありんすか」
おや、また。
それ程に衝撃的なのです。
今、私が対峙しているのは、初代皇帝である天斌嵐仙高祖の似顔絵です。
遺影として飾られており、描かれているのは晩年の姿。
高祖は初代皇帝に用いられる廟号、2代目皇帝からは太祖となり、歴代の先祖に連なる者として脈々と与えられております。
皇帝陛下という呼称が死後は高祖や太祖になると思えばよろしいかと。
天斌嵐仙は諡号、つまり2代目の皇帝が先代の皇帝を評価し、贈った名ですね。
斌は文武両道という意味で、天が与えた才ある偉人として贈ったようです。
元々の初代皇帝の名は王嵐香仙です。
初代の感覚で言えば、天斌嵐仙高祖は死後の戒名のようなものですね。
戒名は線香用の香炉に並ぶ位牌に書かれています。
初代の世界では偉くなる程、長々した戒名となるのですが、この帝国は寧ろ諡号と廟号を1、2文字ずつ短くまとめる風潮があります。
「髪色と瞳の色は、確かにそのままでありんすが……何故そのような険しい顔に……」
まるで仁王像のような、今にも卓袱台をエイ、とひっくり返して投げつけてきそうな、迫力のある喧々としたお顔です。
いえ、面影はございます。
目尻や口元の皺は、加齢によるものでしょう。
青年が壮年になれば、このように出てくるものですし、元が私の知る顔であるのはわかります。
しかし深く刻まれた眉間の皺に、遠くを見据えて睨んでいるかのようにつり上がった目元は、記憶と余りに違っているのです。
私の中ではもっと……。
「しいせんと仰りんした、三国統一などしなさんしたり……あちきのおらぬ間に、何がありんしたか?」
どうしても、絵に向かって話しかけてしまいます。
「どれだけ数百年の歴史を紐解こうとしんしても、陛下の心情が、あちきにはわかりんせん」
ここは陵墓に近い場に建てられた霊廟で、帝都から3日程の道のりを経て辿り着く吉香寺の境内にあります。
閉め切れば真っ暗になるこの部屋は、出入口と香炉の両隣の蝋燭で、橙色の鈍光に照らされています。
本日は玄武を象徴に持つ北宮の夫人として、黒衣を纏っております。
場所が場所だけに、まるで喪服のような姿ですね。
初代皇帝のたっての希望で、海の見える高台に陵墓と、墓守りも兼ねて建てらたのがこのお寺です。
初代夫人達、2代目以降の皇帝とその夫人達は、皇城内にある霊廟で祀られております。
初代の感覚で言うと、陵墓は墓、霊廟は……そうですね、仏壇のある部屋でしょうか。
棚に似顔絵と戒名の書かれた位牌が置かれています。
今の私は法律上、皇帝の妻なので霊廟には行きたい放題です。
なので初代夫人達の似顔絵も拝見しましたが、見知った顔がありました。
1人は2代目の私に対抗して、誓約魔法に打ちこんだ呉家の方です。
大きく息を吸い、吐き出し、気持ちを切り替えます。
上衣と下衣に分かれた襦裙を繋ぎ止めるようにして巻いた、飾り用の幅の広い腰当てに挟んでおいた、お手製の懐中時計を取り出します。
「そろそろ鬼達が迎えに来る頃ですね。
既に陛下も亡くなられ、時間が経ち過ぎたのですから、理由が解らずとも致し方ありません。
それにしても、どこを睨んでいるのでしょう?」
正面を見据えてはいますが、その視線は私の顔を通り越し、もう少し後ろを睨んでいます。
試しに視線の先に当たる壁を叩いてみますが、特に何か細工してある風でもありません。
この手の絵は手を合わせる者と、どことなく視線が合うように計算して描かれるものなのですが……。
2代目の私の記憶の中の陛下は、人を驚かせるのが好きな方でした。
もしやと思ったのですが、考え過ぎでしたか。
随分容貌も変わっていますし、内面は顔に出るとも申します。
晩年は私の知る陛下ではなくなったとしても……。
「そう、ですね。
取り残されたように感じるのは、いつの世も、私だけでした」
苦笑し、位牌近くの火を消してから、出入口の灯りを持って暗い廊下を引き返します。