78.どうして、生きて……〜巧玲side
「梳嬪」
「約束通り、いらして下さいましたか」
昨日と同じ会話。
けれど人が違えば今日はこんなにも心が躍る。
「晨光様」
「丞相と。
それで、私に見せたい凜汐貴妃の悪事とは?」
深愛の気持ちをこめて名を呼べば、つれない御方。
けれど今は昨日のように忍んで待ち合わせたわけではない。
人払いはしているけれど、監視の女官達は、耳をそばだてているに違いない。
だから愛しいこの方が冷たい表情を取り繕っていても、人目がある時はいつものことだと割り切れる。
「どうぞ、共にいらして。
丞相と一緒ならば、後宮内を歩くくらいは許されているのでしょう?」
「そうですね。
特別に許可は得ています。
それは私が持ちましょう」
そう言って、手に取ろうとした提灯の柄を見目麗しい丞相が取る。
部屋を出て、丞相が魔法で火を灯せば、炎のゆらめきに麗しき顔が映える。
薄暗い中で2人きりに胸を高鳴らせながら、なるべく人目のある道を選ぶその様は幾らか寂しさを誘うけれど……。
それでも昨日と同じ場所に辿り着けば、完全に2人きり。
「どうぞ、こちらへ。
暗くて足元がおぼつきませんから、手を引いて下さるかしら」
壊れた戸を開け、建前が必要なこの方に嬪として手を差し出せば、一瞬の間の後に手を取っていただけた。
「失礼、気づきませんでした。
蘭花宮と繋がっていたのですね」
「ええ。
壊れていたのも、その証拠を見たのも偶然でした」
再び昨日と同じ会話。
けれど女人とは全く違う、愛しい殿方の手を直接感じる今の気持ちは、昨日とは比べ物にならない。
天にも昇る心地とは、正にこの事。
「少し進めば、お呼びした滴雫貴妃と凜汐貴妃がいらっしゃるはず。
ああ、もしかした既に会っていらっしゃるやもしれませんね」
もちろん嘘。
本当は癇癪女しかいない。
だって性悪はあの枯井戸の中にいるもの。
どうせあの女はそんなに長くは待てない。
そういう短気で傲慢な性格よ。
去ろうとしたところを呼び止め、態とらしく性悪の所在を聞き、ハッとした顔で白々しく井戸の中を覗いて悲鳴を上げればそれで良い。
目当ての井戸に近づけば、人影が……2つ?
もしや癇癪女は女官を共に連れて来たのかしら?
けれどあの枯井戸の存在を知る女官は、もういないはず。
初めてあの光景を見た時に居た、あの筆頭女官は枯井戸の底で眠っている。
「既に揃っているようですね」
手元の提灯の火を消した丞相の声に、まさかと思って目を凝らす。
月明かりに照らされた向かい合う2人。
1人は間違いなく癇癪女。
ならばもう1人は……。
「……嘘……どうして、生きて……」
取っていた手を離した丞相の存在も忘れ、そう呟く。
月明かりの下にいるあの女は、昨日と同じ黒の薄衣を頭から被っている。
「生きて、とは?」
訝しむ言葉にしまったと手で口元を押さえる。
「何か言ったらどうなのかしら?
生家の爵位も低い、後から入った新参者の貴妃が調子に乗り過ぎよ」
しかし癇癪女の声が闇に響いて、彼の注意はそちらに向いた。
助かったわ。
けれど、内心焦り始める。
あの性悪が生きているなら、昨日、私がした事が表沙汰になる。
そうなれば、どうなるか……。
生家の力が弱くとも、私達の立場上で大きな差がある。
加えて私は、あの性悪に毒を送ったとして監視中の身。
分が悪過ぎる。
かくなる上は癇癪女が直接手にかけ、成就させた上で……。
チラリと丞相を盗み見る。
そうなれば止めようとするであろうこの方を、どうにかして止めなければ……。
「そちらが呼びつけたのに、何故話す必要があるの?」
「何ですって!
たかが伯の家の者が、陛下や義兄に構われて調子に乗り過ぎだわ!」
「まあ、勝手に殿方達が構いに参られるだけ。
不可抗力ですよ」
ふてぶてしく、コテリと首を傾げてクスクスと性悪らしく嘲笑う。
その様は何とも小憎たらしく、しかし今は性悪に心から声援を送る。
そうよ!
もっと逆上させなさい!
「何ですって!」
「ただの若さ……ああ、貴女には……足りませんよね」
「おのれ!
言わしておけば!
死ね!」
やった!
とうとう癇癪女が性悪の首に手をかけ、押し倒す。
「……っぐ……」
「死ね!
性悪!
消えろ!」
もがく性悪など物ともせず、悪鬼の如き形相で力を入れているのがここからでもわかる。
そして私は丞相が僅かに動いたのを見逃さなかった。