100.疲れが溜まっていたのでしょう
「滴雫様、ヤりますか」
あら、後ろにいた小雪が鬼達より鬼の形相ですね。
何をやるつもりでしょう?
「いやあ、若いな、あの坊主」
「僧だけにな」
双子の鬼達は、ハハハと楽しそうで何よりです。
丞相の笑い上戸でも乗り移りましたか?
「さてさて、子猫ちゃん。
今日はどちらの鬼と一緒にお使いに出ますか?」
「ホネホネ煎餅だ!」
「鳥皮煎餅だ!」
「ガウニャ〜ゴ」
そう、実は子猫ちゃんはついてきております。
ずっと私の膝で、おくつろぎ中でした。
そしてそんな子猫ちゃんを気に入って、鬼達は絶賛餌付け中なのです。
聞けば、彼らの目にも黒い靄に映っている模様。
ただ、目を凝らせば翼や耳、尻尾等の一部はそれとなく視えるようになったと聞いています。
そんな人の目には、基本的に視えない仕様の子猫ちゃん。
知能も高く、隠密行動には何よりも適した存在だと思いませんか?
子猫ちゃんと違って、人の目に普通に見える鬼達は、元暗殺者だけの事はあります。
そもそも隠密行動はお手の物。
この子猫ちゃんと鬼達は、相性がとても良いよう。
必要な何かをお願いすると鬼達の指導の元、基本的に姿の視えない子猫ちゃんが、的確に選んで取って来てくれます。
それにしても子猫ちゃんの、この下から見上げるつぶらな瞳は、何とも愛らしく、庇護欲を注がれますね。
あら、トン、と下に降りて鳥皮煎餅を持つ左鬼の所へ。
喉をゴロゴロ鳴らしながら、前髪の分け目が左寄りの鬼から得た煎餅一握り分を、パリパリ食べ始めました。
前髪の分け目が右寄りの鬼、右鬼はどことなく残念そう。
「今日は鳥皮の気分だったようです。
それでは左鬼は子猫ちゃんと一緒に、この寺の大僧正が書いているという、歴々の記録とやらを拝借してきて下さい。
どのみち長雨になるでしょうし、時間はたっぷりあります。
初代大僧正の物から順に拝借してくれますか。
右鬼は滞在が延びる旨をしたためた文を、皇貴妃に渡して来て下さい。
山の天候は変わりやすいですからね。
くれぐれも気をつけて行って下さいね」
「「了」」
「ガウニャ〜ゴ」
そうして子猫ちゃんの煎餅をパリパリする音が消え、2人と1匹が出て行き、シン、と静かになる室内。
「滴雫様、ヤりますか」
あら、うちの筆頭侍女は、再び何かやる気になっています。
「小雪にして貰う事は、今は特にありませんよ。
ほら、のんびりお茶でもしながら、待ちましょう」
「あの僧侶達、目を潰さんとするくらいに、可憐で優しさが顔面からほとばしっている滴雫様に、あまりにも失礼です。
いっそ曇った目など、潰れてしまえばいいのに」
憮然としながらも、対面に座るようにと手で指し示せば、素直に座ってくれました。
普通に考えて、目を潰さんとする程って、どんな狂気な凶器でしょうか。
ヤバイ顔ってやつですよ、それ。
何やら筆頭侍女になって、疲れでも溜まっているのでしょうか?
苛々は心身に良くありませんよ。
「あんな皇帝でも、滴雫様の情けで法律上の夫にしてやったというのに、その祖先を祀る僧侶達のあの不遜極まりない態度は罰せられるべきです」
続く小雪の言葉から、法律上の私の夫への格付けが、相当下なのは間違いありません。
「日頃から民達が広めてきた噂の、賜物ではありませんか。
そのような悪女は、早く皇帝陛下の妻の座からお役目御免になれば良いですね」
そう、元蘭花宮の主だった凜汐の最期の言葉。
『新たに入った水仙宮の貴妃、滴雫は男を誑かす悪女よ!
全てあの女がはめたの!
陛下も丞相も、騙されている!
私は無実よ!』
彼女は処刑されるまで、そう叫び続けました。
私もその場にいましたから、間違いありません。
その数日後には、しっかりとこの帝国中に広まったようです。
人の噂は怖いですねぇ。
「目的は知っていますが、何も自らあのような噂を広めなくても……」
「ふふふ、何の事でしょう」
「大体、滴雫様はいつも……」
仏頂面になったうちの筆頭侍女は、私の言葉など意に介さず、結局お小言を子猫ちゃん達が戻って来るまで言い続けました。
やはり何かしら、疲れが溜まっていたのでしょう。