走る招き猫
1
昼休み、いつものように仕出し弁当を囲んで、私、カッシーこと柏木睦美、タミィこと古屋民子、コンタこと今野孝子の三人は、とりとめのない会話に花を咲かせていた。
「このお弁当も飽きたねえ」
一見清楚だが、実は好奇心と食欲の塊のコンタが切り出すと、
「でも外食は高いからね」
と、色白で黒髪を肩で揃えたタミィが続いた。容姿もさることながら落ち着いた雰囲気で、同性の私から見てもなかなか美人だと思うのだが、本人は色恋沙汰にはまったく無関心だ。
「蕎麦屋にラーメン屋、ありふれた店しかないもんね、この辺りは」
と、私。心身ともに平凡だと思っているのだが、周りはそうは思ってくれない。なんでだろ? 三人とも入社二年目の同期三人組だ。
「ね、今廊下、何か通らなかった?」
「いや、何も。カッシーの勘違いじゃないの?」
「ううん、今確かに何かが廊下を通ったはずよ」
「またゴキブリでも出たんじゃないの?」
「イヤ! もう、タミィったら!」
と、コンタ。こいつゴキブリが病的に嫌いなのである。
「イヤ! ゴキブリだけはイヤ! タミィ、何とかしてぇ」
「しょうがないなあコンタは」
そう言って殺虫剤片手に廊下を出たタミィであったが、
「あっ、あれは」
「何? 何かあったのタミィ」
タミィの声に押され、廊下に出てみると何者かが廊下を猛スピードで走り抜けていく。
「何あれ」
「猫みたいよ」
コンタの間の抜けた声を尻目に、猫みたいな何かは、瞬く間に廊下の角を曲がって姿を消してしまった──。
2
翌日。
会社の側のいつもの蕎麦屋。
「代り映えしない味ねえ」
と、きつねうどんを口に運びながらコンタ。
「街中の蕎麦屋の味が毎日変わったら、それこそ大変でしょ」
と、たぬきうどんをすすりながらタミィ。
「今日は塩味、明日はみそ味なんてことになってごらんなさいよ。皆どんな顔をするか」
「あっ、それ面白いかも。トマトスープ味とか、トムヤンクン風味とか──」
「ストップ、今食事中よ」
タミィがストップを掛けた所で会話を止め、うどんをあっという間にたいらげた。
食事を終え店を出ると、店頭に招き猫が置いてあった。
「あ、かわいい」
「そう? 店頭の招き猫なんて、信楽狸と並んで定番でしょう」
タミィにそう言われても、コンタは招き猫から目を離さない。
「いいなあ。私の部屋にも一つ欲しいなあ」
そんなことを言っている私たちの足元を何かが走り抜けた。
「カッシー、タミィ、今の見た?」
「何か猫だったような……」
「ような、じゃない。猫よ!」
こうなると好奇心というより、野次馬根性が服を着て歩いているようなコンタのことだ、私とタミィをほったらかしにして後を追おうとした。その襟首を掴むと、
「さ、もう食事も終わったし、モタモタしているとお昼休み終わっちゃうわよ。さっさと会社に戻りましょ」
と、コンタを引きずっていく──。
「ちょっとやめてよ! もう、タミィのいじわる」
抵抗むなしくタミィに引きずられていくコンタを見ながら、私は首をかしげた。
(あの猫、どっかで見たような……)
3
「あっ」
「どうしたのカッシー。何かわかったの?」
昼休み。いつものように仕出し弁当を囲んでの三人での会話。
「この前のあの猫、蕎麦屋の前の招き猫に似てるのよ」
「はぁ?」
「何よその顔、二人とも」
「ねえカッシー、何か変な物食べなかった?」
「この時期、食べ物は腐りやすいから……。お腹大丈夫?」
「もう、二人とも私のこと馬鹿にして! 私は心身ともに正常だよ! 平凡なOL、柏木睦美よ!」
「どうする、タミィ。本人はああ言ってるけど……」
「そっとしておきましょ。下手に何か言うとかえって逆効果よ」
「もう、勝手にして!」
私はふくれた。
「あなたがふくれようが口を尖らせようが、こっちは慣れっこよ」
と、タミィは落ち着いたものだ。
「ふん!」
「あ、今度はヘソを曲げた」
「もう勝手にして」
「ねえ、それよりも今日、会社が終わったらカラオケにでも行かない?」
「うん、久しぶりだからいいわよ。気分転換になるし」
「またカッシーのアニソンばかり聞かされるのか──。でもまあいいか。こちらも今日の予定はないし」
「コンタ、あんたに私の歌をとやかく言われる筋合いはないわ」
「まあまあ二人とも!」
ここでいつものようにタミィがなだめに入った。
「こんなところでケンカしないで。今日は久しぶりのカラオケで羽を伸ばしましょ」
タミィの言葉に機嫌をなおし、とりあえず首を縦に振る二人であった。
「もう現金っていうか、変わり身が速いっていうか……」
タミィが苦笑しながらつぶやいた。
ふと時計を見上げると、針は5時半を指していた。陽はまだ高い。三人とも何か心に引っ掛かるものを感じながら、タイムカードを押して会社を後にした。
「カラオケカラオケ楽しいなー」
コンタが早くも調子っ外れの流行歌を口ずさみながら足取り軽く、二人の前を歩いていく。
4
カラオケを一時間ほどで切り上げて、私たちは店を出た。まだ陽は高く外は明るい。駅までの道を歩いていると目ざといコンタが、
「あ、あんなところに公園が」
見ると住宅に挟まれた道路の脇に、ブランコとすべり台が置かれただけの小さな公園が見えた。夕刻だからか人の姿はない。
「見て、猫があんなに」
それこそ猫の額ほどの公園に、様々な毛色の猫が集っていた。特に何をするでもなく、ある猫はうずくまり、またある猫は歩き回り、静かな時間を過ごしているようだった。
「これが猫の集会ってやつね。初めて見たけど、猫があんなにいるなんて、なんだか気味が悪いわ」
いつものタミィらしからぬ口調に振り向くと、タミィは顔を引きつらせ、顔色も少し青ざめていた。
「どうしたの、タミィ」
いつもと違う様子に戸惑った私が声を掛けると、
「ははーん、さてはタミィ、怖いのね」
と、少し意地悪な口調でコンタ。タミィは反論するどころか、顔を引きつらせたまま、
「え、ええ。私、全くダメなの。お化けとか妖怪とか物の怪とか。そういうものは全くダメ!」
真剣な顔で言うものだから、私としては笑うに笑えない。
「へへーん、何よこんなの。何匹いようとただの猫じゃない」
ゴキブリ以外に怖いもののないコンタは、猫にかまいはじめた。
「コンタ、あなたってホント幸せね」
タミィの皮肉もコンタには通じない。
「あ! あの猫……」
猫の群れの中に一匹、先程の蕎麦屋で見かけた招き猫にそっくりな毛並みの猫を見つけて指差すと、タミィは顔をさらに引きつらせた。
「コンタ、ち、ちょっとやめて」
「ほーれほーれ。ようしようし」
二人の様子を見ながら、私は、招き猫にそっくりな猫から、しばらく目を離せずにいた──。
5
「あっはっは。ああ、おかしい」
コンタはいたずらっ子っぽく笑うと、缶コーヒーを喉に流し込んだ。
「三人の中で一番落ち着いてるタミィが、お化けが怖いだなんて」
「笑わないでよ。本当にダメなんだから」
タミィはむくれた。
「子供の頃は夜、一人でトイレに行けなかったんだから」
「あっはっは、それ本当?」
コンタは体を二つに折って笑い転げた。
「それ以上笑うと、今度あんたのお弁当にゴキブリ入れるからね」
「やめて。あんたが言うと冗談に聞こえないから」
コンタはそこで急に真面目な顔になった。
「古くは鍋島の化け猫に、近世ではポーの黒猫に──。やはり猫って祟るのよねえ」
「でもねえ、まさかよりによってタミィが化け猫ごときを怖がるなんて」
「だから冗談じゃないんだってば」
「じゃ、コンタ。あんたは怖くないの?」
「そんなものが怖くて遊園地のお化け屋敷に入れますかって。私が怖いのはゴキブリだけ」
「天下無敵ね、あんたって」
タミィの皮肉を聞き流し、コンタは私たちに向き直った。
「ところであの招き猫、一体どこから来たんだろ?」
「へ?」
「地面から湧いたのでもなければ、どこからか来たはずよね。それはどこからなのかって」
「確かに、コンタの言う事も一理あるわね」
招き猫だって猫である以上、ねぐらやナワバリだってあるだろう。コンタの言う通り突然わいたのでなければ、どこからかやって来たはずである。
「それはどこか、確かめてみようかな」
そう私が言った途端、タミィとコンタの視線が私に向けられた。
「カッシー……。やっぱりあんたって……」
「変わり者──、変人ね」
ふん、そんなのへっちゃらよ。もう慣れっこになってるもーん。
6
「さて、これからどうする?」
「どうするって、何を?」
「決まってるじゃない。あの猫たちがどこからやってきたかを探し出すにはどうすればいいか、考えましょうよ」
「カッシー、あんた本気だったの」
「おあいにくさま。目いっぱい本気よ」
先程、猫たちが集会を開いていた公園のベンチに座り、私はタミィとコンタに向き直った。
「やはり相手も動物だからして、ここはひとつ食べ物で釣るのがよろしいかと……」
「食べ物って何? カツオブシ? それとも煮干し?」
「ちょっと古い気がするなあ。マタタビなんてどう?」
「どこにも売ってないでしょうが。とにかく、猫の喜びそうなものをここに置いて見張ってみましょう」
「誰が?」
「私。もちろんタミィもコンタも、手伝ってくれるわよね?」
二人とも、しぶしぶといった表情でうなずいた。
「メザシの頭、魚肉ソーセージ、チーズかまぼこ、マグロフレーク──、ま、こんなもんでしょ」
各自持ち寄ったものをベンチの上に置くと、私たちは木立の陰に身を潜めた。待つ事およそ二十分──。
「あっ、来た来た」
コンタの言う通り、例の招き猫を先頭に、十数匹の猫がこちらへやってくる──。
「ちょっと動かないで、動くと気付かれちゃう。あっ、それから声も出さないで。静かにしていて」
「勝手な事言わないでよ、こんな狭いところで……」
なんやかんや言いながら息を潜めていると、先頭の招き猫がこちらに気付いた様子もなくやって来て、私が置いた魚肉ソーセージに口を付けた。様子から察するに、どうもこいつが一味のボスらしい。
そして──。私と招き猫の視線が合った。次の瞬間、そいつはこともあろうに私の顔を見てニヤッと──まるで不思議の国のアリスに出てくるチェシャキャットのように──笑ったのだ。
(わ、笑った!?)
私はもちろんのこと、タミィもコンタも動くことができずに立ちすくんでいる。その三人の顔を愉快そうに眺めながら、招き猫はピッと尾を立てたまま、公園から去っていった。
7
猫たちが余裕たっぷりに引き上げた後、私たちは公園のベンチにペタンと座り込んでいた。と、いうより立てなかったのだ。
「ね、猫が……、笑った……」
「タミィ……、これ、目の錯覚だよね? 何かの間違いだよね」
「じゃあ、今私たちが見たのは何?」
「やっぱり猫って、祟るのね……」
三人のなかで最初に我に返ったのはコンタだった。
「あいつら……、どこへ行った?」
落ち着いた様子で周りを見渡すと、猫たちが去っていった方角へ歩き出した。
「コンタ、どこへ行くの?」
「もちろん、猫どもを追いかけるのよ」
「相手は化け猫だよ!」
「それが何よ、所詮、三味線の材料じゃないの」
「やはりというか、流石というか……」
「確かあっちの方に……。あ、いた!」
公園からそう離れていない道端に猫たちはいた。招き猫は私たちを見上げながら、
「驚いた、我々を見て怖がらない人間がいるとは……」
と、喋った。よく通る声だった。
「当たり前でしょ、たかが猫ごときに……。コンタさんをなめないで欲しいわね」
招き猫はしばらく考え込んでいたが、
「わかった、今日のところはこれで引き上げるとしよう。しかし我々は、お前たちの身近にいる存在だ。これからもよろしく頼むよ」
そう言い残すと、姿を現した時と同様、尻尾をピンと立てて夕日の向こうへと姿を消した。
ペタン、と音がした。振り返ると、タミィが尻もちをついていた。
「どうしよう、本物の化け猫を見ちゃった……。これでまた私、夜一人でトイレに行けない……」
「タミィ、あんたは……」
コンタがクスクス笑いながら、タミィの頭をポンと叩いた。
「ふん、他人事だと思って。覚えていなさいよ、コンタ」
そういうタミィの顔も笑っていた。
8
空を見上げると、もう夏らしく、流れる雲が一回り大きくなっているようだった。今日も一日が始まる。おそらく、昨日と同じ一日が──。でも、自分のできることを一生懸命やっていれば、何か昨日と違う事が起こるかもしれない。そう、ある日突然、笑って喋る、招き猫にそっくりの化け猫に出会う事だってあるのだ。今日は何が起き、私の、コンタの、タミィの一日を彩っていくのだろうか──。
(よし、今日も一日頑張るか)
私は自分にそう言い聞かせ、古ぼけた社屋へ歩いて行った。ああ、今日も一日が始まる。そんな不安と期待が入り混じった気持ちを抱え、私はタイムカードを押した。
化け猫騒動から数日後。
「暑―い。夏本番だよー」
と、オフィスでうだっていた私とタミィにコンタが、
「ねえ、週末どうせ二人とも暇なんでしょうから、市民プールに行かない? 先週プール開きしたばかりで、まだ混んでないだろうからのんびり泳げるよ、きっと」
と、声を掛けてきた。
「いいねえ、久しぶりだし」
と、タミィ。
「カッシーはどうするの?」
「えっ、私は……」
「何よ、その歯切れの悪い態度は。ははーん。さては水着姿に自信がないな?」
「そ、そんなんじゃなくて……」
「じゃあ、なんなの?」
二人の意味深な視線に射すくめられた私は、ついに、
「じ、実は私、まったく泳げないのよ……!」
と、白状させられてしまった。
「ウソ、嘘でしょう? カッシー」
「ホントよ。だから今までもプールや海水浴の誘いは、全部断ってきたんだからこの年齢でカナヅチだなんて……、ああ、恥ずかしい」
「カナヅチにゴキブリにお化けか……。まったく、三者三様ね」
「これはもう行くっきゃない、これで決まりね」
一方的に決められてしまった……。
「お弁当でーす」
三人で騒いでいるところに、お弁当が運ばれてきた。
「さーて、今日のメニューは何かなあ」
と、勢いよくフタを開けたコンタだったがその途端、
「キャーーー!!」
脳天から突き抜けるような声を上げて、オフィスかを飛び出して行ってしまった。
「どうしたんだろう、コンタ」
「これよ」
タミィは床に落ちた黒い物をつまむと、
「ゴ・キ・ブ・リ」
と、ウインクをして、おもちゃのゴキブリをゴミ箱へ捨てた。
「全く、三者三様ね」
と言って、私はたくあんを口へと放り込み、あの招き猫のような笑みを浮かべた。季節は夏。窓の外では青い空を白い雲が、ゆっくりと流れていった──。
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