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二〇〇九年のリング禍にみる悲劇性

 話は変わって九十年代の全日本プロレス会場。

 この時代、全日の試合会場では、特に大規模興行の終わりに「全日本ぜんにっぽん」コールが起こるのが恒例になっていました。

 当時は総合格闘技イベント「PRIDE」勃興期であり、全日のライバル団体である新日本プロレスも、総合格闘技との泥仕合に足を踏み入れる直前の端境期で、人気は根強いものがありました。

 これらと比較すると全日が地味で目立たないイメージだったことは否めず、そんなときに三沢選手をはじめとする全日主力選手団が、受け身の取れない高角度での投げ技や妥協なき打撃技を繰り出し、六十分フルタイムを戦いきるような激しい試合を連発するようになります(いわゆる四天王プロレス)。

 他団体と比較して後れを取っている自覚があった全日ファンは、

「新日ファンは目にも見よ」

「総合の選手にこんな試合ができんのかよ」

 と言わんばかりのファイトスタイルに狂喜乱舞し、老舗全日本プロレスの復活と、更なる飛躍を祝して「全日本」コールを飛ばしたものでした。


 当時は私自身も狂喜したファンのひとりでしたが、いまになって虚心坦懐に顧みれば、

「かかる過激なファイトスタイルを以てしても、選手が蒙った健康上のリスクを上回るリターンは得られなかった」

 とするのが正当な評価と言わざるを得ません。


 後年全日を離脱した三沢選手は「プロレスリング・ノア」を立ち上げることになりますが、団体同様、ファンも全日からの分派の動向を示し、新規ファンが目に見えて増えたという実感は、部外者である私には少なくとも感じられませんでした。

 結局ノアのファンとは三沢選手のファンだったのであり、三沢選手のファンとはその妥協なきファイトスタイルに魅せられたファンだったわけです。

 三沢選手もそのことは十分に理解しており、プロレス自体の斜陽産業化もあいまって、新規ファンの獲得という積極目的より、ファン離れ防止という消極目的のために、従来のファイトスタイルを変更する機会を三沢選手は逸してしまいました。

 そのことは、三沢選手本人の言で裏付けられるところでもあります。

 ご存じの方も多いでしょうが、三沢選手は平成二十一年(二〇〇九)、試合中の事故で亡くなります。永年にわたるダメージの蓄積が事故につながったことは誰の目にも明らかでした。

 ファンが三沢選手に従来のファイトスタイルの継続を求め、団体がそれに応えざるを得ない窮状にあったことが悲劇の下地でした。

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