空頭の先生にみる悲劇性
去る令和四年九月二十七日、故安倍晋三国葬儀が執行されました。
安倍氏の祖父(岸信介)、大叔父(佐藤榮作)ともに毀誉褒貶の激しい政治家でしたが、本人の国葬儀も賛否分かれるなかでの執行を余儀なくされたあたりは血筋の為せる業でしょうか。
本稿は、安倍氏シンパがそうなるに至った心的動向を探索し、以て本件の悲劇性に肉迫することを目的とします。
ニュートラルな立ち位置での執筆などという、できもしないことにこだわることなく、思うさま書き連ねますので、どうぞその旨ご了承願います。
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如何せん古い記憶なので思い違いがあるかもしれませんが、次のようなストーリーだったと思います。
ある日バカボンのパパがテレビを見ておりますと、空手ならぬ空頭の先生が、頭突き一本で瓦や壷を割る芸を披露していました。
見事な頭突き芸にいたく感激したパパは、その後、偶然にも先生と街で出くわし、テレビで披露した瓦割りや壷割りを目の前で見せてくれるようせがみます。
しかし実はこのとき、先生の頭は長年にわたる頭突き芸がたたって既に限界に達していました。
弱みを見せてはならないと、ドクターストップがかかっている事情を隠しながら、パパの頼みをなんとか躱そうとする先生。
しかし諦めきれないパパは、ならばとばかりに先生の頭突き芸をべた褒めしはじめます。
最初は仏頂面で聞き流していた先生も、めくるめく褒め殺し攻勢を前に気を良くし、遂に禁断の頭突き芸を披露することに。
最後の一線を越えた先生の頭は限界を迎え……といったあらすじ。
このエピソードが秀逸なのは、頭突き芸が身体に及ぼす悪影響を明確に認識していながら、バカボンパパの期待にこたえるべく破滅に向かって突き進む空頭の先生の内面描写にも、そして悪意なく頭突き芸の披露を求めるバカボンパパの言動にも、まったく嘘くさいところがない点にあります。
登場人物の心的動向――すごい技を見たいというバカボンパパの素直な欲求と、破滅を予感してでも期待に応えたいという先生の承認欲求は、観察者である我々にも十分共感できるものであり、またギャグ漫画特有の滑稽かつ大げさな描写が、破滅の悲劇性を却って際立たせている点においても、人間がほんらい抱える業の深さを見事に描ききった、作品中屈指のエピソードと言えるでしょう。