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「霜の巨人よ、我が剣に御身の加護を!」
その言葉と共に振るった剣が、牙を剥き出して襲い掛かって来る、雪豹が巨大化した様な四足の魔物の鼻面を凍らせ、切り裂く。
魔物が発する魔力を吸って発生した氷が瞬く間に目と鼻を覆い、巨大な雪豹から視覚と嗅覚を奪いさる。
流石の魔物も、この予想外の効果には焦ったのだろう。
まるで僕の存在を忘れたかの様に顔を振り回して、何とか張り付いた氷を引き剥がそうと足掻く。
つまりは、そう、隙だらけだった。
故に次の僕の一撃は、サクリと魔物の首に食い込み、それを胴体と切り離す。
けれども分かたれた首からも、胴からも、血は流れない。
何故なら僕が放った霜雪の剣、凍魔と言う剣技は、魔物を凍らせてから切り裂くからだ。
切断面は完全に凍り、剣が返り血に染まる事すらなかった。
……ミルド流の剣闘派との揉め事に決着が付いて、それから少し経った夏のある日、僕は再び北の大山脈に足を踏み入れる。
と言っても、別にユーパ・ミルドが言ってた超越者とやらを目指す為じゃない。
老いから解放された生に興味がないとは言わないが、それを手にする為に何十年も山に籠るなんて論外だ。
僕には霜の巨人の神殿を守り、霜雪の剣を学ぶ弟子達を育てる仕事があるし、何よりも妻や子等と離れ離れになりたくはない。
ましてや僕のみが老いから解き放たれ、妻と子等が老いて死ぬのを見るなんて、真っ平だった。
だから僕がこの地に足を踏み入れたのは、あの凍える夏を発生させる魔術装置でもある、この北の大山脈にある神殿を目指す為だ。
その目的は当然、あの神殿で見付けた『土地の魔力を吸い取る』術式の隠蔽である。
北の大山脈は確かに多くの魔物と厳しい自然が立ちはだかる難所だが、でも人が踏破出来ない程じゃない。
何せユーパ・ミルドの様な化け物でない、僕が踏破したのだから。
そして一度誰かが踏破したのなら自分もと考える人間は、必ず出るだろう。
剣を、魔術を、魔導具を用いて、その誰かはあの神殿まで辿り着くかもしれない。
或いは誰かじゃなくて、もっと多くの人を集め、調査隊を組織して北の大山脈に挑む事だって充分にあり得る。
だとすれば、僕が『土地の魔力を吸い取る』術式を秘匿した所で、いずれは誰かがそれを利用したり、公開される可能性は充分にあった。
それ故に僕は、あの無造作に露出した術式を隠蔽する為、もう一度あの神殿を目指してる。
勿論、僕がどんなに頑張って隠蔽を行った所で、本当に実力のある魔術師ならばそれを見破りもする筈だ。
僕は魔術師として一流と言って過言ではない領域にあるだろうけれども、それ以上の天才や化け物はどこかに必ず存在するから。
ただまぁ正直な所、それは僕が生きてる間の話じゃないと思う。
あの神殿に誰かが辿り着いて隠蔽を見破るのが、例えば二百年とか三百年も後なら、流石に僕も知った事ではない。
僕が最初にあの神殿を訪れたのが、二百年も前のルッケル・ファウターシュが知らずと行った失言の後始末だった様に、後に起きる問題は後の世代が解決すれば良いのだ。
でもそんな二百年や三百年後でも、ユーパ・ミルドはきっとあのまま存在し続けて居るのだろう。
それを思えば僕は安堵と、少しの哀れみを覚える。
彼の様な存在があるならば、きっと千年後でも世界は続く。
アーバドゥーンや吸血鬼なんて僕には話が大仰過ぎて、関わろうとすら思えない何かにも的確に対処をし続ける筈。
だけどそれは、一体何の為なのか。
ユーパ・ミルドの永い生には、一体何の喜びがあるのか。
僕には想像も付かないから、それを哀れに思うのだ。
彼からすれば実に勝手で失礼な話だろうけれども。
僕は今、弟子の育成や子供達の成長に一喜一憂している。
息子や娘がもう少し大きくなって、僕から剣や魔術を学んでくれたら、その喜びはどれ程だろうか。
多分それは、強者との戦いや勝利よりも、ずっと大きい喜びだ。
空を見上げれば、随分と大きな鳥の魔物が僕の頭上を旋回してる。
どうやらあれは、今日の糧に僕を選ぶ心算らしい。
尤も僕もあれが手の届く範囲に降りて来たなら、狩って夕飯にする心算だからお互い様と言えるだろう。
クローム・ヴィスタは北の大山脈への旅に同行したがったが、僕は彼を置いて来た。
男と二人で難所の旅なんて、楽しくもないし、嫌過ぎる。
それに彼には、今はキュレーロに剣以外の武器を持った相手との戦い方を教えて貰ってる。
そう、キュレーロは兵士ではなく、剣闘士として身を立てる事を決意した。
来年の春までみっちりと鍛え上げたなら、彼は下級剣闘士としてデビューする。
もしも見事に上級剣闘士にまで登り詰めたなら、僕はキュレーロに魔剣を造って贈るだろう。
その準備、素材への魔力付与は、少しずつだが始めてる。
勿論この旅の最中は、それも中断せざる得ないが。
間違いなく贔屓ではあるけれど、命を賭ける道を選んだのだ。
それ位は許される。
だから魔力を発する素材の加工が出来る職人を紹介して貰う為にも、『土地の魔力を吸い取る』術式の隠蔽をしてユーパ・ミルドに恩を売ろう。
甲高く、空を舞う鳥の魔物が鳴く。
そしてまるでその声に集うかの様に、幾匹もの魔物が集まって来た。
あぁ、実に姑息で厄介な事に、あの鳥は鳴き声で他の魔物を集めて獲物を襲わせ、隙を伺う習性があるらしい。
まぁ面倒臭いが、賢い魔物だ。
だがその程度で僕を狩れると思ったならば、些か甘く見過ぎである。
僕は大きく一度深呼吸してから、
「霜の巨人よ、我が剣に御身の加護を!」
その文言を唱えて剣を振う。




