「虚の電波塔」S3
「今度はここに行こう。」
私は、淡い光を放つ小動物に告げる。
小動物は理解したのか、それともお腹でも空いているのか、控えめ気味にクルクル回っている。
あれから私達は、私の目の奥で囁きが聞こえる度に様々な場所に赴いて、様々な謎の生物と対峙してきた。
しかし、その中でも今回の囁きはザワザワと凄く大きい。まるで今までの比にならない。
「私の目が治る可能性も…」
私はそこまで言って、止めた。
そして、この辺りで1番安かったホテルの部屋の窓を開け、外を眺める。夜だと言うのに、なんだか熱風のような風が吹き込んでくる。
都市の光の輝きは、ひとつの胎児のように鼓動を続ける。息を吸えば、排気ガスと誰かが吐いた二酸化炭素が私の中に入ってくる。
私が育った場所とはまるで違う。まるで正反対だ。随分遠くまで来てしまったんだな…と思う。
私は窓とカーテンを閉めて、あの小動物を小さな布で包むと、硬いベッドで倒れるように眠った。
翌朝。私は街を歩いていた。人々の殆どは陰気な暗い色のコートで身を包み、どこか宙を見ているか、板とにらめっこしているかの2択で、あまり個性がない。
「どこからも囁きがする…。」
私の目は囁き続けているが、一番大きな囁きは、既に場所が分かっている。今も私の視界にある、巨大な電波塔だ。
私は視界にそれを収め、捻くれ者の曲がりくねった道を辿りながら電波塔に向かう。
私たちは電波塔までたどり着き、嘆息する。随分大きな塔だ。それに変な形をしている。わざわざこれだけ大きなものを作る必要はあったのだろうか?その電波塔にはロビーやエレベーターも付いているのに、不気味な程に人影はなかった。通用口にも鍵は掛かっておらず、エレベーターも使える。電気は落ちていて、室内は深海のような独特の暗闇に支配されていた。
小動物が、震えながら体を縮こませる。淡い光もいつもより強くなって、まるでひとつの灯りのようだ。エレベーターは使えなかったが、階段で上がれるようだ。私は、名前も知らない不思議な小動物に道を照らして貰いながら、ゆっくり階段を登った。
最上階は外に剥き出しになっていた。
ひとつの巨大な灰色の機械が置いてあり、そこからブーー………ンというとても煩い、独特の音が響いている。ザワザワという声も大きくなり、頭が割れるようだが、ここで引き返す訳には行かない。
私は小動物を胸のポケットに入れる。
「あの穴が…」
そしてそこには、空間が歪んだような、巨大な穴があった。空気に溶け込むような、水に波紋が広がるような、とても自然な穴だ。
私は、ゆっくりと息を呑む。
私が穴に近づくと、穴の中から銀色の触手が伸びる。たくさんの赤い光が輝き、「なにか」が姿を現した。
その「なにか」は、人の姿をしている。いや、人の姿をまねたものといった感じか。
体は暗い灰色と、手足の先はくすんだ銀で出来ている。
頭には三十個程の埋め込まれた赤いランプを持ち、規則的に並んでいる。
三十個はある赤いボタンのようなものを素早く順番に光らせると、隣にあった機械から音が聞こえる。
(や・と・た・ど・り・つ・い・た)
苦しそうな、それでいて無機質な声が電波塔に響く。
しかし、私は穴からでてきた生き物より、穴の方に意識が向いていた。穴はまだ開いている。今のうちに飛び込めば、私もあちら側に…
(あ・な・た・は・な・ぜ・あ・ち・ら・に)
不意に、その生き物が機械を通して私に話しかけてくる。私は答える。
(あちら側になにがあるのか、知りたいからよ。)
(あ・ち・ら・が・わ・に・は・な・に・も・な・い・こんとんがあるだけだ)
その生き物は抑揚のない声で答える。
巨大な空気の穴は、今や段々と閉じようとしていた。
(あなたはつかれているようだほんとうのあなたはそうではない)
生き物はだんだんと早口になっていく。私は穴に飛び込みたかったが、あちらの世界の生き物からこんなにもはっきりと物が聴けるのは初めてだった。つい足を止めてしまう。
(わたしたちはこのせかいに大量のあちら側の物を持ち込む。また、奪うことがある。たまに、それによってこの世界の物が大きく変わってしまうことがある。あなたはそれの被害者だろう?だからその暴力的な力に惹かれ、それを求めるようにあちらの世界に行きたいと思っている。
だが、もうその心配をする必要は無い。)
そこまで一息に言うと、その生き物は両腕を広げ、乾いた笑い声を挙げる。
私は自分でも理解していなかった事の核心を突かれ、固まってしまう。私の暗い目のざわめきはさらに強まり、意識を保つのすら辛くなってくる。胸が熱くなってくる。
その生き物は赤い目を更に激しく点滅させ、一気にまくし立てる。
(ワタシは1度こちらに来れば、穴を自在に開けることが出来る。神から与えられたこの力で、ワタシは混沌にあるワレラの世界から、大量の物体をこの世界に送ることが出来る。そうすれば、ワレワレにも生きやすい世界が誕生する。混沌の中でいつ消えるかもしれない恐怖に怯えることも、この世界の光に憧れて無理やり穴を開いて死に至ることも無い。ワタシは世界の救世主となる…)
その時、私のポケットから小動物が飛び出す。そして、新星のような凄まじい光を放つ。
その光は衝撃波となり、機械は壊れ、穴の向こうへと赤目の生物を押し返してしまう。
「やめて!まだ私はそっちに…」
そこで私の意識は途絶えた。
鉄塔の爆発は新聞やテレビ等に取り上げられ、随分騒ぎになったらしい。その事件はテロリストによる犯行ということになり、私は「たまたま」テロに巻き込まれたが、なんとか一命を取り留めた…ということになっている。
私は隙を突いて黙って病院から出ると、暗い街をさまよい歩いた。目の中で揺らぐ青は消えないのに、目の囁きは聞こえない。風が吹いても、雨が降っても、私は乾いた心で、ただ街を歩いた。
…長い時間、随分歩いたところで、私はあの小動物に出会った。どこでかはもう認識できない。
…生きていたんだ。
初めは、そう思った。
それから私は、安心したような、怒りが湧いてくるような、ぐちゃぐちゃな心で、そのありのままをこの淡い生き物にぶつける。思い切り叫ぶ。強く大地を蹴る。大声で泣く。
淡い生き物は、ただ黙ってこちらを見ていた。
そして私は、ふと思う。
今、私は満たされていると。
こんな感情はいつぶりだろう。
私は初めに穴に連れていかれそうになった時からいつでも、なにかが欲しいような、なにかが足りないような、空腹なような、そんな空虚な気持ちを引きずってきた。
それが、いままで近くにいた、こんないつ消えるかも分からない謎の生物といることが、こんなにも幸せで、苛立ち、悲しく、こんなにも愛おしい。
私は再び歩き始める。
目の囁きは聞こえず、ここが何処かも、どっちに向かえばいいかも分からない。
でも、道はこの生き物が照らしてくれる。
今は、家に帰ろうと思う。
遂に帰ろうと思えた。
私の旅は、これで終わったのだと。一度奪われ、それがついに満たされたのだ。
空を見あげれば、強い陽の光と、濃く青い空が広がる。私は大地を強く踏みしめた。