キャラメルモカフラペチーノウィズストロベリークリームオンチョコレートホイップシリアル付きのグランデ季節限定ブロッサムソースを頼むとき
東堂鹿目はある日、学校の帰りにカフェに寄ることにした。アクリル作りの自動扉をくぐり、学校指定のカバンや制服を身につけたまま、幾分かの現金と大手本屋のポイントカード、それとICカードの入った財布を右手に構え、いざカウンターへと勇んで足を運んだのだった。
「何になさいますか?」
東堂にとって幸いだったのが、今日が職員会議のある日であり、授業一限あたりの時間が短縮されたこと、及びそれによる下校時間の繰上げ__更に、東堂は部活動無所属だった。俗に言う帰宅部。自由を満喫することが目的の実体のない部活動__汗を流すことをあまり良しとしない東堂にはうってつけの所属先であった。
事実。
そのおかげで。こうしてカフェに足を運べている。
何になさいますか。
そう、カフェの店員は東堂に対してそう言った。
敬語を話しているのにもかかわらず、そこにはさしたる敬意というのは見られなかった。まるで、プログラムによって動いているゲームキャラクターが、メッセージウィンドウに文字を羅列するかのような、そんな事務的な台詞。抑揚。感情。
店員の、いかにも日本人女性といった黒眼は確かに東堂を見つめているようだった。しかし、それと同時に、東堂の身体のその更に奥にあるものを見つめているようでもあった。
このカフェの制服である、黒みがかった緑色のエプロン、その胸元には、園田花梨というバッジが付いていた。この店員が某国のスパイであったりといった、余程の理由がない限りは。この園田花梨という文字の羅列が、この店員の身分であり、個人証明であり、黒眼で、黒髪で、長髪をポニーテールにしており、大手チェーン、イゾーカフェの刈谷支店に勤めている、この女性のものだと見ていいだろう。
園田花梨という四文字には、振仮名が振っていなかった。
東堂はこれを、『そのだかりん』だ、と、誰に教えられるでもなく、瞬時にして、その四文字の羅列の口語表記を読み取った。
実際それは合っていた。逆説的に言うのならば、間違いではなかった。
東堂は眼を走らせる。
だがそれは、園田花梨が着けているバッジに、ではない。
カウンターの上、また、横に設置された黒板、あるいはカウンターから見える厨房の上部に、だった。そこに共通して描かれているものは、メニュー__お品書きであった。
しかも特筆すべきことに、東堂の横、若干視点を下げた場所に設置されていた黒板には、可愛らしいイラストも付いている。
トールサイズのカップに、溢れんばかりのストロベリークリームが乗っている__その不安定さたるや、まるでロデオを彷彿とさせる描写。ストロベリークリームという名の騎手が、トールサイズカップという史上最悪の暴れ牛に跨り、悠々と乗りこなしている__それどころか、暴れ牛を手なずけてさえいるようにも見えた。
騎手と暴れ牛というは相容れない存在であり、同時に相反する存在でもある。
しかし、この時のストロベリークリームは明らかに、暴れ牛と協調している__同時に、強調させている。自身を。そして、牛を。
「えっと」
東堂が口を開く。迷いの一手を指す。それは逃げの一手でもあった。
何になさいますか、という店員の質問に対し、東堂は、えっと、と言うことで、そのシンキングタイムを無理矢理にでも延長させたのであった。しかしこれは逃げ、迷いの一手であると共に、『溜め』の一手でもある。
少し待ってくれ、と。「今注文を決めている最中だから、今一度注文を問いただすような無粋な真似はよしてくれ。どうせ後はつかえていないのだし、少しくらい考える時間を延ばしてくれてもいいだろう?」と、おそらくはこの意が、「えっと」の三文字に含まれている。凝縮されて、東堂はここで、園田花梨に向かい、静止の手を打った。
実際、この、東堂の「えっと」がなければ、コンマ六秒後、園田花梨は東堂に向かい、今一度注文を問いただしていた。
恥もせず。
まるでプログラムされたゲームキャラクターのように。
「何になさいますか?」
と。
果たしてそれは、東堂の打った一手は幸いにも好転した。園田花梨を制してから数秒、東堂の決意が固まったのだった。少々手間のかかりそうなことを瞬時にして悟った東堂は一拍を使い、呼吸を整える。
「キャラメルモカフラペチーノウィズストロベリークリームオンチョコレートホイップシリアル付きのグランデを」
下さい。
そう言い切った。
税込八百九十七円の大物の名を。噛むことなどなく、淀むことなどなく、果敢にも、言い切ったのである。東堂鹿目は。
それに対し。店員、園田花梨。
「もう一度、お願いしてもよろしいでしょうか……?」
最悪手だった。
先程東堂が打って見せた起死回生の疑問手どころではない、完全な悪手。悪手も悪手の大悪手だった。いや、もはや最悪手とも言えるような、ありえないほどの悪手。
この一手、客である立場の東堂を不快にさせるだけではない。ひいては、イゾーカフェグループの威信にも関わってくるような問題だった。
しかし高校二年生東堂鹿目。
もはやいい大人である。
歳は十七、数えで十八、間も無く二十歳であると共に、そろそろ選挙権さえ獲得できてしまうような年齢__最早、いい大人である。
先程の園田花梨が発した、もう一度お願いしてもよろしいでしょうか? という発言を聞いたときは、数瞬、眉にシワを寄せたものの、いい大人、東堂。息を吸う。
そしてゆっくりと吐き出した。
園田花梨に気付かれぬよう。静かに。優しく。柔らかく。
そして、もう一度、息を吸った。
「キャラメルモカフラペチーノウィズストロベリークリームオンチョコレートホイップシリアル付きのグランデを、下さい」
一言一句違わず、言い切った。
それもそのはず、ここでもし、万が一先と違う発言をしたらどうなるか。
微かな情報が残る園田花梨の脳内に、また微妙に違う情報がインプットされてしまうことを意味する。その情報のパラドックスに耐え切れなくなった園田花梨の前頭葉と海馬は、即座にオーバーフローし、ヒートショックを起こしてしまうかもしれない。あるいは、発生熱により、脳内のニューロンなどを構成するタンパク質が変質し、良くて廃人、悪ければ死に至るかもしれない。
その点、東堂の選択は実に素晴らしい一手であった。
先程の疑問手を帳消しにするような、まさに神の一手。
それに呼応するかのように、園田花梨はレジを打ちながら。
「はい、キャラメルモカフラペチーノウィズストロベリークリームオンチョコレートホイップシリアル付きのグランデですね」
疑問系ではなかった。
そこには確固たる意志__それは、一度注文を聞き逃した自分へ、退路を断つ行動であるり、それと同時に、東堂への感謝、贖罪、そして何より、成長した自分を見せるため__
東堂は眉を震わせる。
「それと」
と。追加を行うようだった。
「季節限定、ブロッサムソースを」
「はい。承服致しました」
そう言って、丁寧にお辞儀する園田花梨の双眸は、東堂の眼を、確かに見据えていた。
最大限の敬意を。自信が持てる最高級の敬意と感謝を表していた。
支払いを終えて数分後__キャラメルモカフラペチーノウィズストロベリークリームオンチョコレートホイップシリアル付きのグランデ季節限定ブロッサムソース入りが、園田花梨から東堂へと、手渡された。
「ありがとうございます」
東堂は、園田花梨にだけ聞こえるよう、店内にいる客や、他のスタッフには聞こえないように、静かに呟くように言った、囁きのような一言。
園田花梨の頬は、
ストローを伝うキャラメルモカフラペチーノの味は、
まるで桜のようだった。