後編。勢いで転移した先にいた存在は、マジモンのラスボスなのか?
「ほう。貴様ら、我を裏切って人間ごときに手を貸すなど。どうなるかわかっていような?」
気が付いたとたん、そんな重々しい声がイサムたちの耳に入った。
「お言葉ですが魔王様。魔神様相手では、我々に逆らう権利はございません」
アシラウデが気丈に反論する。その言葉を聞いて、魔王は目を訝し気に細める。
いや、そう感じただけだ。今彼らの前にいる魔王は、人の形をした黒い影でしかなく、表情がまるでわからないのだ。
「ほう、魔神と、貴様は今そう言ったのか」
「はっ」
「面白い。ならばその力、見せてもらおうか」
魔王から、押しつぶされそうなプレッシャーが、家族全員をなでつけるように放たれた。それだけで、浦和一家の体の芯に寒気が走る。
「はえぇよ。なんでほんとに魔王の、ラスボスの目の前に来てんだよっ」
誰にも聞こえないような小声で、イサムはガチガチと鳴る歯でひとりごちる。
そしてついさっき、ラスボス戦にワクワクしていた自分を、全力でぶん殴りたくなった。
アイナは恐怖のあまり無言で母にしがみつき、また母も無言で抱きしめる。戦慄に震える体のまま。
「どうする? どうしたらいい? いったいどうすれば……」
タクは、この状況の打開策を必死で考えている。わなわなと震える自らに気付きながら。
「強き魔力と古の力を手にしておきながらそのざまか。所詮、人間など脆弱なものよ。だが、我の下まで辿り付けたことだけは褒めてやる」
魔王は興味なさそうにしながらも、余裕と威圧を持った声で一応の賛美を贈る。
「コマンド。この化け物を大人しくできるようなコマンドは……」
「我を目の前にしたという事実を、己が体に刻みながら、それでももがこうと言うのか」
タクが思考を吐き出すさまを見て、魔王は失望に肩を落とす。だが、直後鼻を鳴らし言葉を紡ぐ。
「やってみるがいい人間。だが我は、三魔将のようにはゆかぬと言うことは臓腑に叩き込んでおけい」
「ラスボス。ターゲットをしぼりこむ。隠しコマンド」
「聞こえておらぬか。我と相対しただけで半狂乱とはな。まあよい、これも余興よ」
再び興味を失ったように、玉座に座りなおす人型の影。
「三魔将よ、下がれ。魔神の手駒となった貴様らなど見るに堪えん」
「はっ」
「では」
「失礼いたしますわ」
そう言って、三魔将は姿を掻き消した。
「ここまで来た人間は久しく見ておらぬゆえ、いかな強者かと期待したがなんのことはない。
だが、未だなにごとか譫言をほざく者。この水際のしぶとさはどこから来るのだ」
「ラスボス。隠しキャラ。スーテン格ゲーで、俺が最も印象に残った隠しコマンド。これに……賭けるしかない」
「ようやく動くか。さて、古の力。どんなものか」
震える体でコマンドパッドを開くタク。そして、ぎこちない手つきで「それ」を入力し始めた。
「上 青 下 黄色 L 緑 R 赤」
「む、なんだ。今、頭の中に声が……」
「効果が、あった。のか?」
ぼんやりとした意識で、タクは黒い影のうめきを聞いた。
「ならば、もう一度」
「なんだ、この脳にまとわりつくような声は」
タクの体に。心に。熱が戻り始めた。
「効いてる、確実に効いてるぞ!」
「ぬ、人間に生気が戻り出しているだと?」
「なら、もっとだ。もっと喰らわせてやる!」
「ぐ、やめろ。耳障りだ!」
黒い影に色が付き始めた。明らかになったその姿は、
金髪に水色と銀のオッドアイに 返り血に染まったかのような赤黒いローブを着た、絶世の魔法使いだった。
「おのれ忌々しい! 動きを阻害する魔法であるならば、物の数ではないと言うのにっ!」
「魔王ッ! お前がッ! 泣くまでッ! 入力をやめないッ!」
「やめろ! ぐおおっ! この この声をとめろ人間ッ!」
「だが断るッ!」
この状況を、すっかりと平静を取り戻していた三人は、間の抜けた顔をして眺めていた。
「おのれ! 魔神、我より上位の存在がいるなど。我が無効化できぬ攻撃があるなどっ!」
父親と魔王は一切刃を交えていない。だと言うのに、魔王はわけのわからない理由で苦しみだし、父親は喜々としてすごい速度で同じコマンドを入力し続けている。
「……ああ、そうだ。知っていた。伝え聞いてはいた。だが。こんな。こんなわけのわからぬ現象が、我を呪縛する唯一の力だなどとっ!!」
おそらくはこちらが優勢なのだろうが、まったく意味がわからない。わかりたくもなかった。
「ぐ、お、おおっ! だまれ! 誰かは知らぬがそのカカロカカロ言うのをとめろおおおおっっ!!」
ついに魔王が発狂した。
「おりゃーっ! 指が折れるまで! 指が折れるまでッ!!」
浦和タクはしかし、安定した制度と速度で入力を続けている。こちらもある意味で発狂していた。
「お、の、れえええっ。こうなればっ! 真の姿で、この呪縛 弾き飛ばしてくれるわっ!」
またも魔王の姿がかわった。今度は色が付くだけではない。
絶世の魔法使いはその体が肥大化し、それに合わせるように肉体に罅が入る。そして美しかった肌の下から出てきたのは、どす黒い鱗に覆われた蛇のような体。
「ま、魔王って……っ!」
腕だった部分はその形を残しながらも、腕の皮が破れて垂れ下がり、人間の皮だったはずの垂れ下がった部分が翼幕を形成。
「こ、これって……!」
端麗な男性の顔の面影はその瞳の色だけとなり、顔面の皮膚は黒く硬質化。そして頭に二本、鼻から延びる形でもう一本角が出現した。
綺麗に整っていた歯は全て、獣よりも鋭い、獰猛差を隠しもしない牙へと変化した。
「これ、もしかしなくても」
そうして変身の全てを終えた。
「「「ドラゴンっ!」」」
そう。魔王の真の姿とは黒き竜だったのだ。
「ちくしょおおお! なんで我が血族はコマンドに耐性なぞもってしまったのだ! そんなばかりに我は、我はこんな恥辱を……!」
真の姿になった直後、魔王が弱音を吐きだした。延々脳内に響き続けるカカロカカロという意味不明なうめき声。それが聞こえる限り、自分は一切動くことができないことは、今に至るまでに散々味わった。
力を開放すれば、この呪縛は解けるだろう。そう思って姿を変じたが、ここ黒竜の姿に至っても、動けたのは変身している最中の僅かな間だけで 再びコマンドに縛される結果となってしまった。
はっきり言ってショックだった。
弱肉強食の魔物の世界で頂点に立つ自分が、しかしたかが人間ごときに指一本触れることすらかなわない。おまけに今を呼び込んだのは、己のやってみせろと言う言葉である。後悔しても最早遅すぎた。
コマンドという古の力は自分の予想を超えた物であったのだ。遥か昔の技術など、今の自分に通用するわけがないと、たかをくくっていた。全ては自己責任。己の失態。ゆえに誰を責めることもできず、ひたすら相手にやめろと願うことしかできない。
剣や魔法を用いた相手との死闘の果てに打ち果たされるならそれもいいだろう、そう思っている魔王。
「やめろ人間っ! その入力をいますぐにやめろ!」
だが、今はどうだ。理不尽に動きを阻害され、だがしかしそれ以上のことはなに一つ相手は行ってこない。生殺しもいいところである。
魔王の精神は限界ギリギリになっていた。
「言ったはずだ。だが断る、と」
テンションのおかげなのか、今までよりも入力速度が若干上がっている。それは時間にしてほんの一瞬。だが、それはつまり、
「き、さ、ま」
「カカロの果てに狂い死ね魔王!」
更に魔王に苦痛を与える速度が上がったと言うことだ。
「ぐああああっっ!」
動けない。動けないがゆえに、この不快で苦痛な状況に体をのたうつことさえ許されない。ただただ苦しみを咆哮することしかできないのだ。
「格闘ゲームにおいて一瞬は命取り。それもこんな切羽詰まった状況では、こちらの一フレの反応の早さが勝利に繋がるっ!」
てきとうなこと言ってんなぁ、とひそかに呆れるイサム。だが、この父は自分にできないことを平然とやってのけている。それはすなおにすごいと思った。
「このねばつく声を誰かとめてくれ! 頼む!」
ついに魔王の心が悲鳴を揚げた。
マアサは戦わないでおとなしくしたい、そう三魔将に助力を求めた。
だが、マアサがイメージしたのはこんな拷問まがいなことではなかった。
彼女が思い浮かべたのは、三魔将のように戦う意志をなくした上で、
話し合いで人間を襲うことをやめさせる。そんな平和的解決だったのだ。
ーーだから、口をついて出ていた。
「もうやめて! 魔王のライフはとっくに0よ!」
「ぐ、そろそろこっちも肘と指が限界だ。わかった。なら。これで終わりにしてやるっ!」
突然、タクはコマンドを変えた。それは初めにアイナに施したコマンド。だが、ほんの少しだけ異なっていた。
「お前の爪で、スタートボタンを押させてやる。さあ、自爆しろ 魔王、ヘルゴルダス!」
タクによって、魔王は その鋭い爪の先でスタートボタンを押させられた。
「みんな、伏せろっ!」
全員が慌ててタクの言うように地面へ伏せる。直後に激しい閃光が轟いた。
「ぐあああああああ!!」
激しい爆音の中響いた絶叫は、痛みに苦しむようにも、解放された歓喜のようにも浦和一家には聞えた。
かくして、魔王 ヘルゴルダスは、古の力 コマンドによって、心に大きな傷を負い、敗れ去った。
*****
「俺達、いったいなんであそこにいたんだろう……」
「道中は無双できて楽しかったのになぁ」
「おとうさん、コワイ」
魔王との激闘に終止符が打たれた。人々は異世界の勇者たちの健闘を大いにたたえた。
ただ人々はその様子をこう語る。
ーーなんであの人たち、魂が抜けたような顔してたんだろう。
その後、異世界の勇者こと浦和一家は元の世界へと帰還した。だが名残惜しかった一家は帰る時、この世界へのパスポート代わりにコマンドパッドを持って帰った。
召喚された世界へ行くためのコマンドは、下 上 左 右 L R。元の世界では世界移動コマンド以外は、なんの効力も発揮しない携帯型ゲーム機もどきでしかないこれを、一家は家族以外には絶対に見つからないようにしようと硬く誓い合うのだった。
一方、魔王ヘルゴルダス。コマンドに耐性があった彼の命は、コンマイコマンドによる「自爆」でも果てていなかった。今は居城の玉座で影の姿に戻り、人間とのかかわりを断ち療養している。
憔悴しきった黒竜の姿を見た三魔将の心中は、全員一致で「誰だよ、お前」であった。真の姿を見せていなかったことを、ヘルゴルダスはこの時初めて後悔したと言う。
おしまい。