来世で会おう。〜〜前編〜〜
街がイルミネーションに支配され、クリスマスという日が、主に幸せな恋人達の限定イベントでもあるかのように、男女の組み合わせとばかりすれ違う道中。
僕はふと立ち止まり、コートの両ポケットに突っ込んだ手を抜く事なく、空を眺めた。
都会の中、それも溢れんとばかりに賑やかなイルミネーションが飾られた街の中からでは、星一つすらも見つけられなかった。
自分の首に巻いていた赤いマフラーに僕は再度、顎を埋める。
行き交い、すれ違うカップル達の間を、後ろめたい気分で再び歩き出す。
そんな時、声が聞こえた。
——私はとっくの昔に覚悟決めてたのに——
これは……、空耳だ。
分かっていながら、僕は動き出したばかりの足を反射的に止めていた。
目を閉じる。
この声を、僕は今でも覚えている。
彼女の声、香り、性格、その全てを、僕が忘れるわけがない。
好きだったから——誰よりも、大好きだったから、忘れられるはずがないんだ。
その発言を、彼女、花澤 雪から聞いたのは僕が大学二年生の冬の事だった。
——彼女はもう……、此処には居ないんだ。
——七年前、十二月二十五日。
「私、新婚旅行で砂漠に連れて行ってくれるっていう人と結婚する!」
大学からの帰り道、高校時代から仲の良い三人組と言われていた僕達の先頭を雪が一人先行しながら、唐突にそんな発言を繰り出した。
その発言を聞いて、僕の隣を歩いていた金髪の男、大和がニヤッと口元に笑みを浮かべた。
「だってよ、夏樹」
雪の背中がどんどん離れていくのを見ながら、大和が茶化すようにそう言ってくる。
「あいつのアレは毎年言ってる事じゃん。
後数ヶ月もすれば、言ってる事が砂漠から海に変わってるから」
僕は溜息混じりに、呆れたような態度を装って答えながら歩く。
大和も僕の歩幅に合わせながら、雪の背中を見ている。
「じれったいねぇ……そこで“俺が連れてってやる”とか言えねーのかよ」
「今更だろ? そんなの。それに、幼馴染の僕が言った所でジョークに捉えられて終わりなんじゃないか?」
僕がそう言い終えた所で、雪が足を止め、僕達の方に振り向いた。
セミロング位の黒髪が風で靡く。
綺麗なモーションでスカートをふわりとさせながら、こちらを向いた雪の顔には、屈託の無い眩しい笑顔が浮かんでいた。
二十年経った今でもドキッとさせられる。
彼女の存在に——この、眩しい笑顔に。
僕と大和は二人揃って合図をした訳でもなく、同じタイミングで立ち止まった。
「もぅ! そこ男子二人! 何コソコソ話てんのー? 早く行こうよ!」
言ってから寒そうにその場で足踏みする雪。
「悪い悪い、今ちょっとこいつの好きな女の話してたんだ」
大和が親指で僕の事を指す。
「ちょ! お前っ……!」
僕は慌てて大和に言い返そうとして、それこそ罠だと気付いて吐き出しかけてた言葉を飲み込む。
大和は澄ました表情で何知らぬ顔だが、雪はそうはいかない。
「えぇ?! 夏、好きな人いるの?!」
縮地法よろしくの勢いですぐさま目の前まで近寄ってくる雪。
「え、いや、それは……」
「誰誰? 同じ大学の子? 私知ってる子?」
「いやぁ……」
——お前だよ、とは流石に言えない。
そこに大和が口を割って入る。
「俺も良くは知らんが、確かあの子は同じ大学の子だったよな? 夏樹」
「おい、大和、お前——」
「えー?! 誰誰? どんな子? 何科の子? 」
大和に突っかかろうとすると、雪の方からそれが遮断される。
雪はキラキラした目で、面白そうと言いたげな笑みを満面に浮かべ、僕の顔を覗き込んで来ている。
僕はと言えば色んな意味で赤面状態。
上手く目を合わせられない。
と、逸らした視線の先では大和が右手を自分の顎に当て、態とらしく斜め上に視線を向けて考える素振りを見せながら
「確か花澤もそれは良く知ってる女子だったような気がするなぁ……」
なんて爆弾発言をかます。
「って、お前は黙ってろ!!」
僕がツッコミをいれたすぐ後に、今度は雪が「分かった!」と、声を上げる。
「みっちゃんでしょ?!」
「は……はい?」
一瞬ドキッとはしたが、雪の回答はお約束通りと言えばお約束通りで、的を外した答えを射抜いた——いや、だから射抜けてはいないんだが。
「なるほどねぇ、夏はみっちゃんの事が好きなんだぁ。みっちゃん可愛いもんねぇ」
「あ、いや、まぁ、橋本が可愛いかどうかはさて置いて、僕が好きなのは……」
「大丈夫大丈夫! 私、口は堅いから!」
——そうじゃねぇよ!
ツッコミかけたがやめておいた。
橋本には申し訳ないが、この場はもうこれで通してしまった方がいいと思ったからだ。
まだ、僕には雪に自分の思いを打ち明ける勇気がない。
そう思っていると、雪はクリスマスに似合った鼻歌を歌いながら再び振り返り、前方を歩き出した。
程よく離れてから大和が口を開く。
「あれで気付かないのか。ちょっと弱すぎたか?」
「大和、お前マジでぶっ飛ばすぞコノヤロー」
「そう怒んなよ、詫びに海と砂漠が両方揃ってるデートスポットを教えてやるからよ」
「鳥取砂丘とか言うなよ」
「おっと、何だよ、ちゃっかり下調べ積みかよ」
「毎年あいつの口癖聞いてんだぜ? まぁそれ位のサーチはするだろ」
「まぁでも言って日本だからな。冬に行っても暑くはねぇだろうけど」
「確かに。でも、そんな事言い出したら砂漠だって夜は寒いって聞くぜ?」
「調べたのか?」
「アニメ知識だ」
「なるほど」
「まぁだから……、あいつにプロポーズするなら夏にしとくよ」
「そいつは得策だな」
「だろ?」
と、僕は答えてから、再び大和と肩を並べて歩き出す。
——いつもこんな感じだった。
こんな感じに馬鹿やって、笑って、呆れて、一緒に歩いて、喋って。
大和は不良みたいな見た目で性格も喧嘩っ早い所は確かにあるけれど、いつも冷静に物事を見て捉える事が出来る奴で、僕達の中じゃ成績だってダントツで良かった。
知り合ったきっかけには不良だった大和とそれとは対象的だった僕との間にちょっとした一悶着とかがあったりしたんだけれど、それは語り出せば長くなるからここでは割愛する。
雪は物心ついた時からずっとそばにいて、少し天然だけどいつも明るくて、天真爛漫なその笑顔は周りすら巻き込んで明るくしてくれた。
そんな雪に僕はいつからか好意を抱いていた。
年が経つにつれ、歳を重ねるにつれ、僕の想いは積もっていった。
その想いは積もると同時に、僕の口から言い出せなくなっていった。
一番近くて一番遠い存在として、僕の中の彼女は存在している。
僕はそんな二人との“こんな感じ”がいつまでも続いていくものだと思っていた。
どこかで終わりが来るかも知れない。
でもあんな終わり方を僕は確実に——絶対に望んではいなかったんだ。
それこそ近くて、遠いんだ。
年が明けて、新年を迎えた僕達三人はいつからか恒例になっていた三人での初詣を終え、その足でカラオケボックスに向かった。
これも毎年の流れだ。
今年初のカラオケで、三人でアイドルソングを歌ったり、僕と雪でそれぞれ好きなアニメを熱弁しながらアニソンを歌ったり、そんな中で大和はしれっと誰も知らないアニソンを歌ったりしながら、最終的には雪のクリスマスソングの熱唱に大和が「正月だぞ、今」なんてツッコミを入れる形で新年の僕達の恒例行事は幕を閉じた。
それから数日後。
僕と大和は「ホームパーティーをするから」と雪の家に唐突に呼び出された。
因みに雪の家で行なわれるホームパーティーとは大体がたこ焼きパーティーだ。
と、言うのも、雪の家は父子家庭で父親はたこ焼き屋を自営業として営んでいるから——が理由かどうかは正直分からないが、大和も僕もそういう理解を持っている。
雪は自称だけど「将来は家業を継いで冬は砂漠で、夏は海で世界一売れるたこ焼き屋になる!」と豪語している。
それは無茶も甚だしいと思うんだけど。
まず砂漠でたこ焼きは売れない。
そんな事も分からないようでは大学で経済学を学ぶ意味も根本からないに等しいんじゃないだろうか。
いや、まぁ、雪が経済学科でどんな講義を受けてるのかは寡聞にして知らないけど。
何はともあれ、遠くない未来でそうして世界一のたこ焼き屋になるという彼女が、久々に花澤家自慢のたこ焼きを振る舞ってくれるというので、僕と大和は雪の家に集まったのだけれど、そこにはさらなる先客が一人訪れていた。
「やっほー、遅かったね、山下君に猿渡君」
雪の隣に座り、飄々とした挨拶で、ひょこっと右手を挙げて大和と僕の苗字を連ねて呼ぶ女性。
去年のクリスマスから雪が“僕の好きな女性”と勘違いしている相手、“橋本”である。
橋本は長い黒髪を後頭部で結って一束にしており、首には割れたハートの片割れがぶら下がったネックレスをいつもつけている。
橋本がこのネックレスを外している所は誰も見た事が無いらしい。
僕の隣に立つ山下大和こと、大和は机の上に置かれたたこ焼きの鉄板プレートとその向こう側に並んで座っている雪と橋本を見てニヤニヤしている。
「ほう……、なるほど、これは想像出来なかったな。急にたこ焼きパーティーだなんだと言われて呼び出されたからおかしいとは思っていたが、まさかこういう事だったとはな」
雪と橋本の前で隠さずにそう発言した大和を見て、ようやく気付いた。
つまりこれ、僕一人が蚊帳の外で嵌められていた状況という事だ。
恐らくながら、雪と大和の策謀には違いないだろうけど、雪と大和が同じ目的地を見ているのかと問われれば、それは違ってくる。
「おい大和、言っとくけど僕は……」
全てを悟り、理解して、現状を飲み込んだ上で、小声で大和にそう切り出す。
すると大和が「みなまで言うな」とでも言いたげに言葉を遮って、同じように小声で返してくる。
「大丈夫だ、安心しろ。橋本とは打ち合わせ済みだ」
(それはそれで心配なんだよバカ!)
これは思うに留めた。
そして、改めて雪と橋本の方に視線を向ける。
橋本はニコニコしているが、あれが僕の内情を全て知った上だとするなら捉え方が違ってくる……、普通に怖い。
雪はと言えば、こちらはこちらで人畜無害の天真爛漫な満面の笑みである。
自分の取っている行動やその立場が恋のキューピッド役だと信じて疑っていない御様子だった。
まさしく、純真無垢とはこういう事を言うのだろう。
「ねぇ、コソコソしてないで取り敢えず座ったら? 二人共」
雪がたこ焼き作りの準備を始めながら僕と大和に言う。
準備と言っても材料は予め取り出し、用意してたようなのでたこ焼きを焼く為のプレートを温め、油を塗っていく位なんだけども……——
大和と僕は黙々と雪と橋本に向かい合うようにして座り、こうしてたこ焼きパーティーが始まった。
「にしても久しぶりだなぁ、花澤の家のたこ焼き食うのは」
雪がたこ焼きの生地になる素の液体(小麦粉やら卵やらを混ぜたもの)が入った銀色のボールを片手で抱えるように持ちながら、それを混ぜている姿を見て大和が言う
「そう? 高校時代はよくやってたけどね。大学入ってから大和と夏、素っ気ないもんね」
「別に素っ気なくはねーだろ。俺達だって忙しいんだよ、サークル付き合いの飲み会とか合コンでな」
「うっわ、最低ー」
と、橋本が横から口を挟んでくる。
そこに雪がすかさず
「あ、みっちゃん、勘違いしないようにね、そういう事してるのはこのチャラ男の大和だけだから」
とか言って、僕にウインクしにくる。
僕は苦笑いで返す。
いや、僕は別にそんなフォローは求めてないんだけど……、と言うか、僕としてはこの気持ちのすれ違いが何気に痛かったりする。
そんな僕の気持ちに気付いてか、気付かずか——いや、気付きながらに違いないが大和がニヤニヤしながら僕の事を親指で指す。
「安心しろ橋本、確かに俺の方が行ってる回数は多いが、落とす女の数はこいつの方が上だ」
「はぁ?! ちょ、何言ってんだよ、お前!」
ここは黙って看過出来なかった。
何に安心させたいのかさっぱり理解不能である。
橋本は橋本で「へー、意外だね、それは」などと普通に反応している。
お前らなぁ……、この二人に関しては僕を弄るにあたって悪意がある。あり過ぎる。
「こいつは大人しそうに見えて、無意識に優しさをばら撒く天才でな。女を次々と落としては次々と相手の告白を足蹴にする女子にとっては有害生物そのものなんだよ」
「おい大和、お前は僕をどういうキャラに位置付けたいんだよ!」
「そういうのは良くないよ、猿渡君」
今度は向かい側の橋本さんからしれっとした指摘が飛んでくる。
「待って待って待って、僕はそんな事してないから! 」
僕がそうして全力否定していると、雪が再び会話の中に飛び込んでくる。
「そうだよね! だって夏には心に決めた人が居るんだもんね!」
(それはお前だけどな!!)
ツッコミを声に出せず、言葉に詰まる僕を見て、大和は必死に笑いを堪えている。
今こそ、この間合いのフォローをしろよ! とツッコミたくなるが、そこは橋本がカバーしてくれた。
「ほうほう……、それは好きな人が居るって事かね? かね?」
ちょっとフザけた口調で、しかも内容を追及する形で……、フォローもカバーもする気はゼロだった。
更には橋本のこの質問に、何故か雪が答える。
「そうなんだよ、みっちゃん! しかもね、同じ大学の子なんだって! 」
ワクワクが100倍位になってそうなテンションの所で本当に申し訳ないけれど、だからその“大学の子”はお前なんだよ!!
女子陣のニヤニヤに含め、すっかり爆笑し始めてる大和を横にしながら、気がつけば僕は主役的ポジションさながらに上手く追い詰められていた。
まぁ、流石というべきなのはこうして会話しながらでも、雪は手慣れた手つきで次々とたこ焼きの生地を鉄板の半円の窪みに流し込んでおり、具材を入れる手付きも見事な早さでたこ焼きを作っていた。
そんな雪のサポートを橋本が素早く器用にこなしていたので、丁度それが完成した頃合いでこの会話も一時中断の目を見た。
僕と大和はほぼ見ているばかりで、雑談に興じる位しか出来なかった訳だが、ここまでで僕が一番クタクタになっていたのは言うまでもない。
「おー、流石だな橋本、やっぱ何やっても出来る優等生は違うな」
大和が橋本の手つきの早さを見ながら茶化す。
事実、橋本は勉強という面でもその才は頭一つ飛び出てると言っていい。
高校は中退したと聞いたけれど、高卒認定試験を受け、合格した後、大学受験はトップクラスの成績で入っているらしい。
普通に可愛い方だし、男子学生や教授達からの好感度もかなり高めらしい。
これもそれも全部、大和からの情報だが。
「でしょ? まぁ私は天才だからね」
そう言ってひょいひょいとお皿の上にたこ焼きを取り分けていく橋本。
「そう言えば、橋本って彼氏いたっけ?」
「何いきなり。いないけど?」
大和の問いに、たこ焼きにソースをかけながら答える橋本。
そこに、新しいたこ焼きを既に焼きに入ってる雪が口を挟む。
「え、みっちゃん彼氏いないの?!」
大和はともかく、雪は僕にそれを伝えようとしてるのかかなり不自然なリアクションになっている。
まだやるのか……、それ。
「いない、いない。別に欲しいとも思わないんだよね。あ、今はね。そう言うゆっちゃんは?」
橋本に聞き返され、雪の手許が止まる。
「え?」と、反応したまま顔を真っ赤にしている。
それこそ、たこ焼きのように湯気でもでそうな位の染まりようである。
って、ちょっと待って待って、何その反応?
それってもしかして——
「い、いいい居ないよ、彼氏は……!」
「「“彼氏は”?」」
橋本と大和の声が重なる。
二人のターゲットが僕から雪に切り替わった瞬間である。
僕はと言えばその次の雪の返しが気になって言葉が出ない。
「す、好きな人はいる……かな……」
「マジ?」
思わず声に出た。
瞬間、橋本のチラッとした視線が僕の視線とぶつかる。
何のチラ見だよ、それ!
対して大和はまたニヤニヤしている。
この状況をとことん楽しんでいる。
「なるほど、花澤にもそういう相手が居たのか。因みにそいつは俺達の知ってる奴か?」
大和が橋本から受け取ったたこ焼きを屠りながら追及する。
流石はたこ焼き屋の娘なだけあって、焼き加減は絶妙で外は香ばしく中はとろりとした独特の焼き方を既に体得しているようだった。
砂漠でもたこ焼きを売ろうと言う人間が作るだけある——売れないだろうけど。
僕も大和に続きながらたこ焼きを咀嚼するが、たこ焼き屋のたこ焼きがただで食べ放題だと考えるとこれまたこんなに豪華なホームパーティーもない。
「そ、それは……えっと……」
答えに詰まる雪。
動きが止まった雪の代わりに橋本がたこ焼きをひっくり返していく。
「もしかしてゆっちゃん、ここに居る殿方二人のどっちかだったりして」
「ふぇえ??! な、ないないない、そんな事ある訳ないないじゃない」
なんだって? 日本語がぐちゃぐちゃだ。
余程、好きな人が居るって情報を引き出された事に動揺しているらしい。
そこで大和が「これは脈ありだな」と小さな声で呟く。
——まぁ流石に分かるよな、この反応じゃ。
僕か大和、どっちかが雪に好意を持たれてる——そう考えても大丈夫な筈だ。
大和も同じことを考えていたのだろう。
先に出た一言がその証拠だ。
「そ、そんな事よりほら! たこ焼き食べようよ、たこ焼き! 冷めちゃう冷めちゃう」
さっきまで人に絡みにきておいて随分と強引に話を切り上げようとする雪。
僕は黙々と食べていたが、大和は爪楊枝を咥えながら「十分食ってるから安心しろ、それよりもだ——」と、追撃の姿勢を見せながらニヤリと笑った。
結局、雪が好きな人の正体を明かすという事はなかったが、それはそれで雑談も盛り上がり、楽しい時間が過ぎていった。
その楽しい時間が、僕の中で一瞬で覆ったのはこのすぐ後の出来事だった。
ホームパーティーもお開きが見えてきた段階で、お手洗いに立った時、部屋に帰る途中の廊下で雪の父親と会った。
雪の父親は細身でありながら意外と筋肉質で、色白の背の高い人だった。
友達の父親を冴えない顔と言ってしまうと失礼も良いところだけれど、僕からすれば幼馴染の父親という事もあって、随分と親しげに話せる大人の一人でもある。
「やぁ、夏樹君、明けましておめでとう。久しぶりだね。どう? たこ焼きの材料は足りたかい?」
昔から変わらない、優しくて温厚なイメージそのままの笑顔で雪の父親は先に声をかけて来てくれた。
僕も笑顔で言葉を返す。
「明けましておめでとうございます、おじさん。もう皆んなお腹いっぱいって言ってますよ」
「そうかい、そうかい、それは良かったよ。いやぁ久しぶりに夏樹君が遊びに来るって言うからね、僕も会いたかったんだよ。元気にしてるかい?」
「えぇ、まぁそれなりに、ですかね」
「夏樹君はもう二十歳になったんだっけ?」
「はい、今年からは大学三年生です」
「早いもんだねぇ……、夏樹君と雪が近くの公園で砂遊びしていつも服を泥塗れにして帰ってきていたのがつい最近のような気分だよ」
「ははっ、本当にあっという間ですよね、幼稚園の頃ですっけ?」
「小学校低学年までは遊んでたよ」
「そうでしたっけ?」
「あ、そうだ夏樹君。君も二十歳になった事だし少し伝えておきたい事があるんだけれど——」
この後の続きは、僕は聞くべきじゃなかったと後々になって後悔した。
「なんですか?」と、愚かにも、そう返した自分が今では、憎い。
ただこの時、僕が雪の父親から聞いた“赤い薔薇と百日紅の花”の話を聞いた段階では、まだ何も気付く事はなかった。
ただただ、ロマンチックな恋愛の物語を聞かされたような感覚で、どれだけの重さがある話だったのかをちゃんと理解出来ていなかった。
僕がその話をちゃんと理解できたのはこの日の帰り道である。
この日の帰り道、僕は大和と肩を並べて歩きながら、雪の父親が僕に話してくれた“赤い薔薇と百日紅の花”の話を大和にも聞かせた。
これはあくまで、僕が雪の父親から聞いた昔話だ。
そういう前置きをしてから、僕は大和に語りだした。
――ある夏の日、ある場所に、結婚を反対された若いカップルが居た。
二人は愛し合っていたが、誰も二人の恋愛を快く思わず、お互いの両親は早く別れさせろと言い合い、喧嘩ばかりしていた。
二人はそんな周りの障害を乗り越え、ついには駆け落ちを計画した。
しかし、計画の段階で彼女が街を離れる事を悩んだ。
彼の事は勿論好きだった。ただ、どれだけ反対されようと、彼女は自分の家族の事も愛していたから。
思い悩む彼女に彼は言った。
「君の気持ちは良く分かる。だから無理強いはしない。ただ僕だって君に対する気持ちは本気なんだ。だから、約束の日、僕は君を待ってる。君が来なければ僕一人でこの街を出る。機会を無くすと嫌だから、今ここで言わせて欲しいんだけれど、僕は君がこの世界で誰よりも大好きだ」
そして彼は彼女に隠し持って来ていた赤い薔薇の花を一本手渡した。
薔薇を受け取った彼女は僅かな水滴を瞳に溜めながら嬉しそうに微笑んで、近くに咲いていた百日紅の花を指差しこう答えた。
「では、私からはあの花をあなたに贈ります」
あの花、百日紅の花言葉は”あなたを信じる”ですから、と照れながら言葉を付け足して。
後に二人は駆け落ちを果たし、違う街で男女の兄妹を出産し、子どもにも恵まれましたとさ――
僕が全てを話し終えると、大和は急に立ち止まり、考え込むように一瞬間を作った。
「どうした? 大和」
「夏樹、これは確認だが、雪の父親は“お前が二十歳になった”という事を強調していたんだよな?」
「ん? あぁ、うん、そうだけど……、それがどうかしたのか?」
「お前、気付かないのか?」
「何がだよ? 確かに聞いた時はロマンチックな話と思ったけど、おじさんの作り話かなんかだろ? 男女の兄妹が生まれたって時点でおじさんの実体験じゃないだろうし」
「……これは俺の例えばの話だが、夏樹、お前のその考え方の前提条件が間違っていたとしたら? 確かに不自然な部分はあるが、わざわざお前に聞かせた事には理由があるはずだ」
「大和……? お前、何を考えてる?」
「“俺逹”は確かに今大学二年生な訳だが、“雪は大学一年生”だろ。俺の仮説が正しければ、その物語のその後に何があったのか気になる所だが、可能性はあるはずだ」
「ちょっと待て、大和……! お前……何が言いたい……!」
「これは俺の例えばの話だが、お前と雪は……兄妹なんじゃないかって事だ」
この一言の後、正直どう反応し、どう日常に戻ったのか正直覚えていない。
ただ明るみになってしまった僕と雪の関係性に衝撃を受け、受け止めきれなかった事だけは覚えている。
——誰だって衝撃を受けると思う。
好きな人が兄妹——妹だなんて、そんなものはドラマの中の話だけにして欲しいと切に願った。
願ったけれど、現実は現実で、僕と大和が辿りついた真実に間違いはなかった。
後から聞いた話、僕の母親が言うには、どこかで僕達は違う道に分かれていくんじゃないかと思っていたらしい。
でも雪は僕の後を追うように高校も、大学も、同じ場所を選んだ。
僕と大和が大学一年生になり、雪が高校三年生で受験勉強に忙しかった時期は本当に忙しくて連絡を取るどころか会ってすらなかったのも事実だけれど、それでも僕と雪の関係が離れる事はなかった。
どこかで真実を話さなければならない。
そう思ってはいたらしい。
ただし、二十歳になるまでは何も言わない。
それが僕の母親と雪の父親の約束だったらしい。
そして僕はある日、まだ大学二年生だったその冬に……、新しい春が来てしまう前に、雪に自分の気持ちを告白した。
“ずっと、大好きだった――”
雪は頬を赤らめ、嬉しそうに笑顔を浮かべていた。
僕達が両想いだった事に気付いたのはこの時で、それが遅すぎたのか、これで良かったのか、その判断すら僕にはもう出来なかった。
“——けれど、付き合えない。”
告白の後に付け足した僕の言葉は彼女の束の間の喜びを一瞬にして消し去るには充分だった。
僕の胸の内側を締め付ける痛みはこの時以上のものを、僕は知らない。
「付き合えない——今は意味が分からないかもしれないけど……、だから、来世で会おう」
僕の言った一言に、雪はボロボロと涙を零した。
雪の内側を何も考えていなかった僕の——これは最低な一言だった。
今なら、分かる。
そして、僕にとって忘れられない一言が彼女の口から飛び出した。
「バカ……、分かってないのは夏のほうだよ……。夏は何も分かってない!! 何よ、カッコつけちゃって……、私はとっくの昔に覚悟決めてたのに……、夏は……何にも分かってないよ……」
彼女が全て知っていた事に気付いたのは、この時だった。
でも、だからと言って、この時の僕にはもう何も言い出せなかった。
“砂漠に連れて行ってくれるっていう人と結婚する”
あの言葉にどんな気持ちが込められていたのか、僕は気付けないまま、彼女に告白し、そして背中を向けた——彼女を振った。
唐突に開かれたたこ焼きパーティーにだって意味はちゃんとあったんだ。
僕が他の女の子を好きになれるチャンスがあるなら、と、それを演出しようともした。
そうすれば、自分の気持ちさえ押し込んで隠し通せれば、いつまでも馬鹿な事して笑ってられる日々が続くと信じていたから。
雪は僕とこの国を出て駆け落ちする覚悟も、自分の好きな人が他の人を愛していく姿を見て我慢し続ける覚悟も、とっくの昔にしていたのだ。
——何も気付けなかった。
僕は馬鹿野郎だ……。
そして、雪は言った。
——分かった。
と。
——来世で会おうね。
と。
僕はこの告白の日の翌日、大和や橋本、雪に何も告げずに慣れ親しんだ街を去った。
僕と雪がどうして離れ離れになり、幼馴染みという距離で一緒に育って来たのか。
離れていながら、どうしてこんなに近くで育ったのか。
そんな疑問はあったけれど、これ以上の追及はしなかった。
もう何も聞きたくなかった。
一刻も早く、逃げ出したかった。
何もかもが許せなくて、辛かった。
僕逹の過ごしてきた時間に意味はあったんだろうか。
どうして僕は雪の事を好きになってしまったんだろうか。
街を離れる電車の中で僕は色々と考えていた。
僕が選んだ“これから”は正しかったのか……、僕は雪の事を忘れられるだろうか……。
僕がどれだけ泣いても、時間は戻ってはくれない事が憎くて憎くて、仕方がなかった。
「覚悟があったから……、“日本一”じゃなくて“世界一”だったんだな……バカ……お前はいつも分かりにくいんだよ……」
この日は雨が降っていた。
いっそ電車を止めて欲しいと思う位の雨が、降っていた。
——
この街で彼女の声が聞こえる事はない。
僕は“過去の自分が雪の覚悟と愛情を受け止めきれなかった、気付く事ができなかった事に対して”後ろめたい気分を抱え、イルミネーションに支配された街中を再び歩き出した。
雪の事はもう忘れなきゃいけない。
受け入れて、前に進まなきゃいけない。
来世では君と出来ればいいなと思う。
——明日は僕の結婚式だ。
小説を書き終えた後、本当にこれで公開して大丈夫かな……と思う不安感って皆さんに共感して貰える感情でしょうか?
不安に駆り立てられ、手直しに手直しを重ねるのですが、寧ろ悪くなってそうで怖いんですよね。
はい、どうでも良い書き出しから始まりましたが、皆様ご無沙汰しております、最近スランプに陥り文章、構成、物語がちょっとアレな感じになってるグダグダ感の否めない花鳥秋です笑
さて今作の来世で会おう〜前編〜ですが、タイトルにもありますように、後編がございます。
後編のお話は雪視点となり、たこ焼きパーティーをした日の夜、から物語は始まります。
夏樹に告白された日の出来事。
夏樹が居なくなった後の出来事が描かれます。
後編については色々と語りたい事が多いのですが、今はぐっと堪えることにします笑
ここで少し裏設定的なお話ですが、叙述トリックじみた事を織り込んだのでややこしくなり、スルーしてしまっていますが、橋本さんにつきましては彼女の年齢は二十歳です。
夏樹と大和と同い年ですが、学年は雪と同じです。
彼女、19歳までは持病が酷く、学校もろくに通えず入退院を繰り返す生活だったのだとか……
今では少しだけマシになったみたいです。
後編では橋本さんの過去にもほんの少しだけ触れる事が出来るかもしれません。
それでは長くなって参りましたので後書きもこのへんで。
皆様に後編でもお会い出来ることを祈りつつ……see you ( ´ ▽ ` )ノ