エピソード 3ー1 女神の加護を受けし精霊
聖域の森を駆けながら振り返れば、ヤンデレ化したアルミスが追いかけてきている。
それに捕まる訳にはいかない。フェミニストのスキルが高ランクの俺は、女の子に抵抗することが出来ない。アルミスに手を掴まれた時点で終わってしまう。
情けないけれど、いまはローズやクラウディアに頼るしかない――と、全力で二人が待っているはずの泉のほとりへと走った。
だけど――
泉のほとりに設置された丸いテーブル席。ローズとクラウディアはテーブルにぐったりと倒れ込んでいた。そしてそんな二人を、フィーミアが必死に介抱している。
「どうしたんだ!?」
二人の元へと駆け寄り、その肩を揺する。その瞬間、二人の身体が大きく跳ねた。
「ごしゅじん、ひゃまぁ」
「~~~っ。私、もう……っ」
良かった、生きてはいる――けど、なんだこの反応。息も絶え絶えで、苦しんでいるようにも見えるけど……一晩中責め続けた後のようにも見える。
「おい、これはどういうことだ?」
唯一無事なフィーミアに詰め寄る。
「わ、分かりません。紅茶を飲んでいたら、だんだんと熱に浮かされたようになって……」
「紅茶? まさか――っ!?」
毒の類いを疑った瞬間、泉から無数の水が形を為したような触手が飛び出してきた。そして、瞬く間にぐったりしている二人を絡め取ってしまう。
慌てて助けようと駆け寄るが、水の触手は二人を泉のうえへと連れ去ってしまう。
それだけではなく、水の触手は自らをロープのようにして二人の手足を拘束して、更にはその口をも塞いだ。
「ローズ、クラウディア!」
水の触手の付け根を狙ってファイア・ボルトを放つ。けれど、ファイア・ボルトは水の触手に当たって消滅した。
「無駄じゃ」
「やっぱり、お前か、アルミス!」
声の響いた方を見ると、恍惚とした表情を浮かべるアルミスがいた。
「紅茶になにを入れた!」
いまはまだ生きているが、このまま放っておけば死ぬかもしれない。片方だけなら、俺のリザレクションで生き返らせることが出来るけど、二人同時には不可能だ。
まずは、二人の置かれている状況を確認しなければと焦る。
それに対して――
「感覚を何十倍にも引き上げる秘薬じゃ」
「……は?」
返ってきた言葉に、思わず間の抜けた顔をしてしまう。そんな俺に対してアルミスは得意げに「そしてこれが――」と指を鳴らした。
その直後、口を塞がれた二人がくぐもった悲鳴を上げる。
「――ステータスウィンドウと肌の感覚を直結する魔法じゃ」
思わず、ぽかんとしてしまった。そんな俺に向かって、アルミスは得意げに続ける。
「お主は知らぬじゃろうが、ステータスウィンドウとは、魂そのものなのじゃ。そして、魂を他人に触れられるというのは、自分の本質に触れられるも同然なのじゃ」
「……ええっと」
お主は知らぬだろうがとか言われたけど、思いっきり知ってる。他人に触られると快感を得ることがあるのも知ってる。
というか、ステータスウィンドウを弄り倒して、ローズやクラウディアを虐めてます――とは、さすがに口に出さないけれど。
……なんか、ピンチな話だと思ったけど、エッチな話だったのだろうか?
そう思うと、水の触手に捕らわれている二人が艶めかしく見えてくる。なんて暢気に考えていられたの一瞬だけだった。呆れる俺に対して、アルミスがにやりと笑ったのだ。
「分かっておらぬようじゃな。触手で身体を締め上げられている二人はまさに、魂を締め上げられているも同然。それも何十倍もの感覚だ。気が狂うのは時間の問題じゃろうな」
「――なっ!」
ステータスウィンドウを撫で回されただけで、気絶した例もある。ましてや秘薬の効果で、感覚が何十倍にも鋭くなっているという。
その状態で身体を締め上げられたら、痛みで気が狂う可能性は十分にありうる。エッチな話だと思ったら、やっぱりピンチな話だった。なろう版だから仕方ないね!
だが……事態は深刻だ。
死んでしまった場合は、俺のリザレクションで生き返らせることが出来る。だけど、壊れた精神は元に戻すことが出来ない。
つまり、精神が壊れると言うことは、実質的に死んでしまうのと変わりがない。
「ア、アルミス様、これはどういうことですか? 彼らは、姫様の客人なのですよ!?」
フィーミアが震える声で訴えかける。その心意気はありがたいけれど――
「黙れ。我はそこのユズキを見初めたのじゃ。その邪魔をする者は、誰であろうと許さぬ」
予想通り、ヤンデレ化したアルミスには届かない。
「アルミスはヤンデレ化したみたいなんだ。だから、説得しようとしても無駄だ。それより、このことを城の誰かに伝えてくれ」
「ヤ、ヤンデレ化ですか?」
「早く応援を呼んできてくれ!」
「わ、分かりました!」
俺の持つフェミニスト:SSは、女性に対して絶対に危害を加えられないというもので、その対象は意思疎通の出来る人型生物全てに及ぶ。
つまりは、アルミスにどうやっても対抗できない。ローズやクラウディアが捕らえられたいま、切り抜けるには戦える人間を呼んできてもらうしかない。
そう思って、フィーミアに命運を託したのだが――
「ユズキを我が物にするまで、邪魔はさせぬ!」
フィーミアが踵を返して走ろうとした瞬間、アルミスが右腕を振るう。その直後、泉からあらたな水の触手が伸び、フィーミアを捕らえてしまった。
……どうする? ピンチもピンチ、大ピンチだ。
このまま手をこまねいていたら、ローズやクラウディアの気が狂ってしまう。だけど、フェミニストのスキルがあるせいで、俺は女性であるアルミスに危害を加えることが出来ない。
一人で逃げる訳にはいかず、立ち向かうことも出来ない。
可能性があるとすれば、水の触手に捕らわれているみんなを助けて、一緒に逃げることだけど……と、俺はもう一度、ファイア・ボルトを水の触手めがけて放った。
だけど、やはり水の触手に触れた瞬間、ファイア・ボルトは消滅した。相性と言うには手応えがなさ過ぎる。魔法抵抗が高いのか?
「無駄だと言ったはずじゃ」
俺の視線から意図を読み取ったのか、アルミスが不敵に笑った。それが俺を牽制するためのハッタリなのか、はたまた事実なのかは分からない。
だけど――
「そろそろ諦めて我が物になれ。これ以上無駄な抵抗をするのなら、二人を今すぐに絞め殺してやっても良いのだぞ?」
アルミスが高圧的な口調で言い放つ。その瞬間、水の触手が二人をギリギリと締め上げる。ローズとクラウディアはくぐもった悲鳴を上げてその身を震わせた。
「止めろっ!」
「止めて欲しければ、我を怒らすような真似をするでない」
「く……分かった」
頷くことしか出来なかった。もしかしたら、水の触手をなんとかする方法はあるのかもしれないけれど、二人が人質同然のいま、下手なことは出来ない。
どうすれば良いのか……と、必死に頭を働かせる。
「一体、俺達をどうするつもりなんだ」
「お前達ではない。我が欲するのはユズキ、お主だけじゃ」
「どうして、そんなにも俺に執着するんだ……なんて、聞くだけ無駄なんだろうな」
分かりきっていることを聞きながら、なにか打開策はないかと考えを巡らす。だけど、フェミニストによる制限を受けている俺は完全に役立たずだ。
二人の精神力に掛けて、一度撤退するか……?
「おっと、言い忘れておったが、お主が逃げたら、二人はすぐに殺す」
「――くっ。このぉ……」
どこまでも嫌らしい。完全に手詰まりの状態だった。
「ユズキよ。諦めて、我が物になるのじゃ。お主は我の運命の相手。我と出会うためにこの世界に生まれてきたのじゃからな」
「……そんな訳ないだろ」
ぼそりと突っ込みを入れる。ヤンデレの自分勝手な妄想であることはもちろんだけど、俺がこの世界に生まれ落ちたのはメディアねぇに見初められたから。
アルミスと出会うために生まれ落ちたのでないことだけは断言できる。
だけど、同時に、アルミスがそう思っているのも事実だろう。
だとすれば――
「アルミス、取り引きをしないか?」
「……ほう、取り引きだと? 面白い、言ってみるが良い」
「俺の身と、三人の安全と自由を引き換えでどうだ?」
「……それは出来ない注文じゃ。そこのメイドはともかく、二人は我のユズキをたぶらかしていた。その罪は万死に値する。ゆえに、生かして帰すことは出来ぬ」
自分勝手な理論。まさに俺の嫌いなタイプのヤンデレそのものだ。絶対に、こんなやつの言いなりになってやらないと拳を握りしめた。
「取り引きが出来ないって言うなら、全力で逃げるからな」
「そうしたら、この者達を殺すだけじゃな」
「なら――やってみろ」
出来るだけ平然を装って、淡々と言い放った。ここに来て、余裕の笑みを見せていたアルミスに、わずかながら不快そうな色が滲んだ。
「……どういうつもりだ?」
「俺が逃げようが捕まろうが、そこにいる三人が殺されるのなら、無抵抗でいる理由なんてないって意味だよ」
「ほう? 女神の眷属である我から逃げられると思っているのか?」
「さぁな。だけど、しつこく追いかけてくるなら、ぶちのめしてでも逃げてやる」
――嘘だ。フェミニストの効果がある俺に抵抗は出来ない。そもそも、ローズとクラウディアを失う選択なんて選ぶことは出来ない。けど、このままなら確実に二人を失う。
だから、それに抗うためにハッタリを仕掛けた。
果たして――アルミスは、不敵に笑って見せた。
「なにを言い出すかと思えば。そのようなことは不可能じゃ」
「……どういう意味だ」
フェミニストを所持していることはバレていないはずだ――と、内心の不安を押し殺して問いかける。けれど、アルミスは不適な表情を張り付かせたまま応えない。
「――ア、アルミス様に、人の攻撃は届かないのです。恐らくは、この水の触手も。だか、ら、貴方だけでも逃げて、逃げてください!」
口は塞がれていなかったフィーミアが叫ぶ。
「人の攻撃が届かない? どういうことだ?」
「それは――んぐっ」
大きく開いたフィーミアの口に、水の触手がカップに残っていた紅茶を流し込んだ。一部が気管に入ったのか、フィーミアは激しくむせる。
だけど、直ぐに薬の効果が出たのだろう。フィーミアは顔を上気させて眉を寄せた。
「あ……くぅ、これ……は、こんな……んっ」
「……まったく。我とユズキの会話を邪魔するな」
「うああああああぁぁあぁ――っ」
アルミスの声に呼応したのか、水の触手がフィーミアを締め上げる。その瞬間、フィーミアは悲鳴を上げ、ぐったりとして動かなくなった。
「ふんっ、精神が壊れる前に気絶するとは、ちぃとばかり痛みが強すぎたか。次は、もう少しねぶるようにせねばならんな」
「アルミス、お前……」
次はローズやクラウディアだ――と、アルミスは言っているのだ。そして実際に、水の触手がうごめき、ローズやクラウディアの苦悶に満ちた声が大きくなる。
今すぐなんとかしたいけれど、俺にはどうすることも出来ない。そんな無力さに苛まれて、俺は拳を握りしめた。
「さて……なんの話だったかの。そうそう。我に攻撃が通用しないという話じゃったか。お主はそんなことも知らぬのか。我の伴侶となるのなら、もう少し教養を付けてもらわねばな」
イラッ――っとしたけど、話の内容を確認する方が重要だと、ギリギリと歯を鳴らしながら耐えた。そうして無言で続きを促すと、アルミスが得意げに続ける。
「我は精霊アルミス。女神様の加護を受けておる。よって、我にダメージを与えられるのは、女神様ゆかりの者だけ。そして、その者達を捕らえているのは我の一部じゃ。よって、お主には、決して傷つけることは叶わぬ」
アルミスが言い放ったのは、俺を絶望させるための言葉だったのだろう。だけど、それを聞いた俺は、おや……? と思った。





