エピソード 2ー3 デビュタントにふさわしいドレスは……
見た目清楚なお姫様の口から紡がれたのは、淫乱プリンセスという単語。扉を閉めた俺は、踵を返して帰ろうとしたのだが、メイドに退路を塞がれてしまった。
「ラクシュ様がお待ちです。どうぞ、中にお入りください」
「いや、その……用事を思い出したので、帰ろうかと思ったんですが」
「貴方に人の心はないのですか? ラクシュ様がああなったのは、貴方が原因なのですよ?」
「……ええっと?」
どういうことかと尋ねると、俺と出会ってヤンデレ化したときに、一緒にマゾヒスト化もしたのだと教えられた。
「しかも、この王城の中ですら性格に影響の出るほど高ランクです。なので、ラクシュ様は貴方に監禁され、雌犬のように扱われることを望んでいます」
「……あの、グランツさんからは、ラクシュ王女殿下が、俺を監禁したがっていると聞いた気がしたんですが?」
「あらあら、グランツ様はきっと、言い間違ったんですわ」
しれっと言われてしまった。
「……そもそも、そんな状況の王女殿下と俺を引き合わせるのは問題なのでは?」
監禁される危険性がなさそうで、俺としては安心した部分もある。だけど、ラクシュ王女殿下は、俺に辱められることを望んでいる。
俺が手を出したらどうするつもりなんだと、遠回しに尋ねる。
「ヤンデレ化した以上は、仕方のないことですわ」
「……どういう意味ですか?」
「ヤンデレ化したラクシュ王女殿下になにを言っても無駄。それどころか、許容して差し上げなければ、なにをしでかすか分かりません。ですから、これからこの部屋の中でなにが起ころうと、王家が貴方を咎めることはありませんわ」
暗に、この部屋の中でなら、王女殿下を雌犬のように扱ってもかまわないと言っている。
そんな馬鹿なと思ったのだけれど、どうやら冗談ではないらしい。そしてよくよく考えれば、ローズも似たような理由で俺の側にいる。
重い病気を患った者に薬が必要なように、ヤンデレを煩ったものから愛する相手を引き離してはならない。それが貴族社会での一般論のようだ。
考えてみれば正論だ。たとえば、誰かがローズを俺から引き離し、別の誰かと結婚するように迫る。その結果は惨劇しか想像できない。
そんな悲劇を生むよりは……と、そう考えるのは決して不思議なことではないだろう。
「わりと本気で帰りたいんですが?」
「貴方はラクシュ様の秘密を知ってしまいました。そのまま帰ることは出来ませんよ」
「そっちが教えたんじゃないですかっ」
「ご安心を。ちゃんとラクシュ様の要望を聞いて、秘密を守ると約束していただければ、無事にお返しするとお約束いたします」
「……要望って、雌犬云々ですよね?」
「いいえ、服飾の話です」
「あぁ……そっちは本当なんですね」
なんだか泥沼にはまった気分だけど……こうなったら仕方がない。国王陛下とも約束してしまった訳だし、なにもせずに帰る方が危険だろう。
という訳で、ローズとクラウディアを伴って、俺はラクシュ姫殿下のいる魔窟へと足を踏み入れた。そうして、ラクシュ姫殿下の許しを得て、テーブル席に腰掛けたのだけれど――
「はぁはぁ……これが放置プレイというものなのですね」
頬を上気させているラクシュ王女殿下を見て、やっぱり帰れば良かったと後悔する。ただ、ここまで来て帰ることは無理なので、無言でため息をつくに止めた。
「それではあらためまして、わたくしはラクシュ・グリア。貴方の卑しい性奴隷ですわ」
「……いや、あの。王女殿下のご主人様になった記憶はないのですが」
「ふふっ、王女であるわたくしが決めたのです。平民でしかない貴方に拒否することなんて、出来ないのではありませんか?」
「それは……」
いや、たしかに王族の主張を退けるなんて、貴族ですら難しいだろう。ましてや、ただの平民には反論すら許されない。それは分からなくはない。分からなくはないのだけれど……その権限で、自分のご主人様になれというのはどうなんだろう。
「……とにかく、ユズキ様はいまより、わたくしのご主人様ですわ。これはラクシュ・グリアとしての正式な要請です」
「ええっと……じゃあ、ご主人様の命令で、いまから貴方を奴隷から解雇します」
取り敢えず、与えられたご主人様権限を行使してみる。王女殿下に対して失礼かと思ったのだけれど、素直に受け入れる訳にも行かない。
……いや。俺も男だから、王女とのエッチな関係に興味がない訳じゃない。でも、迂闊に手を出したら引き返せなくなるのは確実だし、下手をしたら――切り落とされる。
という訳で、恐る恐る拒絶すると、王女殿下は顔を上気させた。
「ふふっ、まさか、王女であるわたくしのお願いを無碍にするなんて……あぁ、たまりませんわ。もっと、わたくしのことをぞんざいに扱ってくださいませっ」
ダメだ、この姫様。早くなんとか……は、出来そうにないけれど。
正直、これ以上関わりたくないけれど、相手はヤンデレでお姫様。怒らせるのは危険だし、ドレスを作るという約束もある。どうしたものか……
「ラクシュ、いいかげんにしてください」
これまで沈黙していたローズが口を開いた。
俺はそんなローズの姿を見て頼もしいと感じる。なんの地位もない俺には難しいことも、伯爵令嬢であるローズならビシッと言ってくれるはずだ。
「あら、ローズ。いたんですわね」
「最初からいましたわ。そして、ユズキお兄さんは私やクラウディアのご主人様なんです。ですから、勝手な主張はしないでくださいませ」
違う、そうじゃない。なんて思うが後の祭り。ローズとラクシュ姫殿下の戦争が勃発――なんて思ったのだけれど、俺の予想に反してそうはならなかった。
「クラウディア……」
ラクシュ王女殿下が、クラウディアに興味を示したからだ。
「え、あの……えっと?」
「貴方、ご主人様の性奴隷のクラウディアですね」
「え、えっと……あたしのことをご存じなんですか?」
「ええ、夜会でお見かけいたしましたから」
「そ、そうですか」
クラウディアは表情を引きつらせた。夜会のときにクラウディアが身に着けていたのは、俺が手がけたエッチなドレスだったからな。
「とてもとても羨ましいです。毎晩、ご主人様に可愛がってもらっているのでしょう?」
「いえ、夜だけではないですが……」
おいこら、それはたしかに事実だけど、いま訂正するところじゃないだろ。怒らせたらどうするんだ――なんて思ったけど、ラクシュ王女殿下は恍惚とした微笑みを浮かべた。
「夜だけじゃないなんて……あぁ、素敵ですわ。羨ましいですわ。クラウディアはどうやって、ご主人様の性奴隷になったのですか?」
「え? えっと……あたしは、その……借金のかたに奴隷として売られて……」
「まぁ、それでは、偶然ご主人様に見初められましたのね。わたくしもどこかに身請けすれば、ご主人様が買ってくださるでしょうか?」
「え、えぇ?」
焼き餅焼きのクラウディアが、焼き餅を焼く暇もなくたじたじである。
だけど……気持ちは良く分かる。相手はまがりなりにもお姫様なのだ。そんなお姫様に性奴隷になる方法を聞かれても困るだろう。
というか、実践されるのが一番恐い。
普通に考えればありえないけど、バッドステータスが軽減される城の中でこれだけの発言をすると言うことは相当だ。気をつけるに越したことはないだろう。
俺達の発言が切っ掛けで、奴隷商に身売りなんてされた日には、間違いなく俺達の首が飛ぶ――と、そこまで考えたところで気付いてしまった。
この性奴隷志望のお姫様は、クラウディアに興味を示している。そして、俺の作ったドレスを気に入ったというセリフと、国王陛下の王女にふさわしいドレスをという一言。
「ラクシュ姫殿下、もしかしてとは思いますが……貴方が作って欲しいというのは……」
「ええ、夜会でクラウディアが着ていたようなドレス。わたくしが、デビュタントするにふさわしい、エッチなドレスですわ!」
やっぱりかぁぁぁぁと、俺は思わず頭を抱えた。
この国のお姫様に、デビュタント用のドレスを作って欲しいと依頼された。凄く名誉なことだと引き受けたら、作って欲しいのはエッチなドレスだった。
それ自体、問題が起きないのなら別にかまわない。けれど、国王陛下には、事前に王女にふさわしいドレスを作るようにと釘をさされている。
あぁ……そういうことか――と、俺は今更ながらに、国王陛下の言葉の意味を理解した。
王女らしいドレスを作れば、多少のことには目をつむる。
それはつまり、デビュタント――人目に付く状況で王女らしく振る舞わせれば、ラクシュ王女殿下の他の要望を叶えてもかまわない。もう少し言えば、この部屋限定でラクシュ王女殿下を雌犬として扱ってでも、エッチなドレスを諦めさせろと言うこと。
……まいったな。ラクシュ王女殿下に手を出すのはありえない。いくらこの部屋の中でのことが黙認されるとはいえ、どんな弊害があるか分かったものじゃない。
しかし、エッチなドレスを作れば国王陛下の不興を買い、王女にふさわしい上品なドレスを作れば姫殿下の不興を買う。王族の不興を買えば、デザイナーとしての未来はないに等しい。
どう考えてもつんでいる。
やっぱり逃げるのが正解だったようだけど……その選択肢は既に失われている。さてさてどうしたものかと、俺はメイドが淹れてくれた紅茶を口に付けた。
やっぱり渋い。俺のいまの現状を表しているかのように渋い。本気で、紅茶の方もなんとかして欲しいな……って、現実逃避している場合じゃない。
「ご所望なエッチなドレスというのは……ローズが着ていたくらいの感じですか?」
ダメだろうなと思いつつ尋ねる。当然のように「それではダメですわ。クラウディアが着ていたような、まるで娼婦が着るようなエッチなドレスです」と明言されてしまった。
ちなみに、自分の着ていたドレスを、娼婦が着るような服と評されたクラウディアは少し恥ずかしそうにしている程度だ。
……こうしてみると、バッドステータス緩和の効果がしっかり出ているよな。それだというのに……と、俺はラクシュ王女殿下を見てため息をつく。
だが、腐っても――というかマゾに目覚めてもお姫様ということなのだろう。
ラクシュ王女殿下は全てを見透かしたような表情で「わたくしならば、ご主人様の望む報酬を用意できると思いますわよ」と微笑んだ。
もとより危険を承知の上で報酬に釣られてきた俺は、その意見を無視することが出来ない。
「……ブラッド家の味方をしてくださると言うことですか?」
「ええ。ブラッド伯爵領は最近、ケイオス伯爵にちょっかいを出されているそうですわね。あくまでわたくし個人としてですが、世論を味方に付ける程度のことは出来るはずですわ。もちろん、ドレス一着分の対価とは別の報酬ですわよ?」
「そう、ですか……」
ブラッド家だけでなく、ケイオス家も正当性を訴えているため、対外的にはどちらが正しいか分からず、他の貴族達から日和見されているのが現状。だけど、立場あるラクシュ王女殿下が味方であると公言すれば、ブラッド家の主張を信じる者は増えるだろう。
「それに、わたくしの純潔も捧げましょう」
「いえ、それは結構です」
きっぱりと断言する。お姫様の純潔に興味がないかと言われれば――かなり興味はあるんだけど、やっぱり今後の生活に支障を来すのは嫌すぎる。
それに、ローズやクラウディアを裏切りたくないしな。いや、切り落とされるのが恐いとかではなく、純然たる愛ゆえの判断なので、両サイドから殺気を飛ばすのは止めてください。
「はぁん……つれないご主人様も素敵です。素敵ですが……報酬をもらっていただけないと困ります。他になにをお望みですか?」
「……いや、報酬的にはブラッド家に味方してくれるのなら十分です。ただ……国王陛下に、王女にふさわしいドレスを作るようにと、釘を刺されているんです」
「まぁ……お父様が、そのようなことを?」
予想外だったのか、ラクシュ王女殿下は目を丸くした。
「そんな訳で、依頼を承りたいとは思っているのですが……残念ながら、ラクシュ王女殿下のご期待に添えるようなドレスを作ることは出来ないと思います」
「……そんな。なんとかならないのですか?」
縋るような視線。ラクシュ王女殿下はマゾらしいけど、同時にヤンデレでもあり、権力のあるお姫様でもある。下手に怒らせるのは不味い。
それに、俺としてもローズのために、この依頼はこなしたいし、俺のデザインを欲してくれている相手に応えたいという気持ちもある。
だから――
「少しだけ考えさせてください」
「そうやって逃げるつもりですか? わたくしは、貴方の性奴隷になることも我慢して、せめて貴方の作ったエッチなドレスを着たいと申しているのですわよ?」
ドレスを作ってくれないのなら、性奴隷にしてくれと襲いかかってきそうな雰囲気。俺の答えいかんでは、その態度を急変させるかもしれない。
ただ、今回に限って言えば、その心配が杞憂かどうかは心配する必要がない。
「私としては、本心でドレスを作りたいと思っています。だから、なんとか出来ないか、少し考える時間が欲しいんです」
「……つまり、前向きに検討していただけると?」
「ええ。ご期待に添えるかは分かりませんが。私は、私のデザインを認めてくださっている貴方に、満足いただけるドレスを作りたいと思っています。少なくとも、国王陛下の件がなければ、喜んでエッチなドレスを作っていましたよ」
お姫様が、俺のデザインしたエッチなドレスをその身に纏う。しがらみがなければ、反対する理由はなにもない。喜んで、クラウディアを超えるエッチなドレスを作っただろう。
「……ご主人様を信じます。ただ、返事をするまでは、城に滞在してくださいね?」
「ええ、それはもちろんです」
「分かりました。では、皆様の部屋に案内させましょう」
そんな訳で、俺達はそれぞれが割り当てられた客間へと案内された。
他の部屋と同じかは分からないけど……俺が割り当てられたのは、十畳くらいある大きな部屋である。ソファにテーブル。そして大きなベッドが置かれている。
俺はそんな大きなベッドに寝転がり、どうやって王女殿下の要望に応えるか考えていた。
国王陛下とラクシュ王女殿下、両方の要望に応えることはほぼ不可能だ。
だから、自分の安全だけを考えれば、国王陛下の要望に応える。もしくは断って帰るべきなんだけど……ローズの安全を考えれば、ラクシュ王女殿下は味方に付けておきたい。
国王陛下は、期待に応えれば報酬をくれるようなことを言っていたので、国王陛下の要望に応えて、ブラッド家の味方をしてもらうという選択肢もあるにはある。
ただ、ラクシュ王女殿下とは違って、国王陛下がこちらの要望を叶えてくれるかは不明だし、服を着る本人の要望を叶えたいという思いもある。
しかし、ラクシュ王女殿下を味方にしても、国王陛下を敵に回しては意味がない。なんとかして、二人の要望を同時に叶えたいところだけど……
王女にふさわしい清楚なデザインで、自称マゾ奴隷を満足させるドレス。そんな無茶なデザイン、この世界にあるはずが――と、そこまで考えたところで、ある方法に思い至った。
その方法であれば、国王陛下の要望通りに王女にふさわしい上品なデザインでありながら、ラクシュ王女殿下を満足させるようなエッチなドレスを仕立てることが出来る。
問題は、その方法が通用するかどうか。もし失敗したら、国王陛下に殺されても文句が言えない。だから、ちゃんと確認する必要があるんだけど……
メディアねぇに聞いたら答えてくれるかな?
そんな風に思い浮かべたのは、ログウィンドウにメッセージが表示されることを期待してのことだけど……今回は返事がない。
どうしたものかと考えていると、不意に部屋にノックが響いた。
「シルフィーですが、入ってもよろしいですか?」
「……シルフィー? ああ、空いてるから入ってくれ」
メディアねぇがダメでも、長寿のエルフで、チート級のスキルの数々を持っているとおぼしきシルフィーなら知っているかもしれない。そう思って招き入れる。
そうしてベッドから身を起こすとカチャリと扉が開き、シルフィーが部屋に入ってきたのだが……俺はその姿を見て目を見開いた。
セミロングの青い髪のお姉さん。そんなシルフィーが身に纏うのは、いつもの受付嬢の制服ではなかった――と言うか、俺がデザインした服に負けず劣らずの扇情的な服を着ていた。
エルフの民族衣装なのだろうか?
ブラウスというか、ビキニというか……チューブトップでヘソ出し、更には胸の上下に菱形のスリットがある上着に、正面が逆Vの字になっているロングスカート。下着が見える寸前のところに、ミニのプリーツスカートが重なっている。
露出が高くて扇情的だが、ただエッチなだけではない。
シルフィーの魅力を最大限に引き出す、洗練されたデザインだ。デザイナーを目指す身としては、つぶさに観察して、そのまま襲いたい――って、違う。思わず本音が出てしまった。
「ふふっ、気に入っていただけましたか?」
シルフィーがクルリとターンする。意外なことに、背中側は露出が控えめだった。そして、だからこそ、正面のエッチさが際立っている。
「悔しいけど、その服をデザインした人は、俺より凄いデザイナーだな」
「気に入って頂けたようでなによりです。この服は、エルフ族に代々伝わる戦闘服で、永い時を経て、少しずつ改良が加えられているんです」
「……それにしては露出が高くないか?」
洗練されている理由は分かったけれど……それにしては防御力がなさ過ぎる。エルフだから森で活動するとは限らないけど、露出が高すぎて小枝からも肌を守れないだろう。
「それは当然ですね。愛する人を誘惑するための戦闘服ですから」
あぁ……戦闘服ってそっちの意味か。だから、正面だけ露出が高いんだな。自分が見ている相手にだけ、エッチな自分を見せられるように――
「って、ちょっと待てっ!」
「安心してください。ここに来るまでは上着を着てきましたから」
「あぁ、それなら安心だ――って、違う、そうじゃない! 誘惑って――」
俺が最後まで口にするよりも早く、シルフィーが躍りかかってくる。
慌てて避けようとするが、ノーブラらしき胸が揺れ、短いスカートの奥が見えそう――と思っているあいだに、ベッドに押し倒されてしまった。
たしかに戦闘服だった……不覚。
「シルフィー、一体どういうつもり――」
シルフィーはヤンデレではあるが、俺を襲うようなマネはしなかった。油断をしていたと言えばそれまでだけど、予想外でもある――と、そんな考えは頭から消えてしまった。
見上げた先、俺に馬乗りになっているのが、黒髪ロングのお姉さんだったからだ。





