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出勤

「お待たせしました」

 

 そう言って駆け寄る誠を見上げたのは寮の入り口の隅の喫煙所でタバコをくゆらせているかなめだった。


「あの、アイシャさんとカウラさんは?」 


「気になるの?」 


 そう言って突然誠の後ろからアイシャが声をかけてくる。振り返るといつもと変わらぬ濃い紫色のスーツを着込んだアイシャと皮ジャンを着ているカウラがいた。


「それじゃあ行くぞ」 


 かなめのツルの一言で誠達は寮を出る。空は青く晴れ渡る晩秋の東都。都心と比べて豊川の空は澄み渡っていた。


「こう言う空を見ると柿が食べたくなるな」 


 そう言いながらかなめは路地にでて周りを見渡す。カウラはそんなかなめの言葉を無視して歩いていく。緊張が走る中、ドアの鍵が開かれるといつも通りかなめは真っ先に助手席を持ち上げて後部座席に乗り込む。そんなかなめと渋々その隣に乗り込む誠を見た後、アイシャはそのまま助手席に乗り込んだ。


 エタノールエンジンがうなりをあげる。


「確かに遼州は燃料が安いけどもう少し環境に配慮したエネルギー政策を取ってもらいたいわね」 


 アイシャは手鏡で自分の前髪を見つめながらそうつぶやいた。動き出したカウラの車はいつものように住宅街を抜けた。いつもの光景。そして住宅街が突然開けていつも通りの片側三車線の産業道路にたどり着く。昨日の醜態を思い出して誠は沈黙を守る。三人の女性の上官は察しているのか珍しく静かにしている。順調に走る車は渋滞につかまることも無く菱川重工業豊川工場の通用門をくぐる。


「生協でも寄っていくか?」 


 カウラが気を利かせてアイシャにそう言うが、アイシャは微笑んで首を振る。そのまま車を走らせて司法局実働部隊の通用門。マリアの部下の警備兵達はあくびをしながらゲートを開けた。


「おい、叔父貴、来てるじゃねえか。今朝の便で胡州入りする予定じゃなかったか?なにかあったのかね」 


 駐車場に止められた白い軽乗用車。スバル360。嵯峨の愛車である。


「本当ね、忘れ物でもあったのかしら」 


 そう言いながら一発で後進停車を決めたカウラよりも先にアイシャは助手席から降りる。


「それにしても……」 


 誠とかなめの視線は駐車場の奥の茶色い塊に釘付けになった。次々と出勤してくる隊員達も同じ心持なのだろう、次第に人垣ができ始める。


 熊がいる。昨日のグレゴリウス16世である。こちらは理解できる。しかし、その隣に同じ色の小さな塊に全員の意識が集中した。


 熊の着ぐるみを着たシャムが目の前にかご一杯の柿を置いてその一つを頬張っている。シャムに付き合うようにしてグレゴリウス16世も柿を食べる。


「見なかったことにするぞ」 


 熊コンビに意識を持っていかれた誠とかなめの襟首をカウラが引っ張る。逆にアイシャはそのままシャム達めがけて歩いていく。三人はどうせ騒動を起こすだろうアイシャに付き合うのはやめていつも通りグランドを渡ってハンガーに向かうルートを取ることにした。


 グラウンドには一人ランニングをするマリア・シュバーキナ少佐の姿があった。手で軽く挨拶をすると三人はそのままハンガーに足を踏み入れた。


「おはようございます!」 


 声をかけてきたのは西だった。隣ではレベッカがメガネを光らせながら、シャムの05式の上腕部の関節をばらしていた。


「早いな、いつも」 


 カウラはそう言うとそのまま奥の階段に向かおうとするが、そこに着流し姿の嵯峨を見つけて敬礼した。


「なにしてるんですか?隊長」 


 カウラの声で振り返った嵯峨は柿を食べていた。


「いいだろ、二日酔いにはこれが一番なんだぜ。まあ俺は昨日は誰かのおかげでそれほど飲めなかったけど……」 


 そう言って嵯峨は階段の一段目を眺める。そこで下を向いて座り込んでいたのはランだった。


「あのー、クバルカ中佐。大丈夫ですか?」 


 そう言う誠を疲れ果ててクマのできた目でランが見上げる。


「気持ちわりー。なんだってあんなに……」 


 そう言ってランは口を押さえる。


「こりゃ駄目だな。おい、ラン。俺の背中に乗れよ。話があるからな」 


 そう言って嵯峨は背中を見せる。仕方が無いと言うように大きな嵯峨の背中に背負われたランの姿はまるで嵯峨の子供のようにも見えた。


「おい、ベルガー。ちょっと吉田の馬鹿連れて来い。どうせシャムと遊んでるんだろ?」 


「ああ、そう言えば駐車場にシャムとグレゴリウス16世がいましたから」 


 そう言って敬礼をするとカウラは駆け出す。


「そう言えば昨日の報告書。出し直しだと」 


 嵯峨は無情に誠にそう言うとそのまま階段を上り始める。


「そんな……」 


「書式が違うじゃねーか。……アタシは……、はあ。東和軍の書式じゃなくてここの書式で書けって言ったはずだぞ」 


 虫の息でもランはきっちり仕事の話に乗ってくる。誠はランを軽々と背負って歩く嵯峨について階段を登った。管理部の部屋でいつものように殺意を含んだ視線を投げかけてくる菰田を無視して誠はそのまま嵯峨と別れてとりあえずロッカールームへ向かう。


 ドアを開けるとキムが着替えを終えたところだった。


「お前、何やったんだ?昨日は」 


 そう言うとキムは誠の頭のこぶに手を触れる。


「痛いじゃないですか!」 


「ああ、すまんな。それにしてもあのちびっ子。本当にうちの専属になるのか?」 


 ドアに手をかけたままキムは誠にそう尋ねる。あの小さいランを『ちびっ子』と表現されて誠は噴出しそうになるのをこらえた。


「そんなの僕が知るわけ無いじゃないですか」 


「いやあ、お前はクラウゼ中佐と一つ屋根の下に暮らしてるだろ?そう言う話も出るかと思って」 


 そう言ってキムはニヤリと笑う。だが、誠は彼の顔から目を逸らして頭のこぶに物が当たらないよう丁寧にアンダーシャツを脱いだ。


「アイシャさんはそう言うところはしっかりしていますから。守秘義務に引っかかるようなことは言いませんよ」 


 実は何度かアイシャの口からはランの本異動の話は出ていたが、やぶへびになるのも面倒なのでそう言って誠はそのままジャケットを脱いだ。キムはつっけんどんに答える誠に意味ありげな笑みを一度浮かべるとそのまま出て行った。


「ったく。僕はアイシャさんのお守りじゃないんだから」 


 そう独り言を言いながらワイシャツのボタンをかける。誰も掃除をしようと言い出す人間のいない男子更衣室。窓枠の周りにはプラモデルやモデルガンが並び、ロッカーの上には埃を被った用途不明のヘルメットが四つほど並んでいる。


「年末には掃除とかするのかなあ」 


 そう思いながら着替え終わった誠はドアを開いた。


 そのまま誠はつかつかと歩いて機動部隊の詰め所の扉を開ける。そこには誰もいなかった。確かにまだ九時前、いつものことと誠はそのまま椅子に座った。ガラス張りの廊下側を眺めていると、吉田が大急ぎで走っていく。そのまま誠は昨日の日報が机に置かれているのを見た。開いてみると珍しく嵯峨が目を通したようで、いくつかの指摘事項が赤いペンで記されていた。


 そうこうしている間に部屋にはカウラが入ってきていた。そのまま彼女は誠の斜め右隣の自分の席に座る。


「休暇中の連絡事項なら昨日やればよかったのに」 


 そう言って誠は嵯峨から留守中の申し送り事項の説明を受けているだろう吉田の席を見やる。だが、カウラは誠より実働部隊での生活に慣れていた。


「今日できることは明日やる。まあ、嵯峨隊長はそう言うところがあるからな」 


 そう言ってカウラは目の前の書類入れの中を点検し始めた。


「おはよー」


 かなめが勢いよくドアを開いた。


「どわ!」 


 突然女の子の叫び声がしたかと思うと、シャムの顔がドアに押し付けられていた。


「いい加減大人になれよ、オメエは」 


 そう言いながらかなめはドアを閉めた。ドアに顔面をぶつけてうずくまっているシャムはまだ熊の着ぐるみを着ている。


「酷いよ!かなめちゃん!」 


 そう言ってかなめを見上げるシャムだが、カリカリしているかなめは残忍な笑みを浮かべて指を鳴らしている。さすがにその凄みを利かせたかなめの姿にシャムは冷や汗を流しながら後ずさる。


「じゃあ、脱皮しようかな。誠ちゃん!背中のジッパー下ろして!」 


 そう言って誠に背を向けて近づいてくる。仕方なく立ち上がった誠だが、カウラの視線の痛みが涙腺を刺激する。ジッパーに手をかけたとき、誠はあることに気がついた。


「あの……、ナンバルゲニア中尉?もしかして下着しか着てないとかいう落ちじゃないですよね」 


 この言葉にカウラだけでなくかなめまでもが視線を誠に向けてくる。その生暖かい雰囲気に誠は脂汗が額ににじむのを感じていた。


「早くしないとかなめちゃんに食べられちゃうよ!」 


「そこでなんでアタシが出てくるんだ?」 


 そう言って拳を固めるかなめを見て進退窮まったと感じた誠は、一気にシャムの着ぐるみのジッパーを降ろす。


「脱皮!」 


 そう言って現れたのは東和陸軍と同型の司法局実働部隊の勤務服を着たシャムだった。


「本当に驚かせないでくださいよ」 


「なんだ、オメエもロリコンだったのか?まあどこかの胸無しと仲良しだからロリコン入っていても不思議はねえがな」 


 そう言ってかなめはカウラを見下ろす。カウラはそんなかなめを完全に無視して書類を読み続けていた。


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