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あまさき屋

 あまさき屋のある豊川駅前商店街の時間貸しの駐車場に着いたときは、誠はようやく解放されたという感覚に囚われて危うく涙するところだった。


 予想したとおり、後部座席に引きずり込まれた誠はかなめにべたべたと触りまくられることになった。そしてそのたびにカウラの白い視線が顔を掠める。


 そして、明らかに取り残されて苛立っているランの貧乏ゆすりが振るわせる助手席の振動が誠の心を不安に染めた。生きた心地がしないとはこう言うことを言うんだと納得しながら、さっさと降りて軽く伸びをしているランに続いて車を降りた。


「おい、西園寺……」 


 カウラが車から降りようとするかなめに声をかけたが、ランのその雰囲気を察するところはさすがに階級にふさわしかった。手をかなめの肩に伸ばそうとするカウラの手を握りそのまま肩に手を当てた。


「カウラ。あまさき屋だったよな」 


 そのランの言葉でとりあえずの危機は回避されたと誠は安心した。


「つまんねえなあいつもあそこばかりじゃ。たまにはこのままばっくれてゲーセンでも行くか?」 


 そう言うかなめにちらりと振り返った鋭いランの視線が届く。かなめもその鋭い瞳に見つめられると背筋が寒くなったように黙って誠についてくる。


「相変わらず目つき悪いなあ……」 


「あんだって?」 


「いえ、なんでもございませんよ!副長殿!」 


 かなめが大げさに敬礼してみせる。すれ違うランと同じくらいの娘を連れたかなめと同じくらいに見える女性の奇妙なものを見るような瞳に、かなめは思わず舌打ちする。あまさき屋の前で、伸びをして客を待っていた自称看板娘の家村小夏いえむらこなつが誠達を見つけた。


「あ、カウラの姐御と……クバルカの姐御に……ゴキブリ?」 


「おい!誰がゴキブリだ!」 


 そこまで言ったところでかなめの顔を射抜くような目で見つめているランがいた。


「お母さん!」 


 店ののれんをくぐった三人を招き入れると小夏はカウンターで仕込みをしていた母、家村春子に声をかけていた。振り返った春子は、軽く手を上げているランを見ると笑顔を浮かべた。


「ランさんついに本異動?」


「ええまあ、春子さんこれからもよろしく」


「ちっけえから気付かなかった……うげ!」 


 余計なことを言ったかなめが腹にランのストレートを食らって前のめりになる。


「それより誰か先に着てるんじゃねーのか?」 


「ええ、マリアさんが来てますよ。それと……」 


 春子はそう言うと入り口に目をやった。携帯端末を手に持ったポーチに入れようとする明華がいる。


「ああ、着いたんだな。隊長はもうすぐ着くそうだ。それと茜はパーラ達の車に便乗するはずだったけど車がないと面倒だから自分の車で来るそうだ。それで吉田だが……」 


 そこまで言うと、明華は急いで二階に駆け上がる。誠達もその後に続いた。


「はーあ、勘弁してくれます?」 


 いつものように吉田が宴会場の窓から顔を出している。その額にはマリアのバイキングピストルが押し付けられていた。


「くだらないことをするもんじゃないな」 


 マリアはそう言うとすぐにジャケットの下のホルスターに銃をしまった。


「マリアあんたねえ……それと吉田。あんまりふざけてばかりいたらひどい目合うぞ。一応、神前達の上官なんだから。ちゃんと見本になるような態度をとらないとな」 


 そう言って明華は空になったマリアのグラスにビールを注ぐ。


「気のつかねー奴だな」 


 そう言ってランは誠を見上げる。誠は飛び上がるようにして明華のところに行って、彼女からビール瓶を受け取ろうとする。


「いいよ、本当に」 


「でも一応、礼儀ですから」 


 そう言って遠慮する明華から瓶を受け取ると、明華が手のしたグラスにビールを注いだ。


「オメーラも座れよ。隊長達が来たらそん時に乾杯やり直せばいいだろ?」 


 自然と上座に腰をかけたランがそう言って一同を見回す。窓から入ってきた吉田とシャムが靴を置く為に階段を降りるのを見ながら、誠とかなめ、そしてカウラは明華の隣の鉄板を囲んで座った。


「それじゃあ、皆さんビールでいいかしら?ああ、カウラさんは烏龍茶だったわよね。それとかなめさんはいつものボトルで……」 


 そう言って春子はランを見た。


「いいんじゃねーの?」 


 そう言って頷く上座で腕組みをして座っている幼く見える上官をかなめとカウラは同じような生暖かい視線で見つめる。


「なんだよその目は」


「別に……」


 かなめの視線に明らかに不愉快そうにランはおしぼりで手をぬぐいながらそう言った。 


「おう、着いたぞ!」 


 そう言って階段を上がってきたのは嵯峨だった。続いてくる茜はいつもどおり淡い紫色の地に雀が染め抜かれた着物を着て続いてくる。


「茜。和服で運転は危ねえだろうが」 


「ご心配おかけします。でもこちらの方が慣れていますの」 


 そう言うと茜はランの隣に座る。嵯峨もランが指差した上座に座って灰皿を手にするとタバコを取り出した。


「あの、隊長」 


 カウラが心配そうに声をかける。


「ああ、お子様の隣ってことか?わかったよ」 


 そう言うと嵯峨はタバコをしまった。ランはただ何も言わずにそのやり取りを見ている。


「ちょっと神前君、手伝ってくれるかしら?」 


 顔を出した春子。最近では誠はほとんど従業員のように使われている。あまさき屋には他にも源さんと言う板前がいるが、もう60を過ぎた体に無理はさせられない。いつものようにちょっとした集まりでもビール一ケースを軽く空ける司法局の飲み方では必然的に誠のような雑用係が必要になる。以前は同じ役回りをシャムがしていたらしいが、今ではそれは誠の仕事になっていた。誠は立ち上がるとそのまま階段を降りて、小夏が抱えているビールのケースを受け取る。


「ああ、間に合ったみたいね」 


 そう言って店に入ってきたのはアイシャとパーラだった。


 それを見たアイシャの反応は早かった。素早く誠の手からビール瓶を奪い取り、春子の盆からグラスを取り上げると真っ直ぐにランの前に座った。


「では、中佐殿お注ぎしますね」 


 満面の笑みを浮かべて、口元が引きつっているランのグラスにビールを注ぎ始める。


「おっ、おう。ありがとーな」 


 なみなみと注がれたビールをランは微妙な表情で眺める。気付けば茜やシャムがビールを注いで回っている。


「オメエも気がつけよ」 


 そう言うとかなめは誠にグラスを向ける。気付いた誠は素早くかなめのボトルからラム酒を注ぐ。


「おう、じゃあなんだ。とにかく新体制の基盤ができたことに乾杯!」 


 挨拶は短く済ます主義の嵯峨の言葉で宴席が始まる。


「さあ、皆さん。こちらをどうぞ!」 


 階段を上がってきた春子と小夏が次々とテーブルにお好み焼きの素を置いていく。


「豚玉!」 


「はい、師匠は三つですよね」 


 叫ぶシャムに小夏が三つの豚玉の小鉢を渡す。


「そう言えば豚玉は飽きたな」 


「じゃあ、えび玉はどう?」 


 ランに春子がえび玉を渡す。気の早いマリアは明華と一緒にイカ玉と格闘を始めた。


「ラン、地球はどうだったの?」


 明華の言葉でランが地球の会議に出席していたことを皆が思い出した。


「ああ、なんだか……人が多かったな。まあ東都と変わらないぐらいだが……人口が遼州の三倍だ。まあ結構疲れたよ」


「へえ……」


 感心しているようにそう言うとかなめは誠のグラスになみなみとラム酒を注いで誠の前に置いた。


「これ、飲まないと駄目なんですよね」 


 誠は沈んだ声を吐き出した。かなめと明華、そしてランの視線が誠に集まる。


「許大佐。ちょっと神前を苛めるのはやめた方がいいですよ」 


 カウラはそう言って烏龍茶を口に含む。彼女の焼く鉄板の上の野菜玉が香ばしい匂いを放っている。


「ドサクサ紛れに早速焼きやがって」 


 その様子を見たかなめが対抗してイカ玉を鉄板に拡げた。


「あの、西園寺さん。どうしてもこれを飲まなければいけないんですか?」 


 さすがにこれから教導に来てくれる教官を前に無作法をするわけにはいかないと、誠はすがるような気持ちでかなめに尋ねる。


「ああ、じゃあ隣の下戸と一緒に烏龍茶でも飲んでろ」 


 そう言うとかなめは自分のイカ玉を小手で馴らした。


「地球のビールも良いがやっぱ東和のが一番だな」 


 ランはそう言って手酌でビールを飲み続ける。


「でもランちゃん顔が赤いよ!」 


 巨大な豚玉にソースと青海苔をかけながらシャムが突っ込みを入れた。


「後は烏龍茶にしたほうがいいな」 


 小夏が気を利かせて持ってきたウォッカのボトルに自分の隣の瓶を空にしたマリアが手を伸ばしている。


「そうですよ、中佐。どこかの馬鹿に挑発されても乗っちゃダメですよ」 


 アイシャがそう言うが、ランはその言葉を無視してビールを開けては面白そうにグラスに注ぐ行動を続けている。小さなランが次第に顔に赤みを帯びていく様を楽しそうに見つめているかなめの隙を見つけると、誠は素早く小夏にかなめに注がれたラム酒のグラスを渡し、新しいグラスにビールを注ぎなおす。


「あー、いい気分」 


 ビール大瓶二瓶空けたころにはランはすっかりご満悦だった。マリア、明華の二人はさすがに言っても無駄だと自分達のお好み焼きを焼くことに集中している。


「ああ、やっぱそれくらいにしろ。後はジュースでも何でも飲めよ」 


 一応上官であり、アサルト・モジュール教導の師でもあるランに珍しくかなめが気を利かせて言ってみた。


「なんだ?アタシに説教とはずいぶん偉くなったじゃねーか、西園寺よー」 


 そのかなめを見るランの目は完全に座っていた。この時になってようやくかなめは間違いに気づいた。すでにアイシャとパーラは何かを感じたとでも言うように黙ってえび玉を焼いている。


「カラ酒は感心しないな……じゃあ隊長自ら焼いてやるからどれにする?」


「おう!それじゃあこの広島風で!」 


 嵯峨の気遣いに対する遠慮などどこかへ飛んで行ったランは焼きそばののったお好み焼きを指差す。嵯峨が苦笑いを浮かべながら手を挙げる。


「あの!春子さん。広島風のデラックス、二つおねがいします」 


「はい!新さんも食べるのね」


 春子の言葉に嵯峨はランをちらちら見ながら苦笑いを浮かべていた。


「ああ、焼いてあげてるわよ、誠ちゃん」 


 誠の野菜玉を転がしているのはアイシャだった。かなめとカウラが、なんとか手を出そうとしているが、こう言う気を使うことにかけてはアイシャが抜け出している。だが、手が空いた誠がビールを飲み始めると、すぐにタレ目のかなめのこめかみに青筋が立った。


「あっ!神前!テメエアタシの酒を捨てただろ!」 


 かなめの怒鳴り声で誠は思わず噴出す。アイシャはそれを無視して焼きあがった野菜玉を切り分けて誠の前に置いた。


「毎回いじられてばかりじゃかわいそうでしょ?はい、誠ちゃん口を開けて!」 


 そう言ってアイシャは自分の箸に掴んだお好み焼きを誠に向ける。


「あ!俊平!見てみな!」 


 誠とアイシャの姿を見つけたシャムが大声で叫ぶ。その声に釣られてマリアとパーラが誠とアイシャを見つめた。


「何やってんだ!この色ボケ!」 


 そう言って顔を突き出すかなめにアイシャは気おされる風もなく逆に睨み返す。


「あら、なにか私、変なことしてるかしら?」 


 アイシャは逆に顔をかなめに近づけて挑戦的な視線を送る。誠は生きた心地がしなかった。いつもなら時間的にはかなめに脅されてラム酒を一気飲みして意識を飛ばして裸踊りを始める時間だった。今日は完全に意識が冷めている。なるほどこのような状況が展開していたのかと、珍しく晴れた意識で周りを眺めていた。それを察したのだろう。怒鳴りあうかなめとアイシャに見つからないように壁伝いに近づいてきた小夏が先ほど誠が預けたラム酒がなみなみと注がれたグラスを差し出してくる。


 次第に激高するかなめがアイシャの襟首を掴んだ。ぎりぎりと締め上げるかなめの腕を掴むアイシャだが、相手は軍用の義体のサイボーグである。止めに入ったカウラの手も全くかなめを止める役には立たない。


 今できること、誠はそう考えて目の前のグラスを眺めた。他の選択肢など無かった。誠は覚悟を決めると受け取ったラム酒を一気に煽った。


「あ、やっちゃった」 


 その姿を見つけたパーラの言葉が耳の中に響く。


「よくやった!さすが神前!」


「せっかくかばってあげたのに」


 かなめとアイシャの声が鼓膜に響く。口の中から喉、そして胃袋に焼けるような感覚を覚えながら誠の意識は完全に途切れた。

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