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冷蔵庫

 昼飯を終えると誠は冷蔵庫と呼ばれる電算室にいた。目の前の空間に浮かぶ画面は二分割され一つは先ほどの戦闘が、もう一つはランに提出を求められた戦闘時における対応のレポートが映し出されていた。


「誠ちゃん」 


 後ろの声をあえて無視して誠は作業を続けていた。もうすぐ定時である。とりあえずレポートを書き終わった誠はランに指定されたフォルダーにそれを保存すると伸びをした。


「あのね、誠ちゃん」 


 誠はそのまま自分の肩を叩いて戦闘の様子が映し出されている画面を見つめていた。


「誠ちゃんってば!」 


 さすがに誠も耳元で大声を出されて後ろを振り返ってしまった。そこにいたのはシャムである。


 別に彼女がここにいるのは不思議なことではない。グレゴリウス16世の小屋の材料費。勤務中の整備班員が勝手に近くのホームセンターで買い集めた部品を請求されたシャムが、吉田の入れ知恵でそれを厚生費でまかなうことにしたようで、そのデータの入力の為にシャムはこの部屋に入ってきていた。


 シンに正式な経理書類を作成するように言いつけられてシャムはその書類に必要事項を入力した。管理部の書類作成は原則特殊なプロテクトがかかった専用システムでの入力が義務付けられており、閉鎖環境の端末がない実働部隊の机では対応できずにシャムがここに来るのは至極当然と言えた。


 だが、彼女が着ている着ぐるみが誠に彼女を見ないようにという意識を植え付けた。シャムの着ぐるみは誠が配属されてからすでに二つ増えていた。


 情報統括責任者である吉田のアバウトな性格から、この電算室は一種の無法地帯となっていた。テーブルにはかなめが読んでいた野球の専門誌や、アイシャのBL漫画が散らばっている。部屋の端に落ちているバイクのサスペンションのスプリングは島田が置いたのだろう。他にも整備員の私物と思しきモデルガンやラジコンのプロポまで転がっている。


 そんな部隊員の私物や雑誌が放置されている冷蔵庫の中で、シャムの着ぐるみは異彩を放っていた。その中でも今日初めて着ると言う緑色の着ぐるみは異質だった。


 最近、オリジナルキャラらしいものにはまったシャムは、わけのわからないデザインの緑色の着ぐるみを着て誠を見つめていた。


 誠は正直何も言いたくなかった。


 それはもうなんだかよくわからない姿になっていた。サボテン人間か苔に寄生されたオランウータンか、ともかく誠の知識や理解の範疇から逸脱した奇妙な緑色の塊と化した存在。しかし、上官であるシャムを無視するのも限界に達した時、都合よく電算室の扉が開いた。


「神前、終わったか?」 


 そう言うと手に缶コーヒーを持ったかなめが現れた。脂汗を流してじっとしている誠に向けてかなめは真っ直ぐ歩いてくる。


「ご苦労なことだな。カウラももうすぐ着替え終わるだろうからこれでも飲んでろよ」 


 そう言うとかなめは誠に缶コーヒーを手渡した。


「かなめちゃん!」 


「ああ、そう言えばアイシャの奴はパーラの車で出るって言ってたから待たねえで良いってさ」 


「かなめちゃん!」 


「それにしてもオメエ、結構がんばって……」 


「かなめちゃん!」 


「うるせえ!!」 


 無視を決め込んでいたシャムの顔を掴むと、かなめはその右耳を引き出してその耳元に怒鳴りつけた。さすがにこれにはシャムも参ったとでも言うように、右耳を押さえてその場にうずくまった。


「そんなにしなくても聞こえるわよ……」 


 シャムが涙目で答える。だが、かなめもこの異様な格好をしている小学生もどきを一瞥すると何もいえなくなって目を逸らした。


「あ!私のこと馬鹿だと思ってるでしょ?」 


 叫んだシャムにかなめはまた目をやった後、すぐに誠に視線を移す。


「アホが伝染るとまずいから行くか」 


 そう言ってシャムを置いて立ち上がった誠を連れ出そうとするかなめに追いすがる為に、シャムは必死で着ぐるみを脱ぐ。ビリッと布が裂けるような音がした。


「ああっ!かなめちゃんがせかすから!」 


 涙目のシャムをかなめはちらりと覗いた後、廊下に出た誠にあわせるようにして冷蔵庫にシャムを置き去りにした。


「いいんですか?あまさき屋でまたナンバルゲニア中尉に泣かれますよ」 


 誠はあまりにも露骨な嫌がり方をするかなめにそう言った。


「ああ、どうせシャムだぜ。目の前に食べ物置かれたら忘れるだろ?」 


 そう言うと二人は実働部隊控え室に入った。


 アメリカ海軍からの出向者である第四小隊を迎えて、それまで机が点々と置かれているだけだった控え室も少しは司法執行官の執務室にふさわしい数の机がそろっていた。


「遅かったな」 


 すでにカウラは席に座って携帯端末で先ほどの誠の戦いを繰り返し見ていた。


「飽きねえなあお前も。吉田は隊長室か?」 


 そう言うとかなめもカウラの正面の席に座った。


「ああ、姐御が三人とも入ったまま出てこないな」 


 姐御と言えば大きい姐御が司法局実働部隊警備部部長マリア・シュバーキナ少佐、中くらいの姐御が技術部部長許明華大佐を、小さい姐御がクバルカ・ラン中佐を指す部隊の専門用語である。ちなみにお姉さんと言う隠語もあり、それは現在産休で休んでいる運用艦『高雄』艦長鈴木リアナ中佐を指す言葉だった。


「それにしてもいつもいるんだな」


「なに?いちゃ悪いの?」


 この部屋の部外者であるアイシャが吉田の椅子に座って周りを眺めている。


「まあお前の仕事をちゃんとしていればそれでいい」


「してるわよ……任せなさい」 


 ここまで言うとアイシャは扉の外に手を振った。誠が振り返るとそこにはパーラとエダが手を振っている。


「アタシ等も出かけるか?」 


 かなめはそう言うと椅子をきしませながら立ち上がる。


 クバルカ・ラン副隊長の制式移籍に伴う飲み会。それがこれから待っている出来事だった。


「そう言えばクバルカ中佐の足はあるのか?今日はシン大尉の車で寄ったと聞いたが……」 


 そうかなめに尋ねるカウラだが、かなめは無視してそのまま部屋を出ようとする。


「あの鬼チビも餓鬼じゃねえんだ。タクシー呼ぶくらいのことならできるだろ?」 


 そう言うとかなめは静かに部屋を出て行った。


 かなめにつられるようにして誠は廊下に出て周りを見回した。もう秋も深くなろうとしている。すでに夕日は盛りを過ぎて、紺色の闇に対抗するべく蛍光灯の明かりが降り注ぐ。


「あの、僕も着替えたほうが……」 


 勤務服姿の誠の問いに肩に手を当てるかなめ。


「いいんだよ、こいつだって先月までは制服以外の服はろくに無かったんだからな」 


 そう言ってかなめは後ろに立つカウラを親指手指した。


「お姉さんにそうしろと言われただけだ。その……」 


 そう言ってカウラは顔を赤らめる。かなめは今度はカウラの肩に手を乗せる。


「なんだ?お姉さんに何を言われたんだ?」 


 そう言ってうつむくカウラにかなめは挑戦的な表情で絡みつく。そしてねちっこくカウラの頬を突く。そのタレ目はゆっくりと方向を変えて誠を見つめた。うつむいたカウラのエメラルドグリーンの髪が蛍光灯の明かりに照らされて輝いて見える。


「じゃあ着替えてきますね」 


 かなめにそう言うと誠は廊下を早足で歩いた。すれ違う時に軽く手を上げたヨハンを無視して更衣室に飛び込む。


「上がりですか。ご苦労様です!」 


 中にはつなぎを着込んだ西が立っていた。


「夜勤か?大変だね」 


 そんな誠の言葉に、西は軽く頷く。


「仕方ないですよ、島田先輩は出張中ですから仕事が結構たまっちゃうもので。それにレベッカさんも早く05式の整備に慣れたいって言ってくれるんで……それじゃあ!」 


 誠は冷やかすタイミングを計っていたが、西は計算したように華奢な体を翻して飛び出していった。


 誠は大きくため息をつくと自分のロッカーを開き、指紋認証の保管庫を開く。そのままガンベルトを外して中に納めて扉を閉める。自動で鍵がかかる音がする。作業着のボタンを外す誠の後ろでドアが開く音がした。


「よう、上がりか?良い身分だねえ」 


 そう言うのは菰田主計曹長だった。誠は正直この先輩が苦手である。


 彼の唱える『ヒンヌー教』は部隊の一大勢力ともいえる非公然組織として司法局や他の軍や警察にすら知られていた。教義は『ほのかな胸のふくらみが萌えるだろ?』と言う非常にマニアックで感覚的な言葉である。スレンダー美女を崇拝し、彼らの定義する『萌え』を備えた女性をあがめ奉る宗教である。


 その生きた神がカウラだった。カウラは明らかに嫌がっているが、それを好意と勘違いするほどに彼らの思考回路は歪んでいた。


「そう言えば神前曹長は今日はあまさき屋に呼ばれているんだよねえ」 


 耳まで伸びた油ぎった髪を掻きあげる菰田の言葉に誠は仕方なくうなづく。


「うらやましいねえ、俺もパイロットになれば良かったよ」 


 そう言って上目遣いに見つめてくる態度は先輩のものとわかっていても誠の癪に障った。確かにかなめでなくてもそのまま襟首を締め上げたくなる、そんなことを考えながらズボンをはきかえる。


「まあ、今日はあのクバルカ中佐が主賓だからね。せいぜい失礼を……?」 


 そこまで言ったところで菰田の手が止まる。菰田の視線はドアに向かっている。誠の目に映る菰田が、跳ね上がるように背筋を伸ばすとブリーフ姿で敬礼をした。慌てて誠もドアに視線を移す。


「いいんだぜ、気にしなくてもよー」 


 そこに立っていたのはランだった。


 シャムよりもさらに小柄な、小学校に入ったばかりと言うような体格のランが腕組みをして誠を見つめている。とりあえずズボンのベルトを締めると敬礼をしようとした。


「だから、いいって言ってんだろ?それよか神前……」 


 そう言ってランはいかにも自然に男子更衣室に入ってくる。


「アイシャ奴がパーラの車に分乗する分、カウラの車の席空いてんだろ?乗せてくれるように頼んでくれよ」 


「は?」 


 いかにもばつが悪いと言うようにランは頭をかきながらつぶやく。


「別に良いですけど、直接頼んだらどうですか?」 


 そう言った誠にランは冷めた視線を浴びせる。


「そいつは正論だがなあ……アタシがアイツ等にものを頼むってのは借りを作るみてえで気持ち悪りーんだ。まあ、オメーになら頼みやすいからな」 


 そう言うランを後目に誠はジャケットを羽織ってバックを掴んでロッカーを閉める。


「なるほど、頼みやすいのか。ふうん」 


 突然の声にランは振り向いた。そこにはランをタレ目で見つめているかなめとブリーフ一丁の菰田に思わず目を押さえるカウラの姿があった。


「いやいや、中佐殿、教導官殿を乗せることには自分は全く反対しませんよ。なあカウラ」 


 とりあえず更衣室を出た誠とランにかなめは声をかける。


「まあ、そうだな。私の車でよければ」 


 そう言うと菰田に背を向けてカウラは車のキーを取り出して歩き始める。


「すまねーな。オメー等も疲れてんだろ?」 


 ランは弱みを握られたような引きつった笑みを浮かべる。それをいつものタレ目をさらにまなじりの下がった姿にしてかなめが見下ろしている。


「いえいえ、アタシ等は中佐殿と違って暇を持て余していますから。明日はご予定は?」 


 そう言うかなめに、ランは思わず釣られて携帯端末を取り出す。


「一応、今日じゃなく明日に嵯峨大佐に会うつもりでいたから明日の昼間はまるまる空いてるんだ。夜からは遼北陸軍第二十三混成特機連隊の夜間教導の予定が入ってるけどな」 


 そう言うとランはかなめの顔を見上げた。ランの顔は完全に『しまった』と言う顔をしている。


「それじゃあかなり付き合えそうですねえ」 


 まなじりが下がりっぱなしのかなめを見て、誠も不安を感じていた。だいたいこう言う表情をかなめが見せるときはろくなことが起きない。


 ランは頬を引きつらせながらハンガーの階段をカウラに続いており始める。西達夜勤組の整備班員がランの姿を見て敬礼する。軽く手を上げて答えるランだが、どこかしら不安そうな表情が口元に浮かんでいる。


 階段を下りてハンガーを抜けもうすでに闇夜に包まれようとするグラウンドに出る。空は隣接している菱川重工豊川の出す明かりで煌々と照らしだされていた。二人はそのまま本部前の駐車場に向かう。駐車場にはカウラのスポーツカーの他に茜の高級セダンと吉田のワンボックスが停められているのが見える。それに一回り大きいパーラの四輪駆動車が目についた。


「パーラの奴、まだ残ってるのか?さっきエダとアイシャを連れて出ていったはずだが」 


 そう言うとカウラは自分のスポーツカーの鍵を開ける。


「あいつ等だろ。どっかで遊んでるんじゃねえの?」 


 かなめはそんなことを言いながらさも当然と言うように助手席のドアを開けると狭い後部座席に乗り込んだ。誠も気をきかせてそのあとに続いて後部座席に乗り込む。


「なんだよ。アタシじゃねーのか?そこは」 


「いえいえ、中佐殿にはこのような狭い場所はふさわしくないですから」 


 そう言って笑うかなめを見てカウラは思わずこめかみに手を当てた。


「じゃあ失礼して」


 小さなランが助手席に座った。明らかにその視界はダッシュボードに邪魔されて前が見える状況ではなかった。


「出しますよ」


「頼む」


 カウラの言葉に申し訳なさそうに呟くランを見てかなめが吹き出しそうになるのをぼんやりと見ながら誠は車が動き出すことで動き出す景色を眺めていた。

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