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「まあ、いいじゃないか。キリンは別に優勝賞品目的で大会に出ていたわけじゃないだろう?」
一通り愚痴を言い終えてやや疲れた様子のキリンに、辛抱強く付き合っていたロイが優しく語りかける。
「大会に優勝できたってことは、晴れて免許皆伝、自由の身になれたってことだろ?」
「まあな。と言っても、これといった目的はないからな。よかったら俺もロイの新たな旅についていっていいか?」
「ああ、もちろん。俺とキリンの仲だろう?」
「助かる」
二人は意思を確認し合うと、互いの拳をぶつけ合う。
こうして、ロイの旅に新たな仲間が加わった……かのようにみえたが、
「ぶげばらぼぁ!?」
目の前にいたはずのキリンが、意味不明の言葉を発しながら突如として目の前から姿を消した。
「えっ、キ、キリン!?」
物凄い勢いでゴロゴロと地面を転がるキリンに、事態を飲み込めないロイが腰を浮かそうとすると、
「ふむ、汝が勇者か。救世の旅が終わっても、修練は欠かさず行っているようじゃな」
何処から現れたのか、キリンと同じ黒の道着を着た童女がロイの体をベタベタと触りながらブツブツと呟いていた。
「ほう……これは面白い鍛え方をしている。あやつめ、良い弟子に巡り合えたようじゃな。ほほう、これはオスとしても中々……」
「あ、あの……」
全身を舐めまわすように触りまくる謎の童女に、困惑した表情のロイが話しかける。
「ちょ、ちょっと止めてもらえませんか? っというか、あなたは誰ですか?」
「ほうほう、儂のような童に対しても決して驕ることなく、丁寧な口調で話しかける度量。益々気に入ったぞ」
満足いったのか、童女は何度も深く頷くと、ようやくロイの体を解放して自己紹介をする。
「突然の無礼、失礼したな。儂はミコトという者で、武術を嗜んでおってな。一応、無影流という流派の総師範代を務めておる。
「えっ、無影流ってことは……」
「うむ、あそこで倒れている馬鹿の師匠をしている者じゃ。勇者よ。こうして会うのははじめてじゃな」
「あっ、はい。はじめまして。ロイと申します」
キリンの師匠を名乗る童女、ミコトの登場に面喰ってしまったロイだが、どうにか差し出された手を握り返す。
差し出されたミコトの手は、少女特有のきめ細かさとみずみずしさ、そして握れば押し返してくる柔らかさがあった。
本当に、こんな童女が無影流の総師範代で、キリンの師匠なのだろうか? そんなロイの疑問が顔に出ていたのか、ミコトは愛らしい笑顔を見せながら疑問に答えてくれる。
「フフフ、儂の容姿に驚いているようじゃな。これは無影流の奥義を極めた者だけが扱える秘伝中の秘伝でな。体の細胞を若返らせ、見た目をも変えるものじゃ。今は童女の格好をしておるが、これでもお主の五倍以上は長く生きておるよ」
「ごば…………そ、そうなんですか」
いまだに信じられないが、ミコトが嘘を吐いているとも思えないので、ロイはこの話は一先ず置いておくことにする。
「そ、それより、一体どうしたのですか? 突然現れてキリンを問答無用で張り倒すなんて……」
「余りにも酷い所業じゃと?」
「はい……」
ロイが素直に頷くと、
「うう……」
ミコトは体を縮こまらせ、肩を小さく震え出す。
一体、何事かと思ってミコトのことを注視していると、
「偉い! あんな馬鹿な奴にそこまで同情してくれたのは、お主がはじめてじゃ!」
感極まったのか、涙を流しながらロイに抱きつく。
「おい、馬鹿弟子よ! 聞いたか? これが、人としての正しいあり方じゃ。それに引き換え、お前という奴は口を開けば文句ばかり言い、人に嫌われることばかりする。そんなんじゃから、武道大会で優勝しても誰からも祝福されないのじゃ……一体、何処で躾を間違えたんじゃろうな!」
「…………」
ミコトが倒れているキリンを叱責するが、意識がないのか、キリンは微動だにしない。
「フン、まだ意識が戻らぬか。まあいい、それで、キリンを折檻した理由じゃったな。それは躾じゃ」
「しつけ……ですか?」
「うむ、あ奴の礼節を欠く姿勢のせいで、儂は先程までガトーショコラ王から直々に苦言を呈されていたのじゃ。わかるか? この巣立ちを楽しみにしていたら、見事に裏切られたどころか、要らぬ恥までかかされたのだぞ?」
「それは……ご愁傷様です」
落胆の色が隠せないミコトに、ロイはそう言うだけが精一杯だった。
「……まったく、密かに見守ってあ奴が一人前になっていたら自由の身にしてやろうと思っていたのに、これでは全て台無しじゃ」
「えっ、それじゃあ……」
「うむ、悪いが先程の話しはなかったことにしてくれ。儂はこいつを再教育しなければならないからな」
「はあ……わかりました」
師匠がそう決めたのならば、異論はなかった。
「悪いがキリン、そういうわけだから……」
ロイは倒れているキリンへ、一緒に旅をするのは無理だと伝えようとするが、
「あれ?」
ついさっきまでキリンが倒れていた場所に、キリンの姿はなかった。
一体、何処に行ってしまったのだろうか? ロイが小首を傾げていると、
「奴め……儂が来たのを知って、逃げおったな」
すぐ隣から思わず火傷してしまうのでは、と錯覚するほどの熱を感じ、ロイはその場から思わず後退る。
すると、そこには怒りに身を焦がすミコトがいた。
立っているだけで汗が次々と出てくるほどの圧倒的な力を目の当たりにして、ロイは彼女の言葉が全て真実だったと悟る。
そんな余りの変容に身を引いているロイに、ミコトは一瞬だけ笑顔を見せると、
「すまぬ勇者よ。また今度、ゆるりと言葉を交わそうぞ」
そう言って地面を蹴って去っていった。
その速さは、とても人のものとは思えない速度で、瞬きを数回するより早く地平線の彼方に消えて行った。




