理性院カシギの武器
火山の中腹に穿たれた洞窟は、通常のそれのような冷感ある空気とは無縁だ。ぐつぐつと煮える溶岩の熱が暴力的に空間すべてを支配している。その度合いは深くへと潜っていくにつれて強くなっていった。
炎のダンジョン地下三階。
オレとシャーミルは、魔族用の近道を使用して最深部のボス部屋に辿り着いた。
溶岩池の中央に浮かぶ孤島のような円形の舞台。
落下防止のためか壁と舞台の間には金網が張ってあるが、それで真下に満ちた溶岩の熱が封じられるわけもない。
城が一つすっぽり入りそうなほど広大なドーム空間が、陽炎に揺らめいていた。
勇者はすでにダンジョンの攻略を再開しているらしい。ここに来るまでにはまだ少し時間があろうが、準備は早いに越したことはない。
準備――具体的には、ここの本来のボスに話を付けることだ。
「今だけここの番人を彼に任せてほしいのです」
「…………」
交渉にはシャーミルが当たっている。
オレはてっきり四天王たるシャーミルの権限を使えば交渉など要らないと思っていたのだが、どうも管轄が違うらしい。
ダンジョンボスの人事権は『元帥』と呼ばれる四天王に一任されているとのことだ。
シャーミルが相対しているのは武人めいた鎧をまとった人型の魔族だった。
髪や肩などに真紅の炎を飾りのように棚引かせており、一見で属性を判別できる。
二メートル近くもある大柄の武人は、シャーミルの言葉を目を閉じて静かに聞いていた。
腕組みをして微動だにせず、起きているのか寝ているのかも判然としない。
シャーミルの交渉は、交渉とは名ばかりの単なる要求だ。
魔王の死はまだ他の四天王にすら伝えていない重要機密であると言う。そうそう簡単に明かすわけにはいかないのだ。
(とは言え、もう少し説明がないと交渉にならんだろう……)
そう思いながら後ろで聞いていたのだが、オレが口出しした所で意味はない。黙っているしかなかった。
シャーミルの要求を聞き終えた武人は、静かに瞼を開く。
「……要望は解った。神子殿、貴殿が言うからには、何か意味があることなのだろう」
めちゃくちゃなことを言われているのに、ずいぶんと落ち着いた返答だ。なかなか話のわかる人物らしい。
と思った瞬間、武人の切れ長な目がこちらを見た。
「しかし、私とて元帥バラドー様より直々にこの場を任された身。いくら神子殿の要望とは言え、そう易々と――それもただの人間に守護領域を明け渡す訳には参りませぬ」
「そこを何とか、とお願いしています」
まるで感情が籠もっていない。シャーミルの無感情な喋り方はいつものことだが、それでメリットもなく無理を通してくれる者はいまい。
仕方なく、オレは前に出た。
「武人よ、オレからも無理を承知でお願いする。オレとしてはここでなくとも良いのだ。一つ前の部屋で、前座として勇者と戦わせてくれるだけでも構わん」
「……そもそも貴様は何者だ。どこの誰とも解らぬ上、何の力もないただの人間。そのような者を、自らの領地に置いておくと思うか」
「然りだな。正しいのは貴様だ」
惚れ惚れせんばかりの正論だ。こちらには微塵たりとも大義がない。
悪いのはボスになるくらい簡単だと思っていたオレか。ならば仕方がない。自分の尻拭いは自分でしよう―――
腰の袋に右手を突っ込んだ。
所蔵された無数のアイテムの中からその柄を掴み、抜き放つ。
赫々たる溶岩に照らされるのは白銀の剣。柄に華美な装飾を施された一本の宝剣。
その美しき輝きを瞳に映し、シャーミルがオレの肩を掴んだ。
「何をしているの。こんなことをしに来たんじゃ―――」
「下がっていろ、シャーミル。……もののついでだ、お前の心配も取り除いてやろう」
シャーミルを腕で押して下がらせる。
四天王が一人たる神子はわざわざオレが守らねばならないほどヤワではないだろうが、彼女に手を出させてしまっては意味がない。
宝剣を素振りしたオレを見て、武人は不快げに眉を潜めていた。
「何のつもりだ、人間」
「交渉は決裂した。ならば次は闘争だ。違うか?」
眉間に皺が刻まれる。不快感がそこに煮しめられていた。
「『何の力もないただの人間』でなければいいのだろう? それを示すにはこうするのが一番だ。貴様としても、オレをくびり殺してしまえば煩わしい厄介事は消えてなくなる。お互いに得のある選択だと思うがな」
「言葉を弄するな。人間の舌先には魔族以上の魔が宿る――元帥様の教えだ」
しかし、と。
眼光鋭くオレを睨み、武人は腕組みを解いた。
「その思い上がりは正さねばならぬ。勇者でもないただの人間如きが、私をどうすると?」
「心配するな。少し物分かりが良くなってもらうだけだ」
「は! ―――よく言った」
武人の全身を炎が覆った。
真紅の中に揺らめくシルエット。それが徐々に形を変え―――巨大化していく。
「くびり殺すと言ったか? 笑止! 我が前にあっては人間など蟻に等しい! 蟻をくびり殺すことなどできまい―――踏み潰すのみよッ!!」
膨らみに膨らんだ炎が消え去った時、そこにいたのは黒曜石の巨人だった。
漆黒の巨躯は高さにして一〇メートル。関節部からは真紅の炎が苛烈に噴き上がり、その怒りのほどを主張している。
眼窩に嵌まるルビーのような赤い瞳が、暴力的な眼光でオレを見下ろしていた。
それを見返して、オレは感嘆する。
「でかいな。魔族はこんなこともできるのか」
「そんなことを言ってる場合……!?」
シャーミルが声を荒げた。
「早くどいて! 私が大人しくさせるから―――」
「下がっていろと言ったはずだ」
断つように強く言って、オレはさらに一歩踏み込む。
黒曜石の巨人が放つ熱は溶岩のそれより強烈だ。そのたった一歩で、産毛が燃えそうなほどに肌が焼けた。
「案じてくれるのは嬉しいが、ここはオレの出番なのだ。出しゃばらないでもらおうか」
「何を言ってるの……! レベル1しかないただの人間のくせに、ボス級の魔族相手にどうやって―――」
「ただの人間ではない。オレは理性院カシギ――殺しても死なない男だ」
告げ、右手に握る宝剣を巨人の顔に差し向ける。
「さあ、手早く始めるとしよう。このような寄り道に割く時間はあまりないのでな」
黒曜石の巨躯から遠雷の如き声が返った。
「口振りは立派だが、その棒切れ一本で何ができようか」
「急くな。すぐに見せてやる」
「よかろう! ならばとくと見せよ―――この一撃を防げるものならなッ!!!」
漆黒の巨人が雄叫びを上げ、黒曜石の拳を振り上げる。
それがもし火山弾だったとしたら、家屋の一棟や二棟は簡単に微塵と化すだろう。人間一人に放つにはあまりにも大きすぎる。
―――だが。
受けるオレに多くは必要ない。
ただ手に握った宝剣を―――拳に、向けるだけ。
隕石めいた豪拳が放たれた。
オレは動かない。一歩たりとも動かない。
振り抜かれた拳は、宝剣の切っ先に当たり――――
「―――え」
「……? ――――ッッ!?!?」
――――熱風が、オレの髪を撫でた。
熱い。しかし叩き潰されるよりはマシだろう。
オレは目の前で起こったその光景を、当然のものとして眺める。
黒曜石の拳は、宝剣の切っ先に当たった瞬間―――
―――爆発したかのように、弾け飛んだ。
「が、―――ァあぁアアアぁ!?」
「おっと。そんなナリでも痛覚はあるのか。悪いことをしたな」
悶絶する巨人を見て申し訳ない気持ちになる。無機質な姿だからそういうものはないのだと思っていた。再生能力でもあればいいのだが。
「きッ、貴様―――貴様貴様貴様ッ!! 何を……何をしたァ!!」
「何もしていない。貴様の拳がこの剣に負けた―――それだけのことだ」
「莫迦な……!! その剣にそんな威力があるはずがない!! 貴様は一度、その剣を素振りした! それほどの威力を秘めるのならばあの時、一体どれほどの風圧があったか……!!」
「ほう。存外に目端が利くな。その通りだ。この剣は何も斬らない時や、人間を相手にする時は普通の剣と何ら変わる所がない」
もう一度素振りしてみせる。ヒュン、と軽く音が鳴るだけで、巨人の拳を打ち負かすほどの威力は欠片も感じられない。
「だがただ一つ例外がある。貴様のような巨大生物を相手にした時のみ、この剣は無類の威力を発揮するのだ。剣の銘は『マウンテン・イーター』―――対象が重ければ重いほど威力を増す剣だ」
体格差ほど戦闘の行く末を決定づけるものはない。多くの格闘技が体重によって階級を分けているのがその証左だ。
この剣は、本来は有利に働くはずの重量を逆手に取る―――ただそれだけの力しか持たない武器。
それ以外の状況では、装飾過多で使いにくいせいでむしろ普通の剣より役に立たない。
「重ければ重いほど威力を増す剣、だと……!?」
黒曜石の巨人が、オレの手にある剣を恐れるように一歩後ずさる。
「な、何故だ……! 貴様は私が変身する前にその剣を取り出した!! なのに何故、狙い澄ましたように私の対策を――――まさか……!!」
ルビーの瞳がシャーミルに向いた。
彼女の代わりにオレが首を振る。
「違う。シャーミルからは貴様のことなど何も聞いていない。わざわざ聞かなくとも一目瞭然だ、貴様がそのような姿になることなど」
「な……何ィ……!?」
「壁を見ろ」
オレはドーム空間のかなり上のほうを指差した。
「あんな高い所に、溶岩で溶けたような跡がある。何か重量のあるものが溶岩に落ちて、高く飛沫が上がったのだ。だがここの壁に岩塊が剥がれ落ちたような跡はない。……となると、一体何が落ちたのか?」
壁を指していた指を、黒曜石の巨人にスライドさせる。
「このダンジョンには生活空間がない。推測するに、貴様、普段はその姿で溶岩の中に住んでいるのではないか? 壁に残った飛沫の跡は、貴様が溶岩に飛び込んだ際に生まれたものだ。であれば、巨大化するにしろしないにしろ、貴様の重量は相当なものでなければならない。……まあ」
城が一つすっぽり入りそうなほど広大なドーム空間の中央で、オレは小さく肩を竦めた。
「巨大化するのでもなければ、こんなに広い空間は不必要だろうがな」
ドズン! と。
黒曜石の巨人が膝を突く。
「…………敗北していたと、言うのか。戦いを始める前の時点で、すでに」
オレは『マウンテン・イーター』を肩に担いだ。
「続きをやるか? 人型に戻ればコイツは無力化するぞ。まあその時は他の武器を出すがな」
「……不要だ。今の一合で、私と貴様の格付けは完了した」
潔い。姿は真っ黒なゴーレムであっても、心は武人のままか。
「要望通り、この場は貴様に任せよう。私はしばし休息を取り、力を磨き直すことにする―――」
ぐらり、と巨人が後ろに傾き、壁際の金網を破って溶岩に落ちた。高く飛沫が上がり、壁の部分部分を溶けさせる。溶岩の中での眠りが、ヤツにとっての休息であり修行なのだろう。
見上げたヤツだ。あれほどの武人が敬意を示す元帥とやらのことが少し気になってきた。
振り返ると、シャーミルが呆れたような目でこちらを見ていた。
「腰にあるその袋……ずいぶんと便利なのね」
「中に入っているアイテム類がな。これ自体は見た目よりたくさん物が入るだけの袋だ」
「それがあったから自信満々だったってこと……」
「オレは人間だ。道具に頼らねば異世界の怪物連中とは渡り合えん」
最初こそ大変だったが、今は色んな世界で集めた道具のおかげで実に快適である。
「でもレベル1には変わりないのよね……。本当に勇者と戦って大丈夫なの?」
「案ずるな。オレは殺しても死なない男だ」
「……はいはい」
シャーミルはなぜか白けた表情になった。
こいつ、さては信じていないな。
さて、思ったより時間を食ってしまった。
準備と言うほどの準備は必要ないが、対勇者戦に向けてコンセンサスを取るくらいはしておいたほうが―――
思考が中断した。
息を止める。五感を研ぎ澄ます。
オレの目は意識する前に、入口の大扉に吸い寄せられていた。
シャーミルが不審げにこちらを見る。
「どうしたの?」
オレは答えた。
「姿を隠せ、シャーミル」
「は?」
「来る」
それでシャーミルにもわかったようだった。
彼女は入口とは反対にある扉に走っていった。本来はボスを倒さねば開かないその扉はシャーミルをあっさりと通し、再び堅く閉じられる。
直後だった。
ズゴゴゴゴ―――と重い音を立てて、入口の大扉が開く。
入ってきたのは、一人の少年だった。
年齢は十六~七歳だろう。農村でリアカーを押していても何の違和感もない木訥な雰囲気を纏っている。
らしいのは身に着けた鎧とマント、腰に佩いた剣くらいで、他には特筆する所がない。
鍛えているのか、鎧から覗く身体は筋肉質で、強いて言えばそれくらいか。
少年が入ってきた大扉が、大きな音を立てて閉まる。
そいつは、それからオレの存在に気付き、目を剥いた。
「君は―――」
何か言いかけて、オレが持つ宝剣と床に散らばった黒曜石――すなわちボスの残骸を目にし、注意深げに眉間に皺を寄せた。
「君は……誰だい?」
気の細そうな、しかし芯の通った声。
無数の異世界を渡ってきた経験が告げる。
その声には、英雄に特有のオーラが宿っていた。
「それを知る必要はない」
オレは答え、『マウンテン・イーター』を袋の中に突っ込む。
そして入れ替わりに、別の剣を取り出した。
服と靴、他の装備は最初から身に纏っている。
陽炎に揺れる群青のコートに、鞘に納まった長剣を吊るした。
靴は雪の日に使うような武骨なブーツで、見た目に反して羽のような軽さだ。
左腕には小ぶりな盾が取りつけてあり、溶岩に照らされて鈍色に光っていた。
鞘から長剣を抜き放ち、大扉の前から動かないそいつに向ける。
「通りすがりのモブ敵だ。―――だから勇者よ、気兼ねなく来い」
こうして。
オレこと理性院カシギと、魔王を倒す使命を帯びた勇者は、初めて対面したのだ。