理性院カシギの買い物
翌日になった。
シャーミルに用意してもらった部屋は豪華でもなければ質素でもない。おそらく使用人用の部屋だろう。
だがありがたいことに時計がある。オレも現代人の端くれとして、時計がないと落ち着かないタチなのだ。
大きめのベッドから起きたオレは、柱時計と自分の懐中時計の時刻を一秒の狂いもなく合わせる。
懐中時計は古き良き手巻き式だ。異世界で電池が切れると困るのであえてアナログにしているのである。
それから身支度を整える。
甲に宝石が嵌まった革手袋と、ベルトに下げている布袋。ここまではいつも通りだが、服は少し考えなければ。あまり目立つべきでないことを考えれば、清潔感を重視するのがいいだろう。
自分の格好を確認し、「これでよし」と呟く。
今日はデートである。
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魔王城のエントランス中央には、大きな魔法陣が描かれている。
いわゆるワープポータルだ。魔王が作ったという一点もので、出口となるポータルがある場所ならどんなに遠く離れていても一瞬で移動できるというすこぶる便利な代物である。
「魔王が作った……ということは、もう新しく作ることはできないのか?」
「……そういうことになるわ。魔力装置の製造は、魔王様だけの特権だったから」
「ふむ……」
魔族にとって魔王の崩御がどれほどの痛手か、だんだん身に染みてわかってきた。
魔界から勇者のいる人界までは遠い。
遠慮なく魔王が遺した恩恵に与ることにして、オレはシャーミルと共に人界までワープした。
この世界に来て初めての外出がワープとは味気ない話だが、致し方あるまい。
人界は、非常に清々しい場所だ。
魔界は常に黒雲が空を覆っているから、外に出てもあまり気分が晴れない。比べてどうだ、この青空は。肌を撫でる風、土の混じった匂い、踏み締めた地面の柔らかさ。いずれもコンクリートだらけの現代日本では味わえないものだ。毎朝全裸で日光と風を浴びる習慣があるオレも大満足である。
「ここはリアンの町だよ」
自然を謳歌していると、町の入口にいた町民がまるでここでそう言うだけの仕事を何十年も続けているかのような淀みのない発音で教えてくれた。そうか、リアンの町か。
「……ちょっと」
「ぐえっ」
襟首を強く引っ張られる。
息を詰まらせながら振り返ると、シャーミルが帽子の下からこちらを睨み上げていた。
「なんで町なんかに来てるの。ダンジョンのボスになるんじゃないの?」
朝の目抜き通りは雑踏で満ちている。
無数の人々が忙しなく行き交う様は現代社会にも共通する光景だが、こちらのほうがどこか柔らかな印象だ。
「何、時間潰しだ。勇者がダンジョンを攻略するまでもう少し時間がかかるだろう? それまでずっと薄暗いダンジョンの最深部でじっとしていろとでも言うのか?」
「それは……そうだけど」
「オレはまだこちらの世界に来たばかりなのだ。こういう日常的な光景を見ておくのも悪くはあるまい―――おっと」
近くを馬車が通った。巻き上がった砂埃を被らないよう、シャーミルの手を取って引っ張る。
砂埃は避けられたが、不意打ちだったのか、引っ張られたシャーミルがバランスを崩した。勢い余って、オレの腕の中にすっぽりと収まる。
むむ! 鳩尾の辺りに見事な弾力―――これは持論なのだが、異世界に行く一番のメリットは、ブラジャーという概念がないこと(が多いこと)だと思うのだ。
「大丈夫か?」
などと考えているのはおくびにも出さず、帽子を被った頭に声をかける。
この帽子はツノを隠すためのものだが、あどけなさを残した可愛らしい顔が見えにくくなるのでオレはあまり好きではない。町娘っぽい変装は実にオレ好みなのだが。
シャーミルはオレを突き飛ばすようにしてパッと離れた。
それから、帽子のつばの奥からちらりとこちらを見て、
「……ありがとう」
そうか細く呟いたのだった。
……ううむ。
「前から思っていたのだが……お前、男に慣れていないだろう」
ぴくり、とシャーミルの細い肩が反応する。
瞳が俯きがちになり、帽子に隠れてしまった。
「いかんぞ、そこまでわかりやすくては。悪い男に引っ掛かってしまうぞ」
「……今まさに引っ掛かってるわ」
「ふはは! 然り!」
その返しができるなら大丈夫そうだな。
「……仕方ないでしょ」
諦めたようにシャーミルは言った。
「そんな機会、なかったんだもの。祭られて、敬われて……普通に他人と触れ合うことすら……」
……昨夜、シャーミルの『神子』という役職について詳しく話を聞く機会があった。
曰く、『神』から『神託』を受け取るのが神子の役目で、頭のツノはそのための受信アンテナのようなものらしい。
『神託』は、魔王軍の采配に直接影響している。
ダンジョンの難易度が段階的に上がっていくのも、勇者の前に現れる魔族が弱いほうから順番なのも、すべて神託で決められたことなのだ。
『神託』では勇者が旅立ってから魔王が倒されるまでの道筋がはっきりと示されているらしい。
それに従った上で運命を覆せ、というのが『神』とやらの思し召しだと言うのだ。
まったくふざけた話だ。
部外者のオレでもこう思うのだから、当の魔族達はもっと理不尽に思っているに違いない。
……ずいぶんと嫌われているのだろうな、シャーミルは。
四天王の一人であるにも拘わらずお付きの一人も伴っていないことからも、その立場は察せられる。
しばらく考えて、決めた。
「よし、シャーミル。オレの手を握れ」
「……?」
反応が鈍かったので、オレのほうから勝手に握った。強引にならず、飽くまでもゆっくりと。
それでもシャーミルの手は驚いたようにピクリと跳ねた。
「今日はこのまま町を歩き回るぞ」
「ど、どうしてよ? こんなの歩きにくい……」
「存外に人が多いからな。万が一はぐれたら右も左もわからないオレが一大事だ。それに、お前の肌は触り心地がいい」
「……スケベ」
「ふふん。どうやら本物のスケベを知らないと見える。とっくりと教えたい所だが、それは次の機会に回すとしよう。さあ行くぞ。行きたい場所があるのだ、案内を頼む」
腕を引っ張って歩き始めると、シャーミルも戸惑いながら足を動かす。
―――ああ、悪い癖だな。またエリアに怒られてしまう。
オレはこの少女を、日本に連れていってみたいと思ってしまっていた。
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魔族の侵攻のせいで人が逃げ込んできているのだろう、妙に人口密度の高い町を歩き回る。
まるで摘まむようではあったが、シャーミルの手も繋がれたままだった。
何だったらこのままずっと歩き回っているだけでもいいのだが、そうは問屋が卸さない。目的の場所を発見する。
「……武器屋? こんな所に来たかったの?」
「ああ。一番の目的だ」
シャーミルを引っ張って店内に入ると、鉄と油の匂いが鼻を刺した。
剣やら槍やら斧やら鎧やら、武器防具の類が所狭しと並んでいる。
オレは奥のカウンターにいる店主らしき巨漢に話しかけた。
「やあ、店主よ、ご機嫌麗しゅう」
「……何の用だい。ウチはデートにゃ向かんと思うがね」
なかなか気難しそうな御仁だ。だがオレもコミュニケーションスキルには一入の自信がある。
華麗なる会話術を駆使し、この町の武器屋がここだけだということと、勇者にも売っている上等な武器の場所を聞き出した。
会話しているうちになぜだかシャーミルが焦り、店主がさらに不機嫌そうな顔になったが些細なことだ。壁際に据えられた棚に向かう。
「……どうしてわざわざ怒らせるような言い方をするの」
後ろでシャーミルが言った。潜めた声には非難の色がある。
「怒らせるようなこと? 言ったか、そんなこと」
「『ここよりいい武器屋はあるか』とか」
それはこの町に他に武器屋があるかどうかを確認するために使った台詞だった。
「『ここの他にも武器屋はあるか』でいいじゃない。喧嘩売ってるとしか思えないわ」
「気難しそうな御仁だったからな。多少刺激的な言い回しのほうがいいと判断したまでだ。なんだお前、人間を怒らせるのが怖いのか? 四天王の癖に―――むがっ」
シャーミルが慌ててオレの口を手で塞いだ。警戒するようにそっと店主のほうを覗き見るが、店主はすでにこちらを見ていない。
小さく息をついて、シャーミルの瞳が俄然オレを非難する。
「不用意に四天王とか言わないで。私にとってここは敵地なのよ。目立つことはしたくないの」
「堂々としていれば良いのだ、堂々と。警戒などしていたら逆に目立つ」
ほれ、とオレが胸を張ると、シャーミルの目は呆れたそれになった。
「あなたくらい堂々とできたら、誰だって幸せでしょうね」
シャーミルの声は綺麗で淡白だが、いつもどこか投げやりだ。やる気のない朗読のようというか。
それでいて感情をわずかに覗かせるものだから自然と惹きつけられてしまう。意識的にやっているとしたら相当の役者だな。
棚の上に展示された武器や防具を一つ一つ確認していく。
武器は長剣が主だが、短剣や鞭、ブーメランまであった。防具は盾や鎧を始めとして、服や靴などの衣服もある。
「どんなに高価でも、店売りの装備じゃあなたのレベルをカバーすることはできないわよ。それに買うなら買うでもっといい場所が―――」
「それはどこにでもワープできるオレ達にとっての話だ。今の勇者の行動範囲ではここが一番なのだろう?」
「……まあ」
それが重要なのだ。それ以外のことはどうでもいい。
壁に掛けられた長剣をしばらく睨んだ。ぶら下がったタグに性能やら値段やらが書いてある―――のだが、この世界の文字なので全然読めん。
「名前と性能を教えてくれんか」
「……鋼の剣。武器装備。攻撃力プラス50。特殊効果なし。値段1800ゴールド」
いかにも不承不承といった感じで、シャーミルは武器の名前と性能、ついでに値段を教えてくれる。
それも嬉しいのだが、身を寄せてくれるのがもっと嬉しい。女性の髪から漂う匂いはいつだってオレを幸せにしてくれる。シャーミルの色褪せた灰色の髪でもそれは同じだ。
同じ調子で、展示されている武器防具の性能を片っ端から教えてもらう。途中、髪の匂いを嗅いでいるのがバレて殴られたが、それはともかくとして。
「ふむ。ここには特殊効果付きの武器はないようだな」
「そういうのはダンジョンの宝箱とかに入ってるの」
「一応訊くが、その宝箱もお前達がわざわざ設置しているのか?」
「……ええ。『神託』がそうなっているから」
さぞ徒労感溢れる仕事だろうな。同情せざるを得ない。
逆に魔族のおかげで冒険できている勇者はまるで道化だ。
「たとえ特殊効果があったとしても、戦闘時以外は効果を発揮しないのがほとんど。武器の強さだって、戦闘時以外は大して変わらないわ」
『装備』は人間と勇者だけに許されたステータス強化手段だ。武器、盾、服、靴、アクセサリーの五種類をそれぞれ一つまで身に着けることができる。
裏を返せば、それ以上身に着けても効果は発揮されない。それが勇者式戦闘のルールなのだ。
それぞれの装備の役割ははっきりしている。
武器は攻撃力または魔攻力しか上げない。
盾と服は防御力または魔防力しか上げない。
靴は敏捷性しか上げない。
アクセサリーには色んなものがあるが、上げられるステータスは精々5までだそうだ。
オレはすべての武器と防具の性能を反芻し、一つ頷く。
そして『鋼の剣』を手に取り、カウンターへ持っていった。
「長居して悪かったな、店主よ。これをもらえるか」
巨漢の店主は退屈そうにこちらを見て、
「……そいつは結構値が張るぜ。ボウズに買えるようなもんじゃねえ」
「おっと、そうか。こっちの金はないんだった」
「何してるの。そのくらいなら私が―――」
「いや、構ってくれるな。オレは女に金を払わせるくらいなら死を選ぶ男だ。少し待て、何か支払いになるものを……」
腰に下げた布袋に右手を突っ込み、ちょうどいいのがあったのを思い出して、それを引っ張り出すとカウンターの上に置いた。
ゴドン、と重い音が鳴る。
「これで足りるか?」
それは、虹色に輝く金属の塊だった。
その輝きを見た瞬間、シャーミルと店主があからさまに目を剥く。
「これ、って……」
「こ……こいつぁ……」
「オリハルコンのインゴットだ。オリハルコンがこっちでどの程度の価値かは知らんが、見ての通り綺麗だからな。宝石としてもそこそこいけるだろう。どうだ、足りるか?」
「た、足りるどころか―――」
「おお、足りるのか! それは良かった。では取引成立だな」
カウンターに置いていた鋼の剣を右手で掴み、腰の袋に突っ込む。
これで用は済んだ。オレは店主に背を向けた。
「お、おい! ちょっと待てボウズ! おめえは―――」
「ああ、釣りは受け取らない主義だ。オレの代わりに経済を回してくれ」
手を振って、オレは歩き出す。
「さらばだ、店主よ。商売繁盛を祈っているぞ。……ん? どうしたシャーミル。行くぞ」
「え…………う、うん」
フリーズしていたシャーミルも無事動き出し、オレ達は武器屋を出た。鉄と油の匂いから解放される。
町の大通りに向かってしばらく歩いていると、シャーミルが思い出したように言った。
「あれ……なに?」
「あれとは……どれだ?」
代名詞で言われてもわからん。
「オリハルコンのインゴットって……値打ち物ってレベルじゃないわよ? 一個で国が買えるって言われてるくらいの伝説の一品で……」
「そうなのか? あと二カートンはあるのだが」
「にかっ……!」
今のシャーミルは珍しく表情豊かだった。
「驚くほどのことではない。あれは他の世界で手に入れたものだ。そっちでは大して珍しくもなく、こっちでは最大級の珍品だった。それだけのことだろう」
その程度のことで驚かれていたら行商人は神になれる。
「…………滅茶苦茶だわ」
「異世界人とはそういうものだ」
「でも、どんなに財力があった所で、あなたのレベルが1であることに変わりはない。どうやって勇者と戦うつもりなの?」
「まあまあ、とにかく任せておけ」
シャーミルは釈然としない顔をしたが、それが何だか楽しかった。