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理性院カシギは女運がいい  作者: 紙城境介
オーバー・ジ・エンドロール ~魔王を殺害した勇者の世界よりも重い罪~
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世界黎明


 闇が迫っている。

 欠片ほどの陽光は稜線の彼方。荒れ果てた丘にただ二人、オレと彼女だけが長い影を落としていた。


「……ずっと、お父さんの声が頭の中に響いてた」


 ぽつりと、地面にこぼすように、彼女は言う。


「生きろ、って。二つの声が、重なるみたいになって……。だから、生きなきゃいけない。命のすべてを使って、お父さんがそう言ったんだから、私は……。―――でも!」


 強い語気と共に、雫が闇に散る。


「頭ではわかってた! そんな方法どこにもないって! 私達がいるのは袋小路で、未来なんて何にもなくて……!

 だから、私が―――やっちゃいけないことをした私が、せめて世界をちゃんと終わらせられるように……!!」


 もう彼女自身、自分が本当はどうしたかったのかなんてわかっちゃいない。

 どういう思考のもと今の自分があるのかなんて、てんで見えちゃあいない。


 彼女は多くのものを見て、知って、背負いすぎた。

 そのせいで、自分すらも見えなくなってしまった。


「―――生きろ、か」


 万感の思いを込めて、オレは彼女がかけられた『呪い』の言葉を反芻する。


 二人の父親に揃って託された、希望という名の呪い。


 そこに悪意は一粒もない。

 魔王は心から娘の幸いを願い、その言葉を残したのだ。


 だが―――魔王よ。

 どんな理由があろうとも、子供に親を殺させてはならんだろう。

 彼女には、貴様しかいなかったのに。


「私なんて、勇者の器じゃなかった!」

 少女の声は、血を吐くように。

「世界なんて背負えない。誰も何も救えない! 私なんてその辺のモブでよかった! 主人公になんてなりたくなかった!

 人形として育てたなら最期まで人形でいさせてよ……!! こんな無責任な人間に、不釣合いな大役押しつけないでッ!!」


「それは違う!!!」


 反射的に、オレは叫んでいた。

 少女はビクリと震え、濡れた瞳でこちらを見る。

 オレは深く息をついて自分を落ち着かせ、言葉を紡いだ。


「……それは違う。お前は、無責任などではない」

「…………どこが?」

 自嘲的な笑みが口元に浮かぶ。

「私のどこが無責任じゃないって言うの。一度はあんたに役目を押しつけようとして、それすらも最後まで待てなくて、手を汚すことすら他人任せで―――こんな私の一体どこが、」

「だったらなぜまだここにいる!!」


 今度は落ち着くことはできなかった。

 理由のわからない激情のままに言葉が溢れ出る。


「お前が無責任な人間だったなら、なぜまだここにいる!! 『アーク』とやらは使えるんだろう。オレが召喚された時点で、本当の異世界からの召喚に成功した時点で! 『アーク』によって異世界に逃げられる可能性は生まれたはずだ!!

 なのになぜそうしなかった!? 責任を感じたからではないのか! この世界を見捨てられなかったからではないのか! 責任を果たそうとしたのではないのか!!」


 望んだわけでもないのに。

 ただそう生まれただけなのに。

 愚直に、純粋に。


「命を狙われるのが怖くないのかと訊いたオレに、お前は『それが自分の役目だから』と答えた。それを聞いて、オレは言ったな。覚えているか!」


――― 綺麗だな ―――


 具体的な理由は、その時はまだわからなかったが。

 確かにあの時、オレはその在り方を綺麗だと思った。


「己が意思で運命を受け止められる強さがお前にはある! あまり見くびってくれるなよ―――このオレが惚れた女が、只者なわけないだろうが!!」


 瞼に溜まった雫が再び決壊して、頬を止め処なく伝っていく。

 少女は右手に持っていた杖を取り落とし、両手を組んで胸を押さえた。涙すら愛おしむように、雫をぽたぽたとその上に落として、


「……あんたの愛は、重い」


 再び、彼女はそう告げる。


「だけど、どうしようもなく心地良くて―――あんたが私のために軍まで動かそうとしてくれた時、思わず、嬉しいって思った」


 口元にはかすかな微笑み。

 数えるほどしか見たことがないその表情を、オレはやはり、可愛いと思った。


「たくさんの女の子があんたについていくのも、何だかわかる気がする。あんたの愛情は、まるで惚れ薬。()()()()()()()()()()()()()()()()()―――」


 オレは聞き続ける。

 その愛の告白を、一文字すら逃さないように。


「だからこそ」


 強く、彼女は逆接した。


「どうして、もう少しだけ薄情でいてくれなかったの。あんたの愛情がもう少しだけ偽物だったなら、きっと今頃―――」


 今頃、元の世界に帰れていた?

 今頃、オレはここにはいなかった?


「―――くだらん。そんなイフはクソ喰らえだ」


 彼女は斬りつけられたように顔を歪めた。


「そんな仮定に何の意味がある。今、オレはここにいるし、それ以外の現在は有り得ない。

 ―――何より、お前が幸せにならんではないか」


 声に込めるのは目一杯の悲しみ。

 そのうちのわずかでも、彼女の心に届くように。


「お前が幸せでいてくれなくては困るのだ。たとえ一方的でも、そう誓ってしまったのだから。

 ……想い人に二度も嘘をつけと、そんな残酷なことを、お前は言うのか?」


「……じゃあ」


 泣いているような。

 笑っているような。

 ぐちゃぐちゃな顔で、彼女はオレを見る。


「じゃあ、やってみせてよ……! 私を幸せにしてみせてよ……っ!! 何年、何十年、何百年! 時間なんてわからなくなるくらいの間、私は幸せになる方法を探してきた! それでも見つからなかった……! 見つからなかったの!!

 ……もう、私にはわからない……。だから、あんたに何かできるって言うなら、やってみせて……! 勇者(わたし)の代わりに世界を救って、私を幸せにしてみせてよっ!!」


「最初から」

 オレは笑った。

「そう言えばよかったのだ」


 濡れた瞳が見張られる。


「幸せにしてみせろだと? 最初から言っているだろう―――元からそのつもりだ!!」


 オレは、ワールド・イン・ガントレットの甲を彼女に見せ、


「お前のターンはすでに終わった。オレの――――ターンだッ!!」




▼コマンド:アイテム(()使()()




 オレと彼女の間に、半透明のウインドウが出現した。

 空にも届かんほど巨大なそれには、無数の文字列がびっしりと連ねられていた。

 それらが、次から次へと、何かに飲み込まれたように消え去っていく。


「え……? 何……? これって、あんたの……どういうこと……!?」


 彼女が愕然と呟いた。

 気付いたのだろう。眼前の文字列がオレの所蔵アイテムの一覧であることと―――そのほとんどを、人名が占めていることに。


「なんで、アイテムに人の名前が……? なんでそれが今、消えて――使われてるの……!?」

「ただ取り出しているだけだ。世界中を回って集めた全人類をな」

「全……人類……?」


 頷いて、オレは説明を始める。


「お前達はたった一つのことを見落としていた。それにさえ気付いていれば、お前達はあっさりと封殺された世界から脱出することができていたはずなのだ。―――すなわち」


 オレはまっすぐ頭上を指差す。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()、頭上を。


()()()()()()()()()()()()()()()という事実だ」

「―――え―――!?」


 虚を突かれた声を上げ、彼女は呆然と夜空を見上げた。


「そん……な……。戦闘空間の中では時間は経たなくて、だから一瞬で―――」

「それは外側から見た時の話だ。中にいる間も変わりなく時間は進んでいる。その証拠に―――」


 新しい服と一緒に取り出しておいた懐中時計を、彼女に見せた。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


――― 柱時計に向かい、およそ二日振りに自前の懐中時計と時間を合わせる。五分ほど進んでいた ―――


「五分と言えば、戦闘中の体感時間ともおおよそ合致する。このことから、ターン制だろうが何だろうが、戦闘空間でも時間は普通に進んでいるのだと確信していた。

 ……だから、発想は簡単だった。戦闘空間の特徴はターン制だが、それはそれとして普通に時間は進んでいるのだから、こちらで暮らしても特に害はない。ならば、みんなして戦闘空間に引っ越してしまえば、めでたく全員解放ではないか、と」


「全員……引っ越す……? 人類ごと……世界を……?」

「そうだ。住処が不便なら引っ越せばいい。至極当然の解決方法だろう?」


 オレだってそうするし、動物だってそうするだろう。何も特別なやり方ではない。


「ただ、実行手段が問題だった。戦闘空間に入れるには対象が一〇メートルの範囲にいなければならない。魔族は連鎖して引きずり込まれていくから近くに全員集めるだけでいいが、人間のほうは無理がある。小さい世界とは言え、全人類を半径一〇メートルに集めるなど不可能だ―――だが!」


 オレは輝きを放つ手袋の宝石を彼女に向ける。


「ご覧の通り、すべてはこの中にある! 何せ時間だけは無限にあったのでな―――()()()()()()()()()()()()()()()()()!! 一人残らず連れてきてやったぞ!!!」


 彼方。

 夜闇が支配した世界に、無数の光の柱が屹立していた。


 その一つ一つが命の輝き。

 背景として設置され、道具として使い捨てられていた彼らは、ようやく生命として再誕し、闇をあまねく駆逐する。


 黎明。


 ここはもう閉じられた(ボックス)などではない。

 蓋は開けられ、壁は取り除かれ、夜は明けた。


 真っ黒なエンドロールが流れても、人生は変わらず続いていく。


「さあ、今こそオレからもこう言おう」


 光を瞳に映した少女に、オレは手を差し伸べた。


「―――()()!! オレ達と共に!!」


 黎明の世界に包まれた少女は、くしゃりと表情を歪める。

 泣くように。

 笑うように。

 しかし、今度のそれは、さっきの顔とは真逆だと、考えなくても理解した。


 彼女はゆっくりと歩を進め始める。

 それは彼女が生まれて初めて踏み出した、未来への歩み。


 同じ時間をぐるぐると回り続けていた彼女が、今、ようやく歩き出すことができたのだ。


 長くはかからなかった。

 彼女がオレのもとに辿り着くまで―――そう、長くはかからなかったはずだ。


 それでも。

 オレは自ら走り出し、彼女を突き飛ばした。


「えっ……?」


 戸惑いの声が耳朶を打つ。だがそちらに気を払う余裕はなかった。




 大量の光の槍が、オレの身体を貫いた。




 衝撃があり、意識が揺れ、身体を傾かせながら、オレは光に満ちた夜空を見上げる。


 そこには、一人の少女が浮かんでいた。


 装飾過多なローブ。

 小柄な体格。

 幼げなおかっぱ頭。

 そして、一本のツノ。


 その姿を見て、オレは時を悟る。

 ―――神判が、始まったのだと。


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