勇者××××の自供 前篇
生まれた時から、私は人形だった。
生きているのではなく置かれているだけ。
動いているのではなく動かされているだけ。
故郷の村は作業場で、周りの人々は人形職人。
旅立ちまでの十六年は、勇者という人形を組み上げる作業時間に過ぎなかった。
楽しい思い出、悲しい思い出。私の記憶にはどちらもない。
私は勇者であり、魔王を倒さねばならないのであり、世界を救わねばならないのだと、それだけが刻み込まれている。
それはどう考えても思い出などではないだろう。
果たして、魔王討伐に向けて旅立った時、私には何の感慨もなかった。
熱烈に送り出されたのを覚えている。
色々と言葉を贈られたのを覚えている。
けれど人形たる私には、そういう人間らしいものを受信する機能が備わっていなかった。
各地を旅し、ダンジョンを攻略し、魔族と戦う日々にあっても、私が人形であることに変わりはない。
次にどこへ行けばいいのか、どうすれば敵を倒せるのか、それら思考を要する障害は、誰かが親切に教えてくれたり、都合よく情報を発見したりすることで自然と突破できた。
そこに私の知能は、能力は、必要だっただろうか。
私には糸が見えた。
私を魔王のもとまで導く透明な糸だ。
かつては飾り付けの置物だった私が、今度は糸に吊られた操り人形になった。それだけのことだった。
幾許かの時を経て、私は魔王と戦い、勝利する。
そうして、真実を悟るのだ。
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「…………え?」
見覚えのある光景だった。
そこは故郷にある自分の部屋だった。物がなくてがらんとしている。人間臭さのない部屋だ。
(どうしてここにいるの?)
(魔王城にいたはずなのに?)
直前の記憶と現在の状況が繋がらない。
夢を見ていたような心地だった。
確かに経験したはずのことなのに、ついさっきまでの魔王との戦いが、急速に幻めいて薄れていく。
自分のステータスを確認した。所有アイテムを確認した。
戦闘空間外でも使える唯一の魔法は、頭の中にそれらの情報を直接もたらしてくれたけれど、結果はさらなる混乱を生むばかりだった。
レベルはそのまま。
アイテムも変わらず持っている。
なのに―――
私は部屋を出て、時間が巻き戻っていることを知った。
何もかもがなかったことになって、あの旅立ちの日まで戻ってしまっている。
何これ?
何これ?
何これ?
混乱しながらも、二度目の旅が始まってしまった。
村人達に送り出され、それとなくばら撒かれた情報に従って魔王城を目指す。
前回の記憶があったから、今度はより早く旅を終えることができた。
けれど、現実が記憶の通りに動くごとに、私は深い恐怖に囚われた。
やはり、夢ではなかったのだ。
私は確かに一度魔王を倒し、そして戻ってきたのだ。
二度目の魔王との戦いは、前より遥かにレベルが高かったせいで圧勝だった。怖気が走るくらいに危険を感じない戦いだった。
最期。
魔王は死する直前に、私の記憶とは違う台詞を言った。
「強く……なったな」
えっ、と。
間抜けな声を漏らしたと同時に、魔王城が崩れ出す。
とにかく私は脱出して、そして――――
「…………え?」
がらんとした、人間臭さのない部屋に、戻ってくるのだ。
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認めることができなかった。
どれだけ戦ってもどれだけ繰り返しても何にもならない、なんて―――そんなこと、絶対に認めたくなかった。
私は戦い続けた。
不必要なほどにレベルを積み上げ、世界で起こるすべての事象を網羅しながら。
レベルはあっという間に三桁を迎え、気付いた時にはまったく上がらなくなっていた。
レベル256―――それが勇者の限界点。
魔物を殺す作業は、ついに唯一の意義すら喪失した。
虚無。
戦いの先には何も存在しなかった。
ただ繰り返すたびに、一本しかないはずの聖剣が数を増やしていく。
アイテム管理魔法が教えてくれるその数が、私にひどい徒労感を植え付けた。
黒かった髪は色褪せ灰色に。
元々乏しかった表情はこそぎ取られるように消えていき、鏡を見るたびにお面みたいだと思った。
すべては茶番。
私は人形だと、そう思っていた。
でも本当に人形だったのは私以外の人達で―――この世界で人間なのは、私だけだったんだ。
……こんな。
こんなことだったら。
人形のほうが、マシだった。
何も考えなくていい、飾られているだけでいい、操られているだけでいい―――人形のほうが、マシだった!
もういやだ。
もういやだ。
もういやだ。
もういやだ。
もういやだ。
もういやだ。
もういやだ。
もういやだ。
もういやだ。
もういやだ。
もういやだ。
もういやだ。
もういやだ。
もういやだ!
私は何もかも放り出し、故郷の村に帰る。
そこで、初めて見つけたのだ。
母親の日記を。
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一読して、すぐにピンと来た。
頭に包帯を巻いた大柄な男。
私に魔力をもたらした原因。
それは、魔王なのではないかと。
かつてない速度で全ダンジョンの攻略を終えた私は、幾度目なのかもわからない魔王との決戦に臨む。
そこで私は、訊ねたのだ。
戦う前に―――
「あなたは……私のお父さん、なの?」
―――と。
少しの沈黙の後、魔王は答えた。
「…………ああ」
低く響いた声は、信じられないくらいぶっきらぼうで。
けれど、今までに幾度となく交わしたどんな会話より、心が宿っていた。
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魔王には、私と同じく周回する世界の記憶が完全に近い形で残っていた。
「どうして今まで名乗り出てくれなかったの?」
「『神託』で禁じられていたからだ」
私が神託の存在を知ったのはこの頃のことだ。
四天王の一人、神子シャーミルがもたらす神託。それはこの世界を作り出した『神』による魔族側への命令書だ。
これがあったから、私は今まで快適に冒険することができていたのだ。
私の中で、神子シャーミルは最弱の四天王という印象しかなかった。
魔力は高いが、その分防御力が四天王とは思えないほど低いから、正直強敵ではない。周回し始めてからは尚更だ。
その彼女がもたらす神託が、魔族の中で最も強い影響力を持っていると言うのだから、首を傾げざるを得ない。
「彼女は文字通り『神』の遣いだ」
魔王は言った。
「事を進めるのなら、彼女の目に触れないようにしなければならぬ」
そうして。
私と魔王、たった二人による、世界解放計画が始まった。
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私が徒労感に暮れながらレベル上げばかりしていた間も、魔王は解決の糸口を探していたみたいだ。
「スクロール、というアイテムがある」
「スクロール?」
「魔法が封じられた巻物だ。それを読むことで習得した魔法は、戦闘空間以外でも自由に行使することができる」
「それって、ステータスやアイテムを確認するみたいに?」
「そうだ。MPを消費することもない。この世界にはたった一つ、スクロールが存在している。危険と判断し、秘密裏に私が回収していた」
魔王は淡々と言って、謁見の間の隠し部屋からスクロールを持ってきて、私に手渡した。
禁呪ルネマ。
他者の姿と能力をコピーできる魔法らしい。
「姿と能力の模倣……? 確かに便利だけど、そんなに危険?」
「今のお前にとっては。……この状況でルネマを使えば、己が何者なのか、それすら忘失してしまう可能性があった」
少しの間を開けて放たれた言葉に、私は呆気に取られた。
「……私のため?」
「…………ん、…………」
「会ったこともないのに、どうして……?」
神託から外れた行動である以上、それなりのリスクもあったはずだ。
しかもせっかく回収しても、周回のたびにリセットされてしまう。
自己の喪失――なんて、あるかどうかもわからない危険のために、どうして……。
「…………責任、だ」
しばらくの沈黙の後、魔王は言いづらそうにそう言った。
「お前は、私の血のために、勇者となった。……たとえ、父親としての役目は果たせずとも……魔王としてなら、できることもあるだろう」
朴訥な、けれど誠実な言葉。
私は、なぜだか喉が詰まって……それ以上の質問を、重ねることができなかった。
父親とか、血とか……そんなの、結局は設定でしかないのに。
記憶なんてただの情報で……この人が実際に、何かしたわけじゃないのに。
けれど、この人は、そういう言い訳ができないのだろう。
設定だからと、情報だからと、自分のことをないがしろにできるような人ではないのだろう。
それすらもが、『神』に定められたただの設定だとしても。
それは、何もかもがハリボテのこの世界にあって、とても尊い在り方だと思った。
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以前と変わらず勇者伝説をループさせながら、私達は新魔法開発の研究を進めた。
戦いをやめないのは、『神』へのカムフラージュの意味合いもあるけど、新魔法開発のためでもあった。
本来は存在しないものを生み出そうという私達の試みは、いわば世界の不備を突くような行為。
空間だけでなく、時間的にもあらゆる可能性を網羅する必要があった。
『神』の監視を掻い潜るため、私と魔王は最終決戦の場―――戦闘空間の中でのみ打ち合わせを行なった。
機会はストーリー一周につき一度。遅々たる歩みだ。
それでも確実に、私達は目標へと進んでいった。
長い年月の末、ついに新魔法の完成が現実的になってきた頃。
決定的な情報を手に入れた私は、一刻も早く魔王に伝えようと神子シャーミルを最速で倒した。
その死に際、
「ワタシは知っています」
普段とはまったく違う台詞を、神子シャーミルが発した。
その直後に、彼女は聖剣の効果で石化してしまったけれど―――そのあまりに不気味な言葉は、ずっと頭の中に反響し続けていた。
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それから程なくして、新魔法――世界間航行魔法『アーク』は完成した。
これでこの世界の外に出ることができる。
そうすればきっと、世界を丸ごと解放する手段だって見つかるはずだ。
何なら全人類をこの魔法で外に逃がしてしまえば……。
けれど、神子シャーミルの言葉を重く見た私達は、計画実行のタイミングについて慎重に吟味しなければならなかった。
勇者である私が聖地で聖剣を手に入れた後、それを迎え撃つために最弱の四天王である神子シャーミルはある城に配置されることになっている。
計画実行はその時にしようと決まるまで、さらに数周の時をかけた。
聖剣を入手した後、私は禁呪ルネマではぐれ兵士に化け、山奥に分け入っていく。
ルネマに比べ、世界移動魔法『アーク』は使用に時間がかかる。
その間に世界を脱するほどの魔力を『神』や神子シャーミルに気取られるかもしれない。
だからなるべく目立たない場所に姿を隠す必要があった。
お父さんも偽情報を流して神子シャーミルを釘づけにしてくれているはずだ。
森林の中にぽっかりと生じた空間に落ち着き、私は『アーク』を発動する。
足元に描かれる魔法陣。それに魔力が充填し、光り輝いて―――
瞬間。
破り裂かれるような音が天上から聞こえた。
空を見上げた直後、今度は地面が強く揺れる。
かろうじて転倒を堪えた私は、空を破って地面に突き立った光の柱が、薄れて消えていくのを見た。
光の柱の根本は、私のすぐ近く。
木々が湛えた闇の奥。
そこから―――
さく、さく、さく、と。
何でもなさそうな足音を立てて。
頭にツノを持った少女が、姿を現した。
「知っていると、言ったはずです」
人間味のない声音が、最後通告を発する。
「神が、ソレを見逃すとでも?」
再び空から破り裂かれるような音が轟き、光の柱が神子シャーミルを包んだ。
光の中で、少女のシルエットが見る見る変わっていく。
巨大な翼が空を覆い、私を真っ黒な影に沈めた。
手足はどこかへと消え、代わりに鋭い蹴爪と大きなくちばしが伸びる。
光の中から現れたのは、純白の頭部を持った鷲だった。
あまりに大きくて、全景を把握できない。
私なんて、その巨大な蹴爪に少し触れられただけでずたずたになってしまうだろう。
怪鳥と化した神子シャーミルは、処刑を宣言するかのように甲高い咆哮を上げた。
音波と衝撃が周囲の木々を薙ぎ払っていく。
私には耳を塞いで吹き飛ばされないようにするのがやっとだった。
(でも魔法は中断されてない! もう少し……もう少しだけ耐えれば……!)
戦闘空間は使えない。あれは時間を止めてしまう。
でも戦闘空間を使えない勇者なんて、ただの―――
暴風を巻き起こし、怪鳥は空へと飛び上がる。
大きく広げられた翼から鋭い刃を持った無数の羽根が顔を出すのが見えた。
直後――――降り注ぐ。
空が落ちてくるかのような羽根の豪雨。
逃しも防がせもしないという絶対的殺意の顕現。
私にはどうすることもできなかった。
魔法『アーク』が間に合わないことを理解し、だからと言って時間稼ぎの手立てもなく―――ただ、見ていることしかできなかった。
私は、ただ漫然と、眼前に迫る死を見つめる。
無数の羽根の一つ一つを、数えられるほどにまでなった時。
それらすべてを遮るようにして、大きなマントが翻った。
「―――え?」
雨と降り注ぐ羽根は、私の身体まで届かない。
私の前に現れた『壁』によって、すべて阻まれていた。
死の雨が終わる。
突然現れたその人は、身体中を巨大な羽根に貫かれながら、しかし倒れることはなく。
肩越しに私へと視線を送って、微笑んだ。
「生きろ」
怪鳥が再び甲高い咆哮を迸らせ、羽根嵐の第二波を放つ。
その人は決して膝を屈することはなく、それすらもすべて阻み切ってみせた。
血を散らせながら。
苦悶を呑み込みながら。
足元の魔法陣がより強く光り輝く。
『アーク』の発動準備が整い、高まった魔力が空間に穴を空ける。
強力な引力が、私をその穴に引きずり込もうとした時。
私は、目の前の大きな背中に向かって。
初めて、呼んだ。
「お父さ―――!!」
言葉は終わることなく。
断ち切るようにして、存在が転移された。




