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理性院カシギは女運がいい  作者: 紙城境介
オーバー・ジ・エンドロール ~魔王を殺害した勇者の世界よりも重い罪~
30/38

繝励Ο繧ー繝ゥ繝縺九i縺ョ蠢懃ュ斐′縺ゅj縺セ縺帙s


 終わりかけの黄昏に固定された世界を、オレは旅した。

 魔王城を出て、荒野を延々と歩き、何日もかけて幾つもの町や村を過ぎる。


 人界は巨大な山脈の向こう側。

 トンネルはなく、回り道もできず、雲に突き刺さらんばかりに聳える険峻な山々を命懸けで越えた。


 雲に近い場所から人界を見下ろすと、草木は茂り、空は青く、魔界とは何もかも違っている。

 隣の芝は青いと言うが、これは事実として青い。侵略したくもなるだろう。


 人界に入ったオレは、前にシャーミル――女勇者と共に訪れたリアンの町を含め、様々な町を片っ端から回った。


 人々は、誰もが凍ったように静止している。

 まるで人形でできた玩具の町だ。

 なのに、不気味なことに喧噪だけは耳に届いてくる。誰も喋っていないのにだ。

 人に話しかけてみると、一応答えは返ってくるのだが、よく見ると口が動いていない。恐ろしさしか感じられなかった。


 以前会った武器屋の店主もまた同じだった。

 前に会った時のことを言ってみても、オリハルコンのインゴットをどうしたか訊いてみても、返ってくるのは定型句。



「武器は装備せんと意味がないぞ」

「武器は装備せんと意味がないぞ」

「武器は装備せんと意味がないぞ」



 ……頭がおかしくなりそうだ。

 いや、もうおかしくなっているのかもしれない。

 オレはとっくに頭がどうにかなっていて、だからこんなにも不条理な世界を彷徨っているのかもしれない。


 オレが気付かなかっただけで、この世界は最初からこうだったのか?


 いいや、違うはずだ。少なくともあの武器屋の店主は、オレとまともな会話をしてくれた。

 こうなったのは、魔王が死んで、勇者が死んで、世界を動かすエンジンに当たるものが壊れてしまったせいだ。


 今は同じ言葉を繰り返すロボットにしか見えなくても、彼らだって生きている。

 ……生きている、はずなのだ。


 だから、彼女は背負おうとしたのだろう―――本来は無関係な、こちらの世界まで。


「……………………」


 ……世界が停まってからと言うもの、爪が伸びない。

 髭も、髪も、同様に。


 よく異世界に召喚されるオレは、当然、帰る手段も毎回準備している。だが今はそれが使えなかった。

 この分ならば、女勇者が持つ世界移動魔法も使えまい。


 この停まり切った世界の中で、老いて死ぬことさえ許されず、永遠に彷徨うことになるのだ。


 ―――世界のどこかにいる、彼女もろとも。


「…………させるものか」


 会話がしたい。

 話し相手が欲しい。

 そんな飢餓感を無理くり飲み込んで、オレは歩き続ける。


 夕日はまだ沈まない。






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 定型句しか返さない人々から根気強く情報を集めていると、ある場所のことがしばしば話に上った。


 聖地。

 聖剣が眠る場所だと言う。


 人界における勇者の冒険の目的地でもある。つまり、この世界の重要な場所だ。

 聖剣には個人的な興味もあって、足を向けてみることにした。


 エルフでも住んでいそうな雰囲気の森を深く分け入っていく。

 しばらくすると木々が途切れ、石造りの神殿が現れた。


 ひと気はなく、まるで遺跡のようだ。

 誰が管理しているのか、劣化している様子はない。

 ……いや、そもそもこの世界自体、勇者が旅立った瞬間に生まれたものなのだ。管理も何もあるまい。


 中に入る前に周囲を一通り回ってみると、一体の魔族が梢に紛れて神殿を見張っていた。

 当然、停まっている。オレに気付くことはない。


 コイツ、もしや、勇者がここに来るかどうか見張っているのだろうか。


 だとすれば、勇者が聖剣を手にしたかどうか、コイツの上司は把握していたことになる。

 誰なのか知らんが、そいつは魔王の死体を見た時点で聖剣が複数あるのに気付いていたのだな。

 あの時、勇者はまだ人界を旅していた。聖剣は魔王に刺さっている一方で、この聖地にも眠っていたはずなのだから。


「まあ、カツメイなのだろうが」


 独り呟く。

 会話の相手を失い、すっかり独り言が癖になっていた。


 何か知っていそうで、かつ、すべては知っていない。合致するのはカツメイだ。

 アイツもアイツで、世界について色々と調べていたのだろう。


 古い割には頑健そうな神殿に、オレは入っていく。

 これまた妙に綺麗な神殿の中を進んでいくと、首が痛くなるほどデカい石の扉に行き当たった。


 石の扉には、何行かの文章が刻まれている。

 持って回った言い回しで解読に苦労したが、要するに聖剣の効果について書いてあるようだ。


 一つ。

 四天王や魔王など高位の魔族は不死の力を持っている。

 二つ。

 如何なる方法をもってしても、彼らを死に至らしめることはできない。

 三つ。

 彼らに対抗するためには、聖なる剣の力によって封印するしかない。

 四つ。

 聖剣は人間に対してはただの剣だが、魔族の血には強く反応し、これを石化させる。


「なんだ……そうなのか」


 読み終えて、オレは拍子抜けした。

 この文章を額面通りに受け取れば、聖剣には魔族の不死能力を無効化する力はない。ただ魔族の血に反応して石化させるだけのものなのだ。


「だったら……」


 人界を適当にフラついている間になんとなく手に入れた、なんだか綺麗な石を三種類かざすと、ゴゴゴゴゴゴ―――!! という神殿が崩れそうなほどの轟音を立てて、石の扉が開いていった。


 奥は、六角形の広い空間。

 天井のステンドグラスから光が降り注ぎ、中心にある台座を照らしている。


 その台座に、剣が突き刺さっていた。


 見覚えがある。

 柄の拵え、刃の輝き―――どれをとって見ても、魔王や四天王達の胸に突き刺さっていた、あの剣だ。


 一応、引き抜こうとしてみた。

 当然抜けない。この剣は魔力を通さなければ決して抜けないのだ。


 この剣は、魔族には触れることすら叶わない。

 しかし、魔力がなければ使うことはできない。

 ゆえに、唯一の魔力を持つ人間である勇者にのみ使用することができる。

 そういう話だった。


 ……だが、ここにも一つ謎がある。

 そもそもの話、なぜ勇者だけが魔力を持っているのか?


 ―――見逃すな。きっと無駄は一つもない。

 すべての謎が、答えへの道しるべだ。






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 聖地を後にして、最寄りの町の宿に入った。

 宿屋の主人も停止しているので、勝手に部屋を占拠するだけである。


 空いていそうな部屋を探していると、客室を掃除中らしい看板娘を発見した。


「ふむ……なかなか」


 その容姿を一通り見分して、一つ頷く。

 顔立ちは整っているし、優しげで包容力のある雰囲気で、何よりおっぱいが大きい。動いてさえいたら口説いていただろう。

 だが実際には、こうして間近でじろじろ観察していても瞬き一つしない。


「…………」


 ……今までは、状況の異常さから考えもしなかったが。

 ある意味この状況、男の夢と言えるのではあるまいか。何をしても気付かれないのだから。


「しかしなあ……触っても反応がないのではつまらん」


 個人的には、頬を染めるなり可愛い声を出すなり怒るなり、何がしかの反応がないと面白くない。残念ながら人形遊びの趣味はなかった。


 とは言え、気になることはある。

 凍ったように固まったこの状態……おっぱいは柔らかいのだろうか?


「試してみよう」


 思い立ったが吉日。少女の大きな胸を右手でむんずと掴んでみた。


 ふむ。手の平と指に余す所なく伝わってくるこの感覚、紛れもなくおっぱい。

 しかし、しまった。手袋を着けっ放しではないか。揉むなら揉むできちんと楽しむのが礼儀―――


「!?」


 その時、思考が止まった。

 右手に嵌めた革手袋――『ワールド・イン・ガントレット』には、左手の『絶撃の籠手』と同じく甲に宝石が嵌まっている。


 それが、ぶるっと振動したのだ。

 少女の胸を掴んだ瞬間に。


 ワールド・イン・ガントレットで物体を異相領域に収納するためには、対象の一部または全部を()()()()()必要がある。

 思えば、世界が停まってからというもの、この手袋を嵌めたまま人間の身体を握ったことはなかったかもしれない。


 ……あるいは、忌避していたのか。

 こうなることを、無意識に直感して。


 ワールド・イン・ガントレットは()()()()を無限に収納する道具だ。そして『アイテム』の定義は世界によって異なる。同じものでも収納できる世界とできない世界があるのだ。


 甲の宝石は収納可能か否かを識別するためにわざわざ改造して付けたものだ。

 震えれば可能で、震えなければ不可能―――つまり。


「…………失礼」


 一応、断りを入れ。

 少女の胸を掴んだまま―――『収納』のパスワードを、頭の中で呟いた。


「……………………」


 恐れていた事態。

 そう言ってもいいだろう。



 少女は、オレの目の前から跡形もなく消え去っていた。



 オレは『ガントレット』の甲に嵌まった宝石を軽く二回叩く。

 すると、宝石の上に半透明のホログラム・ウインドウが現れた。これで収納したアイテムの名称と詳細を確認することができるのだ。


 ついさっき収納されたアイテムの名称が、リストの一番上に表示されている。

 それは、一見して異彩を放っていた。


 何せ、それだけが人名なのだ。


 指でその名前をタップすると、簡単な説明が表示される。

 どこどこ町のなんとかインで働く看板娘。何々が好きでうんちゃらかんちゃら。

 紛れもなく、さっきまでオレの目の前にいた少女だ。


 もはや疑うべくもない。

 この世界では、人間すらもが道具に過ぎない。勇者と魔王の戦いの物語を設定する、ただの舞台装置なのだ。


 気味悪さと胸糞悪さが同時に込み上げてくる。

 だが、頭の端にいた冷静な自分は別のことを考えている。


 アイテム化された人間はどういう状態にあるのか?


 収納したばかりの少女をすぐに取り出した。

 アイテムの取り出しは、パスワードと名称がわかってさえいれば簡単だ。


 再び目の前に少女が現れる。

 相変わらず停止したままだ。特に異常はなさそうに見える。


「出し入れ自由、というわけか……」


 それにしても、本当に気味が悪い。この調子では大陸や空さえもアイテム扱いされているかもしれない。

 ワールド・イン・ガントレットは巨大すぎるものは収納できないから、だとしても関係はないだろうが。


 オレは再び宝石から所蔵アイテムリストを呼び出す。

 この手袋は、アイテムの収納の他に名称看破と詳細分析の力も併せ持っている。

 だとしたら―――


 オレは、次の目的地を決めた。






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 再び巨大山脈を越えて魔界に入り、荒野をずっとずっと歩き続けて、魔王城まで戻ってきた。


 停まった世界での旅が始まって何ヶ月になるだろう。

 懐中時計はあるが、太陽が停止しているせいで時間感覚はひどく曖昧だった。


 だからなのか、久しぶりに戻ってきた魔王城は懐かしくもなんともない。バラドーが壊した壁や天井に、なんとなく物寂しさを感じるだけだ。


 エントランスに入って、まずはヤーナイの死体に歩み寄る。

 石化した手首を、ワールド・イン・ガントレットを嵌めた右手で掴んだ。


 甲の宝石が震える。

 収納可能だ。


 ヤーナイと出会った直後のことを思い出す。

 あの時、オレはコイツの胸を思いっきり掴んだ。ワールド・イン・ガントレットは、あの時も嵌めていたはずだ。

 なのに、あの時は反応しなかった……。


 この状況が原因か。

 おそらく、あの時は『何者か』にガントレットの力がブロックされていた。

 だが、時間が停まったことで『何者か』はこの世界に干渉することができなくなった……。


 召喚された時、真っ白な空間で向き合ったシルエットのことが、自然と思い出された。


「ともあれ、今はこっちだ」


 物思いを打ち切り、ヤーナイの収納を行なう。

 目の前から石化した美女が一瞬で掻き消えた。

 アイテムリストを呼び出して、ヤーナイに当たる文字列を確認する。


『大臣ヤーナイ(石化)』。


 ただ、そう記されていた。


「……そうか」


 そっと、左手を右手の『ガントレット』に添え。

 オレは呟く。


「そうか……」


 ああ―――よかった。

 本当に、よかった……。


 へたり込みたい衝動を抑えて、オレは動き出す。

 次はカツメイが近いだろう。


 聖地に行った時から推測はしていた。

 魔族を石化させて封印する―――それが聖剣の力なら、アイツらは、まだ死んではいないのではないかと。


 今、その仮説は立証された。

 もしヤーナイが死んでいるのだったら、アイテムとしての名前は『大臣ヤーナイ()()()』になっているはずだからだ。


 封印を解く方法さえ見つかれば、コイツらは助かる。

 彼女が背負った罪を、一つ、下ろしてやれるのだ。


 城中を回り、カツメイ、グイネラ、バラドー、そして本物のシャーミルを『ガントレット』に収納した。死体になっている者は一人もいない。


 だが、謁見の間の魔王だけは、収納することができなかった。


 ……魔王は、勇者と同じくこの世界の核だった。

 何せその不在が、世界停止のトリガーを引いてしまったくらいだ。

 他の者達とは違い、『舞台装置』ではない。だからアイテム扱いではないのだろう。


 この分なら、男勇者のほうも同じ結果に終わるに違いない。

 ……いずれにせよ、奈落に落ちたアイツを回収する方法はないのだが。


 仮に封印を解けたとしても……ヤーナイ辺りは、酷く悲しむだろうな。


 オレは謁見の間で、石像となった魔王に一礼する。

 勇者の敵役を幾度でも演じ続け、あの気難しいヤーナイをまるで乙女のように惚れさせた魔族の王。


 一度くらい、貴様とも言葉を交わしてみたかった。






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 オレは世界を巡る。

 何週間も、何ヶ月も、何年もかけて。






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 あらゆる町に行った。

 あらゆる人間に会った。

 あらゆる魔族に会った。






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 世界の果てにも辿り着いた。

 そこには不可視の壁が隔たっていて、世界を完全に囲っていた。

 時間的にも空間的にも閉じられた、箱庭の世界。

 人形達は、自分の不自由を理解しない。






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 世界を巡る中で、オレは情報を少しずつ集めていった。

 ある場所に関する情報だ。

 割と早めに場所の特定は済んだが、他の場所を回るのを優先した。






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 そして。


 行ったことのない場所がなくなり。


 会ったことのない人間がいなくなり。


 会ったことのない魔族がいなくなった頃。


 オレはようやくそこに足を向ける。






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 その場所に、名称はなかった。


 ただ、勇者の村、とだけ呼ばれていた。






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 聞いていた通り、そこは寂しい村だった。

 深い深い山の奥に、ひっそりと築かれた隠れ里。家屋のほとんどは掘っ立て小屋みたいな簡素なもので、怖気が走るほどに個性がない。


 本当に、これの一つ一つに違う人間が住んでいるのだろうか?

 そんな疑問を起こさせるほど、この村からは住民の顔が見えなかった。


 没個性な家屋を一つ一つ調べていく。

 中には確かに住民がいて、夕方だからか、台所にいる者が多かった。

 当然、誰も彼もが凍ったように停止している。


 一通り調べ終えた後、奥まった場所に一風違う建物があったことに気付いた。


「神社……か?」


 風情は似ている。境内めいた広い空間に、祭壇めいた大きな建造物。さすがに鳥居はないが、扉の上に付けられた飾りは注連縄を思わせる。


 木製の観音開きを開けて、中に入った。

 宴会場のような空間がいきなり広がっている。どうやら土足厳禁らしく、オレは三和土で靴を脱ぎ、中に上がった。


 何の儀式に使うのか、やたらと広い空間の奥には、さらに部屋があるらしい。

 それが、どうも穏やかではない。

 オレには、座敷牢にしか見えないのだ。


 大きな床の間のような空間が、木製の格子の向こうに見えている。

 クッションが一つ置かれていて、後ろの壁には入口らしき扉があった。


「……まるでショウウインドウだ」


 ここに在るべきはマネキンであって、決して人間ではない。しかし……。


 その座敷牢の横にはさらに奥に続く扉があり、オレはそちらに入る。

 廊下を歩いていくと、ささやかながら生活空間があった。

 台所、便所、寝室―――リビングやダイニングなど、団欒できるような空間はない。


 寝室は二つあったが、どちらにもまるで生活感がない。(うまや)だってもう少し個性があろう。

 だが不思議と、どちらがアイツの部屋なのかは察せられた。


 ……ここに住んでいたのは男のほうだ。

 しかしきっと、彼女の部屋だって変わりはすまい。


――― 祭壇なのよ、あの村は ―――


 他の家でもそうしたように、オレは寝室の中を調べていく。

 アイツの部屋からは特に何も見つからなかった。

 空振りに終わる予感を抱きながら、もう一つの寝室――おそらくはヤツの母親の部屋を調べてみると、


「これは……」


 文机の引き出しから見つかったのは、一冊の本。

 日記帳だ。

 オレは机の上にそれを広げ、中身を読み込んでいく。

 日記は、ある男と出会った時のことから始まっていた。




 今から十七年も前のこと。

 その男は、ある時ふらりとこの村に現れた。


 大柄の、頭に包帯を巻いた奇妙な男だったそうだ。

 怪我でもしているのかと村民は心配したが、そういうわけでもないらしく、男は頭に包帯を巻いたまま、半年ほどこの村に滞在した。


 その間、何をしていたかと言えば―――

 この日記の主と、恋に落ちていたのだ。


 男がふらりと去ってしまった後、日記の主は子供を産んだ。

 子供は、人間にも拘らず魔力を宿していた。


 村民はこの子こそ勇者であり、男は神の御使いだったのだと信じた。

 母親である日記の主も同様に。


 以来ずっと、日記の主はこの建物の中で、子供を立派な勇者にするための教育を続けているのだと言う。




「……なんてことだ」


 こんな所にも……オレがいる。

 建物の中に閉じ込められ、わけのわからない理由で教育を強いられる……ここに描かれた『子供』は、そっくりそのまま、オレと同じだ。


 なのに。

 なのにアイツは―――



――― それが私の役目だから ―――



 開いた日記帳のページに、ぽたり、と雫が落ちた。


 なんて、強い。

 なんて、哀しい。


 そして―――なんて、綺麗なのだろう。


 あの時得た感想を、今一度、確かな形で捉え直す。


「ああ……―――ああ、くそ!」


 オレはお前の名前を知らない。

 今こそ口にしたいのに、オレはまだ、お前を呼ぶこともできない。


 それでも、胸に渦巻くこの気持ちは本物なのだ。

 推理や証明の必要なく、光速よりも揺るがず強く。

 逃避でもなく代替でもなく―――ただ、ただ。


 オレは袖で目元をこすり、日記帳を閉じる。

 日記は五年ほど前の日付で止まっていた。

 その付近の記述を読むと、どうもその頃に病没してしまったようだ。


 だから、彼女に残されていたのは―――


「…………そういう、ことなんだな」


 虚空に向かって、確認するように呟く。


 オレには、もう全部、わかってしまっていた。


「これが……お前の、罪か。こんな――こんな、重いものが」


 世界なんてお題目より。

 勇者なんてお仕着せより。

 ずっと……ずっとずっと、重い罪悪。


 こんなものを、独りで背負っていたのか。

 こんなものを―――独りで背負わされたのか……!!


「……馬鹿者が。……馬鹿者がッ……!!」


 拳を握り締め、歯を食い縛り、今一度、強く強く思う。


 終わらせてやる。


 彼女を潰そうとするものすべて。

 彼女を封じようとするものすべて。


 このオレが、この手で。






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 神社のような建物の裏に、森の奥へと続く細い道が伸びていた。

 そこをずっと歩いていくと、やがて木々が途切れる。


 小高い丘だった。


 緑色の芝が、風に撫でられてざわめいている。

 夕日と月が同居する空の下に、灰色の墓石が規則正しく並んでいた。

 どうやら墓地のようだ。


 オレは墓石の間を抜け、黙々と丘を登っていく。

 丘の先は、崖だった。

 転落防止用の柵があり、その手前に一つ、ぽつんと、祭り上げられるように孤立した墓石がある。


 その前に、一人の少女が立っていた。


 背中まで届く灰色の髪が、涼しい風に靡いている。

 不必要だからかプレストプレートはなく、青系統のワンピースに武器となるロッドだけを佩いていた。


 少女の背後、一〇メートル以内に入った辺りで、オレは立ち止まる。


「シャーミル」


 あえて、そう呼びかけた。

 オレはずっと、彼女のことをそう呼んでいたからだ。


「私は、シャーミルじゃないわ」


 背中を見せたまま、彼女は答える。


「ならば本当の名を教えろ。いつまでも『女勇者』では味気ない」

「…………何をしに来たの?」


 オレは口元を歪める。


「言っただろう」


 昨日とも百年前ともつかない、世界が停止したあの瞬間に。


「オレはまだ―――お前を、口説き落としてはいないぞ」


 少女がゆっくりと振り返り、灰色の髪が夕焼けに軌跡を引いた。

 見慣れたようでも懐かしいようでもある顔が、夕の紅と夜の紺に色づいている。



 こうして。

 一瞬ぶりに。

 あるいは、百年ぶりに。


 オレ達は、再会した。



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