The Ennnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnn
夕日は、すでにその下半分を稜線に隠している。
終焉の底へと沈もうとする太陽を背に、シャーミルはようやく、薄い唇を開いた。
「どうして……わかったの?」
跳ね橋の袂と袂。
魔王城の内と外で、オレとシャーミルは対峙している。
底無しの奈落に架かった丸太の橋。
その差し渡しこそが、今のオレ達の距離だった。
「勇者がグイネラの部屋に隠れていたと知った時、初めてお前のことを疑い始めた」
それでも届くように、オレははっきりと言う。
「ヤーナイの死体を発見した時、お前はグイネラを呼び出し、バラドーの無事を確認しに行かせた。グイネラに仕える立場としては少し不自然な行動だ。
だがまあ、気が動転していたのだと言われればそれまで。実際、オレはその説明で納得した。
……だが、勇者がグイネラの部屋に潜んでいて、一刻も早くカツメイになりすまさなければならなかった状況だったとあっては、話はだいぶ違ってくる。
勇者をカツメイの部屋に行かせるためには、グイネラを先にエントランスに行かせるわけにはいかなかったのだ」
グイネラの部屋からカツメイの部屋に行くためにはエントランスを通る必要がある。
ゆえに、グイネラを部屋から出しつつも、エントランス以外の場所に誘導しなければならなかったのだ。
「共犯者の存在自体は元から自明だった。最初は城に大勢いた小間使いの誰かだと思っていたが―――実際は、お前だったわけだ」
シャーミルは無言でオレの視線を受け止める。
まるで、すべてを受け入れようとするかのように。
「そこに加えての勇者の様子だ。ヤツは魔王が死んでいることを知らなかった―――つまり、犯人ではないのだ。
前に言った通り、魔王を殺した犯人は勇者でしか有り得ない。なのにあの勇者は犯人ではなかった―――これはどういうことか?
……考えるまでもないことだな」
聖剣が複数本?
魔王をも屠る常識外れのステータス?
そんなのは些末事だ。本当に気付くべきだったのは、本当の『世界の秘密』は―――
「―――勇者は、二人いる。男と女、一人ずつ」
一人は、たった今石化して死んだ勇者。
もう一人は―――跳ね橋の向こう側に立っている、禁呪ルネマで神子シャーミルに化けた女勇者。
そうだ……彼女はシャーミルではない。
オレが神子シャーミルだと思っていた女は、最初から、シャーミルなどではなかった。
オレはまだ、彼女の名前すら知らないのだ。
「…………それだけじゃ」
無言で聞いていたシャーミル改め女勇者が、か細い声を発した。
「それだけじゃ、根拠が薄弱だわ。そこの勇者が、魔王様を殺したのを忘れていたのかもしれない。まともな状態じゃ、なかったし」
それは言い逃れではない。
何もかもを聞こうという意思だ。
……彼女は、罪人としての責任を果たそうとしているのだ。
「いいや、それは有り得ない」
その意思に応じ、オレも語る。
「他にも魔王を殺したのが男勇者ではないという根拠はある―――魔王のログに残されていたダメージだ」
魔王が最後に受けたのは通常攻撃による425のダメージ。
これと魔王の防御力800を計算式に代入して攻撃者の攻撃力を計算すると―――
「魔王を殺害した者の攻撃力は、1250。対して男勇者の攻撃力は、カツメイ殺害時点で1401だ。
実に150もの開きがある。150もの差を埋めるには、男勇者の場合、平均で22もレベルを上げなければならない。何もかもに飽き飽きしていたあの勇者が今更レベル上げに勤しむとは思えん」
そして、もう一つ重要な情報がある。
「魔王城の最上階で、今までに下された神託を見た。その中に、勇者のレベルアップ時ステータス上昇値というデータがあった―――男女両方のな。
それによると、女勇者のステータスは男勇者に比べて、MP・魔功力・魔防力が上がりやすく、HP・攻撃力・防御力が上がりにくいらしい。
……そう、女勇者は、男勇者より攻撃力が低いのだ」
それが魔王のダメージログに表れた攻撃力の違いの正体。
魔王を殺した勇者が男ではなく女だという説に繋がる手掛かりである。
「でも」
女勇者は淡々と逆接の言葉を紡いだ。
「だから私がそうだということにはならないわ。どうして私が、本物の神子シャーミルだと思わないの?」
「本物のシャーミルの死体を見つけた。ログも確認したから間違いない」
「禁呪ルネマがログにまで影響するのかもしれない」
「だとしても。……オレと一緒にいたほうのシャーミルが偽物だという証拠がある」
無表情だった顔が、少しだけ驚きを表す。
コイツは、気付いていなかったのだ。オレはそれを二度にも渡って確認した。だがコイツの頭からは、そのことがさっぱり抜け落ちていたのだ。
「今朝――まだ今朝のことか。オレとお前は同じベッドで寝たな」
「……ええ。朝起きたらあんたの寝顔が目の前にあった」
「そのベッド、部屋のどこにあったか覚えているか」
「戸口から見て左側の壁際―――」
「そうだ。カツメイの部屋がある方角の壁際だ」
シャーミルの姿をした女勇者は怪訝げな顔をした。
「さて、ここで一つ、お前に報告をしよう。―――カツメイの死体は、戸口から見て右の壁際にあった」
「……っ!!」
無表情が驚愕のそれになる。
……やはり、彼女は気付いていなかった。
「カツメイが死んだのは魔力探知の燭台の炎が消えたあの時ではない。ヤーナイが殺されるよりも前、夜も更けた時間―――すなわち、オレとお前が同じベッドで仲良く眠っていた時のことだ」
そして、とオレは続ける。
「戦闘空間は、対象となった魔族からさらに半径一〇メートル以内にいる魔族を自動的に巻き込む仕様になっている。その仕様を危険視して、各人の部屋は最低一つ間を空けて配置したわけだが―――
残念ながら、あの部屋は八メートル四方で、壁も薄い。カツメイの死体があった位置からなら、二つ隣の部屋でもベッドだけはギリギリ範囲に入ってしまう」
そしてカツメイが殺された時、オレのベッドにはシャーミルがいた―――
「お前が魔族だと言うなら、どうして翌朝何事もなかったかのように目覚められた? そうだ、あの日、朝起きて元気にオレを縛り上げられたことが、お前が魔族ではなく人間だという証拠なのだ」
人間―――厳密には、魔力を持った人間。
禁呪ルネマは、言わばこの世界のシステムである戦闘空間までは騙せなかった。
「とは言え、それだけならまだ疑問の介在する余地はある。カツメイが殺された瞬間だけ、たまたま寝ぼけてベッドを離れていた可能性もないとは言えん。だからカツメイの死亡時刻がわかった時点では疑わなかった」
女勇者が視線を俯ける。
それは罪悪感か。徹底的なまでに彼女を疑わなかったオレに対しての。
「だから、もう一度確認した。と言っても、バラドーの死体の位置と、オレ達があの時隠れていたクローゼットの位置を確認しただけだがな。
結果……やはり、一〇メートルの範囲に入っていた。なのにお前は戦闘空間に巻き込まれなかった……。
あの時、逃れようもなく、オレは確信したのだ。魔王を殺したのはお前だと」
だから告げた。
オレは知った、と。
「……だが、まだ完全にはわかっていなかったこともあった」
俯いた視線がわずか上がり、前髪から瞳を覗かせる。
「お前は勇者だ。聖剣を使うことができ、戦闘空間を展開できる。
……だが、お前は一体どこから来たのか? 勇者は言わばこの世界の中心。二人もいては邪魔でしかないはずだ。
その疑問への答えを……神託の間であのスクロールを発見した時、完全に理解した」
あのスクロール。
オレを召喚した魔法が封じられたスクロール。
世界間移動魔法のスクロール。
「お前は、平行世界から―――勇者が女だった可能性の世界からやってきたのだな」
女勇者は無言のまま、オレの指摘を受け入れた。
勇者という存在には、もともと二つの可能性があったのだ。
すなわち、男と女。
神託によって齎されたデータにも、勇者が男の場合と女の場合、二つが用意されていた。
その事実が、オレに女勇者を核とした平行世界の実在を確信させた。
この世界は二重構造になっている。
男勇者を核とした世界と女勇者を核とした世界。
そしてその間を移動する方法が、女勇者側の世界で生み出された。
だから男のほうの勇者はその技法の存在を知らなかったのだ。
荒唐無稽にも思えるが、決して有り得ない話ではない。
事実として、オレという異世界の存在を召喚しているのだから。
平行世界への移動くらい、むしろできて然るべきだろう。
「本当に…………何もかも、お見通しなのね」
溜め息をつくように。
諦念を込めた声を、女勇者は発した。
直後、その身体が光を放つ。
光で曖昧になったシルエットが、その形を変えていった。
小柄だった身長が少しだけ伸び、ツノが引っ込んで髪が伸びる。
ゆったりとしたローブが消えて、代わりに大きなマントが風にはためく。
光が消えた時、そこにはもう、シャーミルはいなかった。
もともと本物のシャーミルに似ていたのか、それとも雰囲気のせいか、顔つきはあまり変わったように見えない。
相も変わらず端整で、強いて言えば少し大人びたか。
髪色は変わらず、色褪せた灰色だった。
しかし前よりも長くなり、おかっぱだった髪型が背中まで届くロングになっている。
服装は、青系統のワンピースの上にブレストプレート。
足にはニーソックスと武骨なブーツを履いている。
腰に巻いたベルトには杖のようなものが吊るしてあり、剣士と言うには軽装なのも相まって、傭兵稼業の魔法使いといった風情だった。
「それが、本当のお前か」
「……うん」
声色は、変わった。
しかし、どこか投げやりな、何にも期待を持たないような乾いた響きは、変わらない。
彼女もまた、戦ってきたのだ。
男の勇者と同じように、旅立ちから魔王討伐までの日々を、何度も何度も何度も何度も。
「本当に、ごめんなさい」
女勇者は、唐突に頭を下げる。
「あんたを、ここまで付き合わせるつもりはなかった。……本当に、ここまでしてくれるなんて、思わなかった」
「……一つだけ、訊きたいことがある」
女勇者はゆっくりと顔を上げた。
「お前の行動は矛盾している。犯人は自分のくせに、オレを召喚して魔王殺しの手段を調べさせた。その一方で勇者を魔王城に招き、四天王やグイネラを殺させた。……お前は結局、何がしたかったのだ?」
推測はある。察してはいる。
だがそれだけは、本人の口から聞きたかった。
そうでなければ、わかったことにはならないと思ったのだ。
「…………自分でも、よくわからない」
肘を掴み、自分の身体を締めつけるようにしながら、彼女は言う。
「どうにかしたかった。どうにかして、この世界から抜け出したかった。長い、長い時間をかけて新しい魔法を開発して……それでも無理で」
回顧の声は、苦みに満ちて。
「まだ諦められなくて、足掻いて、足掻いて、これならって方法をようやく考え出して……それでも、失敗した」
瞬間。
ふっと、女勇者が微笑んだ。
「そんな時に、あんたが現れたの」
その微笑は、やはりおかしくなりそうなくらい魅力的で……だが今は、狂おしいほどの寂しさに満ちている。
「あんたを見た瞬間に……何もかもを見飽きた私が、あんたっていう新しさの塊を見た瞬間に。不意にね、魔が差したの。この人ならどうにかできるんじゃないか、私じゃなくてこの人が、って」
……何が魔が差した、だ。
行き詰まっている所に新たな可能性が現れて、期待しないはずがないではないか。
そんなのは、当たり前の感情だ。
「それでも、いきなりすべてを打ち明ける勇気は私にはなかった。その瞬間、あんたがパッと消えちゃうんじゃないかって気がして……」
長い長い時間の中で、彼女は幾度となく感じただろう―――この世界を天から見下ろす『神』の存在を。
このような袋小路の世界をあえて設計した、絶対的上位の権力を。
彼女はそれを恐れているのだ。
だから、目の前の希望に安易に飛びつくことができなかった。
……その瞬間、せっかく見出した希望を奪われるように思えて。
「だから、あんたに調査を依頼した。魔王のことを調べていけば、必ず私に―――この世界の真実に辿り着く。もし自力でそこまでできる人なら……もう、任せてしまおうって」
「任せてしまえばいい」
とうとう耐え切れず、オレは口を挟んだ。
「任せてくれたら良かったのだ! 一人で背負い込まず、このオレに! なのにどうして……どうして、待ってくれなかったのだ……!! 先に諦めてしまったのだ!!」
握り締めた拳が震える。
悔しさで身体がはち切れそうになる。
もう少しだけ待ってくれていれば。耐えてくれていれば。オレはきっと、何らかの手段で真実に辿り着いた。
そうなっていれば―――きっと、今日の事件は起こらなかった……!!
「……ごめんなさい」
やめろ。謝るな。
「でも、思ってしまったの。私は何をしてるんだ、って。人になんか任せないで、私がどうにかするべきだろうって。それが……私の責任だって」
「ふざけるな! 何が責任だ!」
一歩踏み出し、心の限り叫ぶ。。
「お前はもう限界だったんだろうが! その責任すら負い切れずに、だから実行犯を男のほうの勇者にやらせたんだろう!! 連中を安らかに眠らせてやるために――――世界を完全に終わらせるために!!」
再び、少女は微笑む。
それは、戦って、傷付いて、戦って、傷付いて。
心をすり減らしにすり減らし続けた果てに。
何もかも、完全に、一つ残らず―――
―――希望を捨ててしまった者の、諦念の笑みだった。
「せめて、あんたを元の世界に帰してあげたかった。あんたには待ってる人がいるんだから……その人の所に、ちゃんと帰してあげたかった」
「お断りだ。帰るならお前も一緒だ。この世界すべてを見捨ててでも、お前だけは助けてやる……!!」
「あんたは、絶対そう言うと思った。だから、その愛は重いの。
私は―――世界を見捨てて幸せになれるほど、強くない」
そして。
ちっとも嬉しくない笑顔で。
彼女は、到底認められないことを言う。
「信じてあげられなくて―――ごめんなさい」
――― ねえ、信じさせてよカシギ ―――
――― 私に貴方の愛を信じさせて! ―――
……くそ。
くそ。くそ! くそっ!!
終わらせてやるものか。
このまま! 何もかも! 終わらせてしまうなど―――オレは、絶対に認めない!!
床を蹴った。
跳ね橋を渡り、彼女のもとへ駆け寄ろうとした。
だが。
その寸前に。
地面が―――揺れた。
「っ!?」
でかい。さっきのものよりさらに!
出鼻を挫かれ、オレは跳ね橋の上に転倒する。
その直後だった。
―――ミシ、ミシミシ……ッ!
跳ね橋を構成する丸太が、強烈な揺れに悲鳴を上げる。
亀裂があっという間に走り―――
―――バキバキャバキボキバキッ!!
という凄絶な音を立てて、真っ二つに折れた。
オレは慌てて橋の上を転がり、魔王城の中に戻る。
真ん中で断ち折れた橋は、闇が沈殿する奈落へと落ちていき―――
石化した勇者を道連れに、暗黒に紛れて消え去った。
依然として続く強烈な揺れの中、オレはどうにか立ち上がって名も知らない女勇者を見据える。
橋はすでになく、深々と刻まれた奈落が、オレ達の間を隔てていた。
「―――さあ、こんな誰も幸せにならない世界は、もう終わりにしましょう」
震撼する世界の中で、少女は斜陽の空を仰ぐ。
「世界の核である勇者が、魔王の不在という致命的欠陥を認識したことで、終焉が始まった」
彼女の背後で、血のように赤い夕日が稜線に沈んでいく。
「主人公はもう疲れたの。……だからこの物語は、ここでおしまい」
ゴゴゴ―――ゴゴ―――ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ――――!!!
世界が揺れる―――悲鳴を上げる―――断末魔を弾けさせる!
「ふざけるなッ……ふざけるなあああああああああッ!!」
限界まで崖に身を乗り出し、オレは叫んだ。
世界の悲鳴に負けないように。断末魔を捻じ伏せるように。
「オレはまだ!! お前を口説き落としてはいないぞッ!!」
――― たとえ世界が終わろうとも ―――
――― 必ずお前を幸せにしてみせる ―――
オレはそう誓約した。
この口で、しかとお前にそう言った!
オレは嘘をつく。誤魔化しもする。隠し事をすることもある。
―――だが!
決して!
誓約を違えることはないッ!!
「……馬鹿ね」
最後の瞬間。
くすり、と。
ただの少女のように、彼女は笑った。
「もうとっくに、落とされてるわよ」
そして、終焉の時は来た。
沈みかけていた夕日が、
欠片ばかりの陽光を残し、
――――――ビガッッ!!!!
という致命的な音と同時に―――
停止、
した。




