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理性院カシギは女運がいい  作者: 紙城境介
オーバー・ジ・エンドロール ~魔王を殺害した勇者の世界よりも重い罪~
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異形の慟哭


 エントランスに転送されたオレは、辺りを見て眉間に皺を寄せる。

 酷い有様だ。床には凄惨な爪痕が網目のように刻まれ、花壇の花は一本残らず踏み潰されている。壁が瓦礫となって崩れ、食堂が見えていた。


「シャーミルはどこだ……?」


 行ける場所はそう多くない。走って探せばすぐに―――

 その時。



「―――ォオォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォ!!!!」



 咆哮か、慟哭か。

 もはや判別がつかない。それは、知性なき怪物の絶叫だった。


 ……あちらか。

 オレは食堂の反対側にある観音開きを見る。


 エントランスの南隣にある、食堂と同等の大きな空間。

 今までは用がなかったが、そこに何があるのかは知っている。

 礼拝堂だ。


 オレは荒れ果てたエントランスを歩き、礼拝堂の扉の前まで行く。

 木製の観音開きにはやはり深い爪痕があり、中の様子が少しだけ覗けていた。


 警戒しながら、片方の扉だけ開けていく。

 そして中に踏み入った瞬間、発見した。


 教壇の上。

 神を表しているのだろう偶像の下。

 そこに、真っ黒な怪物が佇んでいた。


 二メートル半に及ぶ巨躯。

 背には鷲の翼。

 トカゲの尻尾が長くうねり、手足も爬虫類のそれ。

 顔はどちらかと言えば猛禽に近く、鋭いくちばしから牙が覗いていた。


 未だ二足歩行でいるのが奇妙に思える。

 それほどまでに、今のバラドーは怪物的だった。


 見上げんばかりの巨体が、ゆっくりとこちらに振り返る。

 牙の間から、唸るような声が漏れた。



「――――よく―――も――――」



 よくも。

 その一言だけで、勇者のヤツがバラドーに何をしたのか想像できる。


「よくも―――よくも―――よくも―――よくも―――よくも―――よくも――――――――――――グイネラ様、ヲ―――――――――――――勇者ァアアアアアアアアアァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァアアアアアアアアアアアアアアアアアアア莠域悄縺帙〓繧ィ繝ゥ繝シ縺檎匱逕溘@縺セ縺励◆!!!!!!」


 音の体を成さない衝撃が礼拝堂に吹き荒れた。

 元は長椅子だったらしき木っ端が盛大に散る。


 巨体が砲弾のように打ち出された。

 オレに向かって一直線。今のバラドーには、目に映る何もかもが勇者に見えている……!!


 左手を突き出した。

 そこには『絶撃の籠手』が嵌まっている。物理攻撃を無効化するこれならば……!!


 甲に嵌まっている宝石が煌びやかな光を放ち、直後、バラドーの大砲めいた突進が激突した。


「ぐッ……!!」


 押される。一〇センチほど。

 だが、止まった……!!


 オレは右手の『ワールド・イン・ガントレット』を握り込む。

 一本の長剣が拳の中から伸びるようにして出現した。


(悪く思うなよ―――!)


 返す刀で、オレは手にした長剣でバラドーの首の辺りを斬りつける。

 黒ずんだ血しぶきが噴き出し、まるで加工でもされているような悲鳴が迸った。


 深追いはせず後ろに下がる。

 バラドーはうずくまって悶絶していた。

 しかし、確か―――


 オレは見る。

 バラドーの首元に深く刻まれた傷。人間ならば太い血管を真っ二つにしていただろうその傷が―――見る見る内に、塞がった。


 そう、オレは最初に聞いたのだ。

 高位の魔族はみな不死身。聖剣でなければ殺すことはできないと……!!


 再び立ち上がったバラドーが、威圧的にオレを見下ろす。


 一応、その事実は安心材料でもある。

 シャーミルもまた殺されてはいないと確信できるからだ。


 だがそれ以前にこの状況、オレが結構ヤバい。

 殺しても死なない男とは言っても、ミンチになるのはできれば遠慮したい……!


 長剣を握って身構えるオレとは対照的に、バラドーは無造作に近付いてくる。

 四本しかない指には凶悪な爪が伸びていた。あんなものをまともに喰らったらトマトのようにスライスされてしまうだろう。


 一時撤退だ。それしかない。

 問題は、そのための隙をどう作るかということと、一体どこに逃げるのか―――


「こっち!」


 不意にエントランスのほうから声が聞こえた。

 直後、バラドーが一気に踏み込んできて爪を振り下ろした。


 オレは右手の長剣と左手の『絶撃』をフルに使う。

 真上から振り下ろされる爪を受けるのではなく横にいなし―――


 長剣が折れ、右肩に爪が掠った。

 鮮烈な痛み。顔を顰める。

 だが……!


 オレはバラドーのすぐ横を走り抜け、エントランスへ繋がる扉へ向かう。

 開けっ放しにしておいたのが功を奏した。扉を開く手間をかけることなく、礼拝堂を脱出する。


 と、そこに、


「シャーミル……! 無事だったか!」

「いいから! 早く!」


 扉のすぐ傍に待ち構えていたシャーミルがオレの手を取り、走り出した。

 戦闘の音を聞いて駆けつけてくれたのか。しかし、


「どこへ逃げる!? 今の魔王城は逃げ隠れするには狭すぎるぞ!!」

「それはもう大丈夫!」


 大丈夫? それは一体―――

 疑問に思うオレをシャーミルは引っ張っていく。正門とは真逆――上り階段のほうへ。


(まさか……!)


 二人して階段を駆け上がる。

 封殺結界によって封鎖されていたはずの階段は―――何の抵抗もなく、オレ達を通した。


「結界が解けているのか!? ならば正門から外に出れば―――」

「魔王城全体を覆う結界は解けるのが一番最後なの!」

「チッ、そうか。優先順位くらい設けているか……!」


 オレ達は複雑怪奇な魔王城を走り回り、階段に辿り着いては駆け上った。


 とにかくバラドーから距離を取る。

 そうすればまともな思考力を維持できていないアイツは、この複雑な城内を追ってはこれない……!


 そう考え、三階ほど上り、次の階段を探していた時。


 ―――ズンッ!!


 と、破壊的な衝撃が足元に伝わった。


「なんだ、今のは……!?」


 不安を覚えながら、次の角を曲がろうとした。

 だが寸前で思い留まり、シャーミルを制して角に隠れる。


 角を曲がった先は、大きなホールだった。

 位置的には―――やはり。一階エントランスの真上に当たる。


 ホールの中央に、大きな穴が開いていた。

 そしてその下から、翼を羽ばたく音がする。


「結界が解けつつあるせいで、そういうのも可能になったのか……!」

「……戻りましょう。どこかに隠れるべきよ」


 シャーミルの提案に頷いて、オレ達は踵を返す。

 バラドーが出てくるだろうホールからできる限り離れた部屋を選び、中に入った。


 客室か何かだろう。ベッド、机、クローゼットがあるだけの簡素な部屋だ。

 オレはまずクローゼットを開けた。中には衣服が何着か入っている。その中からシャーミルのローブに良く似た色のものを選び出し、ベッドの下に入れる。ちょうど裾が顔を出すくらいに位置を調整。

 それから、シャーミルと二人でクローゼットの中に身体を突っ込んだ。


 これでバラドーが万一この部屋を嗅ぎ当てたとしても、ベッドのほうに気を取られているうちに逃げ出すことができる。

 子供騙しの仕掛けだが、今のバラドーならば引っ掛かる可能性は高い。


 狭苦しいクローゼットの中は、扉を閉めると真っ暗闇だ。

 オレはシャーミルの華奢で小柄な身体を抱き寄せた。彼女も抵抗なくオレの胸の内に収まる。


 走ったからか、それとも緊張からか、お互いに息が荒い。

 身体は熱く、まるで裸で抱き合っているみたいだった。


 体温、鼓動、呼吸。

 彼女という生命の証明を、全身で感じ取る。

 そこにはひとかけらの欺瞞もなく、オレも彼女もしかとここにいるのだと明確に教えてくれた。


――― どいつもこいつも一切合財!! 人間を真似ただけのハリボテなんだッ!! ―――


 ……なのに。

 あの勇者は、それすらも感じられなくなっていたのだ。


 自分以外はプログラムかもしれない、という恐怖。

 哲学的ゾンビの世界に生きる人間。


 勇者ならぬオレには、その気持ちを想像でしか知り得ない。

 だがオレ達の生きる世界がそうでないと、どうやって証明するのだろう。他者に魂があるかないか―――そんなことは誰にもわからない。


 それでも。

 シャーミルの体温を、鼓動を、呼吸を―――愛しいと、感じている。


 だから、オレは。

 理性院カシギは―――


「―――莠域悄縺帙〓繧ィ繝ゥ繝シ縺檎匱逕溘@縺セ縺励◆―――」


 低い唸り声が聞こえた。

 オレもシャーミルも息を潜める。


 まだ遠い。室内ではない。

 扉の外……廊下だ。


 一定の間隔で扉を開ける音が聞こえた。

 一つ一つ、律義に部屋を確認しているのだ。


 少しずつ、少しずつ。

 唸り声と、重々しい足音と、扉を開ける音が近付いてくる。

 その音の大きさで、大体の距離を察せられた。


 ―――ガチャン。三つ隣。

 ―――ガチャン。二つ隣。

 ―――ガチャン。一つ隣。


 そして、唸り声と足音が、この部屋の前まで来た。

 ……一瞬の判断が命取りだ。

 ベッドのほうへ向かう気配があったら、即飛び出して脱出する。


 ガチャ……と、ドアノブが捻られる音がした。

 気配を捉えようと五感を研ぎ澄ませ―――




「あら、こんな所で何をしているの?」




 ―――バラドー以外にもう一人、近付いてくる足音を感知した。

 シャーミルが鋭く息を吸う。


 この声は―――グイネラ。


 違う。グイネラはもう死んでいる。

 コイツは、勇者だ。


「ォオオォオオオ…………オォオオぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお…………!!」


 どさり、と膝をつく音が聞こえた。

 ……バラドー? まさか騙されているのか?

 勇者が他者に変身できるのは知っているはずなのに……そこまで、判断力を失っているのか。


「お顔が泣いていてよ、バラドー?」


 その声は、グイネラの声音でありながら、グイネラとは似ても似つかない優しさを宿している。

 ……わざとそうしているのだ。バラドーの中の何かを刺激するために。


「グイネラ様……グイネラ様……! ご無事で、ご無事で……!!」

「心配してくれていたのね。ありがとう、バラドー。いつもきつく当たってしまっていたけれど……本当はわかっていたのよ? あたくしのことを一番想ってくれているのはあーただって」


 まずい。このままでは……!

 たまらずクローゼットを出ようとしたオレを、シャーミルがぎゅっと抱き締めた。

 顔を向けると、彼女はしきりに首を横に振る。

 ……そうだ。

 オレはともかく、今飛び出せばシャーミルまで……。


「あたくしに本当に尽くしてくれていたのはあーただけ。どうしてこんなことに気付けなかったのかしらね」

「勿体ない……勿体ないお言葉です……!」

「さあ、顔を上げて、バラドー。今まで頑張ってきたあーたには、ご褒美をあげなくちゃ―――」


 一歩、バラドーに近付いたのだろう。小さな足音が一つ聞こえ、




「―――なぁんて言われると思った? バーカ」




 瞬間。

 おそらくはバラドーも、すべてを悟った。


「お―――ぉおぉぉおおおおおおォオォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ莠域悄縺帙〓繧ィ繝ゥ繝シ縺檎匱逕溘@縺セ縺励◆――――!!!!」

戦闘開始(エンカウント)



 直後の一瞬で、事は済んだのだろう。

 すべては異空間でのこと。

 オレには、バラドーが何を叫び、どのように戦い、どうやって死んだのか―――知ることはできなかった。






%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%






 バラドーの気配は綺麗に消え去り、グイネラに化けた勇者は高々と笑いながら去っていった。

 しばらく様子を見てから、ようやくオレ達はクローゼットを出る。

 シャーミルと無言で視線を交わし合うと、二人で廊下に出た。


 すぐそこに、石像があった。

 トカゲと鷲を融合して二足歩行にしたような、二メートル半にも及ぶ巨躯。

 胸にはやはり、聖剣が突き刺さっている。


 オレは石化した肌に触れ、「【ダメージログ・リード】」と呟いた。



●元帥バラドー レベル:58 種族:魔族

最大HP:3000

最大MP:300

 攻撃力:600

 防御力:400

 敏捷性:350

 魔攻力:220

 魔防力:200


▼コマンド:物理攻撃(強化)

▼1209のダメージ!



 魔王にも迫る強大なステータス。

 ……それでも、周回によりレベルを152まで高めた勇者には太刀打ちできなかった。


 オレはバラドーの死体がある位置をはっきりと確かめる。

 ……やはり。


「そろそろ行きましょう。結界が完全に解けるまで、どこか安全な場所に―――」

「シャーミル」


 言葉を遮って、オレはシャーミルに向き直った。

 シャーミルは、端整ながら幼さのある顔を怪訝そうにする。色褪せた灰色のおかっぱが、幼げな印象に拍車をかけていた。


 たった数日だが、多くの時間を共にした。多くの言葉を交わした。

 それでもすべてを知るには至らない。不思議なものだ。人間というやつは、どれだけの時を過ごしても未知の部分がなくならない。


 だからこそ。

 だからこそ。


「シャーミル―――オレはお前のことが好きだ」


 少しだけ、シャーミルの大きな瞳が見開かれた。


「だからこそ、オレは言わねばならない。お前に告げねばならない。そうしなければ、オレの気持ちが嘘になってしまうような気がするのだ」


 だから。

 オレは。

 シャーミルの目を覗き込むようにして、明確に告げる。




「―――()()()()()()()()()()()()()()




 沈黙があった。

 無音のその時間に、絶望がシャーミルを染めていくのを、オレはありありと感じた。


 どん、と。

 胸を突き飛ばされる。

 オレはふらついて。

 シャーミルは一歩、二歩、三歩も後ずさり。


 泣きそうな顔が、オレに向けられていた。


 ……その顔の理由すらも、オレにはすでに自明なのだ。

 そしてその事実が、彼女にとっては何よりも残酷なのだ。


 シャーミルは逃げるように目を逸らし、守るように背を向ける。

 走り去っていく小柄な背中を、オレは追いかけなかった。


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