勇者からの挑戦状
鉄格子の向こうに現れた勇者は、壁際にある看守用のものらしき机に無造作に腰掛けた。
背中を曲げ、膝の間で緩く両手を組んだ勇者は、取ってつけたような笑顔を浮かべている。
以前会った時は如何にも『普通の少年がある日突然勇者になりました』という感じが出ていたが、今はそういう雰囲気は感じられない。
不必要、ということだろう。
もう普通の勇者を演じる必要がなくなったのだ。
「あんまり驚いてないね」
薄気味悪い笑顔を張りつけたまま、勇者は言った。
「もう少しビックリしてもらえると思ったのになあ。『なぜお前がここに!』とか言ってさあ」
「あれだけはっきり証拠を残しておいて何を言う。聖剣は勇者にしか使えんのだろう?」
「結界があるじゃないか、結界が。起動装置がある上層階からこの一階にどうやって来たのか、気にはならないの?」
「ならんな。何らかの方法でどうにかしたのだろう」
「ふふ。思い切りがいいね。実は封殺結界は僕には通じないんだよ。抜け道を知ってるからね」
抜け道か……。くだらん密室トリックもあったものだ。だが現実的ではある。
「そもそも、聖剣がある時点で僕以外は犯人ではありえないわけだし。勇者以外が聖剣を使う方法なんて、この世界のどこにもないんだから」
あっさりと自分の犯行を認める勇者。やはりあれらの聖剣はコイツが振るったのだ。
「それにしたってさ、疑問には思わないの? 今の今まで僕がどこに隠れていたか、とかさ―――知ってるよ、あの魔力探知の燭台。あれさ、実は僕も使ったことがあるんだけど、正確性についてはなかなかのものだよ。ま、一〇人までしか探知できないことを除けばだけど―――」
「一応訊いておいてやる」
饒舌を断ち切り、オレは言う。
「貴様、なぜヤーナイやカツメイを殺した?」
勇者は至極不思議そうに小首を傾げた。
「勇者が魔族を殺すのに理由が必要かい?」
「察しろ。オレは貴様の本性を見せろと要求しているのだ」
「ああ! なるほどね。いやあごめんよ。何分、学のない田舎者でさ」
にたり、と。
勇者の口端が吊り上がり、真っ白な歯が見えた。
「最初はさ、レベルが上がるのが楽しかったんだ」
勇者は愉しそうに語り出す。
「無心になって魔族を殺して、殺して、殺しまくって、経験値を貯めてさ―――そうしてレベルの数字が上がっていくのが、たまらなく愉快だったんだよ」
「…………」
「でもさ、レベルって、どんどん上がりにくくなっていくんだよね。幾ら殺してもどれだけ殺しても全然上がらなくなっていく―――そうしたら、楽しさより徒労感の方が上回ってきたんだ。まあ飽きが回ったんだね」
「…………」
「だから何かしら別の楽しみを見つけなきゃならなかったんだけど―――ほら、僕って勇者だろ? 勇者なんて暇人の別名みたいなもんじゃん。魔族を狩ること以外に、特にやることがなかったんだよね。だから―――」
「―――だから」
遮り、言う。
「だから、怖がらせる。隠れて観察する。騙してせせら笑う。一度に全員は殺さない。そのほうが面白いから―――そういうことか?」
にっこりと、勇者は晴れやかな笑顔を浮かべた。
「そうそう! なんだよ、君が喋れって言うから自分で説明してたのに。結局君が言っちゃうんじゃないか」
……予想通りだ。
コイツは、予想通りの、クソ野郎だ。
「今まで色んな殺し方を試してきたけど、今回のはなかなか新鮮で良かったよ。特に君がいたのが良かった。僕って、戦闘空間の外ではただの人間と大して変わんないからさ。戦闘空間の展開を拒絶できる君に見つかったら一巻の終わりだったんだ。もうドッキドキさ! あんなスリル、長いこと味わってなかったなあ……」
もうすべて終わったかのような口振りだ。
いや、終わったのだろう。オレが武器を奪われ、閉じ込められた時点で、コイツが勝手にやっていたかくれんぼは決着したのだ。だからこうして姿を現した。
「でも、やっぱり少しズルかったかなあ」
無邪気な喜色に満ちていた顔が、困ったようなものになる。
「あんなの使ってたら見つかりっこないよなあ。アレは使わない方が面白かったかもしれないなあ」
「アレとは、禁呪ルネマのことか?」
「うん、そうそう。実は禁呪ルネマっていうのは―――」
「変身魔法だろう?」
告げた瞬間、勇者の目が真ん丸に見開かれた。
「え? え? ……もしかして、わかっていたのかい?」
「ああ。カツメイの死体が出た時点でな」
「ええーっ! すごいなあ! どうして? どうしてわかったの?」
そう訊いてくる勇者は、まるで手品を見せられた子供だ。コイツに悪意なんてものはない―――そういう人間的なものを、もはや一つも持っていないのだ。
「……ヒントの一つは、スクロールを見つけた時のバラドーの反応だ」
説明しなければ話が進まなそうだったので、渋々話し始める。
「バラドーの反応だけが他の四天王のそれとかけ離れていた。あの時は深く考えなかったが、改めて思い出すとやはりあれは不自然だ。
バラドーには、ルネマに何かしら特別な執着があったのではないか―――まずはそう推測を立てた」
「うんうん。それで?」
「かつて禁呪ルネマの術者は、魔族でありながら人間の王になったと言う。具体的に、そのためには何が必要か―――まず大前提として、見た目を誤魔化さなければならない。
カツメイの肌やヤーナイの鱗を始めとして、魔族は人化してもどこかしら人外の部分が残ってしまう。ならば禁呪ルネマは、それすらも余さずに完全に人の姿になる魔法なのではないか―――
真実がどうであれ、少なくともバラドーはそう考えたのだろう。カツメイから聞いたことだが、バラドーは人化できないのがコンプレックスだった。ルネマを完全人化魔法だと思ったのなら、それを求めるのは自然の成り行きだ」
だからスクロールを見つけた時、あんなにも取り乱したのだ。
こんなにも近くにあった悲願に気付けなかった悔恨と、それを勇者に奪い去られた無念で。
「禁呪ルネマを追い求めていたバラドーは、他の四天王よりも多くの情報を持っていただろう。それでもヤツの期待はまだ維持されていた。このことから、ルネマがバラドーの悲願を叶える力―――変身機能を備えているだろうことが、大体推測できる」
「はあー……なるほどねえ。でも君、さっき言わなかった? 気付いたのはカツメイ君の死体が出た時だってさ。なら今喋ったそれは後付けの推理ってことなのかい?」
「そうだ。今にして思ってみれば、というヤツだ。オレがルネマの正体に思い至ったのは、カツメイの死体に残されていた決定的な手掛かりに気付いた時のことだ」
「決定的な手掛かり? 何かあったかな?」
「ダメージログだ。それ以外にはあるまい」
「…………あ」
勇者は不意に気付いた顔になり、「あっちゃー」と額に手を当てた。
「そうかそうか。君は気付いたのか――――僕の攻撃力の違いに」
オレは頷いた。
カツメイのログに残されていたダメージ数値は等倍の通常攻撃による643。そしてカツメイの防御力は230だった。
これらから攻撃者――即ち勇者の攻撃力を算出すると、
1401。
これがカツメイを殺した際の勇者の攻撃力だ。
これをよく覚えた上で、その前の被害者であるヤーナイのダメージログを思い出そう。
ダメージ数値は等倍の通常攻撃による642。防御力は250。
逆算される勇者の攻撃力は―――
1409。
実に8もの差が攻撃力に表れているのだ。
これは装備の差ではない。攻撃力に関わる装備は武器のみだが、カツメイとヤーナイ、どちらの場合も、勇者は聖剣を装備していたはずなのだ。
アクセサリーで上がり得るのも精々5までで、装備で8もの差が出るはずがない。下げるにしても、8なんて誤差みたいな数値には留まらない。
ならば、この8の違いはなんなのか。
答えはシンプルだ。
レベルアップである。
勇者の攻撃力はレベルが1上がるごとに5~9上昇する。勇者はカツメイを殺したことでレベルアップし、攻撃力が1401から1409に上昇したのだ。
とすると、どういうことになるか。
ヤーナイより前にカツメイが殺されたことになる。
思い出されるのはヤーナイの死体があった位置だ。謁見の間に向かう廊下と、エントランスのちょうど境目辺り。角に隠れるようにして、南側の壁に身を寄せていた。
南側には、カツメイの部屋がある。
おそらく、ヤーナイは謁見の間で勇者の足音を聞いた。この時、勇者はカツメイの部屋に向かう所だったのだ。
そしてヤーナイがエントランスまで――抜き足差し足で――やってくるまでの間に、勇者はカツメイの殺害を完了させた。
それから戻ってくる際に様子を窺っていたヤーナイに気付き、これを殺害した……。
そう、ヤーナイの死体が現れた今朝の時点で、カツメイはすでに死んでいたのである。
ならば、一緒に隠し部屋を家探しし、倉庫で埃に塗れたカツメイは誰だったのか?
考えるまでもない―――勇者だ。
禁呪ルネマで、勇者がカツメイに変身していたのだ。
「他者の姿をそっくりそのまま写し取る魔法――それが禁呪ルネマだ。かつての術者は人間の王の姿を写し取って玉座を掠め取り、貴様はカツメイの姿に成り代わった。おそらくは能力もコピーできるのだろうな。ならばルネマが『万能の力』を持つという話にも頷ける」
ありとあらゆる者の姿と能力を模倣する。まさに万能だ。理論上、この世に存在するどんな立場もどんな力もその手に収めることができるのだから。
パチパチパチ、と勇者の拍手が地下牢に響き渡った。
「素晴らしい! さすが隠しキャラ! 他の連中とは一味違うってわけだ! それだけ頭の切れる君なら当然、カツメイ君殺しの方法もわかっているんだろう?」
「当たり前だ。厳密にはカツメイ殺しではないがな」
勇者がカツメイに化けていた。この事実さえわかっていれば、解明は容易い。
「燭台を探し出した後、貴様はカツメイのフリをして部屋に戻った。そこにはすでにカツメイの死体がある。その状態で首尾良く姿を消せば、オレ達はたった今カツメイが殺されたのだと勘違いするだろう」
「姿を消す? って、どうやってさ? 城の南側と北側を行き来するには不可避なエントランスは君とシャーミルちゃんが見張っていた。死体発見後もまた然り。僕は一体どうやって姿を消したのかな? 万能の力という触れ込みの禁呪ルネマだけど、残念ながらそんな力はないよ?」
しらじらしい勇者の態度にイライラしながら、オレは続ける。
「アイテムを使ったのだ」
「アイテム? 何を?」
「テミリロ草だ」
テミリロ草。ダンジョンや建物の入口にワープできるアイテム。
魔王城が封鎖された直後に脱出手段の一つとしてオレが試したが、結果はエントランスのワープポータルに戻ってきただけだった。
「おやおや、何を言ってるのかなあ?」
勇者は大仰に呆れて見せる。
「テミリロ草は入口に戻るアイテムだよ? 使ったところでエントランスに戻るだけじゃないか。魔王城の入口は正門とワープポータル、その二つだけなんだから。君たちに見つかっちゃうよ」
「二つあると言うのなら、なぜオレが使った時はポータルのほうに飛ばされたのだ?」
ランダムに決定されたとでも?
いや違う。オレは飛ばされるべくしてポータルに飛ばされたのだ。
「重要なのは『入口』の定義だ。オレはワープポータルを使って一度人界へと行き、そして同じくポータルを使ってこの魔王城に戻ってきた。それをもって『入口』が定義されたのだ。ゆえに、オレは正門ではなくポータルに飛ばされた」
で、あれば。
「もし貴様が正門でもポータルでもなく、別の場所から魔王城に侵入していたのだとすれば? そう、例えば―――北側の廊下に並ぶ窓、とかな」
「ふふん」
勇者は楽しげに笑う。
「だとすれば確かに、僕はエントランスにいる君達の目に触れず、グイネラちゃんやバラドー君がいる魔王城北側に移動できることになるね。でも、そいつは憶測ってやつではないかい? 僕が窓から侵入したって形跡なんて―――」
「昨日、城の戸締りを確認した時、窓が一箇所だけ施錠されていた」
勇者の取ってつけたような笑みが固まる。
「裏を返せば、それ以外はすべて開いていたということだ。……なぜそんな不用意な状態になっていたのだと思う?」
「……さあ? 使用人が適当やったんじゃないのかい?」
「オレも最初はそう思ったさ。だがカツメイ殺しの密室の出現で、もう一つの可能性に思い当たった。
―――つまり、勇者の内通者が開けていたのだという可能性に」
剣の切っ先を突き付けるように、オレは告げる。
「そいつは貴様を城内に招き入れるため、先んじて鍵を開けておかなければならなかった。しかし間抜けなことに、どの窓の鍵を開けておくのか、打ち合わせていなかったのだ。だから仕方なく全部開けておいた。そこに貴様が来たわけだ」
鉄格子越しに勇者を指差し、
「魔王城の外壁を北側に回った貴様は、早速鍵の開いている窓を見つける。一番入口に近い、一番南側の窓――オレが確認した時に施錠されていた唯一の窓だ」
――― 一番南側の窓はきっちり施錠してあった ―――
「貴様はそこから城内に入り、鍵を閉めた。一つだけ鍵が開いている窓があったら怪しいからな。
……そう、貴様はまさか、すべての鍵が開いているなんて思いもよらなかったのだ。そのすれ違いの結果、目立たないように閉めた鍵が逆の効果を生んでしまった」
オレは皮肉っぽく口を歪める。
「運が悪かったな。この手の工作に慣れていないくせに、打ち合わせを怠ったのが貴様の敗因だ」
「―――ふううううううううう」
と。
勇者は長く長く息を吐いた。固まっていた表情が柔らかさを取り戻す。
「……やっちゃったな。やっぱりどこの誰かもわからない奴を信用するんじゃなかった」
『どこの誰かもわからない奴』とやらについて問い質したかったが、その前に「それで」と勇者が仕切り直すように言った。
「僕が北側廊下の窓から侵入したことで、そこが『入口』だと定義された。結果、僕はテミリロ草でカツメイ君の部屋から北側廊下にワープして―――」
にぃ、と勇者の顔に笑みが戻る。
「あれ? おかしいなあ。おかしいよね? そもそも君達はどうやって、カツメイ君の死に気付いたんだっけ?」
魔力探知の燭台だ。
その炎が消えたことで、オレ達は誰かが死んだのだと判断した。だがあの時、カツメイはすでに死んでいた―――だから。
「ワープした先で、貴様は真の犯行を行なったのだ」
オレは苦々しさを交えて言う。
「カツメイを殺したように見せかけて、グイネラかバラドー、そのどちらかを殺害した。そして再び変身魔法ルネマで成り代わって、オレ達の前に現れた―――それがカツメイ殺しの真相だ」
つまり、すでにもう一人死んでいる。
グイネラかバラドーのどちらかが、すでに。
くっくっく、と押し殺したような笑い声が流れた。
「なかなかよくできているだろう?」
ぬけぬけと勇者はほざく。
「あの燭台が出てきた時に思いついたんだ。ちょうどその前に君達がルネマのスクロールの存在に気付いてくれてたことで、偶然たまたま、ゲームとしての条件が整ったのさ。ルネマのスクロールなんてとっくの昔に見つけていたけど、万が一のことを考えて持ち出しておいてよかったよ」
「……?」
スクロールをすでに見つけていた?
ヤーナイを殺した後に初めて見つけたのではなく?
その辺りを問い質そうとした瞬間、
「あっ! そうだ!」
唐突に勇者が手を打った。
一見普通に見える少年は実に楽しそうな笑顔になって、
「ゲームをしようよ、カシギ君」
そう言った。
「……ゲームだと?」
「そう。ルールはとてもシンプルだ。君が説明してくれた通り、僕はグイネラちゃん、またはバラドー君を殺して、禁呪ルネマで成り代わっている。でも実際そのどちらなのかは、君は言及しなかった。まだそこまではわかっていないんじゃないのかな?」
「…………」
事実だ。そこまではまだ特定できていない。
「僕は二人のうちのどちらに化けているのか、殺されてしまったのは二人のどちらなのか―――当ててみせてよ、今ここで」
どこまでも楽しげな勇者の顔を、オレは睨みつける。
「そんなことをして、オレにどんなメリットがある?」
「賞品かい? そうだなあ……。―――あっ。じゃあこんなのはどうだろう」
一本、人差し指を立てて、勇者はあっさりと提案した。
「見事当てられたら、この世界の秘密を教えてあげる。それでどうかな?」
「この世界の……秘密、だと?」
「そうさ。この世界は一体何なのか―――君も違和感くらいは覚えているんじゃないのかい?」
……どうする。
乗るか、反るか―――勇者のこの様子なら、正解しても何も教えてくれない、ということはないだろう。コイツは飽くまでも『ゲーム』をしているのだから。
ならば。
「―――いいだろう。そのゲーム、乗ってやる」
にんまりと、勇者は喜色満面になる。
「いいね、そうこなくっちゃ。制限時間は―――」
「二分で構わん」
オレは懐中時計を取り出し、鉄格子の隙間から勇者に投げ渡した。
「時計の見方くらいはわかるな? 秒針が12を指してから、ちょうど二分―――それくらいなら堪え性のなさそうな貴様でも待てるだろう」
「すごい自信だね。いいよ、二分間、一二〇秒だね。それがシンキングタイムだ。それじゃあ―――」
勇者の視線が懐中時計の文字盤に落ちた。
チッ、
チッ、
チッ、
と、かすかな針の音がオレの耳朶を震わせ―――
「―――スタート!」
オレは瞼を閉じ、思考に没頭した。




