四天王・イン・密室
―――ふっ、と。
紫色の炎が、一つ、消えた。
オレとシャーミルは、煙だけを棚引かせる一本の蝋燭を、呆然と見る。
生体魔力反応を示す炎が、一つ、消えた。
これが意味することは―――
オレは椅子を蹴立てて立ち上がり、腰の袋に右手を突っ込んで拡声器を取り出す。
拡声器の音量を最大にし、すうっ――と大きく息を吸い込んだ。
「―――全員ッ!!! エントランスに集まれッッッ!!!!」
キイイイイィ――――――ンン…………。
あまりの爆音に、窓か何かがビリビリと震える音がした。
顔をしかめて両耳を塞いでいるシャーミルには申し訳ないが、ここまで大きければ地下にいるグイネラにも聞こえるだろう。魔王城の防音性は大したものではない。
「何事だッ!」
「もぉ~、何よ、やかましいわね……」
やがて、バラドーが肩を怒らせて、グイネラがいかにも気だるげに、北側の廊下から現れた。
オレはテーブルから燭台を取り上げ、二人に見せる。
「炎が一つ、消えた」
バラドーは瞠目し、グイネラは「……そっか」と諦めたように言った。
この事実が示す所は一つ。そして今この場にいないのは一人だけ―――
「―――カツメイが、来ないな」
呟いて、オレは燭台を持ったまま走り出した。
後ろにシャーミルやバラドー、グイネラの足音が続こうとする気配があり、
「誰か一人だけついてこい! 後の二人はここで見張れ!! 逃がしてしまうぞ!!」
さすがは魔界のトップ集団。一瞬でその意味を理解し、役割分担を済ませ、足音は一つになった。どたどたと騒がしいこの音はバラドーか。
上り階段の横に伸びる廊下を通り、南側へ。T字に分岐する廊下を左に曲がった。
長い廊下の突き当たりには地下へ向かう階段。左手の壁に扉が八つ並んでいる。
手前から三番目―――それがカツメイの部屋だ。
「カツメイッ! カツメイッ!!」
バラドーが後ろから追い抜いていき、扉に飛びついてドンドンと叩いた。
返事はない。
バラドーは歯を剥き出しにして食い縛り、乱暴にドアノブを捻る。
―――ガチャガチャ! ガチャッ!!
……鍵が掛かっていた。
「構わん! ぶち破れッ!!」
オレの指示に即応し、異形にして巨大な腕が大きく振るわれた。
木製の扉は簡単に木っ端となる。そして、オレとバラドーは同時に室内に踏み込んだ。
……一目瞭然だ。
向かって右――北側の壁に張り付くようにして、それはあった。
灰色の石像。特徴だった青い肌はもはや見て取れず、いかにも理知的な印象の眼鏡と、長い髪がそいつの身分を証明する。
そして胸には、やはり一本の剣。
聖剣が、また増えたのだ。
「……カツ……メイ……」
どさり、と。入口で、バラドーが膝をついた。
バラドーをそのままにして、オレはゆっくりとカツメイの形をした石像に近付き、肩に手を触れる。
「【ダメージログ・リード】」
人間のオレでも、ログの閲覧はできる。
石像の頭の上の空間に、文字が描かれた。
●軍師カツメイ レベル:51 種族:魔族
最大HP:1800
最大MP:150
攻撃力:300
防御力:230
敏捷性:320
魔攻力:380
魔防力:250
▼コマンド:物理攻撃(通常)
▼643のダメージ!
「カツメイ……おお、カツメイ……カツメイィいいいいいッ!!」
軍師カツメイの文字を見た瞬間、バラドーが突進してきてオレを突き飛ばし、石像となったカツメイを抱き締めた。
そして、獣の咆哮にも似た慟哭の声が、室内に響き渡る。
「痛いな、くそ……」
オレは突き飛ばされた肩を押さえながら毒づく。
またやられた。
だから言ったのだ、固まっていたほうがいいと―――くそっ!
このふざけた連続殺人(殺魔?)には、オレに責任の一端がある。
オレが四天王を集めたりしなければ、こんなことにはならなかったのだ。
―――いいや、違う。認めよう。
オレは頭の隅で、この事態を予期していた。
魔王城に四天王を集めれば、シャーミルにかかる危険を分散できる。そういう打算が、確かにオレの中にはあったのだ。
なんて浅ましい。
そんなもの、オレには女一人守る力もないと認めるようなものではないか……!!
オレは大きく息を吐き、頭の中に籠もろうとする熱を逃がした。
自己嫌悪に浸っている場合ではない。やらねばならないことはある。
オレは窓に向かった。
望めるのは小さな中庭と灰色の壁。左奥には窓があり、エントランスが覗けている。石化したヤーナイの一部と、今はシャーミルが顔を覗かせていた。
こちらを見ているシャーミルに、オレは首を横に振ってみせる。
それを見たシャーミルは、少しだけ視線を伏せた。
窓そのものに目を向ける。
確認すべきは二つ。
―――一つ。鍵は内側からしか掛けられない。
―――二つ。今現在、鍵は施錠された状態にある。
オレは窓際から離れ、室内を見回した。
机の上に二つの物が置かれている。
一つは香水。今朝、付けていると言っていたものだろう。
もう一つは、鍵だ。
ヤーナイの部屋の鍵はとっくに回収している。だから必然、それはこの部屋の鍵ということになる。
扉も窓も施錠された部屋で他殺体が発見され、肝心の鍵は部屋の中。
さらに、オレはクローゼットやベッドの下など隠れられそうな場所を片っ端から探った。
当然、誰も、見つからない。
「……密室か」
密室殺人。
現代日本なら大問題だが、こと異世界においてはそうでもない。特に犯人が勇者なら、対象が半径一〇メートル以内にさえいれば戦闘空間に引きずり込むことが可能だ。間に挟まる壁や扉など関係ないのだ。
各人の部屋を必ず一部屋以上離しているのもその辺りが理由だった。
戦闘空間に引きずり込まれた者からさらに半径一〇メートル以内に他の魔族がいた場合、そいつも引きずり込まれることになる。
部屋を隣接させると、もしもの時、いたずらに犠牲者を増やす可能性があったのだ。
……しかし、だとしても。
オレは振り返り、バラドーに抱きつかれているカツメイの死体を見た。
壁に背中をぴったりとつけていて、追い詰められているような格好だ。目は大きく見開かれ、扉の方向に向いている。
カツメイは死に際に、部屋に入ってきた犯人を見ているのだ。
で、あれば。
犯人はカツメイを殺害した後、密室を維持したままこの部屋を出たことになる。
「…………」
まだ確認せねばならんことはある。
オレは慟哭し続けているバラドーに声をかけた。
「バラドー―――あるか?」
「……何……?」
バラドーは親友の死体から身を離し……改めてそれを見ると、獣のように唸った。
「おのれ……おのれッ……おのれぇえぇええッ……!!」
猛禽の双眸が見つめる先は、カツメイの胸に埋まった聖剣の剣先。
そこに、一枚の手紙が縫い留められている。
―――ちょっとだけヒントをあげよう。
―――敵より裏切り者を探したほうがいい。
「外道め……外道めぇえぇえええぇ!!」
バラドーは聖剣に手を弾かれるのも気にせず手紙を抜き取って引きちぎり、ぐしゃぐしゃにして床に叩きつけた。
(……敵より裏切り者を探したほうがいい、か)
考えるのは後だ。
今は、為すべきことを為そう。
「行くぞ、バラドー。犯人探しだ」
怒りに満ちた双眸がこちらに振り返った。
「わかっているだろう。エントランスをシャーミルとグイネラが見張っている限り、カツメイを殺した犯人は北側に逃れることができない。南側にある部屋を手当たり次第に探せば、必ず犯人が見つかるはずだ」
「……お、おお……ッ!!」
バラドーは歓喜の声を上げ、殺気を漲らせた。
「よくも……よくも我が親友カツメイを……ッ! 必ず……必ずこの手で……!!」
……ダメ元だとは言えんな。
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案の定。
南側にあるすべての部屋、すべての空間を調べ尽くしたが、犯人は見つからなかった。
施錠による小さな密室と監視による大きな密室―――二重の密室から、犯人は姿を消したのだ。
だが、それはさしたる問題ではない。
むしろ大いなるヒントと言えるだろう。少なくともオレが知る限り、この二重密室から脱する方法は一つしかない。
問題は入るほうだ。
今、魔王城にいるのは五人だけだと、魔力探知の燭台が証明した。被害者カツメイを除けば容疑者は四人。
向かい合ってずっと話していたオレとシャーミルにカツメイは殺せない。
ならばバラドーかグイネラのどちらかが殺したことになるが、エントランスで見張っていたオレ達は二人のどちらも見ていない。
あいつらのどちらかが自分の部屋からカツメイの部屋に行ったのなら、オレの目に必ず触れているはずなのだ。
ならば、何らかの手段で隠れ潜んだ六人目の犯行か?
……いいや。おそらくは違うだろう。
敵よりも裏切り者を探したほうがいい。手紙はそう書き残していた。まるでオレ達とゲームでもしているかのように。
ヤツはスリルを求めている。
強くなりすぎた結果失われた、スリルを。
ならば、ヤツは今―――
オレは現場の光景を想起する。
施錠された扉と窓。
誰も隠れていなかった部屋。
机の上の香水と鍵。
壁際のカツメイ。
虚空に描かれたダメージログ―――
―――そうだ。
やはりそうだ。
そういうことだったのだ。
重要なのは、やはり禁呪ルネマ。
通常空間で使える唯一の魔法。それこそが鍵だった。
ヒントはすでに出切っている。ルネマの効果は充分に推測可能だ。
そしてルネマの正体さえわかってしまえば、こんな密室は物の数ではないのだ。
さて、これでカツメイ殺しについてはおおよそ理解できた。
だがやはり、それはオレから見ての話。いつも行動を共にしていたシャーミルはともかくとして、バラドーやグイネラ――特にバラドー――を納得させるのは不可能だろう。
だが、少しでも場の空気がオレに味方してくれたなら、この事件はすぐにでも解決する。
聖剣が増えた理由などわからないことはまだまだ幾らでもあるが、とにかく犯人を特定して捕えてしまえばこれ以上誰も死ぬことなくこの城を出ることができるのだ。
たとえ犯人がどれだけ強くとも、戦闘空間でなければオレにも勝機はある。
おかしな方向に事態が推移しなければいいのだが―――
%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%
―――というオレの懸念は、見事に当たった。
「貴様が勇者なのだろう!?」
犯人探しが空振りに終わって間もなく。
怒気を漲らせたバラドーが、オレに向かってそう叫んでいた。