未来にかける希望
手紙程度のことで、『やっぱり勇者が隠れているのだ!』と騒ぎ出すオレではない。
こんな手紙は誰にでも書ける。真犯人が勇者に容疑を逸らすために用意したとも考えられるのだ。
……しかし、手紙を縫い留めるためには、ヤーナイに刺さっている聖剣を一度抜かなければならない。
オレも常に目を光らせていたわけではないから、タイミングは誰にでもあっただろうが、いずれにせよそいつは聖剣を扱うことができるということだ。人間のオレでも、聖剣を死体から抜くことはできなかったのだから。
勇者本人か。であればどこにどうやって隠れている?
オレ達五人の誰かが何らかの手段で聖剣を使ったのか。だとしたらどうやって?
何もかもわからないこの状況、バラバラになるのは得策ではない。
なので、一箇所に固まっているべきだとオレは提案したが……。
「……申し訳ありません。僕は遠慮させていただきます」
カツメイが硬い声でそう答えた。
「一人になって、頭の中を整理したいのです。おかしなことが次々と起こりすぎて……」
「気持ちはわかるが危険だ。どこに暗殺者がいるともしれんのだぞ?」
「ここにいるのでしょう?」
自嘲めいた笑みを浮かべて、カツメイは言った。
「あの燭台で証明されたはずです。侵入者などいない。この城にいるのは僕達五人だけだと。……命を狙う者の傍で考え事ができるほど、図太くはないのです」
それは、今まで一貫して慎重を期していたカツメイにしては短絡的な発言だった。
それだけ参っているということか……無理もないかもしれんが……。
「これでも四天王の端くれです。いざとなれば、自分の始末は自分でつけますよ」
それでは、と言って、カツメイは自分の部屋に向けて歩き出した。
「待てカツメイ。ならば俺が護衛を―――」
「じゃあ、あたくしも部屋に戻ろうかしら」
バラドーがカツメイを追いかけようとした途端、グイネラがそう言って、異形の元帥は友人と主の間で視線を行ったり来たりさせた。
グイネラがカツメイとは逆の方向に立ち去っていくと、バラドーはついにカツメイへの視線を振り切り、「お待ちくださいグイネラ様!」と追いかけていった。
カツメイが南の廊下へ、グイネラとバラドーが北の廊下へ消えて、エントランスにはオレとシャーミルだけが残される。
「勝手な奴らめ……」
「……どうする?」
「仕方がない。オレ達はここで見張ろう。カツメイがいる南側と、他の二人がいる北側とは、このエントランスを通らなければ行き来できない。オレ達がここに陣取れば、少なくともカツメイは安全だということになる」
「……あんたも、犯人は私達の誰かだと思うの?」
「どうだろうな。その場合、やはり聖剣を使えた理由が気になるが……」
オレ達二人は、昨日の昼、四天王達の到着を待ったラウンジに腰を落ち着けた。
預かった魔力探知の燭台をテーブルに置く。紫の炎が灯った蝋燭は四本のままだ。
昨日と同じようにシャーミルがお茶を淹れてくれる。
それに口をつけながら、オレは謁見の間のほうを見やった。
ヤーナイの石像がそのままにしてある。当然ながら魔界に現場保存などという概念があるはずもなく……単に、どうにもできないのだ。
魔王もそうだったが、聖剣で石化させられた死体は床にピッタリと根を張っていて動かすことができない。
ただ、『死体を移動させることができない』というのは重要な情報かもしれんな……。
「……ふう」
シャーミルが自分で淹れたお茶を飲み、湯気の混じった息をついた。
いい機会だ。無論、見張りである以上気を抜くわけにはいかないが、会話をするにはちょうどいい時間だろう。
「シャーミル。昨日、風呂場でのことを覚えているか」
「……忘れないわ、一生」
恨みがましげなジト目で睨まれた。しまった。
「いや、そっちじゃなくてだな……話しただろう、色々と」
「……ええ、聞いたわね」
「オレのことを話したのだ。今度はお前の番ではないか?」
前にも口にしたように、オレはシャーミルのことをほとんど知らない。
それでも好きでいられるのがオレのいい所だ。だがそれはそれとして、好きな相手のことなら何だって知りたい。
知らなければならないのではなく―――知りたいのだ。
「…………ないわ、話すことなんて、何にも」
「そうでもあるまい。例えば、お前はどこの生まれなのだ? 神子というくらいだから、どこか特別な場所なのか」
シャーミルは少しだけ視線を逸らし、手を温めるようにしてカップを持った。
「……山奥の、小さな村だったわ」
「ほう?」
「世界との関わりを絶たれたような、寂しい村。村自体も、村人も、普通で、平凡で……私がいる、ということ以外には、何も語ることがない場所だった」
「ずいぶんと悪く言うではないか。故郷だろう?」
「祭壇なのよ、あの村は」
淡々とした声で、シャーミルは言った。
「村は舞台で、村人は人形。あの場所で、私だけが温度のある役割を与えられていた。私だけが、ほんとうだった」
抑揚のない声は、冷たく、乾いていて、何より投げやりだった。
どうでもいいけど、という言葉が今にもこぼれ出しそうな、希望のない調子だった。
彼女は時々、こういう喋り方をする。
いや、時々ではないのか。オレが何かとちょっかいを出しているから鳴りを潜めているだけで―――彼女は普段、ずっとこの調子なのだ。
「まるでお前以外は全員背景だったような口振りだな。両親はいなかったのか?」
「母親はいたけど、父親はいなかった。私が生まれるよりも前に、どこかに行っちゃったって聞いたわ」
「ほう。オレと同じだな。オレも、父親は生まれる前からいなかったのだ」
喜ぶような共通点ではないが―――そうか、シャーミルも父親がいなかったのか。
「それで、そんな村で育ったお前が、どうして四天王の一人に? 大出世ではないか」
「……あるとき、旅に出されたの」
「旅に?」
シャーミルは頷いた。
「最初から、そう決まっていたのよ。私には特別な力が――神子としての力が――あったから、行脚っていうのか……世界中を巡って。長い長い間、色んな所へ行って、色んなことをして―――そうしているうちに、辿り着いたの」
「辿り着いた、か」
「ええ。魔王様に、辿り着いた。……それが私の旅の終着点だったの」
つまり。
シャーミルは神子として生まれ、神子として育てられ、神子として旅に出て……神子として、魔王のもとを訪れた。
ただそれだけの話。それだけが、シャーミルの人生のすべて。
オレは少しだけ瞼を閉じ、開いた。
「―――その後は?」
「え?」
お茶に落とされていたシャーミルの視線が、オレに向く。
「お前は目的を達成したのだろう? 言われたことをきちんとこなしたのだろう? ならばその後、お前は自由にできたはずだ。無論、神子としての仕事はあれど……お前が『祭壇』と呼ぶ村から解放されて、お前はシャーミルとしての人生を謳歌できたはずではないか」
「…………」
……答えられずとも、答えはわかっていた。
彼女は何もしていない。しようとしていない。することがない。
したいと思わない。
「シャーミル、お前には……未来にかける希望が、何もないのだな」
それが投げやりな声の理由だ。
多かれ少なかれ、人には『希望の未来』というものが存在する。
『偉くなりたい』であれ『金持ちになりたい』であれ『腹を満たしたい』であれ『モテたい』であれ『生きたい』であれ、等しく己が未来への希望だ。
『このままの日々がずっと続けばいい』という願いだって、未来に希望することには変わりない。
だが、シャーミルにはそれがない。
そういう風に育ったのか、あるいは何かに絶たれたのか。
兎にも角にも、彼女はありとあらゆる未来を望んでいないのだ。
シャーミルは視線を俯け、カップをソーサーに置いた。
「そういうあんたは、どうなの?」
「ん? オレか?」
「あんたくらい強かったら、何もかもつまらないでしょう。それこそハーレムでも作って、女の子をはべらせるくらいしか楽しみがないんじゃないの?」
その声は、どこか皮肉げで、どこか自嘲めいている。
確かにオレも男だ、それが楽しくないとは言わんが―――
「いいや、オレにはあるぞ。昔からの……夢、と言えばいいのか」
「夢? ハーレムじゃなくて?」
「ああ。いや、無関係ではないのかもしれんがな……」
オレは視線をシャーミルから逃がし、首の後ろをぽりぽりと掻いた。
「その………………家族が、欲しいのだ」
言った直後に、誤魔化すように笑う。
ううむ……この話をするのは、やはりどうにも照れくさい。だが今更話をやめるわけにもいかん。
「嫁がいて、子供がいて、家があり……そういう家族が、家庭が欲しい。それがオレの、子供の頃からの夢なのだ」
照れくささを我慢して言い切ると、シャーミルがあからさまに驚いた目でオレを見ていた。
「なんだ? 何かおかしなことを言ったか?」
「いえ……その逆。あんたがそんな普通のことを言うなんて、思わなくて」
「むう。この話をするといつもそういう反応をされる」
まあ今時の若者らしくないとは自分でも思うが。
要は女子高生が『将来の夢はお嫁さんです』と言っているのと同じだからな。
オレが少しばかり憮然としていると、
「ごめんなさい。確かに意外だったけど……」
不意に、かすかに。
シャーミルが、口元を緩ませた。
「素敵な夢だと思う。……うん、本当に素敵」
今度はオレが驚く番だった。
いや、素敵だと言ってくれたのもそうなのだが―――オレは必死に自分の記憶を走査する。
うん?
おや?
あれ?
もしかして、今のがシャーミルの初めての笑顔だったのでは?
怒った顔や恥ずかしがっている顔は何度か見てきたが、笑顔は初めてなのでは?
「でも、それだったら尚更、色んな女の子に手を出すのはダメなんじゃないの?」
頭脳が処理エラーを起こしているうちにそんなことを言われ、オレはかろうじて現実に踏みとどまる。
「まあそうなんだがな。世間がオレの子供にどんな目を向けるかもわからんし。だがその辺りは、幾つか対策を案出している」
「対策って?」
「一つ、一夫多妻制の国に渡る。二つ、国の法律を変えて一夫多妻制にする。三つ、どこかで建国して王になる」
「関係を清算する、という選択肢はないのね……」
「当たり前だ。一度でも愛した以上は相手の全人生に対して責任を負う覚悟だ」
「だから重いわよ」
少し冗談めかした声で言って、シャーミルは微笑んだ。
……ああ、なんてことだ。
このオレが二の句を継げない。心臓がバクバクと鳴って破裂しそうだ。
微笑まれただけでこんなにもときめくなんて、ラブコメ漫画のヒロインじゃあるまいし、ちょっとチョロすぎるのではないか?
ちょっと不安にもなるが、同時に安心もした。
オレはもう、どうしようもなく、シャーミルという女の子にやられている。
だから。
彼女を守るためなら、神だろうと敵に回せるだろう。
その確信が、胸に灯っていた。
―――その時だ。
テーブルに置かれた燭台の炎が、唐突に揺れた。