オープニングとエンディング
隠し扉の奥は小さな部屋になっていた。
当然ながら窓はなく、暗い。
オレは闇の中に目を凝らすが…………人影は、見て取れなかった。
「誰か、カンテラをくれ」
しばらくしてシャーミルがカンテラを取ってきて、それを受け取ると、ひとまずオレだけで隠し部屋の中に入っていく。
注意深く室内を照らした。部屋と言うよりは穴倉に近い簡素な構造で、物もほとんどない。
人が隠れられるような場所は……ありそうにもないな……。
「大丈夫だ。入ってきてもいいぞ」
外にそう言うと、シャーミルとカツメイが中に入ってきた。グイネラとバラドーは入口から覗き込んでいるだけだ。
三人で室内を物色していく。
その間に、オレはシャーミルから死体発見の経緯を聞くことにした。
「気絶したあんたを放置して部屋を出た後、自分の部屋で着替えて、エントランスに行ったの」
「そこに、すでに死体があったわけか」
「そう。それで私、他の方も襲われてるかもしれないと思って、まずグイネラ様の所に行ったの。バラドー様やカツメイ様には悪いけれど、やっぱり優先順位があるから」
納得できる。シャーミル達四天王は王妃たるグイネラに仕える身なのだ。
「ご無事は確認できたんだけど……その辺りで、あんたを縛りっ放しなのを思い出して……」
「そうそう、聞いてよ。この子ったら、このあたくしにバラドーの安否確認を押しつけたのよ。早く早くって背中押して急かして」
グイネラが言い、シャーミルがばつ悪げに俯く。
なるほどな。殺人者がいるとわかっている中、身動き一つ取れない者がいたら心配にもなるだろう。
「それで……グイネラ様にバラドー様のことをお任せして、すぐにあんたの所に取って返したの」
「お任せか。グイネラ、貴様、ちゃんとバラドーの所に行ったのか?」
「行ったわよ。あんな剣幕でお願いされちゃ無視するわけにはいかないじゃない」
「バラドーも驚いただろうな。朝から貴様が訪ねてきて」
当のバラドーを見やると、リザードマンと鳥人の特徴を併せ持つ元帥殿は、気難しげに腕を組んでいるのみだった。
聞いた限りでは、カツメイは自分で異常に気付いたようだな。
ヤーナイの死体のすぐ近くには窓がある。朝に当人が言っていた通り、カツメイの部屋からなら窓越しに石化した死体の一部が見えるはずだ。
そんなことを考えながら、質素な文机の下をカンテラで照らしていると、一冊の手帳を発見した。
拾い上げ、片手で開いてみる。
「スケジュール帳……か?」
日付と余白が延々続いている。日記帳にしては余白が小さいから、おそらくはスケジュール帳だろう。
文机にカンテラを置き、本格的にページを繰っていく。
両隣からシャーミルとカツメイが覗き込んだ。
「ほとんど書き込まれていませんね」
「魔王様のものなの……?」
「可能性は高い。最初のページの日付は……およそ一年前か」
この世界で数日暮らすことで、日付もわかるようになっている。物覚えはいいほうだ。
カツメイの言う通り、前半は全部白紙だった。日付だけが延々と続く。
と。
ページを繰る手を止めた。
後半。残り四分の一になった辺りで、書き込みを発見した。
日付は―――オレが召喚された日の一週間前。
つまり、勇者が旅立った日だ。
その日に、ただ一言、こう書き込まれている。
「……『オープニング』……?」
オープニング。
ただそれだけ。それ以外には何も書かれていない。
さらにページを進めていった。やはり何も書き込まれていない白紙が続く。
しかし、最後のページが近付いてきた頃、不意に書き込みが現れた。
やはり、たった一言。
―――『エンディング』。
「オープニングと、エンディング……」
意味深だ。意味深すぎる。
さらにページを繰っていくと、『エンディング』の書き込みは他にも散見された。
一、二、三……数えていられない。
書き込まれた日付に法則性はなく、ランダムだとしか思えなかった。
オレはシャーミルとカツメイに振り返る。
「おい、何か心当たりはあるか?」
「……魔王様と勇者が戦う日、だと思う」
意外にもはっきりした答えがシャーミルから返ってきた。
「神託通りに勇者の冒険が進めば、大体その書き込みがある時期に最終決戦があるはず……」
「とは言え、どうしてこんなにもバラバラに書いてあるのかはわかりませんね。それも幾つも……」
最終決戦の日―――それでエンディングか。
しかし、魔族側の目的は神託の予言を打ち破って勇者を倒すことだったはずだ。これではまるで、魔王が自分の勝利をハナから諦めていたようではないか。
あるいは、ヤーナイもそれを悟ったのかもしれない。魔王が始めから勝利を諦めていた――その事実を知って動転した。考えられなくはない。
ともあれ、スケジュール帳に書かれているのはこれですべてだ。
他にも気になっているものがある。
「その箱」
部屋の奥には、一個の箱があった。
何の変哲もない木箱だ。リンゴでも入っていそうな、魔王城には似つかわしからぬ普通の箱。
「とりあえず開けてみるぞ」
蓋はあっさり開いた。
中には―――
「……また箱か」
と言っても、今度は箱の意味合いが少し違う。
それは豪奢な装飾が施されていて、見るからに宝箱だった。
箱の中から取り上げて、文机の上に置く。
大きさ的には片手で持てるほど小さく、形は横方向に細長い。短剣でも入っていそうな感じだ。
「これについて心当たりは?」
「いえ……こんなの見たことないわ」
シャーミルが答え、カツメイも頷く。
バラドーは無言で首を横に振り、グイネラは―――
「あ、それ、あたくし知ってるわ。こんな所にあったのね」
「何? 中身はなんだ?」
「開けてみればわかるわよ。大丈夫、トラップの類は仕掛けられてなかったはずだから」
若干不安だが……まあいい、どうせ開けるつもりだったのだ。
鍵穴はあったが、施錠はされていなかった。横に細長い蓋をオルゴールのように開く。
中身は―――空だった。
棒状に窪んだクッションがあるだけだ。
「あら、なくなっちゃってるわね。誰か持っていったのかしら」
「ここには何が入っていたのだ?」
「巻物よ。禁呪『ルネマ』のスクロール」
あっさりと言い放たれた言葉に、過敏に反応した者がいた。
「禁呪ルネマ……!? グイネラ様、それは真ですか!?」
バラドーだ。珍しく主たるグイネラに詰め寄っている。
「なんなのだ? その禁呪ルネマというのは」
「その名の通り、伝説に謳われる禁じられた魔法だ」
相手がオレであることを忘れたかのように、バラドーはあっさりと説明してくれる。
「禁呪ルネマを会得した者は、誰に劣ることもない万能の力を得るとされる。伝説では、かつての使い手は魔族でありながら人間の国の王になったと聞く……。しかもスクロールだと!? まさかそんなものが……!!」
「スクロールは、記された文章を読むだけで、そこに封じられた魔法を会得することができるアイテムよ」
驚愕モードに入ってしまったバラドーの代わりにシャーミルが説明してくれた。
「なるほど。伝説の中にしかなかったはずのトンデモ魔法が、こんな所に誰でも使える状態で保管してあった、ということか。確かにとんでもないことだな」
「それだけではない!」
バラドーの雷声が轟いた。
「問題は、スクロールで会得した魔法はいつでも自由に使える、ということだ!!」
「……どういうことだ?」
意味を捉えかねて首を傾げるオレに、カツメイが説明した。
「戦闘空間でなくとも使える、ということです。我々魔族は魔力を持ちはしますが、それで使える魔法は『人化』のみ。他は魔王様のみが作ることができる魔力装置を媒介せねばなりません。色んな魔法を自在に使えるのは戦闘空間の中でだけなのです。
……しかし、スクロールで覚えた魔法は例外です。戦闘空間であろうとなかろうと、簡単に、ただ念じるだけで使えるようになってしまう。魔力――MPを消費することすらありません」
なるほど。ようやくわかってきた。
戦闘空間以外でも魔法を使われてしまう。それも何の痕跡も前兆もなく。
自分達が使えるならともかく、敵である勇者にそんなことをやられたら厄介どころでは済まない。
「スクロールとやらは他にもあるのか?」
「かつては存在したと聞きますが、今や作成方法が失われており……この箱に収められていたというものが最後の一つでしょう」
「そう、最後の一つなのよ。危険だからさっさと処分してしまいたいけどできないから隠しておくって、あの人が言ってたわ」
……ここらで、この世界〈ボックス〉における『地球にはない現象』について整理してみよう。
大別すると四種類ある。
まず『魔法』。
これは人間だろうが魔族だろうが勇者だろうが、戦闘空間以外ではほとんど使えない。身一つで使えるのはたった一つ、魔族の『人化』のみ。
それ以外は魔王だけが作れる魔力装置を再利用することでしか実現できない。
第二に、『ステータス閲覧』と『ダメージログの参照』。
が、どうやらこれらは魔法ではなく、誰にでも使える普遍的な能力らしい。
第三がテミリロ草を始めとするアイテム群。
これは町に行った時にあらかた確認したが、テミリロ草以外に目ぼしい効果のアイテムはなかった。
また、装備アイテム類は戦闘空間以外では特殊効果を発揮しない。オレが持ち込んだのは例外だが。
そして第四が『特殊能力』だ。
神子の『神託』や『悪魔召喚』、勇者の『戦闘空間の展開』、魔王の『レベル40以下を皆殺しにする瘴気』や『魔力装置の製造』がこれに当たる。
これは属人的なもので、この場で持っているのはシャーミルだけと聞いている。
この四種類以外は、地球と何の変わりもない物理法則で動いている―――はずだったのだが、ここで一つの例外が現れた。
スクロールだ。
スクロールで覚えた魔法は戦闘空間以外でも使える。ただし、スクロールはたった一つしか存在せず、それは『禁呪ルネマ』と呼ばれる『万能の力』を持つ魔法である。
つまり、これからは何を考えるにしても、禁呪ルネマとやらのことがついて回るということだ。
しかも万能の力と来た。何とも厄介な……。
「グイネラ。ルネマの効果は知らんのか?」
「さあ? 興味なかったからねぇ」
「ふむ……」
ここに隠されていたはずのスクロールがない以上、何者かが持ち去った可能性が高い―――
「―――いや、違う。可能性ではない」
「え?」
オレは隠し部屋を出る。シャーミルがついてきた。
後ろに振り返り、扉の部分だけ切り取られたタペストリーを見上げる。
「……足音を聞き、隠し部屋を出た時、ヤーナイには心理的な余裕など欠片もなかったはずだ」
頭の中を整理すべく、思考を声に乗せる。
「これだけの重さと大きさのタペストリー……上に捲り上げていたのを元に戻せば、風が生じて音が生まれる。それを足音の主に聞き咎められる危惧を、ヤーナイがしなかったはずがない。
……十中八九、ヤーナイはタペストリーを捲り上げたままエントランスに向かったのだ」
「それって……」
シャーミルの呟きに、オレは頷いた。
「なのに、オレ達が来た時、タペストリーは元通りになっていた。タペストリーを縫い留めていたものも周囲にはなかった」
勝手に戻ったというのなら、ナイフか何かがすぐ傍に落ちていたはずだ。
「ヤーナイが出ていった後に、誰かがこの部屋を訪れたのだ。おそらくは犯人が、ヤーナイを殺した後に、彼女が謁見の間からやってきたのを訝しんで……」
「じゃあ、禁呪ルネマのスクロールを持ち出したのは―――」
「―――勇者。あるいは、勇者以外の聖剣を使える誰か」
昨日とは違い、オレは確言を避けた。
逃げ場のないこの状況でわかりやすい結論に飛びつくことに危惧を覚えたのだ。
「ともあれ、必要なのは城内の捜索だ。……と言っても、そうそう見つかりはせんと思うが」
「ああ、それならいいのがあるわよ」
ぴょこんと横からグイネラが顔を出して、上目遣いで見上げてくる。そんな仕草をしても立ち昇る妖気は隠せんぞ。
オレの警戒をよそに、グイネラは何でもないことのように言った。
「魔力を探知してくれるアイテムが倉庫にあったはずよ。それを使えば、他に誰かいてもすぐに見つけ出せるんじゃないかしら?」
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そんなものがあるなら最初から出せ。
よっぽどそう言ってやりたかったが、今更言っても栓無きことだ。
南側の廊下に連なる部屋の一つは倉庫になっている。オレ達はその中であれでもないこれでもないとガラクタを引っ繰り返していた。
倉庫とは言え、整頓されていて見通しはいい。掃除も行き届いていて埃は少ない。誰かがここに隠れていてもすぐ見つけられるだろう。
なので、目的のアイテムも程なく発見できた。
それは、やたらと枝がたくさんついた燭台だった。
「どうやって使うのだ?」
「蝋燭を立てて魔力を通すのよ」
グイネラの言葉に従い、一〇本ある枝すべてに蝋燭を立て、シャーミルに魔力を通してもらった。
すると、火を近付けたわけでもないのに、蝋燭の一本に炎が灯る。しかもそれは普通の赤い炎ではなく、夜明け前の空のような紫色をしていた。
「魔力装置か。ではこれも魔王製なのだな」
「そうよ。用心のために作ったんだけど、思ったより使い勝手が悪かったから放っておいたの」
「これ以外にも魔力装置があったりしないだろうな。壁を抜ける道具とか」
「これだけだからだいじょうぶ。あの人、あんまり魔力具を作りたがらなかったのよね。この城にあるのもエントランスのワープポータルと謁見の間の大扉くらいで」
喋っているうちに、二本、三本、四本、と蝋燭に紫の炎が灯っていく。蝋燭はまだまだあるが、火が灯ったのは四本だけだった。
「火が点いた蝋燭の数が、探知範囲内の生体魔力反応の数を示しているのよ。今は四本に点いてるから四人ってこと」
「探知範囲というのはどのくらいだ?」
「場所によるわ。屋内ならその建物の敷地内ね」
「つまり……今、魔王城には魔力の持ち主が四人しかいないということか?」
人間であるオレを除けば、シャーミル、グイネラ、バラドー、カツメイで四人。
……数は合っている。合っているが、合っていては困るのだ。
「犯人――勇者はヤーナイさんを殺害した後、何らかの手段を使って城の外に出た、ということでしょうか?」
「そうとも……取れるな」
「あるいは、禁呪ルネマで探知を逃れているとか……」
「うーん、それはどうかしら」
グイネラが言った。
「その場合、探知を逃れるのに使ってる魔法の魔力を探知してしまうと思うけれど」
グイネラの簡明な説明に、カツメイは色々と可能性を探っていた口を閉じる。
カツメイもわかっているのだろう。もっと簡単な可能性があることに。
すなわち―――オレ達五人の誰かが、ヤーナイを殺した。
侵入者など、勇者など、最初からいなかった。
気持ちの悪い沈黙が薄暗い倉庫に流れた。
誰しも、状況はわかっている。だからこそ言葉にしたくないのだ。その瞬間に、かろうじて保たれていたものが決壊してしまいそうで―――
「……貴様ではないのか、人間」
そんな空気を、あえてぶち壊すように。
バラドーが、猛禽の眼光をオレに向けていた。
オレは目を細め、睨み返す。
「なぜそう思う?」
「むしろなぜ疑われないと思うのだ? 突然現れた、素性も知れぬ、本来は我らの敵であるはずの人間。それが貴様だ。不審に思われるのが当然ではないか」
「……然りだな」
正論だ。確かに現状、最も怪しいのはオレだろう。
「だがその場合、あの聖剣はどう説明する? 魔力を持たないオレに聖剣は使えんぞ」
「貴様は妙な道具を持っている。その腰の袋に人間でも魔力を使えるようにできる道具が入っているのかもしれん」
「……なるほどな。なかなか筋が通っているではないか」
だがそう来るならこちらにもやりようがある。
「ならば調べてみるか? 袋の中身を全部。そんな道具は一つもないと、それで証明できるはずだが」
「……今もそこに入っているとは限らん」
「城中を探せばいい。移動が大きく制限された状態だ、隠せる場所はそう多くなかろう」
両腕を広げて堂々と言ってやると、バラドーは忌々しげに表情を歪めた。
「詐欺師め」
「お褒めに与り光栄だ」
結局、袋の中身を検めることにはならなかった。
いたずらにオレの嫌疑を晴らしてしまうだけだと、バラドーは思ったのだろう。
嫌われているな。この機会にオレに汚名を着せたいらしい。
元帥ともなると純粋な武人ではいられなくなってしまうようだ。
さて……容疑者扱いは回避できたが、状況は一ミリも進展していない。
殺人者は確実に存在する。しかし、どこにいるのかはわからない。
勇者が城内に潜んでいるのか?
それとも、オレ達五人の誰かが、何らかの手段で聖剣を使ったのか?
その上、犯人は禁呪ルネマとやらを習得している可能性が高い。
万能の力をもたらすと言われるそれを、犯人はどう使っているのか?
そして、最大の謎は、増殖した聖剣。
世界に一本しかないはずの聖剣が、なぜもう一本現れたのか……。
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全員でエントランスに戻ってくる。
これからの身の振り方を考えねばならない。オレとしては全員固まって籠城を決め込むのがいいと思うが、この連中が素直に従ってくれるか……。
ヤーナイの死体に目をやる。
……こいつらを集めたのはオレだ。これ以上、犠牲者を増やすわけには……。
「……ん?」
なんだ……? ヤーナイの死体に、何か違和感が……。
改めて石化したヤーナイを見据えた瞬間―――
ひやっと、冷たい感覚がうなじを撫でた。
「おい、カツメイ!」
「はっ? な、なんでしょうか?」
「貴様がヤーナイのダメージログを見た時……こんなもの、あったか?」
カツメイは眼鏡の位置を直し、ヤーナイの死体を見て―――
「そ、……そんな……」
唖然と、声を震わせた。
「あ、ありませんでした……。僕が見た時は、そんな紙はどこにもなかった!」
ヤーナイの胸に突き刺さった聖剣。
それに、紙が―――一枚の手紙が、矢文のように縫い留められていたのだ。
手紙には、こう記されている。
―――さあ、かくれんぼを始めよう。
―――経験値以外の何かを、僕に与えてみせてくれ。