経験値に口なし
朝、目が覚めると。
オレはなぜか縛り上げられていた。
「…………お? おっ? おおおおおっ!? なんだこれは!?」
身動き一つ取れない見事な拘束っぷり。縄が肌にぐいぐい食い込んでくる。
芋虫のようにじたばたともがくオレを、ベッドの傍に立ったシャーミルが干からびたカエルを見るような目で見下ろしていた。
「しゃ、シャーミル? これをやったのはお前か!?」
「当たり前でしょう。命があっただけありがたく思って」
なんだ。何があった!? オレが眠っているうちにシャーミルに一体何が!?
シャーミルは柳眉を逆立て、
「どうしてあんたが同じベッドで寝てるのよ!」
顔を赤くして叫んだ。
オレは昨夜のことを思い返し、
「ああ、それはな。のぼせて気絶したお前が目を覚ましそうになかったから、そのまま寝かせてやろうと思ったのだが、お前の部屋には鍵がかかっていたのだ。だから仕方なくオレの部屋に」
「…………ちょっと待って。のぼせた? 私が? どこで?」
「風呂場に決まっているだろうが」
一〇秒程度の沈黙。
「………………お風呂場、って。……………………じゃあ、……………………まさか……………………」
シャーミルは自分の身体を見下ろした。それはいつものローブではなく、楽そうな寝間着である。
じわ、とシャーミルの目に涙が滲んだ。
「ま、待て! アレは医療行為だ! ノーカウント! ノーカウントだから泣くな!」
「…………な、泣いてない」
鼻声で言って、シャーミルはくるりと背を向けた。
ぐむむ。まさかこんなことで初めての泣き顔を拝んでしまうとは。
どうにか慰める手段を思案していると、
「…………わかったわ。あれは医療行為。ノーカウント。…………わかった、ことにする」
自分で折り合いをつけてくれたようだった。
危なかった。口をきいてくれなくなったらどうしようかと。
シャーミルは寝間着の袖で涙を拭い、こちらに向き直ると、
「でも、さっきの説明、あんたが一緒に寝てる理由の説明が一つもなかったんだけど」
「オレの部屋のベッドでオレが寝て何が悪い」
シャーミルは眉根を寄せ、頭痛でもするかのように額を押さえる。
「まあ、うん、一理ある……一理ある、ということにしておく」
「オレの発言で一理ない時があったか?」
「それよりも!」
いきなり強い語調で言って、シャーミルは毛布を被せられたオレの身体を指差した。
「どっ……どうして服を着てないの!? ぜったい、ぜったいぜったい絶対なにかしたでしょう!」
また涙目に戻っている。これは酷い誤解だ。
「オレは寝る時はいつも裸なのだ。やましいことは何もしていない!」
おっぱいはちょっと触ったが。
「う、嘘よ! だ、だって……朝起きたとき……」
声が尻すぼみに消え、シャーミルは耳まで赤くしてそっぽを向いてしまう。
……はて。朝起きた時、なんだ?
オレが何かしたと推測するに足る何かがその時あったということで―――
「ああ、なるほど」
オレは理解した。
「安心しろ、シャーミル」
「な……何をよ……」
「別に興奮していなくとも、朝の男は自動的にああなるもの―――」
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っっっ!!!!」
組み合わされた両手が、オレの頭部にハンマーのように振り下ろされた。
予想以上の衝撃に、オレの意識は一撃で刈り取られた。
%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%
「――――――はっ!!」
本日二度目の覚醒である。
場所はまだベッドの上。拘束も解けていないし、服も着ていない。
やれやれ。照れている姿は殺人的に可愛いが、もう少しくらい優しさがあってもいいと思うのだ。
大体、シャーミルだってオレのを見ているのだからお互い様ではないか。
昨日まで使っていた部屋には柱時計があったが、この部屋にはない。なので、あれからどのくらい経ったのかはわからなかった。
身を捩って窓を見ると、中庭には薄暗いなりに光が満ちている。まだ午前ではあるようだ。
さて、シャーミルはいつ戻ってきてくれるのだろう……と不安に駆られていると。
ガチャリ、と扉が開き、シャーミルが現れた。いつものモノトーンのローブを着ている。
「おお、シャーミル。さっさとこれを解いてくれ。そろそろ跡になりそうだ」
「…………よかった……」
馬鹿な。オレの肌が縄文土器のようになることの何が良いと言うのだ――と言いかけ、彼女の深刻そうな表情を見て口を噤む。
「何があった?」
「来ればわかるわ」
シャーミルはベッドに近付き、両手の拘束を外してくれた。後は自分でやれということだろう。
オレは手早く縄の結び目を解き、机に置いてあった服や手袋やアイテム袋を身に着ける。
服を纏ったオレはシャーミルと共に部屋を出る。
その時、二つ右の扉からちょうどカツメイが出てくる所だった。
「おはようございます」
「おはよう。……む。香水でも付けているのか? 何やら甘い匂いがするが」
「ああ、ええ。昨日は入浴をしなかった上、着替えも上の部屋ですから。少し気になりましてね」
四天王達は荷物をあらかた上の階に閉じ込められている。寝間着を含め、幾らかは一階の部屋にも用意してあったが、やはり着慣れた服のほうがいいようだ。シャーミルも同じローブだしな。
オレは表情を引き締めて訊ねる。
「何があったか聞いたか?」
「……予想はついています。僕の部屋からだと、窓越しに見えますので」
窓越しに見える、となると……。
「エントランスか」
足早に廊下を歩く。
最初の角を右に曲がり、エントランスに繋がる短めの廊下を渡った。
靴が大理石の床を踏み、硬質な足音を立てる。
そして、エントランスへ。
一目瞭然だった。
前庭を兼ねるエントランスホールから謁見の間に向かって伸びる幅の広い廊下。それとエントランスの境目辺り――向かって右側の壁際。
そこに。
石像があった。
見間違えるはずがない。
女性にしては高い身長。メリハリの利いたスタイル。
身に纏っているのは部屋に常備されていた中でも特に煽情的なものだ。
褐色の肌は今となっては灰色一色。しかし手足の鱗は隠されようもない。
そして。
胸の中央には、一本の剣が、突き立っている。
大臣ヤーナイの死体が、そこにあった。
「……あーらら」
「……………………ヤーナイ」
横合いから聞こえた声に視線を移す。
向かい側の廊下から、グイネラとバラドーがやってきた所だった。
「……とりあえず……失礼します」
カツメイが石化したヤーナイに近付き、その肩に手を触れた。
「【ダメージログ・リード】」
詠唱と同時に、石像の頭の上に光の文字が出現する。
……出現、してしまう。
オレはすでに、この世界の文字を多少は読めるようになっていた。
そこに記された内容は以下のようなものだ。
●大臣ヤーナイ レベル:46 種族:魔族
最大HP:1500
最大MP:200
攻撃力:200
防御力:250
敏捷性:230
魔攻力:410
魔防力:250
▼コマンド:物理攻撃(通常)
▼642のダメージ!
642。……膨大なダメージだが、敵の強大さは元よりわかっていたことだ。
「カツメイ。剣に触ってみてくれ。そっとでいい」
「……わかりました」
カツメイはオレの意を汲み、ヤーナイの胸に突き刺さった剣にそっと触れた。
瞬間、バチンッ! と手が弾かれる。
―――聖剣だ。
そうとわかるや、オレは走り出していた。
石化したヤーナイの横を通り、謁見の間へ。
後ろを何人かがついてきている気配がある。
扉は開け放たれていた。
中に踏み込む。窓のないこの謁見の間は、朝であろうと関係なく暗い。
後ろをついてきた誰かがスイッチを入れたのか、かがり火が灯っていった。
最奥には巨大なタペストリー。
その手前に玉座。
玉座に腰掛けるのは三つ目の魔王。
その胸には―――未だ、聖剣が健在だった。
魔王の目の前まで駆け寄ったオレの隣をシャーミルが追い抜き、石像に突き立った聖剣に触れる。
バチンッ!
結果は同じだった。
「…………はは」
笑いが込み上げる。
ミステリ・イーターとしての本能が喚起される。
―――二本目の聖剣。
伝説に謳われる聖剣が、二本も三本もあるはずがない―――
そんな約束事は、今現在を持って、音もなく崩れ去った。
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無意識に思考に没入しようとしたオレを、些細な違和感が押し留めた。
「……?」
違和感の源を探して、オレは視線を上げる。
……なんだ? 謁見の間に、何か変わった所などあるだろうか?
魔王の死体は昨日のまま。あとは広大無辺な空間が広がるばかりだが……。
あると言えば、最奥の壁に掛けられたタペストリーくらいか。壁一面を覆うかのような巨大なタペストリーなのだが―――
「―――む?」
「どうしたの?」
シャーミルの問いには答えず、オレは玉座を回り込んでタペストリーに近付いた。
「……あれか、違和感の正体は」
タペストリーの、床から大体二メートル前後の辺りに、刃物を突き刺されたような穴が縦に二つ空いている。
隣に追いついてきたシャーミルもオレの視線を追い、それに気付いて眉をひそめた。
「……あんなの、昨日まではなかったわ。どうしてあんな所に穴が……」
「縫い留めたのだ。ナイフか何かで」
穴は上下に二つ空いている。
そのうち、下に空いているほうが縦に長かった。
重さで引き裂かれたのだ。
タペストリーの下端を捲り上げ、頭の上まで持っていって壁に縫い留めると、上に持ち上げられた下端のほうが重さで元に戻ろうとする。
縫い留めるのに使ったのが両刃のナイフなら、その際、タペストリーは自らの重さで傷口を広げてしまう。
「縫い留めた? どうしてそんなことを……」
「邪魔だったからに決まっているだろう」
オレはタペストリーの下端を持ち、存外重いそれを頭上まで捲り上げた。
そこには、扉があった。
息を吸う音が聞こえ、空気の質が変わる。
タペストリーを元に戻して振り返ると、謁見の間には全員――シャーミル、カツメイ、バラドー、グイネラの四人――が集合していた。
「貴様達は、知っていたか? ここに扉があったことを」
「知らなかったわ」
はっきりとそう答えたのはグイネラだけ。
他の者達は沈黙をもって否定を示した。
「隠し部屋というヤツか……。昨夜、ヤーナイがこれに気付いたのだな」
「ヤーナイさんが? どうしてそう言えるのですか?」
オレは視線を遠くに投げる。
謁見の間の扉が開け放たれている今、ヤーナイの石化した死体はここからでも見ることができた。
「ヤーナイの死体の位置を見ろ。廊下とエントランスの境目の壁際―――まるで身を潜めるような位置だ。
推測になるが、昨日深夜、ヤーナイは何らかの切っ掛けでこの扉を見つけた。そして中を調べている間に、足音を聞いたのだろう。
足音がする場所――即ち、絨毯が敷かれていないのはエントランスのみ。足音の主を見極めるため、ヤーナイは謁見の間からエントランスに向かった。
そこで……おそらくは犯人を発見し、廊下の角に隠れて隙を窺った。だが、犯人に気付かれてしまい、返り討ちにあった……」
オレは扉が隠されたタペストリーに視線を戻した。
「深夜とは言え、足音を聞いただけでわざわざ確認に行くのは、若干不自然な行動だ。その時のヤーナイはかなり神経を過敏にしていたのだと推測できる。あの跳ねっ返りな性格だ。足音で生じた自分の動揺を否定したくなったのだろう……」
見たくない。見たくないが、見てしまえば大したことはないかもしれない―――そんな心理から、アイツは足音を追ってしまった。それが命運を分けた……。
「ってことはぁ」
甘ったるい声でグイネラが言い、タペストリーを指差した。
「その扉の奥には、ヤーナイちゃんを怖がらせるような何かがあるってことかしら?」
「そういうことになる」
オレは腰にぶら下げた袋に右手を突っ込み、手頃な剣を引っ張り出した。
「調べない手は……ないな」
タペストリーを四角く切り取り、扉を露出させる。
オレは深く呼吸をし、静かにノブを握って―――
―――ゆっくりと、扉を開けていった……。