誰がための推理
「……あんた、必死過ぎ」
そんな若干引き気味のお許しをもらえた頃に、刻限がやってきた。
会議――という名目ではあるが、その目的は言うまでもない。
集合場所は魔王城上層に幾つかある会議室ではなく、一階・謁見の間の大扉の前だった。
シャーミルと共に、エントランスから真東に伸びる廊下を進む。
道路なら二車線くらいはある幅広の廊下を、燭台の灯りがぼんやりと照らしていた。
廊下の先、見上げんばかりの鉄扉の前には、すでに全員が到着していた。
元帥バラドー、軍師カツメイ、大臣ヤーナイ。
神子シャーミルを合わせて、ここに再び魔界四天王が集結する。
トカゲと鷲を混ぜ込んだキメラみたいな姿の元帥バラドーが、猛禽めいた目でオレをひと睨みしてから、さらに背後を見やった。
「グイネラ様はいらっしゃらないのか?」
「張り切りすぎて疲れたからパス、と」
淡々とシャーミルが答える。
よくあることだからか、内容にも拘わらず落ち着いている。
「今回お話ししたいことは、グイネラ様はすでにご承知されています。ですので皆様だけで進めたいと思います」
「案の定、会議などではないわけですね」
青い肌の軍師カツメイが、眼鏡の位置を直して言った。
「謁見の間の前で集合など、おかしいと思いました。いえ、おかしいと言えばこの召集自体ですか。護衛すら城に入れてはならない――いくら重要な用件だとは言え、尋常ではありません」
「そうよ。小間遣いもダメなんて、誰があたしの髪を梳くのかしら」
ヤーナイが物憂げに言う。そのくらい自分でやれ。
「詳しいことは謁見の間にてお話しします」
「魔王様がいらっしゃるの?」
「……見ればおわかりになられるかと」
シャーミルが大扉に触れ、魔力を通す。扉の意匠が光を放った。
重々しく左右に分かれていく扉を見ながら、オレは気を引き締める。
ここが正念場だ。
オレは、ここで魔王殺しの犯人を明かす。すべてはそこから始まるのだ。
シャーミルを守るために。
――― 知らなければ ―――
――― あたしを逃げ道にしないで! ―――
(……うるさい)
呪い達が何と言おうと、オレは―――
「どうぞ、中へ」
扉が開き切ると、シャーミルが最初に中に入り、続いてオレが踏み込んだ。
瞬間、鋭く息を呑む音が聞こえる。
……今のはカツメイか。なかなか頭が回る。もし魔王が生きているならオレは瘴気で死んでいるはずだと、いち早く気が付いたのだ。
全員が中に入ると同時、入口側から順番にかがり火が灯っていく。
闇が払われ、謁見の間の最奥が露わになった。
奥の壁には大きなタペストリーがあり、その手前に玉座が聳える―――そして、そこに腰掛ける石像も以前のまま。
「ま……魔王、さま」
呆然とそう呟いたのは、ヤーナイだった。
オレは四天王達の様子をそれとなく確認する。
ヤーナイとバラドーは呆気に取られたように目を見開いている。カツメイは、まだ懐疑的な表情だ。
玉座に近付いていくにつれ、その姿は明瞭になってくる。
二メートル近くある偉丈夫。額にある第三の眼。
その石像は、その死体は、紛れもなく魔王のものなのだと、きっと誰もが理解した。
「ご覧の通り」
玉座の目の前まで来て、シャーミルは念を押すように告げた。
「魔王様は、ご崩御なされました」
エントランスよりも広大な謁見の間に、シャーミルの声だけが寂しく流れていく。
最初に反応を示したのは、ヤーナイだった。
「う―――うそ、よ」
石像となった魔王を前にして、彼女は激しくかぶりを振る。
「嘘よ、こんなの!! 魔王様が亡くなられるはずなんて……!! だって……だって、あたし達四天王は、そのために……!!」
さぞ無念だろう。魔王を身を挺して守るために、彼女ら四天王は存在する。それをこんな風に、まるで嘲笑われるかのように―――
しかし。
それにしても、この反応は奇妙ではないか?
無念ではあろう。だがこの反応は、忠義のそれとは質が違う。
「……僕としても、にわかには信じられませんね」
硬い声でカツメイが言った。
彼は長い黒髪を揺らし、魔王の死体に一歩近付く。
「ログを確認しても?」
「どうぞ」
カツメイは玉座の傍まで近付き、石像の肩に軽く手を触れた。
そして、
「【ダメージログ・リード】」
そう唱える。
すると、魔王の頭の上の虚空に光の文字が描かれていった。
描かれた文字列はそう多くはない。右側に八行、左側に二行。
この世界の文字なのでオレには読めないが、内容はすでに知っている。
これはこの世界における『検死』だ。
死体がどこの誰で、どういう理由で死んだのか。それを明らかにするのがこの『ダメージログの参照』である。
『ステータス閲覧』と同じで魔力は必要なく、誰にでも行なうことができる。
浮かび上がった文章のうち、右側にある八行は魔王の名前とステータスだ。
魔王のステータスはこうなっている。
●魔王デミス レベル:70 種族:魔族
最大HP:5000
最大MP:500
攻撃力:870
防御力:800
敏捷性:450
魔攻力:940
魔防力:750
さすがは魔王と言うべきか、途轍もない能力だ。オレが所蔵の中から最強の装備を見繕ったとしても、HPを一〇分の一削るのがやっとという所だろう。
特にHP―――このようにケタ違いにHPが高いのは、高位の魔族に共通する特徴らしい。
そして左側にあるのは、カツメイが唱えた通りの負傷記録。
最後に受けた攻撃の種類とダメージの大きさが、そこに記されている。
それを見た四天王達が、一様に動揺の声を上げた。
▼コマンド:物理攻撃(通常)
▼425のダメージ!
「よ……425だと……!?」
バラドーが戦きの声を上げる。
無理もあるまい。防御力800を誇る魔王に対して425ものダメージ。しかも攻撃の種類は『物理攻撃(通常)』―――
オレが勇者と戦った時もそうだったが、攻撃者に強化がかかった通常攻撃はすべからく『(強化)』の文字が入る。つまり、この攻撃者は自分に何の強化も施していないのだ。
このダメージを無強化で叩き出すには、1250もの攻撃力が必要だ。
世界最強の存在たる魔王の一・五倍もの攻撃力を、この敵は持っていることになる。
「魔王様は呪いにも高い抵抗力を持っているはずだ……!! こんなことが!!」
デバフとは、敵のステータスを下げる類の魔法のことだ。魔王にはまったく効かないと聞いている。
「……信じられません」
カツメイが魔王の頭の上に浮かぶダメージログを見上げた。
「信じられませんが―――信じざるを得ないようです。この死体は、紛れもなく魔王様だ」
そう、このログこそが魔王の死体が偽物でない証。完全なる身分証明だ。
これを最初に見せられたからこそ、オレは替え玉説をほとんど考えなかった。
「そんな…………魔王、さま…………」
がくりと、ヤーナイが膝を突く。
顔を覆った手から、涙がぽたぽたと零れ落ちた。
やはり彼女は、魔王に対して何かしら特別な感情を抱いているようだ。
……何かしら、というか、大体察しはつくが。
妙に張りきった格好をしているのも、大方その辺りが理由なのだろう。
その隣で、バラドーが床を見つめ、ぶるぶると拳を震わせていた。
悲しみではなく、それは怒りの震え。
魔王を守れなかった自分へのものか、魔王を殺した下手人へのものかは、判別がつかなかった。
そして魔王のすぐ傍にいるカツメイは―――死体の胸に突き刺さった剣の柄に軽く触れ、バチッ! と手を弾かれていた。
「…………聖剣、ですか…………」
「何ッ!?」
聞き捨てならないことを聞いたとばかりに、バラドーが顔を上げた。
「聖剣だと……!? では、あの勇者めが……!!」
「ま、待ってくださいバラドー。まだそうと決まったわけではありません。この聖剣がよくできた偽物という可能性もありますし、その場合は勇者になりすました別人の仕業かもしれません。ここは慎重に―――」
「―――いや、犯人は勇者だ」
ここだ。
オレはタイミングを確信し、一歩踏み出して告げた。
全員が一斉にオレに振り返る。シャーミルまでもが一様に。
オレは玉座に腰掛けた魔王に近寄り、その膝を指差した。
「膝が折れているのがわかるか?」
「膝……? ええ、確かに……」
「それと肘もだ」
肘と膝。それら関節部が、ぽっきりと折れているのだ。他には傷一つ見当たらないにも拘わらず。
「これが何だと言うのですか?」
「曲がらない関節を無理やり曲げたようだとは思わんか?」
「……だから、それがどうだと言うのですか、カシギさん。結論を仰ってください」
「これは、魔王の石化が直立状態で起こったことを示している」
オレは振り返り、四天王達に向き直った。
「貴様達に経験があるかはわからんが、勇者が展開する戦闘空間から通常空間に復帰する瞬間、戦闘空間の中でどんな状態であろうとも、空間展開前の状態に戻される。傷も、装備の損傷も―――そして、姿勢もな」
――― 剣を振り下ろした状態だった姿勢が、戦闘が始まる前の直立状態に戻っていた ―――
ハッと気が付いた空気が流れた。
一応、オレは説明を続ける。
「魔王は戦闘空間の中で致命傷を受けた。一度実際に勇者と戦ったからわかるが、決着がついた後も戦闘空間は少しの間だけ維持される。そのタイムラグの間に、魔王の身体に聖剣の効果による石化現象が始まったのだ」
オレは肘掛けを掴む魔王の指先を指差した。
「おそらく、石化は身体の末端から始まった。手と足の先だ。そこから胴体に向けて上っていき―――」
石化した上腕を指でなぞっていき、肘まで至る。
「―――肘と膝まで石化した辺りで、通常空間に戻った。戦闘開始時、魔王は玉座に座っていたのだろう。聖剣を受けた時には直立していた姿勢は、強制的に着座の姿勢に戻された。
結果、関節としての機能をすでに失っていた肘と膝が折れる。腰が無事なのは、まだ石化していなかったからだろう」
よって、と言葉を繋いで、オレは再び四天王達を見据えた。
「この死体は戦闘空間内で殺されている。犯人は勇者でしか有り得ん。聖剣の有無など関係なく、このおかしな死体の状態をもってのみ、犯人は勇者だと確言できるのだ」
「ま、待ってください!」
慌てたようにカツメイが口を挟んできた。
「それは確かに有力な可能性ですが、確言できるほどではないでしょう。何らかの手段で魔王様を石化させた何者かが、勇者の仕業に見せるために魔王様のご遺体を損壊したのかもしれません」
オレは首を傾げた。
「まるで勇者が犯人だと困るような言い方だな?」
「……貴方はご存知ないのでしょうが」
ちらりと背後を振り返り、潜めた声でカツメイは言った。
「恨むべき仇を得たバラドーとヤーナイさんが、一体何をするか想像もつきません。彼らが頭を冷やすまで、結論を一時保留にしたいのです」
「なるほど、それなら納得だ。……だが残念なことに、保留の余地がない」
カツメイの横を通り、オレは魔王の死体から離れていく。
「何らかの手段で石化、という所までは良しとしよう。具体性にかけるが、ないとは言えん。だが魔王の死体を損壊した、という所はいただけない」
「なぜです?」
「自分でやってみたらどうだ。軍師とは言え貴様も四天王……そこそこ強いのだろう? その死体を、本気で壊してみろ」
カツメイはオレから魔王に目を移し、逡巡するように沈黙した。
だが程なく動き出す。腰に吊るした鞘から剣を抜き、切っ先を魔王の腹部に向けた。
「何をするの、カツメイ! 魔王様のご遺体に―――」
「黙って見ていろ」
オレも腰の袋から剣を抜き、ヤーナイに突きつけた。
「必要なことだ。ちゃんと貴様の望む通りになるから安心しろ」
「人間如きが偉そうな口をッ……!!」
ヤーナイが表情を歪めた時だった。
カツメイの剣が、衝撃波を生むほどの速度で突き出される。
ガィイイイイン!! という硬質な音が、広大な謁見の間に響き渡った。
しかし。
「む……!?」
ヤーナイが、バラドーが、シャーミルが、カツメイが目を見張る。
鋭く繰り出された刺突は、確かに魔王の腹部に命中した。
だが、そこには傷一つ付いていない。
むしろ剣のほうが断ち折れ―――カラン、と虚しく、謁見の間の床に転がっていた。
「見ての通りだ。魔王の防御力は800もある。貴様達最強級の魔族でさえ破壊することなどできんのだ。たとえ死体であってもな。……もちろん、魔王を殺した勇者は例外だが、結論は同じだ」
戦闘空間から復帰する際に折れてしまったのは、言わばシステム的な現象によるものだからだろう。魔王の強大なステータスも、神とでも呼ぶべき世界のルールの前には無力だったのだ。
さて、これで犯人が勇者であることは証明できた。後は―――
次の段階に移ろうとした時、シャーミルが近付いてきた。
オレに向けられた目は、いつものように綺麗で―――
同時に、オレへの不審をたっぷりに含んでいる。
「……どういうことなの?」
「どういうこと、とは?」
「あなたは私に言った。勇者はシロだって。勇者以外でも聖剣を使える可能性があって、だからレベル40を超えてる奴は全員容疑者だって。あなたがそう言ったから、私はこうしてその全員を集めたのよ?」
シャーミル以外の四天王がどよめいた。
「シャーミルさん、それは事実ですか?」
「ちょっと、何よそれ……!! そういうことだったの!?」
「痴れ事を! 我らが魔王様を害するわけがないッ!!」
がやがや言っているのは聞き流し、オレはシャーミルだけを見据える。
「悪いな、シャーミル。それはすべて嘘だ」
「……嘘……?」
オレは頷いて、四天王を集めた真の目的を語り始める。
「勇者と一戦交え、戦闘空間を体験したことで、オレの中で容疑は固まっていた。根拠はさっき言った通りだ。そこでオレが次に考えねばならなかったのは、勇者からどうやってお前を守るか、ということだった」
ここは現代日本とは違う。犯人を特定して警察に引き渡せば終わり、とはならない。
「はっきり言って、対策は皆無だった。お前はオレに、魔王城のセキュリティを固めるために殺害手段の調査を依頼したが、そんな調査に意味などない。
なぜならヤツ――勇者は、オレと戦った時、ステータスを大幅に誤魔化していたことが推測できたからだ」
「どうして……? レベルは特定できたんじゃなかったの?」
「特定したつもりだった。だが直後に否定された」
攻撃力、防御力、敏捷性。その三つを特定することで、オレはヤツのレベルを10だと推論した。
それはいわゆる論理的帰結というヤツで、他には有り得ないはずだった。
なのに。
「オレは勇者に二回の攻撃をした。そのどちらもダメージは70だった―――合計140のダメージで、ヤツは死に至ったのだ」
「……だからどうしたって言うの。充分なダメージじゃない」
「いいや、充分ではない」
なぜなら。
「レベル10なら、HPは最低でも145はあるはずなのだ」
勇者の初期HPは100。そしてレベルが1上がるごとに5から9上昇する。
レベル10に至るまでには九回のレベルアップがある。そのすべてで上昇量が最小の5であったとしても、100+5×9でHPは145。140のダメージで死ぬはずがない。
「そんなの……回復し切ってなかっただけかもしれないでしょう」
「ないな。戦闘開始時、ヤツは無傷だった。ダメージは受けていない」
――― 正面では勇者が万全の状態で剣を構えている ―――
「おそらくは唯一確認できなかったアクセサリーの効果だろう。アクセサリーで上がるステータスは精々5だが、下がるステータスまでは定かではない。……心当たりはないか?」
「…………なくは、ない。確か、どこかの魔物が、超低確率で全ステータスを何分の一かにするアクセサリーを落とすって聞いた覚えが……」
「何分の一か、か。妥当だな。本来の勇者のステータスは、オレが戦った時の数倍の数値なのだ。自然なステータスではないから、通常は有り得ない組み合わせになってしまった……そういうことだ」
「でも、どうしてそんなことをする必要があるの。わざわざ自分を弱くするなんて……」
「縛りプレイだよ」
「は?」
訝しげにするシャーミルに、オレはこの世界の人間でもわかるように言い直す。
「楽しんでいるのだ、ヤツは。弱い自分を。それによる困難を。……そうしなければ何もかもが退屈なのだ。強すぎるがゆえにな」
勇者と相対した時に感じたあの飢餓は、いわゆる強者ゆえの孤独というヤツだったのだ。
ヤツは強すぎる。理由はわからないが、魔王すら圧倒するほどの力を持っている。
それゆえに自ら力を抑えなければつまらなかった―――アイツは退屈しのぎで自分を追い詰めていたのだ。
「いくら防備を固めようとセキュリティを刷新しようと意味などない。その気になればヤツはいつでもこの城を落とすことができる。
魔王を殺しておきながら同じ城にいたお前を襲わなかった理由が気になっていたが……なんてことはない、ただの気まぐれだ。
アイツは退屈になったらまたこの城にやってくる。その時にお前を守る手段が、オレにはなかった」
だから、と言って、オレは他の四天王を見た。
「殺られる前に、殺ることにした」
オレはシャーミルを好いている。守ってやりたくて仕方がない。
だから、その他のすべては使えるだけ使い倒す。
愛したもの以外に気を遣えるほど、オレは器用な人間ではない。
「単体で勇者に敵う存在はない。だが単体でないなら? 魔界の総力を結集すれば、打倒は難しくないのではないか。そう――ヤツは、一ターンに一度しか動けないのだからな」
それが戦闘空間の弱点。
一人一人が平等になるがゆえに、数の差が如実に影響する。
「今までそれができなかったのは神託とやらがあったからだ。だが、そんなものどうでもいいと思えるほどの感情が、魔界の幹部たる四天王に起こったなら?
話は簡単だ、仇は勇者だと教えてやればいい―――そのために四天王をここに集め、犯人は勇者だと明言する必要があった」
バラドーが鷲の翼が生えた肩を怒らせ、ドスドスと近付いてきた。
「貴様……!! 人間の分際で我らを操らんとしたのか!!」
「人聞きの悪いことを言うな。オレは事実を伝えただけだ。その結果にどんな期待をかけようと、それはオレの勝手というものだろう。
……それとも、見逃すのか? 神託などという訳のわからないもののために、主の仇を」
「ぐ、ぬぅううう……!!」
バラドーは人外の顔を複雑に歪ませる。
その後ろで、跪いていたヤーナイがゆらりと立ち上がった。
「人の舌には魔族以上の魔が宿る―――バラドー、アンタの持論、初めて共感したわ。……恐ろしいものね。魔王様よりずっと魔王らしいじゃない」
「だから名乗っただろう。オレは悪魔だと」
にやりと笑ってやると、ヤーナイは疲れたように薄く笑った。
「いいわ。乗ってあげる、アンタの口車に。……魔王様の仇を討てるなら、なんだっていい」
「……やれやれ」
カツメイが溜め息をつき、眼鏡の位置を直した。
「こうなっては致し方ありません。僕も助力しましょう。勇者を殺す手段には、前々から温めていたアイディアがあります。……バラドー、貴方はどうしますか?」
バラドーは複雑に歪ませていた顔を、指が四本しかない手で覆った。
「気に喰わん……気に喰わん、が……!! ――――いいだろう。今まで無為に殺されてきた部下達の恨み、ようやく晴らす時が来た……!! 行くぞカツメイ!!」
バラドーはカツメイを伴い、巨体に見合わないスピードで謁見の間を飛び出していった。その後をヤーナイも追いかけていく。
後には、オレとシャーミルだけが残った。
シャーミルの大きな瞳を、かがり火がゆらゆらと照らしていた。それは何かを計りかねているような揺らめきだった。
こちらを見つめるその瞳を、オレは真っ向から見つめ返す。
「……どうして、何も言ってくれなかったの」
どこか恨みがましげな詰問だった。
オレは苦笑を浮かべる。
「つまるところ、神託などぶっちぎってしまえ、という話だぞ? 神子であるお前が認めるはずないだろう」
「……そう。そうよね」
再確認するように、シャーミルは声を転がした。
もしかしたら、少しは信頼してもらっていたのかもしれない。だからオレにも信頼してほしかったのか―――嘘などついてほしくなかったのか。
だとしたら。
……悪いな。オレは守りたいものを守るためなら、なんだって使うと決めている。
たとえ、当人に嫌われても。
「ねえ」
平生の淡白な声音で、シャーミルが呼び掛けてきた。
「あんたは、私が好きだから――私を守るために、魔界の軍隊を丸ごと使うことにしたのよね?」
「ああ、そうだな」
「だったら、正直な感想を言ってもいい?」
オレが頷く前に。
シャーミルは言う。
「その愛は、重い」
言葉が重く、心にのしかかる。
だが。
ふと、彼女の顔を見ると。
その表情は、いつもより少しだけ柔らかに見えた。
……難しい。
難しいなあ。
恋愛は、本当に難しい。
%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%
さて、これからのことを考えなければ。
勇者は殺しても生き返ってしまう。だから殺すにもひと工夫必要だ。
カツメイのアイディアとやらがオレが考えているものと同じならば任せてしまってもいいだろう。だが一応セカンドプランも用意しておいたほうがいい。警戒しすぎるということは―――
そんなことを考えながらシャーミルと共にエントランスホールに出ると、バラドー、カツメイ、ヤーナイの三人はまだそこにいた。
垂直に立った跳ね橋の前に集まっている。
「どうした?」
近付いて呼び掛けると、ヤーナイが怒りの表情で振り返った。
「これはどういうことよ!」
「は? いや、それはこっちが聞きたいんだが」
「……出られないのです」
深刻そうな調子でカツメイが言う。
その様子で、オレはようやく異常事態を悟った。
四天王達の間を抜け、跳ね橋に近付く。
跳ね橋の手前には跳ね橋を下ろす装置がある。そこまで行けば簡単に―――
「ぐおっ!」
顔に何かがぶち当たった。
痛む額を押さえて今一度前を確認するが、何も見つからない。さっき何かが当たった辺りに手を伸ばしてみると―――
「な……なんだ、これは……?」
壁があった。
目に見えない透明な壁が立ちはだかっているのだ。
ぺたぺたとあちこちを触ってみる。
不可視の壁は、入口をぴっちり塞いでしまっていた。
「結界ですよ」
カツメイが告げ、シャーミルが眉を動かす。
「もしかして、封殺結界……?」
「おそらく、そうでしょう。先程バラドーが本気で破壊しようとしたのですが、まるで歯が立たなかったのです。これほどの強固な結界、アレ以外には有り得ません」
「おい、なんだ、その封殺結界とやらは」
極めて不穏な名称だ。良くない予感がひしひしとする。
「対勇者用の最終兵器よ」
愛しきシャーミルが説明してくれた。
「万が一魔王様が勇者に敗れたら発動させる予定だった罠で、魔王城の出入りを完全に不可能にした後、城そのものを崩落させて勇者を道連れにするの」
「なんだと? ではこの城はもうすぐ崩れるのか!?」
単なる崩落なら何とかなるか……? しかしこの城はかなりデカい。これだけの大質量を耐え切るアイテムがあったかどうか―――
幸い、シャーミルは首を横に振った。
「城を崩す機構はまた別だから。まだ崩れ始めてないってことは、そっちは起動してないと思う。……でも……」
オレは苦い顔を浮かべ、透明な壁を見据えた。
跳ね橋を下ろして渡る。たったそれだけで外に出られる。
だが今は、たったそれだけがあまりに遠い。
最悪の想像が、オレの脳裏を渦巻いた。
「この結界は、どうやって起動する?」
「上のほうに起動装置があるわ」
「では停止する方法は?」
「…………何日か経てば、貯蔵魔力が切れると思う」
つまり、存在しない。
オレは腰の袋に手を突っ込み、安全性を保証できる中で最大の威力を持つ武具を取り出した。
燦然と光り輝く大剣を頭上に大きく振り被り、不可視の壁を斬りつける。
城そのものがビリビリと震えた。
だが。
結界が、道を開けることはない。
「……先手を、打たれたと言うのか」
このタイミングで、都合よく誤作動が起こるはずもない。
言い逃れの余地なく……遅きに失したのだ。
オレ達は、魔王城に閉じ込められた。