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企画短編

カーマン・ラインの申し子達

作者: 銀玉鈴音

 人体で一番きれいな箇所は、角膜だとコウは思う。

 アキの角膜が移す色は、濃いブルーの虹彩で――空の、宇宙の色と、同じだからだ。





 航宙戦闘機ASG―7S、通称"蒼天"コクピット内午後一時二十五分。

 蒼天の名の通り、スカイブルーに塗装された優美ともいえるシルエットと裏腹に、コクピット内部は狭く、じめじめしていて、お世辞にも快適とはいいがたい。

 蒼天の打ち上げは、いつ起こるかわからない。

 今日か、明日か、それとも一週間後か――

 故に、蒼天の当直パイロット、航宙自衛軍中ノ鳥島基地所属三等空尉、園村コウは時間を惜しんで、本日五枚目の遺書のクライマックス部分を執筆する。斜めに傾いだコクピット内で、ねっとりとした耐衝撃ゲルに埋もれながら、広げた紙に万年筆を滑らせる。


『人類が初めて宇宙人と出会ったのは、今から三十年ほど前の話だ』

 コウがこの周知の事実を今更ながらに綴っているのは、コウ自身が、どうして自分がこんな特攻機に乗機するのかを、幸運にも戦後になった後、多分、五十年後か百年後ぐらいかに、無関係な第三者に誤解されたくなかった事がきっかけである。加えると、コウ自身の意思が、誰かに改編されたりしていないことを、端的に示す必要があった為だ。


 だから、紙と万年筆と言うメディアを遺書に選んだ。

 今どき、紙と万年筆がほしいなんていう奴は、相当稀らしく、PXが四方八方、ツテを頼って、特別に取り寄せてくれたのである。

 それにはコウは感謝をしているのだが――それとは別に、紙と万年筆を使う事にコウは舌打ちをした。


 ――書き直せないと言う事は、こんなに難しい事なのか。

 人生も紙と万年筆と同じ事で、やり直す事なんてできやしないのだが。


『僕らのちょうど親父の世代が、宇宙人相手に商売をするつもりだったのかは、僕は知らない。でも、馬鹿みたいに景気が良くて、馬鹿みたいに騒がしい、すごく良い時代だったと言う事は、僕が知らない事実、いや、僕が知らないだけで、本当は凄く悪い時代だったのかもしれない』

 万年筆と紙というメディアの、不可逆的な変化にコウは惑わされている。有機ELの液晶に、タブレットで書きこんで、気に食わなければ消して、という可逆的なライティング作業に慣れた身だと、失敗が許されない記述というのは非常に、神経を使う作業だ。


『そう、親父たちの世代は、とても幸せで、とても不幸だと僕は思う。何しろ、僕らが生まれたときに、人類が大半が満たされていた時間というものは、すでに失われていた。満たされていた状況になれていた人が、満たされない状況に慣れることは、ない』

 無い事の実例を三つか四つ記述しようとして、コウはやめた。何の事はない。紙に書き始めようと思ったときに、ペン先が紙に引っかかったのだ。一度醒めてしまうと、自分の経済状況を赤裸々に記すのも、気恥ずかしいとも思えるから。


『親父達は、無い事に慣れていなかった。けど、あの世代の人たちを見ていると、今でも人類が栄華を極めているんじゃあないかと、僕らは時々誤解してしまう』

 多分、リライタブルメディアなら、バックスペースを押して全部消してしまう処だ、とコウは思う。消せない、と言うプレッシャーに脂汗が滲む。

 貴重品となった紙と、インクを無駄にしてはならない、という思いが、耐衝撃ゲルに沈んだ背中からも汗を感じさせる。


『そんな、負けを受け入れられない親父たちや、これから勝ちに行く為の僕らの子供達の為に、ちょうど狭間の世代の僕らが、文字通り』

 死ぬ、

 と言う文言を記述しようとして、コウは筆を止めた。

 表現を考える。死ぬ――いや、僕はおそらく、確かに死ぬので、間違いではない、とコウは思うが、なんとなく『違う』気がする。


『僕が弾丸となって、僕らが弾頭となって、いの一番に』


 僕らが弾頭だ。

 コウは、この表現に多少の満足を覚える。


『敵を砕くのは、別に嫌じゃない。誇らしいというわけじゃないし、好きでやることじゃないけれど、嫌じゃない事だ。何より、僕らの未来を徹底的に奪って、ニヤニヤしているあいつらを砕くのは、そう、とても』

 コウは、この時点で万年筆が止まった。こういう事を書いても良いのか、どうか、迷う事しばし。余りにも不謹慎だったら、二重線を引いて、訂正印を押して訂正せねばならない。なにしろ、コイツはコウが死んだ後半世紀後か、丸っと一世紀後に読まれて欲しい物だからだ。万年筆の先端が液だれでポツン、と丸く潰れた後、一気に書き付けた。


『ざまぁみろ、という気分になる』


 ざまぁみろと書ききった後、コウは晴れやかな気分になる。


『ざまぁみろ。好き放題僕らの街を壊して、僕らの未来を奪って、高笑いしていたあいつ等が、逃げ惑うのを見れるなら、安いもんだ』

 コウ自身の心に正直に、率直に、表現が間違っていないかをもう一度視線で見直して満足したコウは、うなづいた。

 あいつ等に衝突する、弾頭の役目を背負うのは、悪くない。


『後世、これを見ている人たちに対して勘違いしてほしくない事は、別に僕は自発的に蒼天のパイロットになったわけではないけれど、そう追い込んだ人々を恨んじゃいないと言う事だ』

 この発射台に乗せられて、いつ射出されるか判らない状況に追い込んでくれた大人たちを好きかと言われると、『嫌い』と答える。だが、憎いかと言われるとコウは明確に『違う』と答える。

 自発的でないにしろ、コウには航宙機を操縦する能力があり、コウ達以外には、現段階では成し得ない作戦目的があって「頼む」と今の人類で一番偉い人に言われてしまうと、じゃあしょうがねえな、という訳で。


『多分、これは、一つの運命だと思うのだ。この時、この場、この年代で蒼天の弾頭になる能力があったのは、偶然ではないと信じる』

 実際のところコウがこの場にいることだって、いつ射出されて死ぬか判らないことだって、いや、そもそも射出される前に無意味にこの基地が襲撃されて、あの敵機に激突する事なく死ぬことだってありうるわけで。


 それは偶然という言葉以外で表す事は難しいともコウは思うのだが。

 コウは、偶然ではないと信じている。


 ――空が青いのと同じ程度には、偶然でないだろう。


 山場を一つ越えた時、ペンは再び滑り出す。人生も同じで。それからしばらくの間、思うが儘の文章をコウは綴れた、と思うのである。

 カンカンと、コクピットの風防を叩く音に、執筆に気を取られていたコウは現実に引き戻された。


「交代の時間や」

「なんだ、昭島。そうか、そんな時間か」

 腕時計を確認しながら、コウは斜めに傾いだコクピットから這いずり出た。

 蒼天は四五度に傾けられて、出撃を待つ。四五度のうちは、安全だ。


「コウみたいにずっと棺桶に入りっぱなしっていうのも、珍しいやん?」

「そんなに珍しいかな。入りっぱなしは」

 蒼天は、昭島アキ――コウに今現在話しかけて来ていて、今まさに斜めに傾いだ蒼天のコクピットに入り込もうとしている、コウの親友の、少女と女の境目の女の子の事だ――の様な、口さがない連中には、"棺桶"と呼ばれている。


「珍しいで、寝心地良くないからな」

「寝心地は確かによくないな、色々高価なくせに」

 ジェル・シートに小柄な体を半ば埋め込んで、アキは操縦桿に手を伸ばす。


「せや、世界一高い棺桶や」

 ぶぅーん、ばばばば、ぶぅううん。ばきゅーん、ばきゅーん。

 アルトな声のオノマトペ。

 昭島がふざけて、蒼天シュミレーター(・・・・・・・)の再現をしている。

 多分、敵の航宙母艦を撃墜するミッションの、ラストのシーンを切り取った奴だ。

 ドォーン、と最後までアキの熱演を聞いてから、コウは言った。


「それは正確じゃないだろう」


 蒼天は――

 コウは、垂直九十度、天井に小さく開いた穴から覗く、空を見据えて言った。


「――世界一高く飛ぶ、棺桶だ」


 コウの下らない訂正に、昭島の顔はくしゃっと歪んだ。


「せやな、地球の外までぶっ飛べる、夢のある棺桶やな」

 くしゃっと笑うと、昭島は彼岸花の様だ。コウが例えられる花が、彼岸花しかないのだけど、そう例えると昭島はもっと真っ赤になって笑う。アホってコウに向かって言って笑う。


 コウは、ぼんやりとだが――そんな昭島が、いいなぁと思う。


「アホやなぁ、コウは」

「そこまで僕は、アホじゃないと思うが」

「ちゃうわ、そういう意味とは」

 昭島が笑い続けて、しまいには目に涙を浮かべて、衝撃吸収ゲルで満たされたコクピットから転げ落ちそうになって、ぐるっとコウの方を見た。


「なんか、今日のコウと話せてよかったわ」

「そりゃ、どうも」

 なぜか寂しげな響きを伴った昭島の言葉に、何の気もなくコウが返事をした直後に、サイレンがなった。パソコンのビープ音を二〇倍位に大きくしたようなそいつは、どれだけ眠くても煩さで目が覚める程度には煩く、何度聞いても慣れるもんじゃない、とコウは感じるが、そいつが鳴ったと言う事は――


 蒼天の出撃と言う事だ。


 当直の昭島が出撃すると言う事だ。


 つまり――


「ほな、お先に」

 直立射出に向けて轟音を立てて角度を上げていく蒼天と、発射シークエンスに巻き込まれないように急いで走って離れるコウと、走っていくコウを見つめる昭島の額にパサリと落ちる紙一つ。


 コウが持っていき忘れた、コウ自身の遺書だ。


 昭島アキの、親友の遺書だ。


「……ばーか。臆病モンが」


 昭島アキは、そんなものを書かない。

 昭島アキは、そんなものを必要としない。

 昭島アキは、航宙自衛軍中ノ鳥島基地所属の三等空尉、航宙戦闘機ASG―7Sのパイロットだ。

 つまり。

 生まれた時から地獄を見て、そんな地獄を取っ払う為に、地獄のトレーニングに耐えて。

 地獄行きの切符を手にした猛者だ。ぐっと腕に力を籠めれば、小さくてもしっかりとした力瘤だって出来るし、格技だって別段、同期の男性に劣ることはない。

 その辺りは特に、軟弱なコウとは違うと自負している。


 それでも、コウは親友だ。


 だから、昭島は最後に親友に対して、何か一言言ってやろうと思って。

 昭島アキは、コウが書いた、

 アキが読んでも辛気臭くて臭くてたまらない文面の、

 最後の〆の一文まで読んで。


 ――紙片を握りつぶした。


 ぐしゃぐしゃに握りつぶして、A4サイズの上質紙がビー玉サイズの紙の玉になるまで握りつぶした後。口の中に放り込んで二、三度噛んだ後、飲み下した。

 紙繊維と、未だ乾かぬインクの臭気に、飲み下した後少々のえづき。

 だが、それだけする理由があった。

 アキは無暗に腹が立ったのだ。

 今すぐ、ここから出撃しなければいけないことに対して、無暗に。

 だが――


「ばかたれ。うちは先に」


 ――カーマン・ラインで待っとるわ。


 昭島アキは人類の戦士であることを選んだのであって。

 園村コウに対して別段友人以上の感情を抱いた事はないのだ、絶対にだ。

 今更こういう事をされても、どうにもならないのだ。


 蒼天のΘ(シータ)型三段固形ロケットの最下段が点火し、一直線に白煙を吹き上げながら、轟音を立てて、二十一世紀初頭のスマートフォン程度のコンピューターに制御されながら、地球と宇宙の境目を目指して昭島は飛び立つ。


 秒速7.91キロメートルの第一宇宙速度で叩き潰す為に。


 昭島アキが、みんなの敵を撃滅するために。


 そのみんなの範疇に、コウが入っているだけの話で。


 別段、特別な何かと言うわけじゃなくて。




 ――そうだ、敵だ。




 昭島の訓練された脳味噌は、体重の六倍近い重力加速度を受けた中でも機能する。

 敵。

 人類の敵。

 青空が、違う、青い空なんてどこにもない。アキが風防から見る空があっという間に薄い薄い大気の層を超えて、地球と宇宙の境目の暗い、重力のくびきから離れるような、どこかふわふわとした、圧倒的に現実感の薄い、地球ではない世界へと飛び込んで。

 敵。

 蠢くガラスのような何か。

 シュミレーター(・・・・・・・)とは違う形で、似たような形の、何かを本能的な視界に収めた昭島は、

三段目Θ型ロケットブースターのスイッチを握りこむ。


 爆発的な加速。対Gを兼ねたジェルが昭島の全身を強く圧迫。それでも血流が頭部まで流れず、視界がどんどんと黒く。この状態では微調整しかできない操縦桿から、手の力が抜けて。視界いっぱいに広がるのは、鏡写しの蒼天。機首に取り付けられた炸裂式衝角がお互いにめり込んで。


 ――そこで昭島アキの意識は途切れた。



 午後二時十二分、上空百キロ、いわゆる地球と宇宙の境目の、カーマン・ライン上で"蒼天"が玉砕する光は、地上からでも観測することが出来た。





『ただ、そんな世界で、どうしようもない速度で。僕は、僕らは、恋をしていたのだ――』


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― 新着の感想 ―
[一言] 何度読んでもせつないぜ
[一言] こんにちは。空に消える蒼天に切なさを感じ、紙を飲み込んだアキの思いの胸がじんとしました。苦いんだろうな、と思いながら。続き、もしくはスピンオフ期待しております。面白かったです。
[良い点] こういう、後は宜しく頼む、みたいな感じの悲壮なお話大好きです マブラヴ再プレイしたくなりました
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