If~もしも、君と生きれたら~
目の前が、雨で滲む。
いや、ちがう。これは、涙だ―――
「セーヤの、ばか」
耳の奥で、なにか、鳴ってる。
頭が、ぼうっとしたまま動かなくて。目に映るものも、なにも信じられなくて。
ただ、口だけが動き続けた。
――セーヤの、ばか。
あたしの口は、まるでそれだけのために、そこにあったかのように。
同じ言葉ばかりを、紡ぎ続けていて
――セーヤの、ばか。
――馬鹿は、お前じゃねーの。アホ。
でも。
あたしの呟きに答えてくれる、能天気な声は、聞こえなくて。
「なんとか言ってよ。あたし、ほんとに、ばかみたいじゃん。ばかは、一人で充分だよ」
それに答える声もなくて。
「なんとか言ってよ。このうそつき」
ただ眠っているだけだと、思ったのに。
セーヤはあたしに、嘘、ついた。
すぐに起きて、また笑ってくれるって。あんた、そう言ったじゃん。
なのに……それなのに、どうして、動かないの。
どうして、お腹が動かないの。
どうして、話しかけても、無視するの。
どうして、言い返さないの。
どうして。
どうして。
どうして。
そればっかりが、あたしの上に、積もっていく。
セーヤと出会ったのは、この白い箱のなかで。
すごく、小さいときだった気もするし、少し大人になってからだった気もする。
気がついたら、セーヤはあたしの隣にいて、あたしはセーヤの隣にいた。
セーヤはいつも、あたしをばかにして笑っていて
すごくムカついたけど、楽しかった。
瀬戸 聖夜
セド ノエル
セーヤの、名前。
どうして、セーヤになったのか、よく分からない。
あたしの中で、セーヤはずっと、セーヤのままで。
あたしはずっと、オマエのままで。
それはずっと、変わらないんだと、思ってた。
でも、変わった。
セーヤが、顔を真っ赤にして
あたしが、すき、って言って。
セーヤは初めて、あたしの名前を呼んだ。
『俺も、……。好きだった』
って。
ある日
セーヤは、唐突に夢を語った。
『もし、ビョーキが直ったら。あんな狭い家は出て――オマエを、嫁にもらう』
セーヤは、ビョーキだった。
セーヤには、カゾクがいなかった。
『オマエと、子供と、俺と。カゾクに、なるんだ』
小さいけど、大きな夢。
それさえ叶えば、どうでもよかった。
『あたしの、決定権は?』
『もう決めた。嫌って言っても、聞かないからな』
セーヤはそう言って、映画の悪役みたいに、意地悪く笑った。
『結婚式をあげたら、オマエをさらって、アメリカに行く』
『ばっかじゃないの。セーヤ、英語しゃべれないじゃん』
『うるっさい。これから、べんきょーするんだよ』
『はいはい』
「ばっかじゃん」
セーヤ、夢があったのに
アメリカに、行くんじゃなかったの?
あたしを、嫁に貰ってくれるんじゃなかったの?
ばかなあたしを貰ってくれるような物好き、ばかなセーヤしかしらないよ。
「虹…」
あたしは、白い箱の向こうに、虹をみつけた。
セーヤは、言った。
手術が終わったら、虹を見ようって。
いまは雨が降ってるけど、きっとあがるから。
あがったら、虹が見えるからって。
ふと、セーヤの手の平に、なにかが握られているのを見つける。
丸めた、紙切れのような。
あたしはそれを見て、息を呑んだ。
“If Ⅰ live with you,Ⅰ am happy.”
“もしも君と生きれたら、僕はしあわせです。”
セーヤはばかだから、中学生レベルの英語もわかんない。
それでも必死に、こうやって書いてくれた。
目の前が滲んで、セーヤの字が見えなくなる。
あたしはぐっ、と、冷たくなった、もう握り返してはくれない手を握った。
ふと、あたしは続きが書いてあるのを見つける。
But I was happy.
「でも、俺は、しあわせでした…?」
それは、とても綺麗とは言い難くて。
まるで、最後のときに、殴り書きしたかのような…
セーヤ。
大好きな、ひと。あなたは、しあわせだったの?
「言ってること、めちゃくちゃじゃん……」
あたしは
あたしは―――
目の前に、光が広がった。
いや、ちがう。これは、虹だ―――
I am happy now.
「あたしは今、しあわせだよ…?」
あなたに、今、会えたような気がしたから。
Rainbow.