どうしましょう。なんでも欲しがる妹にクズ婚約者と呪いの腕輪を奪われてしまいました!
「ダリア……これを君に」
幼馴染のルイスが私――ダリア・メルディアンに差し出したのは、掌サイズの小さな箱だった。
ここは王都にあるメルディアン子爵邸の応接室。私とルイスは五年ぶりに向かい合ってソファに座っている。目の前のテーブルにはお茶とお菓子が載っていた。
それにしても、留学から帰国したばかりのルイスが、私を訪ねてくるなんて思わなかった。
まして、私への結婚祝いを携えて。
箱はビロードの布を張ってあるもので、普通に考えれば中身は宝飾品だ。形は平たいが首飾りが入るほど大きくもないので、恐らく腕輪ではないだろうか。
でも……でもね、相手はルイスよ?
私はそれを手に取るのを躊躇った。
何故なら――ルイスの趣味は恐ろしい悪いからだ。以前、骸骨の形をした宝石を贈られそうになって、全力で拒否した思い出がある。
「変なものなんかじゃないよ。ほら」
彼は箱を開いて、私に中身を見せた。
そこには銀色に鈍く光る地味な腕輪があった。ただ、赤い大きな宝石がひとつついていて、それだけが妙に目立っている。
「ピジョンブラッド……?」
「そう。そんなふうに呼ばれている。最高級のルビーだ。君にふさわしい宝石だと思う」
彼はふわりと微笑む。
「……結婚おめでとう、ダリア」
彼の名はルイス・アレン・オールストン。
侯爵家の嫡男であり、私の三歳年上の兄デレクの友人でもある。幼い頃からよく我が家に遊びに来ていて、私はいつも彼と兄の後をついて歩いていた。
彼は私の初恋の人だった。
太陽みたいに輝く黄金色の髪と、湖のように青く澄んだ瞳を見たら、好きにならずにはいられなかった。
ついでに、目鼻立ちは美女と名高い母親譲りで、肌は陶器みたいな滑らかだった。
おまけに微笑むところは、思わず拝んでしまいそうなくらいに尊いのだ。
しかも、優しかった。転んで泣き出した私を抱き締めて、蕩けるような甘い声で慰めてくれたものだ。実の兄は冷めた目で見ていたというのに。
とにかく、私は彼に夢中だった。
だけど、私は彼の欠点も知っている。それこそ幼馴染だからだ。彼の屋敷にお邪魔したときに、彼は私と兄に自分のコレクション部屋を見せてくれた。
そこにはあったのは――。
本当に不気味な物ばかりだった。
外国で買ったという木彫りの魔獣や奇怪な形をした壺、なんだか怖い顔をした人形やら、悪魔の仮面、白骨が描かれた細密画、真っ二つに割れたティーカップなどを大事そうに陳列していたのだ。
私は怖くて泣きそうになったし、兄も顔を引き攣らせていた。なのに、ルイスだけが嬉しそうにコレクションの説明を始めたのだった。
もちろん全然耳に入らなかったけれど。
彼は魔法の才能があり、五年前に魔法大国であるカラン王国に留学した。
二年で帰国の予定だったのに、カラン国内で紛争が起き、帰国どころか手紙さえも届かない状況になり、五年後の今になってやっと帰ってきたのだ。
五年前、十七歳だった彼は立派な青年となり、十三歳の少女だった私はもうすぐ結婚する身だ。
親が決めたもので、私がいくら初恋のルイスを想っていたとしても、親に抗ってまで五年も帰ってこなかった彼を待てるわけもなかった。
だいたい、彼の気持ちさえ知らない。ただの片想いだし、五年の間に彼に恋人がいなかったわけがないと思うのだ。
不気味な物を集めるコレクターだとしても、このとおり、目も眩むような美形なのだから。
おまけに、長身でスタイルもいい。美術館に飾っておきたいくらいの完璧な芸術品のような彼と、薄茶色の髪にくすんだ緑色の瞳をした自分では釣り合いが取れるはずがない。
そう。見かけだけでも不合格なのだ。多少は可愛いと言われないこともないが、それはまあ、身長が低いからだ。兄にはちんちくりんだと揶揄われている。
婚約者フレッドにもいつも疎ましそうな目で見られていた。それどころか、彼は浮気者で……。
まあ、それはいい。貴族の結婚なんてそんなものだと割り切っている。
こっちだって、フレッドなんか好きでもなんでもないのだ。
でも……それでも、時々はルイスのことを思い出していた。
淡い初恋の想い出……。
彼は留学する前もこうして私を訪ねてきた。なんの約束も交わさなかったし、そもそも私の片想いだ。ただ、彼と二人だけでお茶を飲んだのは、あのときが初めてで、胸の高鳴りを抑えるのが大変だったことを覚えている。
今もこうして、応接室で向かい合うと、あのときの自分に戻りそうになる。今も彼のことが好きなのだと分かっても、今更どうしようもないというのに。
だって、フレッドとの結婚式は二週間後なのだ。
それに、ルイスは私の結婚祝いを持ってきて、微笑んでいる。少しくらい残念そうな顔をしてくれたら……とも思うが、そんな顔をされたら余計に未練が募るだけだ。
今、彼はにこにことしながら、目の前に腕輪が入っている箱を差し出している。
「……ありがとう、ルイス兄様」
ルイス兄様――私はいつも彼をそう呼んでいた。
彼にとって、私はただの妹みたいなものだ。それを受け止めて、箱を受け取った。
「僕がつけてあげるよ」
ルイスは腕輪を手に取り、私の手首につけてくれた。ピジョンブラッドには目が惹かれるが、腕輪自体は地味だから、妹のチェルシーに奪われる心配はなさそうだ。
チェルシーは遠縁の娘だが、四年前に両親を亡くしたためにメルディアン子爵家に引き取られ、正式に養女となっている。
年齢は十七歳。黒髪に茶色の大きな瞳をした彼女は可愛らしく、今では我が家のお姫様みたいだ。
天性の甘え上手というのか、両親の心をしっかり掴んでいて、人の物をなんでも欲しがり、ねだった。そして、そのターゲットは何故か私に集中していて、私の持ち物の中で綺麗な物はすべて彼女に取られてしまった。
まあ、ねだられたとしても、この腕輪だけは彼女に奪われたしないわ!
だって、ルイスがくれた最初で最後のまともな贈り物なのだから。
「素敵ね……。本当にありがとう! 大切にするわ!」
「ああ、そうしてくれ。それは……君を必ず幸福に導いてくれるものだから」
「まあ……そういう言い伝えがあるの?」
私は思わず腕輪をそっと撫でた。
まさかルイスがこんな気の利いた贈り物をしてくれるとは思わなかった。けれども、彼も大人になって、留学先でいろんな経験をしたのだろう。その中に、女性に贈り物をした経験だってあるに違いない。
胸の奥がツキンとかすかに痛んだが、あえて無視して笑顔を作る。
「私の結婚式、二週間後なの。ルイスも出席してくれる?」
彼は嬉しそうに頷いた。
「もちろんだよ! ぜひ出席させてもらうね」
彼の笑顔は屈託がなく、私の結婚を本心から祝福してくれているように見えた。
****
ルイスが帰った後、私は自室のソファに座り、大きな白い布を広げた。
結婚後に使うテーブルクロスに刺繍を始める。誰かに任せたりせず、一針一針、心を込めているうちに、ルイスへの恋心も忘れるかもしれない。
そうよ。泣いても笑っても、結婚式はすぐ目の前なのだから。
私は両親に恥をかかせることなく、立派に貴族令嬢としての義務を遂行してみせるわ。
「あら、そうしていると、なんだか子爵令嬢じゃなくて小間使いみたいよ?」
顔を上げると、扉が開いていて、チェルシーが立っていた。いつの間に彼女は扉を開けたのだろうか。彼女は遠慮も何もなく、ずかずかと入ってきた。
彼女は二人きりだと何かと私に突っかかってくる。まあ、はっきり言って意地悪だ。ただし、他の人がいる前では可愛く振る舞うので、私が彼女を糾弾したところで、誰も信じてくれないだろう。
私はさり気なく腕輪を隠そうとした。が、その動きが目についたのか、それとも最初から気がついていたのか、彼女はさっと私の腕を掴んだ。
貪欲な目はピジョンブラッドに惹きつけられている。
しまった……!
「やめて! 何するのよ。乱暴ね!」
「まあ、お姉様ったら。そんな意地悪を言わないで。可愛い妹によく見せてよ」
彼女は私の腕からそれを取り上げた。そして、ちゃっかり自分の腕にはめる。
「ほら、わたしにピッタリよ。お姉様よりわたしに似合うから、ちょうだいね」
「返して! これだけは、あなたにあげられないわ!」
取り返そうと揉み合いになっていると、廊下を通りかかった兄のデレクが止めに入った。
「おまえ達、何してるんだ。はしたないぞ」
両親は年下のチェルシーを甘やかすが、兄はいつも中立だった。だから、私はほっとして、彼に説明する。
「チェルシーが私の腕輪を取ったの。ルイス兄様からいただいた結婚の贈り物なのに!」
「え、ルイス兄様って誰?」
チェルシーはルイスを知らない。彼女は彼が留学してから養女になったからだ。
「幼馴染よ。デレク兄様のお友達。いただいたものなのだから、あなたにはあげられないのよ。ねえ、兄様?」
兄に助けを求めたのだが、意外なことに彼はチェルシーの味方をした。
「少しの間、貸してやれば? それでチェルシーも満足するだろう」
「ええっ、そんな……!」
「やった! 兄様、大好き!」
チェルシーは大げさに兄に抱きつくと、すぐに部屋を出ていった。
「兄様、どうして? あれは大切なものなのよ!」
「まあまあ。結婚式の前に返してもらえばいいよ」
彼は簡単にそう言うが、私は不満だった。ルイスからの贈り物を奪い取られたのは嫌だったが、兄がチェルシーの味方をしたことのほうにもっとショックを受けていた。
私がどれだけルイスのことを慕っていたのか、兄は知っていたはずなのに。
ああ、でも、絶対にあの腕輪は結婚する前に取り返すわ!
たとえチェルシーの部屋を荒らしてでも。
「それより、もうすぐ結婚式だね。フレッドとは相変わらずなのかい?」
「ええ……そうね」
私はフレッドの不機嫌そうな顔を思い出し、溜息をついた。
「式を挙げたら、少しは話す時間も増えると思うのだけれど……」
婚約して一年。最初は定期的にお茶を飲んだりしていたものだが、半年前からほとんど顔を合わせていない。結婚後のことについても、あまり話したことはなかった。
だから、彼が何人もの女性と浮名を流しているのを聞いたとき、そういうことかと納得できた。
彼は貴族の責務として結婚を決めた。そして、私もそうだ。
好きな人と結婚したい夢はもちろん抱いていたが、婚約した以上、もうどうすることもできない。泣いても笑っても、結婚式は間近に迫っている。
「まあ、いずれ、なんとかなるさ。俺はダリアが幸せになることを祈っているからな」
「……ありがとう」
チェルシーの味方になったと思った兄だが、優しい言葉をかけてくれて、ほろりとした。
それでも、ルイスから贈られた大事な腕輪がチェルシーの手首につけられているかと思うと、ムカムカしてくる。
地味な腕輪だったのに……。
ピジョンブラッドの威力はすごいのね。
まるで憑りつかれた人みたいな目つきで、チェルシーがルビーを見ていたことを思い出し、なんだか胸の中にモヤモヤとしたものが残った。
****
やがて結婚式の三日前になった。
準備のほとんどを終え、テーブルクロスの刺繍も完成している。ウェディングドレスやベールも出来上がっていた。
あと少しで、私はフレッドの妻となる。
そう思うと、なんだか落ち着かない。胸の奥が騒いで、逃げ出したくなってきてしまう。いや、そんなことは許されないのだが。
昨夜のうちに、田舎の領地から祖父母や親戚がやってきて滞在している。
久しぶりに会う親戚もいて、彼らをもてなすために、私も含め家族や使用人は朝から本当に忙しかった。夜になり、夕食の後、それぞれが寝室に引き上げたところで、私もようやく落ち着いて自室に戻った。
今日は本当に疲れた……。
着替えを手伝ってくれる侍女が衣装室の扉を開く。そのとき、彼女が叫び声を上げた。
「いったい、どうしたの?」
クローゼットを開けたまま、侍女が唖然としている。
私もその中を覗いて固まった。
ウェディングドレスとベールが消えてしまっていたのだ。
きっとチェルシーの仕業ね!
というか、そんなことをする人間は他にいないはずだ。どういうつもりなのだろうか。
結婚式に必要なドレスとベールだと分かっているはずなのに、どうしてそれまで奪おうとするのか。
私は侍女を連れて、チェルシーの部屋へ向かった。
扉を叩くのと同時に開く。
もちろん普通はそんな無作法な真似はしないが、今夜は疲れていたこともあって、苛立っていた。それに、チェルシー自身も私の部屋にノックなしで堂々といつも入ってくるのだから、こちらだって気を遣う必要はないと思えた。
しかし、室内は暗い。
「チェルシー! 寝てるの? ドレスとベールを返しなさい!」
侍女に命じて、彼女が持つランプを掲げさせた。しかし、部屋のどこにも彼女はいなかった。もちろんベッドにもいない。
そういえば……今日はチェルシーの顔を見ていないような気がするわね。
親戚をもてなすのに飽きて、外に遊びに出かけたのだろうか。だけど、それにしても、もう夜だ。帰ってきてないのはおかしい。
一応、彼女の衣装室を覗いたが、私のドレスとベールはなかった。ふと書き物机の上を見ると、一通の封筒が訳ありげに置かれている。
手に取ると封はしていない。何か嫌な予感がして、中に入っていた便箋を広げた。
それは……。
チェルシーの書き置きだった。
「あの娘ったら……信じられない!」
彼女はどうやらこっそり家を出ていた。
しかも、フレッドと!
つまり、駆け落ちというやつだ。
結婚式三日前に、まさかこんな仕打ちを受けるなんて……!
いや、そもそもまさかチェルシーとフレッドが駆け落ちするような間柄だったなんて、まったく気づかなかった。
お祝いに来てくれた祖父母や親戚、そして三日後に集まる招待客になんと言えばいいのだろう。自分は捨てられた花嫁として、みんなに謝らなくてはならないのだろうか。
気が遠くなりかけて、身体がふらついた。
「お嬢様! 大丈夫ですかっ?」
慌てて侍女が駆け寄ってきてくれる。
そうだ、気を失っている場合ではない。
「今すぐ、お父様かお母様を呼んできて」
「は、はいっ!」
侍女がランプを持ったまま慌てて飛び出していくので、灯りがなくなってしまう。私は手探りで書き物机の上にあったランプの灯りをつけた。
すぐに両親が駆けつけてきた。
「チェルシーがいなくなったと聞いたが?」
「どこかに隠れているんじゃないの? あの娘は悪戯好きだから」
私は説明する気力もなくて、チェルシーの書き置きを渡した。それを読んだ父は真っ青になり、母は顔を両手で覆い、へなへなと床の上に崩れ落ちる。
「そんな……まさかチェルシーが……! 嘘よ、こんなこと……!」
母はしくしくと泣き始めた。私だって泣きたいが、そんな状況でないことは分かっている。
「チェルシーがいついなくなったのか知らないけれど、駆け落ちの行先は決まっているわ。二人だけで式が挙げられる教会は国内にひとつしかないもの。今から追いかければ、間に合うかも……」
「だが、間に合わせてどうするんだ?」
父は沈痛な表情で問いかけてくる。私は言葉に詰まった。
そうね。結婚する前に止められたとして、駆け落ちしたのは事実だわ。
フレッドを連れ戻して、私との結婚式をする?
そんなの、私だってごめんだわ!
妹に手を出した男なんて……顔も見たくない。まして、これから先、長い結婚生活を送ることは絶対にできないのだ。
「チェルシーはウェディングドレスとベールまで盗んでいったのよ……」
「……仕方ない。フレッドとチェルシーを結婚させるしかないだろう。おまえにはまた新しい縁談があるさ」
そう言われても、こんな屈辱を味わわせられたと後で、また婚約する気も起きない。きっとこのことは面白おかしく噂になるだろうし、私にとっては汚点となるのだ。
なんでも欲しがるチェルシー。
婚約者まで奪っていったなんて……。
私ははっと思い出した。
まだあの腕輪を返してもらっていない。
ルイスはあの腕輪は幸せに導いてくれると言っていた。あれをチェルシーに取られたから、きっとこんなことになったに違いない。
あの腕輪さえ貸さなければ……。
一瞬そう思ったが、フレッドがチェルシーと浮気していたのはもっと前からのはずだ。今日でなくても、いずれ発覚したに違いない。
父はフレッドの両親に連絡を取るように執事に指示を出した。もう夜遅い時間だが、朝まで放っておくわけにもいかないのだ。
私は母を部屋まで送ったものの、寝支度するどころではなくなっていた。
フレッドの両親と顔を合わさなくてはならない。
母のように部屋にこもって泣いていたいが、そうできないのは私の性分だ。応接間に移動するために階段を下りていくと、事情を聞いた兄が声をかけてきた。
「ダリア……大丈夫か? 幽霊みたいな顔をしているぞ」
「そんな顔にもなるわよ。フレッドが浮気をしているのは、私、知っていたのよ。だいたい、彼は私のこと好きじゃなかったみたいだし。でも、まさかチェルシーと……」
「そんな奴と結婚せずに済んでよかったじゃないか」
「それはそうなんだけど……」
貴族の責務として結婚すると決意していたのに、こうも簡単に裏切られたとなると、やはりショックでしかない。
屋敷が慌ただしい雰囲気になってくる。
今頃、フレッドとチェルシーはどこかの宿屋にゆったり泊まっているのだろうか。二人きりで、新婚夫婦みたいに。彼らはきっとこの先のことまで何も考えていないのだ。
世の中はなんて不公平にできているのかしら……。
ダリアは再び気が遠くなりそうになっていた。
****
翌日、兄から連絡を受けたのか、ルイスが訪ねてきた。
フレッドとチェルシーはまだ帰ってきていないが、屋敷の中はまだ落ち着かない感じなので、庭にある東屋でお茶の用意をしてもらう。
昨夜はあまり眠れなくて、寝不足のまま、身支度を整えて東屋へ向かった。
花が咲く庭の中にある白く可愛らしいデザインのテーブルと椅子はお気に入りだったけれど、今はちっとも心がときめかない。
椅子に座って待っていたルイスは、私の顔を見るなり立ち上がった。
「顔色が悪いよ。大丈夫?」
真剣な眼差しだ。彼にこんなに心配してもらえているのだと思うと、少し嬉しかった。
「大丈夫よ。たぶん……」
弱々しく微笑む私の手を握り、彼は椅子へと誘ってくれた。侍女がお茶を淹れてくれ、その温かい湯気に、少し気が緩んでくる。
「ありがとう。ここはもういいわ」
侍女は頭を下げ、屋敷に戻っていった。
「ルイス兄様はわたしを心配して来てくれたのよね? ありがとう」
「いや、お礼なんて言わなくてもいいんだよ。婚約者が駆け落ちなんて……ショックだっただろう?」
「……そうね。でも……なんだかこれでよかったという気がするの」
本音を吐露すると、彼は小さく頷いた。
「僕もそう思うよ。浮気する奴は君を幸せにはできないから」
結局はそういうことだ。そのこと自体にはほっとしているのに、何故だか心の中にぽっかりと穴が空いた気がするのは何故なのだろう。
私はフレッドなんか全然好きじゃなかったのに。
ああ……きっと相手がチェルシーだからだわ。
この家の中で、チェルシーばかりが大切にされているように感じていた。彼女はいつも私の物を奪っていっていたから。
婚約者さえも奪われて……。
それなのに、誰もが彼女を許しているみたいだ。姉の婚約者を奪うような娘には、普通はもっとひどい罰が用意されているものではないだろうか。それなのに、周囲は二人をわざわざ結婚させてやろうとしているのだ。
もちろん社交界で噂になるだろうし、のこのこと夜会にでも顔を出そうものなら、多くの貴族の餌食になるのは分かっているけれど……。
でも、好き放題したほうが勝ちみたいに思えてきて、なんだか落ち込んでしまう。
「貴族は親が決めた結婚に従うもの……と考えていた私が愚かだったのかもしれないわね」
「愚かなわけじゃないさ。ただ、少し真面目過ぎたかもしれないね。君は何も悪くないんだ。浮気したり、駆け落ちしたりする奴のほうが絶対に悪いに決まっているんだから」
彼は手を伸ばして、私の頬に柔らかく触れてきた。
彼の目を見た途端、涙が溢れてきて、彼の指を濡らす。
「……ごめんなさい」
慌ててポケットからハンカチを取り出して拭こうとしたところ、彼にそれを取り上げられてしまう。彼はそのハンカチで優しく涙を拭いてくれた。
「謝らなくていい。僕の前では素直な君でいていいんだから」
彼の言葉がすっと胸の奥に入ってくる。それがとても温かく感じられて、また泣きたくなってきた。
「ルイス兄様が来てくれてよかった。一人で悶々と考えていたら、私ばかりが損をしてるって、ひねくれてしまうところだったわ」
「うん、まあ、少しくらいひねくれてもいいよ。ただ……僕は君がとんでもない男と結婚する羽目にならずに済んで、本当によかったと思っている」
「そうね。元から浮気者だったから、その点ではチェルシーに同情したいくらいよ」
彼はふっと笑った。
「君は相変わらず優しいね……」
「え、私は全然優しくなんかないわ。それどころか、あの二人がもっとひどい目に遭えばいいのにと思っているくらいよ」
「気を揉まなくても、きっとそのとおりになるさ」
「そうね……。あ、そういえば、ルイス兄様にもらった腕輪、チェルシーに取られちゃったの。デレク兄様に貸してあげるように言われたけど、あの娘ったら腕につけたまま駆け落ちしたみたいで、帰ってきたら絶対に取り返すわ!」
せっかくの贈り物を大事にしていないと思われたら嫌なので、取り返すことを強調した。だけど、彼は特に気を悪くした様子もなく、ニヤリと笑う。
「いや、いいんだ。あの腕輪はもう役目をちゃんと果たしたからね」
「……役目って?」
「あれは『強欲の腕輪』と言うんだ。君みたいに真面目な人間がつけても、なんの効果もないが、君の妹みたいに欲深い人間がつけると呪いが発動する」
「の、呪い? 呪いっていったい……?」
彼が何を言っているのか分からなくて、私は戸惑った。
突然、目の前のルイスが知らない人間になったかのような気がして、少し怖くなってきてしまう。
「それに、チェルシーのこと、ルイス兄様は知らないでしょう? 確かに欲深いけど」
「僕はね……留学から帰って、すぐにデレクに会って話を聞いたんだ。君が貴族の義務として婚約を受け入れたこと、その婚約者が浮気男だということ、そして、浮気相手の一人が君の妹だということも……」
「デレク兄様はチェルシーが相手だって知っていたの?」
知っていながら、私には何も言わなかった。それは何故なのだろう。せめて少しくらい忠告してくれてもよかっただろうに。
いや、それを聞かされても、自分には婚約解消を口にする勇気はなかっただろう。つらい気持ちを押し隠して、結婚式に臨んだに違いない。
「そうだよ。だから、腕輪を貸すように勧めてくれただろう? すべては僕とデレクの間で計画したことなんだ。デレクは他にもいろいろ話してくれたよ。君の妹が我儘放題で、君の持ち物をひとつずつ奪い取っていったって……」
私は頷いた。
彼女が養女となってから、たった四年だったが、自分の大事なものは根こそぎ奪われた気がする。家庭のおける自分の役割までも横取りされたように思うのだ。
「そんな欲張りな人間にこそ『強欲の腕輪』は最大限に効果を発揮する」
「どんな呪いがかかるの?」
「欲しがる気持ちが増幅されるだけだ。そして、その腕輪をつけた人間の近くにいると、その影響を受けるらしい。だから、君の妹は姉の婚約者を奪って、自分の夫にしたくなった。そして、クズな婚約者も君の妹を連れて、駆け落ちしたくなったというわけだ」
つまり、二人の駆け落ちの黒幕はルイスと兄だったのだ。
彼らは結託して、フレッドとチェルシーをくっつけ、私を不幸な結婚から解放しようとしてくれた。彼らが仕組んだことと分かって、ショックを受けつつも、それほどまでに私のことを考えてくれていたのだと思うと、なんだか急に胸の奥が温かくなってくる。
「それで、わざわざ呪いの腕輪まで探してきたのね」
「いや、元々、僕のコレクションの中にあったんだ」
「あ……」
私は思い出した。彼のコレクションといえば、悪魔の仮面だの不気味な物ばかりだった。
「まさか、あれ全部が……?」
「そのとおり。呪物ばかりだよ」
ルイスはにこにこしながら答えた。
彼の趣味は私が思っていたよりとんでもないものだったようだ。だけど、今回それが私を救ってくれたようだ。
「ありがとう、ルイス兄様。私のために……」
「君には幸せになってもらいたいからね。君はクズ男にはもったいなさすぎる」
もしフレッドが浮気者でなかったとしたら、彼は祝福してくれたのだろうか。それは嬉しくもあり、切なくもある。
だって、私はルイスのことが好きだから……。
でも、きっと彼は私のことを妹のようにしか思っていないだろう。だから、幸せになってもらいたいなんて、距離を感じる言い方をするのだ。
もうずっと……五年間も離れていた。彼にはきっと愛する女性だっているはずだ。
これ以上のことを望むのは贅沢というものだ。私にはまた新たな縁談が来るだろうし、それを黙って受け入れることになるのだろう。
貴族の娘として生まれたのだから、やはり義務はある。
「今度は幸せな結婚ができるかしら……? 高望みはしていないの。ただ、相手の人が浮気者でなければ……できれば贅沢はしない人のほうがいいわね。優しくしてくれる人なら、なおいいわ。子供が好きな人で……いつも笑顔を見せてくれる人で……」
いつしか、私はルイスを見つめていた。
彼がとても蕩けるような微笑みを見せてくれるから……。
「いいよ。全部叶えてあげよう」
「……ルイス兄様が紹介してくれるの?」
「ああ。ついでに顔はいいほうが好き?」
「ええ、まあ……」
「金髪なんてどうだろう? 青い瞳で、侯爵の長男とか。魔法が得意なんだよ」
彼は優しく笑いかけてくれる。私は目を瞠った。
胸の鼓動が速くなってくる。
「もしかして……呪物をコレクションしている人かしら?」
「ああ。留学から帰ってきたらすぐに好きな女の子の情報を集めて、クズ男と婚約していると知ったら、なんとしてでも結婚を阻止しようと企む不埒な男だけど、いいかな?」
ああ、彼は私のことを好きでいてくれたんだわ……!
片想いなんかじゃなかった!
涙が溢れ出してくるのが止められなかった。
「もちろんよ……ルイス兄様」
彼は立ち上がり、こちらに近づいてくる。だから、私も立ち上がった。すると、彼は私に向かって跪いてくれる。
ポケットから取り出したのは、今度は間違いなく指輪の箱だ。
彼がそれを開くと、そこには青い宝石がついた金色の指輪が入っていた。
ルイスの髪と瞳の色だわ……!
「ダリア、僕と結婚してほしい」
「ええ……ルイス兄様」
感動のあまり声が震えている。彼は少し苦笑いをした。
「ありがとう。でも、兄様はやめてほしいな。ルイスと呼んでくれ」
「ルイス……」
彼はにっこり笑い、指輪を左の薬指につけてくれた。
「ぴったりだわ」
「君の親愛なる兄様がサイズを教えてくれたんだよ」
なるほど。兄がスパイだったのか。
彼が立ちあがる。そして、私の手をそっと取る。
二人は顔を見つめ合った。
「これは呪いの指輪じゃないわよね?」
「違うよ。ただ……」
「ただ?」
少し嫌な予感がするが、彼はそれを打ち消すように明るく笑ってくれた。
「君を守る保護魔法が施されている。どこにいても、君は僕の魔力に守られるんだ。……嫌かな?」
「ううん。ルイス兄様……じゃなくて、ルイスの魔力に守られているなら安心ね」
一方、チェルシーは呪いの腕輪をつけている。強欲な人間が更に強欲になる呪いがかけられていて、その影響をフレッドも受けているという。
だったら、彼らの行く末は決して輝かしいものにはならないだろう。
ルイスは私の髪にそっと触れてくる。
風が吹き、木々がそよいだ。
「好きだよ、ダリア。留学に行く前からずっとね」
囁きが甘く響く。
あの腕輪は確かに私を幸せに導いてくれたみたいだわ。
好きで好きでたまらない人が、今、私を好きだと言ってくれている。
「私もよ……。小さいときからずっと大好き!」
それは私の夢が叶った瞬間だった。
END
今回は楽しい話にしてみました。
タイトルで内容が全バレしているという……。
よろしければ、高評価とブックマークしてくださると嬉しいです。
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完結済み長編「幻想魔女のひみつ ~虐げられた令嬢ですが、死にかけて一族の魔法に覚醒したら王子が求愛してきます~」も読んでいただけると嬉しいです。
https://ncode.syosetu.com/n7004lv/




