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夜明けの皇子と宵の月  作者: 月夜洸星
第一章 夜明けの星

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第1話 夢の終わり

今日、僕は目覚める。


「不安か」


声がした。意地悪く細められた金色の瞳が、闇の中で光っている。


「そうだね」


僕は答えた。黒い毛並みに顔を埋めたまま。


巨大な黒猫−−暁月(あかつき)は何も言わなかった。ただ、大きな尻尾が僕の頬をゆっくりと撫でた。それだけで充分だった。

豪奢な天蓋の下、星空に浮かぶ寝室。壁一面の硝子の向こうには月明かりと星の海が広がり、大地はどこにもない。ここは精神が作り出す夢の中——僕が知っているものだけが形を持ち、知らないものは存在できない場所。


「お前と過ごしてもう三年か」


暁月が言う。


「うん」


僕はさらに深く、黒い腹に体を沈めた。


「現実の僕の部屋は、ここと変わっていないといいな。そうしたらこの夢の続きを、ずっと見ていられる気がする」


「安心しろ。あの日のままだ。ああ——身長と髪は随分伸びたがな」


窓の外で、星がひとつ、静かに流れた。


僕は起き上がり、窓辺に近づく。硝子に、自分の顔が映った。


朱金の髪。紫水晶の瞳。染みひとつない白い肌。

明けの明星——人々はそう呼んだ。数百年に一度、皇家に生まれる先祖返り。老若男女の別なく理性を奪い、あらゆる者が欲しがり、奪おうとした。その美しさは祝福ではなく、呪いに近かった。


硝子の中の自分を見つめながら、僕は口を開く。


「暁月には、僕はどう見える」


白いシーツの上、薄暗がりに光る二つの金色がこちらを向いた。


「どう……とは?」


わかっているくせに、と思った。それでも僕は続ける。


「僕が覚えている僕は、十三歳のあの瞬間で止まっている。ここに映る僕は何も変わらない。でも暁月は——現実の僕を見ている。僕が僕だと思う姿で、貴方は僕を見ていない」


喉の奥で何かが固まる。


「暁月。貴方に、僕はどう映っているの」


声が、うまく出なかった。


暁月はゆっくりと立ち上がり、音もなく近づいてきた。そして傍に座り、しばらく黙って僕を見た。


「肉塊」


世界が静止した。


「初めてお前を見た時の印象は、それだった。正直、生きているとは思わなかった」


低く、甘い声が続く。


「話しただろう、以前。幼馴染が作った穴に落ちて怪我をしたと。あれはただの穴ではなかった——酸の沼だ。魔術書の名と効果が書き換えられていた。彼女に悪気はなかった。ただ試したかっただけだ。お前が妹の手を引いて、代わりに落ちた」


妹が穴に落ちそうになった。咄嗟に手を引いた。

それから先の記憶がない。


「両足と体、片腕、顔の半分を溶かされた。皮膚というものがほぼなく、骨が見えるところもあった。それでも魔術が不完全だったのは幸いだった——そうでなければ骨も残らず死んでいた」


吐き気がした。

硝子の中の自分が、ゆっくりと変わっていく。白い頬の半分が溶け、腕の皮膚が剥がれ、赤黒い肉が露わになっていく。


「…今の、僕は」


「生きるのに支障はない。完全にとはいかぬが——皮膚の再生は難しかった。赤黒い肉が出ているところもある。だが血管も神経も骨も内臓も、全て戻した」


眩暈がした。

明けの明星と謳われた自分に驕っていたわけではない。その美しさのせいで、どれほど傷つけられてきたかを知っていたから。それでも——突きつけられた現実は、想像をはるかに超えていた。


よろけた体を、暁月が前足で抱き寄せる。


その瞬間、大きな黒猫が消えた。

代わりに——長身の青年が立っていた。腰まで届く黒髪、青白い肌、烏の濡羽のような艶。長い前髪の奥で、金色の瞳が満月のように光っている。


「あ……暁月……?」


夢の世界に、見たことのないものは現れない。

それなのに。


混乱する僕を見つめ、暁月はどこか満足そうに微笑んだ。耳に触れるか触れないかの距離に唇を寄せ、吐息混じりに囁く。


「お前が私を猫として撫でていても、私は人としてお前に触れていた。お前が私を抱いて眠る夜は、私は人としてお前を抱いていた——変わり果てた姿のお前を、だ」


「…………」


この三年間の記憶が、全て塗り替えられていく。

僕はそっと暁月の胸を押し退け、俯いた。頬が熱い。


「ごめん、暁月。醜く変わってしまった僕が、馴れ馴れしく触れてしまって」


暁月は答えない。

ただ、その手が僕の顎に触れ、ゆっくりと顔を上げさせた。

金色の瞳が、真っ直ぐに僕を見ている。硝子に映った、半分が溶けた僕を映している。


「お前は以前と変わらず美しい」


嘘だ、と思った。

でも——暁月の瞳には、嘘の色がなかった。


「安心しろ、シエル。お前がどんな姿であっても、私はお前の傍にいる。そのために、三年前にこの国を訪れた」


そのために。

その言葉の意味を、僕はまだ知らない。なぜ暁月がここにいるのか。何を目的として、見知らぬ皇子の夢に三年間居続けたのか。聞けなかった問いが、まだたくさんある。


でも今は。


片方しかない瞳から、涙が一筋伝い落ちた。


「さあ、シエル。時間だ」


暁月の声が、遠くなる。


「何もかも、私に預けるがいい。お前の痛みも、悲しみも、流す涙も——全て私のものだ」


体が重くなる。立っていられない。

視界の端で、金色の瞳がゆっくりと近づいてくる。

意識が、薄れていく。


「おやすみ、シエル」


眠りに落ちる前、漆黒の夜に月が光っていた。

唇に、冷たく柔らかな感触。

そのまま——僕は、暗闇に溶けていった。

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