第11話 黄金の傭兵
ああ、やっちまった。
酒で痛む頭を抱え、雷鳴の音で目が覚めた俺は、稲光に照らされた中で寝息を立てる女の背中を見てそう思った。
一糸纏わぬその女の髪は短い。この国では所謂、罪人の証だ。罪人はその生涯を囚人奴隷として過ごし、まともな働き口も与えられない。性奴隷という名の娼婦——この女の職業だ。
ベッドから起き上がり、手早く着替えを済ませると下の食堂兼酒場に向かった。いや、戻った、というべきか。
「おやおや、お早いお戻りで。お楽しみいただけましたかな?」
いやらしい笑みを浮かべて宿の女店主が声をかけてくる。齢五十前後といったところか。長い髪を頭頂部で団子のように巻き、夜に映える濃い化粧が独特の色香を纏っていた。
ここは表向き、主に傭兵を相手にする宿屋だ。だが従業員の半分は女の奴隷で、気に入った女がいればそっちも食すことができる。要するに隠れ売春宿だ。正式な娼館を営むには複雑な手続きと許可、莫大な資金がいる。そこで働く女たちは奴隷などではなく、知識、教養、容姿に長けた高級娼婦というもので、そんじゃそこらのお貴族令嬢よりよっぽど価値が高い。当然それ相応の対価もいる——ただの傭兵風情が払える金額では、到底ない。そういった輩の欲を安く満たすために、こういった隠れ宿は街中にいくつかあった。
「楽しむも何も、強ぇ酒ガバガバ飲まされて気づいたら丸裸でベッドの上だぜ?こっちが身包み剥がされて犯された気分だよ、まったく。とっとと部屋から連れてってくれ、眠れやしねぇ」
酒、と短く注文する。程なくして泡立つ琥珀色の酒が運ばれてきた。
「お代はちゃんと払ってもらうからねぇ」
くっくっく、と女店主が笑う。近くにいた従業員に顎で指図した。ベッドで眠る女を迎えに行けという合図だ。
「やっと"神域"に来れたってのに、到着の洗礼がこれとはね」
琥珀色の液体を喉に流し込みながら、黄金色の髪をした青年は言った。瞳は晴れた空の色をしている。
「"神域"なんて、一千年以上前の神話みたいな話さ。本当にあったかどうかさえ定かじゃない。御伽噺みたいなもんを信じてここまで来たってのかい」
女店主は自分の盃に酒を注ぎながら言った。
「なんだよあんた、この国の人間じゃないのか?」
「そうじゃないよ。昔この国が"神域"って呼ばれてたことは知ってるけどね、伝わってるのは作り話のようなもんばっかりで、そん時の詳しい記録も文献も、これっぽっちも残っていないんだ。一説では世界を滅ぼすほどの厄災があって全部なくなっちまったってことになってるが……どうだかね。"神域"なんて、みんな昔の国の名前くらいにしか思っちゃいないのさ」
「おい、こっちに酒くれ」
遠くのテーブルから柄の悪そうな声がした。女店主が奥に控えていた髪の短い女に目配せをする。大きな盃を二つ抱え、女は柄の悪い男の隣に座る。徐に肌を密着させているのが見て取れた。御愁傷様、と青年は心の中で呟く。
「で、あんたはその念願の"神域"に来て何をしようってんだい?傭兵のようだから金を稼ぎに来たんだろうけど、わざわざこんな島国じゃなくてもよかったんじゃないかい。戦争なら他の国であちこちやってんだろ」
盃の酒を一息に飲み干し、もう一杯、と近くの女に視線を送った。程なく酒が運ばれてくる。
「俺は"神域"を救いに来たんだ」
女店主は口に運ぶ盃の手を止め、大いに笑った。
「あっはっはっは!救うってあんた、どこぞの物語の勇者みたいな恥ずかしいこと、よく言ったもんだ」
「笑うなよ」
黄金色の青年の顔が赤く染まる。酒のせいでは、決してない。
「あんたもこんな商売してんだから色々知ってるだろ。この国に異変が起こり始めてることくらい」
「……」
女店主は黙った。探るような目で青年を見ている。
「三年ほど前からだったか、徐々に作物は育たなくなり、川の水は濁り、常春のはずのこの国で異常気象も多い。この国にしかいない魔物の数も異常に増えてきてるらしいじゃねぇか。特にここ一ヶ月あたりから顕著だ。この国の兵士や傭兵だけじゃ対処できねぇってんで、各国に要請が来てる」
喉を潤してから、さらに続ける。
「俺はな、幼い頃から"神域"の話に憧れてた。月の神が星の伴侶とともに守る大地、ルナリア皇国の話を。むかーし昔、この国は神と精霊と人が共にあり、国に住む者は多かれ少なかれみんな神力と呼ばれる聖なる力を持っていたと。神が守る大地は外界から絶対不可侵の領域で、どういうわけか誰もその国に入れなかったって話だ。争いのない常春の国——まさに常世だわな。争いばっかりの今の世界に生まれた俺には、憧れそのものだったんだ」
青年の青い目がどこか遠くを見るように、その青が少し霞んで見えた。
「まあこの国のヤツが"神域"の話を信じるかどうかは別として、月神と皇家への信仰は今も廃れていないんだろ?現にあんたの宿にだって、皇家の紋章が飾ってある」
「……」
女店主は黙ったままだ。
「そんで——明けの明星ってやつも生まれてる。数百年に一度生まれる奇跡の美貌の皇子様なんだろ?憧れの神域の危機に奇跡の皇子様のご降臨なんて、そりゃあもう行くしかないだろう」
上気した頬に少年のような笑みを浮かべて、青年は言葉を紡ぐ。
「でもな、この国のことを色々調べてるうちにとある疑問があってな。明けの明星が生まれたその歴史では皆、なぜか若くして死んでる。死因も謎のまんま。決まって、今回みたいにこの国に異変が起こった時だ。それこそ"災厄"なんじゃないのかってね。皇子様が事故に遭ってお隠れになったのも三年前——この国の異常と時期がぴったり合う」
「皇子こそが、災厄の種。だから歴史から消される」
その言葉を聞いた瞬間、女店主の銀色の瞳に朱が宿った。盃を持つ手からギリギリと音がする。
「勇者志望の若造、浅はかな思いつきで滅多なことを言うんじゃないよ。誰が聞いているともわからないからね」
「……あんた、何か知ってんのか?」
青空の瞳を見開いて、青年は問う。
「たとえ知ってたとしても、今のあんたにゃ教えられないね。せいぜい武勲でも立てて金を稼いで、あたしに誠意を見せな。そしたら考えてやらんこともない」
「おいおい、結局金かよ。世知辛ぇな。俺がこの国を救うかもしれないってのに」
「それはないね。全てを救うのは、月神様だ。あんたは……そうだねぇ、せいぜい女に精も根も吸い取られて使い捨てられる哀れで夢みがちな男ってとこだ」
「それ、ひどくない?」
青年は大袈裟に戯けてみせた。これ以上話す気はないようだと、女店主の顔を見ればわかる。
「さあさあくだらん話は終わりだ。飲むのか寝るのかどっちかにしとくれ。もう一人いっとくかい?」
「……酒、くれ」
「おかわり持ってきとくれ!あとつまみも適当に」
「つまみは頼んでねぇ!」
ルナリア皇国が嵐に包まれた夜、黄金色の傭兵はこの国での最初の夜をこうして過ごした。
いつかこの国を救うのだと、本気で信じながら。




