第6話「月下の逃走、迫り来る雷鳴」
息が切れる。肺が焼けるように熱い。
私は道なき獣道を、ひたすらに走っていた。
枝が頬を打ち、茨が服を裂く。だが、痛みを感じている余裕などなかった。
後ろから、何かが来る。
音ではない。気配だ。
背中を焦がすような、圧倒的な捕食者のプレッシャーが、距離を詰めてきている。
あれは人間ではない。まるで嵐そのものが形を持って追いかけてきているようだ。
『なぜわかる!? 抑制剤は完璧なはずだ!』
私は心の中で叫ぶ。
今の私は、ベータと同じだ。フェロモンなど出ているはずがない。
それなのに、追跡者は迷いなく私の位置を特定している。
これが「運命の番」という理不尽な力のせいなのか。
どんなに科学で抗っても、本能という鎖は断ち切れないというのか。
足がもつれ、私は木の根につまずいて転倒した。
湿った土の上に這いつくばる。
膝に激痛が走り、立ち上がれない。
「くっ……!」
その時、森の空気が変わった。
風が止まる。
虫の声が消える。
静寂が、重たい幕のように降りてくる。
そして、その静寂を破るように、乾いた落ち葉を踏む音がした。
ザッ、ザッ、ザッ。
規則正しく、余裕に満ちた足音。
私は顔を上げた。
月明かりが差し込む木々の間から、黄金の髪が揺れるのが見えた。
ラディウス殿下。
彼はまるで散歩でもしているかのような優雅さで、私の前に現れた。
その瞳は、暗闇の中でらんらんと赤く輝いている。
「……見つけた」
甘く、低い声。
と同時に、強烈なアルファのフェロモンが奔流となって押し寄せた。
雷雨の前のオゾンのような、張り詰めた空気。そして濃厚な白檀の香り。
それは暴力的ですらあり、私の全身の細胞を強制的にひざまずかせようとしていた。




