第12話「最後の選択」
ある夜、思いがけない訪問者があった。
私の妹だ。
彼女は前世の私と同じく、この物語のシナリオを知っているわけではないが、姉としての直感で私の危機を察知していたらしい。
メイドに変装して忍び込んできた彼女は、手には結界を一時的に無効化する魔道具が握られている。
切羽詰まった顔で私に言った。
「お兄様、逃げて! 裏門の衛兵を買収してあるの。今なら舟で国外へ出られるわ!」
それは、願ってもないチャンスだった。
ラディウス殿下は今夜、重要な会議で席を外している。
結界の隙間を突くルートも、彼女が用意していた。
再び自由を手にする、最後の機会。
辺境でのスローライフ。薬師としての穏やかな日々。それが目の前にぶら下がっている。
私は窓の外を見た。
暗い空に、星が瞬いている。
あの星の下へ行けば、誰にも縛られず生きられる。
けれど。
私の脳裏に浮かんだのは、自由な空ではなく、ラディウスの深紅の瞳だった。
私が消えたら、彼はどうなるだろう。
今度こそ、本当に壊れてしまうかもしれない。
いや、それよりも。
私自身が、彼なしの世界に耐えられるだろうか。
彼のいない朝。彼のいない夜。彼の匂いのしない空気。
想像するだけで、胸に穴が開いたような寒さを感じた。
「……ありがとう、リサ」
私は妹の手を握り、首を横に振った。
「でも、私は行かないよ」
「どうして!? 殺されるかもしれないのよ?」
「殺されないさ。それに……ここが、私の居場所になってしまったんだ」
籠の鳥が、自ら扉を閉めるようなものかもしれない。
愚かな選択だと笑われるかもしれない。
それでも、私は決めたのだ。
運命に流されるのではなく、自分の意志で、この「執着」という名の愛を受け入れることを。
妹は呆れたように、でも少し安心してため息をついた。
「……わかったわ。お兄様が幸せなら、それでいい。でも、何かあったらすぐに連絡してよね」
彼女が去った後、私は一人、部屋に残った。
ほどなくして、ラディウス殿下が戻ってきた。
彼は部屋の空気がわずかに動いていることに気づき、鋭い視線を巡らせたが、そこに私が座っているのを見て、ふっと表情を緩めた。
「……ただいま、エリアン」
彼は知っていたのかもしれない。誰かが来ていたことを。
それでも私がここにいることの意味を、彼は正しく理解したようだった。
「おかえりなさい、ラディウス」
私は立ち上がり、自分から彼の胸に飛び込んだ。
これが、私の「逃亡劇」の終わりだ。




