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晶の節・兀座 其之弐『幽愁──あるいは闇への疾走』

幽愁ゆうしゅう──あるいは闇への疾走



     Side Yui & Others


 ──凰鵡達がオメガに敗北してから約二時間後…………

 維は三階のバルコニーから、街の明かりを眺めていた。


「維」


 誰かが棟から出てきた。

 振り向かずとも、その声と、重い足音で、ハウザーだと分かる。


「あら、慰めに来てくれたの?」


 体ごと振り返って、維は背中で柵に寄りかかる。


「みんなのこと、残念だよ」


 碧い瞳が哀しげに見つめてくる。自分と不動の三人との関係は、彼も知っている。任務中でも気遣ってくれるぶん、顕醒より分かりやすく優しい男だ、と思う。

 だが部下のいる手前か、立ち止まった場所は維からまだ遠い。

 小柄な隊員が一緒だった。たしかコードでは「フォックストロット」と呼ばれていた。夏だというのに長袖のパーカーを着て、フードも目深に被っている。


「さぁ、どうかしら。死体が出ないイコール生きてる。映画だとこういう時って、そうじゃない?」

「気持ちは分かる。ワタシもそう思いたい。けど、これはリアルだ」

「気持ちは分かる……ね」


 情に脆いリアリストは相変わらずだ、と維は内心で微笑む。だからこそ、霊祇からも部下からも信頼される。


「じゃぁクエスチョン。アタシが次に、何をやらかすでしょーか──ッ!」


 解答を待たず、維は彼の眼前に飛び込んだ。コンクリ床を割るほどの激烈な震脚(しんきゃく)から振り上げられた脚が、股間へクリーンヒットした。悶絶どころでは済まず、睾丸が爆散する──普通ならば、だが。

 ハウザーは動じなかった。肉体の硬化──《金剛》の念法だ。蹴り上げの勢いすら、落とされた重心に相殺された。


「ぁ……⁈」


 諦めろ、と言おうとしたその瞬間、二重三重の驚愕がハウザー達を襲った。

 まず、全員の意識に警報が鳴った。妖種の侵入──しかも裏門からだ。

 それは、本来ならあり得ない事態だった。普段は意識しないが、支部の敷地はあらゆる妖種を退ける結界によって全体をドーム状に覆われている。それが唯一解かれている部位が正門である。つまり、それ以外の場所から入ってこられるということは、よほど強力な────


「ッ?!」


 さらに支部全体が暗闇に包まれた。棟という棟の電灯が一斉に消えたのだ。しかし外からの光もあるため、鍛えられた闘者の視力なら、一瞬の集中ですぐに適応できる。当然、ハウザーもそうした。

 その隙を突いて、維は前蹴りを炸裂させていた。


「ゆ────ッ!」


 巨体がガラスと壁をぶち割りながら、棟の奥へと消えてゆく。支部員は同階に入れぬよう紫藤が手回ししてくれたため、人的被害はないはずだ。

 維も後ろに吹っ飛んで、バルコニーの柵を軽々と越えていた。あえて反動を受けるように蹴ったのだ。


「維さぁーん!」


 そこを狙い澄ましたかのように、フルフェイスヘルメットにジャンプスーツという出で立ちの朱璃が、斜め下から飛んできた。

 その身体を、維は空中で見事にキャッチする。サーカス団も目を回しそうな曲芸だが、朱璃が〝維に当たる〟のは確定事項だった。バルコニーを飛び出した維に向けて、二階の窓から、紫籐が朱璃を投げたのだ。その必中の邪眼──《正中眼》の力である。人を投擲するなど初めての試みだったが、維の掴まえかたが良かったおかげで、朱璃に怪我はなく済んだようだ。

 しかし、ひと塊になった維達を追って、バルコニーから跳んだ者がいた。ハウザーの隣に控えていたフォックストロットだ。ふたりが支部の塀をも越えて敷地外に着地した瞬間を狙って、真上から容赦なくかかとを落とす。

 間一髪、維は朱璃を抱えたまま前転して避けた。とばっちりを喰らったアスファルトが砕ける。その破片が地面に触れるより速く、拳が追撃してきた。

 ガン──硬化した維の鼻先がストレートを止め、衝撃と風圧が、フォックストロットのグローブを裂き、パーカーのフードをひるがえした。


「アンタ……!」


 こんどは維が二重の意味でおどろく番だった。グローブの下から現れた腕は、人間の肉体ではなかった。鋼鉄の義手だ。サイボーグだとでもいうのか。

 何より、露わになったフォックストロットの素顔に、維は覚えがあった。


「──てぇ?」


 みっつ目の驚愕が襲いかかってきた。義手の手首が割れて、三角に連なる砲口が姿を見せたのだ。手の平サイズだが、どう見てもガトリング砲である。

 維が地を蹴って退いたのと同時に、回転する砲身が弾丸をばら撒いた。銃声はほぼゼロ。マズルフラッシュは皆無。だが、風を裂いて飛んでくるのは確かに実弾のようだ。

 が、その砲火もすぐに止まった。


「ンだよ──⁈」


 悪態をつくフォックストロットの目に、逃走する維の後ろ姿は、五人にも十人にも見えた。


「Don't fire!」


 少し遅い叱責とともにハウザーがバルコニーから跳んでくる。だが部下と同じものを見たらしく、地上に降りてもすぐには動かなかった。


「ゲンジュツ⁈ Oops!」


 ハッと下を向いた二人の脚には──地面から湧き出したとでもいうのか──おびただしい数の呪符が張りついて、動きを封じていた。


「そこ!」


 すると今度は、敷地内から霊祇の声が響いた。次いで「ぎえっ」とハスキーな女の叫びが上がる。

 たちまち、ハウザー達を絡めていた呪符が霧散した。


「アルファとフォックストロットは脱走者を追跡! 残る桔梗は私が指揮を執ります!」


 すかさず発せられた命令に、ふたりは躊躇なく走り出した。


「老師……! 無茶をなさって」


 前庭では、地面に墜落した人影に紫藤が駆け寄り、抱き起こしていた。


「あたた……クソ真面目なアンタこそ珍しい。けったいな邪眼の使い方しとったやないか」


 巫女のような装束に身を包んだ長身の老婆だ。落下時に強打した腰をさすりながら、紫藤に肩を借りつつ立ち上がった。


「やはり孤月こげつ老師、あなたでしたか」


 ふたりの前に、桔梗の隊員をともなって霊祇が現れた。


「まぁ……裏門から来た時点で、なんとなく察せていましたが」

「やっぱなぁ。さすがにアンタは反応が早い」


 冷然とした霊祇に対し、孤月と呼ばれた老女はカラカラと笑う。


「ところで、エコーはどちらに?」

「ああ、いま出すわ」


 パンッと孤月が柏手かしわでを打つ。


「霊祇さーん、ごめんなさいー!」


 たちまち、四人の足下から甲高い声が上がった。

 長い布で簀巻きにされた女が、地面に転がっていた。翔と巍狼を確保しようとした妖種だ。いつからそこにいたのかは、孤月以外の誰にも分からなかった。


「相手が悪かったな、エコー」


 同僚が彼女の拘束をほどこうとして「おっと」と手を止めた。エコーの首から下は、ヒトの女の体をしっかりと保っていた。


「五体満足で返していただいて感謝しますよ。彼女を利用されていたら、私達ももっと手こずったでしょうに……」


 簀巻きのまま運ばれてゆく部下を見ながら、霊祇が嘆息する。


「そない傷口にカラシ塗るみたいな真似できるかいな。ちょっと今日はチームが別れただけのエエ子やのに」


 そうすべきだったかもしれない、とはたで聞きながら、紫籐は少し思ってしまった。

 衆統の言葉は決して買いかぶりではない。

 抜けられないはずの結界を抜けられる妖種がいるとしたら、それは二者に一者──よほどの強力な種か、あるいは結界を組み、その解除法すら熟知している術者本人──である。

 その後者こそが彼女、衆最高の呪術師《十六夜いざよいの孤月》だった。


 支部内の騒動が一段落した一方、脱出に成功したふたりには、まだ一瞬の安心も許されていなかった。

 遠く背後から追ってくるのは《斗七山》の一角。不意に不意を重ねた超不意打ちは成功したが、本来ならまともに逃げて振り切れる相手ではない。孤月が援護で放ってくれた幻術も、いつまで保つか分からない。

 それでも今はただ走って走って、走りまくるしかない。

 夜の街を、維はひたすら駆けた。


     Side Ormu & Others


(兄さん! お師匠様!)


 叫びは光に消える。自分の姿と、意識すら呑み込まれて……何もかもが白い無に帰る。

 自分は死んだのか? ここは天国だろうか。

 光を放つ自分が、目の前に見える。


(きみは……ボクは……誰?)


 輝ける自身に問う。

 カッ、と瞼が見開かれた。そして、咆吼が────


「アア──ッ⁈」


 凰鵡は跳ね起きた。オメガの叫びと思ったのは、自分の悲鳴だったのか。

 汗で濡れた額を拭い、周囲を見渡す。森のなかと思しい暗闇に、ささやかな灯りを投げる焚き火。空は黒く、星空と雲が半々ほどだ。


(オメガは──⁈)


 最後の記憶を手繰り寄せて身震いする。兄と師は無事なのだろうか。


「兄さん……!」


 さきほど声を聞いた気がする。なら、すぐ近くにいるはずだ。


「いませんよ」


 体じゅうの汗が一斉に凍ったような気がした。

 火のそばに、天風鳴夜がいた。


「な、んで……」


 凰鵡は砂土を尻で擦りながら後退った。


「私ではご不満ですか?」

「そういうことじゃない……!」


 的外れな問い返しに反論してみせるが、そういう凰鵡自身、では何が「なんで」なのかと訊かれれば返答に窮するほかない。


「ここにいたら、偶然にもあなたが落ちてこられたもので。放っておくわけにもいかず、介抱させていただきました」


 なら、さっき聞いた兄の声は、朦朧とした自分の意識が聞かせた幻だったのか。

 ぞくり……と、また凰鵡の背筋が凍りそうになる。この忌まわしい妖人の目の前で、自分は一体どのくらいのあいだ、無防備な姿を晒していたのだ。


「二時間と少し、でしょうか。思ったよりお早いお目覚めでしたね」


 こちらの心を読んだかのように鳴夜は応える。


「こんどは何を企んでる⁈ まさか……オメガもお前の仕業か⁈」


 この青年が裏で糸を引いていた事件の数々を鑑みれば、凰鵡にとってはしごくまっとうな嫌疑である。


「オメガ……あの《光》のことです? なら、私は無関係ですよ。企みは……そうですね。少なくとも今は、あなたをお守りすること」

「嘘ばかり! お前はいつも──」

「前にも言いましたが──」


 相変わらず柔らかな口調で、鳴夜は凰鵡の追求を制する。


「──嘘は吐きません。黙秘と趣旨替えはしますが」

「…………ボクに、なにかしたのか?」


 震える声で問う。蟲を植え付けられただろうか、血を抜かれただろうか、あるいは貞操を…………


「なにも」


 アッサリと否定された。思わず安堵してしまう自分に警報を鳴らし、体を確かめる。


(竜王……)


 その時になって、凰鵡は自分の右手が宝剣を握りしめたままでいるのに気付いた。


(竜王、どうして……)


 なぜあの時、宝剣は力を発揮しなかったのだ。これまでずっと一緒に闘ってきた愛刀の裏切りが、凰鵡には信じられない。


(ボクがいけなかったの? でも、ボクの何が……?)


 答えの返らない疑念を腹にしまい込むように、宝剣をパーカーのポケットに入れた。


「さぁ、どうぞ」


 と、鳴夜の手が、焚き火のそばから何かを取り上げた。樹皮を剥いだ枝を串にした、魚の丸焼き──大ぶりのウグイだ。


「塩がないので薄味ですが、可食の野草をスパイスにしていますから、あなたでも安心して食べられます」

「そんな……お前の食べ物なんか……」

「心外ですね。こんな地味な遣り方であなたに一服盛ったりなどしません」


 鳴夜の目が哀しげに細められる。その所作の何もかもが凰鵡には胡散臭いが…………

 ぎゅるるるぅ……と、食べ物を前にした腹が、頭を無視して反応してしまう。その凰鵡の食欲に、鳴夜が追い打ちを掛けてきた。


「あなたを守るのが目的と言いましたね。正確には、あのオメガとやらを消して欲しいんですよ」


 予想だにしなかった話の流れに、凰鵡は目を円くするしかない。


「ああいう存在は、私にも厄介でしてね」

「厄介……? お前にどんな厄介があるんだ」


 ようやく問うてみたが、鳴夜はこれを戯けた仕草で黙秘した。


「とにかく、私の願いはオメガの排除。しかし私には荷が勝ちすぎる。どうやら、あなた方の力が必要だ。つまり──」


 すすす……と低姿勢のまま、鳴夜は滑るように凰鵡へと迫り、目の前に串焼きを差し出す。


「あなたには元気でいてもらわないと、ね」


 理屈は通る、と凰鵡は思ってしまった。今回に限って、自分達と天風鳴夜の利害は一致しているらしい。

 だが本当にこいつを信じるのか? 天使のような笑みで誰も彼もを陥れてきた、この悪魔を。それに、オメガを倒したいのはやまやまでも、天風鳴夜をも利することになるのは、どうしても悔しい。


「……くぅ」


 結局、それらすべての葛藤と一緒に、凰鵡は煙の立つ川魚を受け取り、食べた。


(ごめんね……ごめん……)


 朱璃、翔、維…………凰鵡にとって大切な人達の心に、憎しみと哀しみの楔を撃ち込んできた張本人。その天風鳴夜に助けられている。こんな自分を知ったら、皆はどう思うだろう。

 食べながら、凰鵡は泣いていた。


「これで塩味が付きましたね」


 痛烈な嫌味には無反応で抗った。その甲斐あってか、以後、凰鵡が食べきるまで、鳴夜は静かに見守っていた。


「ごちそうさまでした」


 残った骨と串枝を捧げ持って凰鵡は頭を下げ、焚き火のなかに投げ込んだ。

 そして立ち上がり、その火に背を向けた。


「どちらへ?」

「オメガを倒せばいいんだろ?」

「いま動くと危ないですよ」

「お前といる方が不安だ!」


 ものを食べて少し元気が出たか、さっきの嫌味の仕返しをして、凰鵡は真っ暗な森のなかへと駆け出した。



「おばさま……!」


 紫藤が孤月を招き入れると、零子はベッドから身を乗り出して彼女に抱きついた。


「あーあー、こないボロボロんなってもーて。ホンマこの子は、ウチの言うこと聞かへんのやから」


 苦言を呈しながらも、腹にうずまる頭を孤月は優しく撫でる。老婆と見えて、シャキリと伸びたその背丈は紫藤よりもなお高い。


「──ほな、チャチャッとやろか」


 零子をベッドの縁に座らせると、孤月は長く豊かな髪のなかから包帯束を取り出した。


「お待ちください老師。零子さんはまだ──」

「私なら大丈夫ですよ」


 孤月を諫めようとした紫藤を、零子がさらに止めた。


「導星さんのおかげで、かなり楽になりましたから」


 その微笑みはまだ少し力なかったが、紫藤は諦めたように溜息を吐き、零子の隣に座った。そして眼鏡を外した。


「もうちょい近づきぃな。術が弱まるで」


 叱咤され、ふたりはおずおずと距離を詰める。

 孤月はまず零子の目に包帯を巻いた。ただの包帯ではなかった。特別な染料を染みこませ、表面にビッシリと呪文を刻んだ呪帯じゅたいだ。

 零子の顔面に数巻きしたあと、帯の束を紫藤へと移して、今度は彼の右目だけが隠れるよう顔を覆ってゆく。

 零子と紫藤の頭が、呪帯によって繋がれる。


「ほな、こっからが本番やで」


 孤月は長い後ろ髪を掻きあげた。その瞬間、頭頂からは三角形の耳が飛び出し、腰からは太い尾が何本も、孔雀の羽のように広がった。しっかり数えれば、その尾は実に十六本もある。

 九尾の狐ならぬ十六尾の狐──それが《智七山》のひとり、《十六夜の孤月》の真の姿だった。

 さらに柏手を打った両手には、いつの間にか長い数珠が架かっていた。

 その数珠がピンと張られる。部屋の空気も、同じように硬く震えた。

 零子の手が、紫藤のそれに触れる。

 紫藤も掌をうえに返して、ふたりは指を絡めた。


     Side Shou


 翔自身も運転免許は持っている。高速を走ることはあまりないが、叔父の任務に同行する際には、運転役を任されることも珍しくない。

 ステアリングをまっすぐに保ちながら、助手席の李巍狼を横目で覗き見る。

 シートを倒して寝顔をさらす姿のなんと婀娜婀娜(あだあだ)しいことか。自認はあくまで男だというが、見た目はまさに眠り姫。維や朱璃が地団駄を踏みかねない。

 しかし、この美貌とスマートな所作に隠された波乱の身の上を、翔は先だって本人から、少し聞いてしまった。

 生まれは中国南部の小さな町。保守的で男尊女卑の文化が根強く、幼少期の巍狼はその力と、女物を好む気質のために、世間の冷たい目を浴びて育った。唯一の肉親である母親すら彼を疎んじたという。

 八歳の時、たまたま衆の長老のひとりが町を訪れ、巍狼を見つけてくれたことが、今こうしていられる最大の理由だという。詳しくは話してくれなかったが、そうでなければ母親の手で、非合法な売春屋へと売り飛ばされていたそうだ。

 日本……とくに衆の生活は、巍狼にとって大きな転機となった。女の服を着て化粧をしていても、皆(少なくとも表面上は)、何気なく接してくれた。その気楽さのなかで、巍狼は勉学の才を開花させた。零子をはじめとした多くの能力者からは、霊力の研鑚や、力と向き合って生きてゆくすべを学んだ。そして十七歳にして、本部資料室兼図書室長の椅子と、《智七山》の称号を得た。

 よしんば予知夢がなかったとしても充分すぎる俊英だ、と翔は思った。偉ぶる素振りをいっさい見せないが、本来なら偉ぶって然るべきなのだ。地位の面では、翔など足下にも及ばぬ存在である。

 ただその立場上、対等に話せる同世代が皆無らしい。似たような悩みを、かつて凰鵡も抱えていたと聞いたことがある。

 なら身分を隠していたのは、素性がバレるまでの間だけでも気軽に接してくれる相手が欲しかったから、ということだろうか。

 真嗚に続いて、また増えた奇妙な〝ダチ〟に、翔は複雑な想いを抱く。


「ん……」


 その巍狼が小さく寝息を詰まらせる。それがあまりに艶めかしく、翔はやれやれと眉を顰めた。これで本当に女だったら…………


(いや、ないない)


 凰鵡は必ず生きている。もう一度、胸に刻んで、翔は前に集中した。


「ぁ……だめ、いけない……」


 眠り姫の寝息が、喘ぎをともなった寝言に変わった。

 一瞬ドキリとした翔だったが、下衆な想像は即座にふきとんだ。


「あ……ああ、う……ッ!」


 その喘ぎの音色はあきらかに、官能ではなく苦痛だ。悪夢か何かにうなされているらしい。


「巍狼ッ? おい巍狼!」


 右手一本でハンドルを握り、左手を伸ばして眠り姫をゆする。前を見ながらのため、腿の付け根近くに触れてしまうが、気にしている余裕はない。


「──あッ⁈」


 翔が触れたのが功を奏したか、巍狼はビクリと身を震わせて眼を覚ました。


「あ……翔さん? そうか……僕は李巍狼、ここは僕の車のなか……僕達はいま、第三区支部に行こうとしている」


 自分の存在を確かめるように、ぶつぶつと現状を唱える。


(うな)されてたぞ。今のが、言ってたやつか?」


 ハンドルを両手で握りなおし、巍狼が落ち着くのを待って翔は訊ねた。


「ええ、そうです。いつ何を見るか、自分ではコントロール出来なくって……すみません、気持ち悪い思いをさせたら」

「ンなこと思ってねぇよ。ちょっとビックリしたけどさ。またオメガのことか?」

「いえ…………翔さん。ひとつ、約束してください」


 唐突な頼みごとに、翔の心がピリッと張りつめる。


(お前を殺せっつーんだったら聞かねえぞ)


 喉から出かけた本音を寸前ですり替える。


「なんだ?」

「絶対に……天風鳴夜には、手を出さないでください」


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