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晶の節・兀座 其之壱『謬想──あるいは定めの一折』

晶の節・兀座とつざ


謬想びゅうそう──あるいは定めの一折いっせつ



     Side Syuri & Shou & Others


(うそ…………)


 朱璃の全身から力が抜けた。席に座っていなければ、床に崩れ落ちていただろう。


「不動の三名消失! オメガ、未だ健在!」


 会議室のスピーカーを通して、第三区からの音声中継が、無情な事実を繰り返す。映像による中継が不可能なため、電波干渉範囲外からの目視と発話による実況が行われていた。

 《光》はいまや正式に《オメガ》と呼称されていた。第三区支部と通信できる端末こそ限られていたが、ほとんどの情報が秘匿レベルを緩和されているのもあって、凰鵡達がオメガと交戦する様子は、会議室に入りさえすればどの支部員でも聞くことが出来た──それがかえって、皆に不安と絶望を広める結果になるとは…………

 不動三人の動きは長老座の意に反する独断だったようだが、結局、霊祇が阻止に動くことはなかった。その理由は明かされていないが、皆の意を汲んでくれたのではないか、と朱璃は思っていた。

 彼らなら、と誰もが期待していたのは想像に難くない。とくに顕醒と真嗚のふたりは《斗七山》のトップ・ツー──噂では、この師弟だけで衆の総合戦闘力の四分の一を占めると言われているくらいだ。凰鵡も昨今ではここ一番で力を発揮している事実から〝未完の大器〟として期待を抱かれつつある。

 オメガを倒せるとしたら、彼らしかいない──はずだった。


「いや……いやぁ……!」


 皆が静まりかえるなか、朱璃は世界を拒絶するように、目も耳も閉じ、ぶんぶんと頭を振って泣いた。

 隣に座っていた維がたまらずその体を抱きしめたことで、ようやく嗚咽は抑え込まれた。

 だが、その維の献身も虚しく、第三区から投げ込まれたさらなる事実によって、議場は騒然となった。


「え、これはどういう……?」

「なんです?」


 狼狽える実況者へ、霊祇がマイク越しに訊ねた。


「見えているものを、そのまま仰ってください」

「はい。信じられませんが、オメガの光の表面が割れて……ヒトが見えます……オメガの中心にいるのは、その……凰鵡捜査員に瓜ふたつです」


 彼が何を言っているのか、朱璃には分からなかった。オメガは凰鵡だった? なら凰鵡は、自分に殺されたのか?


(なにが、起こって…………凰鵡くんが、死んだ)


 みずから心に突き立ててしまった確信と混乱に、朱璃の精神は耐えられなかった。


「朱璃ちゃん……⁈ 医務室行きます!」


 意識を失った朱璃を抱えて、維は会議室を飛び出した。


「維くん」


 音もなく、紫藤が隣に並んだ。


「朱璃くんと一緒に、支部長の私室へ」

「零子さんの? けど──」

「大丈夫だ。彼女も話したがっている」


 維は少し迷ったものの「はい」とうなずいて、進路を変えた。



 標高三〇〇メートルの険しい山中。風を切って飛来したそれは、山肌に屹立する岩棚に激突し、礫岩れきがんと一緒くたになって、月明かりも呑み込む千尋の谷へと転がり落ちていった。

 岩々がけたたましい音を上げて砕け散るなか、飛来物は破片を避けながら、静かに降り立った。

 それは、顕醒を後ろから抱きかかえた雲水だった。

 正確には、オメガに吹き飛ばされてきた顕醒の身を、岩棚に叩き付けられる寸前で雲水がかばったのだ。

 さしもの鬼不動もオメガの暴流を受けて気を失っていたようだが、いまの衝撃で意識を取り戻した。状況を悟るや怪僧の腕を脱して相対する。

 だがその直後には、眉を顰めつつも闘志を納めた。

 雲水が、顕醒に掌を向けていた。

 戦意を意味するものではない。施無畏印(せむいいん)──仏像によく顕される、相手の恐怖を取り払う手印だ。


「けんせい」


 顕醒の顔が、おおよそ誰も見たことのない驚愕で満ちた。


「お前に、話すべきことがある」


 それは紛れもない、雲水から発せられた言葉だった。


     Side Shou


 男ふたり暮らしとは思えない綺麗な部屋、というのは、上がって最初に李巍狼が発した感想の要約だ。

 大学から車で二〇分ほどの住宅地に建つ分譲マンション。その最上階にある2LDKの一室が、生家を手放した翔にとっての新たな我が家だ。叔父との生活は順調である。

 だが、安堵と平穏に浸れるはずのその空間で、よもや人生最大の緊張と焦燥を味わう日が来ようとは、翔も夢想だにしていなかった。


(うそだろ……凰鵡……!)


 ダイニングテーブルに置かれた巍狼の端末からは、支部で聞かれているものと同じ実況音声が発せられていた。


「そんな……ありえない、どういう」


 その巍狼は翔の向かいで頭を抱えながらブツブツと呟いている。


「アンタ、これ知ってたんじゃねぇのかよ?」

「言い訳がましいでしょうけれど、何から何まで視えるわけじゃありません……」


 道中の車内で、翔は巍狼から彼の予知夢と夢の内容について聞かされていた。

 さらには、第一支部はいま衆統と桔梗によって封鎖されているであろうこと。それらは長老会議で予め決められていたこと。そして彼らの意に叛し、巍狼は背信の罪を覚悟で翔に逢いに来た、ということも……

 彼自身の素性も、さきほど判明した。


 (真嗚といい、こいつといい!)


 叔父からのメールを開いた瞬間、翔は端末をぶん投げたくなった。

  『李巍狼師が一緒だと聞いた。無礼のないように。彼は智七山のおひとりだ』

 だが、いま目の前でうつむき、悩んでいる青年の姿は、《智七山》という肩書きからはほど遠く見えてしまう。


「わかった。とっちめて悪かった」

「いえ……あなたの方が、ずっとおつらいと思います。でも……」


 スゥ、と息を吸って巍狼は顔を上げた。


「お三方とも、まだ大丈夫です。そうだと思います」

「ああ、そうだな」


 翔の即答に、巍狼は目を円くする。


「ご存知なのですか?」

「いや、オレの勘」


 とは言ってみたものの、半分はハッタリだ。そう信じるほかない、というのが本音にいちばん近い。


「アンタこそ、これについちゃ分かってそうな口ぶりだな」

「……不動翁が仰っていました」

「真嗚が?」


 衆の最長老をつい呼び捨てにしてしまう。呪殺事件以来なぜか懐かれ、向こうからは「あんちゃん」呼ばわり。メールアドレスまで交換して、ときどき地位も歳の差も忘れたようなやりとりをしている。叔父には秘密だが、知れたら説教で済むかどうか。


「翁は、長老座でも把握していない何かを、ご存知だったようです」

「待て、アンタは真嗚の支持で動いてるのか?」

「それは……長い話ですので、また道すがらに」


 巍狼がおもむろに椅子から立ち上がった。


「翔さん、僕と一緒に来てください」

「どこに?」

「第三区支部です」


 あまりに意外な提案だったが、翔は「わかった」とうなずいていた。

 本当はもっと考えて決めるべきなのだろう。だが今ここにいて、自分に何か出来ることがあるとも思えない。それに巍狼の真意も気になる。虎穴に入らずんば虎子を得ずだ。

 大学から戻った時点で着替えも済ませていたため、必要最低限のものだけ取って家をあとにした。地下駐車場で巍狼の車に乗り込み、マンションから飛び出した。第三区支部までの距離は高速を使っても三〇〇キロ超。なかなかの長旅だ。


「おかしい」


 いきなり、運転手の口から不穏な一言が漏れた。


「どした?」

「車が、勝手に動いている……」


 翔が「は?」と頓狂な声を上げたのと、巍狼がハッと何かに気付いたのは同時だった。


「エコーさん⁈」

「バレたかぁッ!」


 ふたつ目の叫び声は、翔でも巍狼でもなかった。少し甲高い女の声だ。

 翔が状況を把握しきれないうちに、車は急加速した。背中が座席に叩きつけられ、直後には法定速度を軽く超え、車群を軽やかに抜けて、赤信号すら無視して突っ走る。


「なにして──!」

「僕の運転じゃありません!」


 言葉どおり、巍狼の両手はハンドルを離れている。

 次の瞬間、両者の座席がグニャリと歪んだ。長い突起が何本も生え、ふたりの体に絡みつく。それでようやく翔も理解した。なんらかの妖種がこの車と同化しているのだ。


「ンだよクソが──!」


 かろうじて動く右手にスナップを利かせ、袖裏に隠していたものを掌に出した。

 ボールペンだ。だがノックに連動して先端から飛び出したのはペン軸ではなく、太い針だった。翔が日常での携行を許されている暗器である。針は銀製で、妖種の肉体を破壊する呪力が込められている。


「待って、敵じゃないです!」


 異形の椅子に針を向けた翔を、巍狼が止める。


「そうよ。安心して」


 さっき「バレた」と言った女の声が、車内全体から聞こえた。邪気はなさそうだが、安心できるわけがない。


「傷つけるつもりはないからァ、このままおとなしくしててね」

「ごめんなさい、お断りします!」


 巍狼の叫びに呼応するように、窓の外に変化が起こった。

 どんっ──と、ボンネットに何かが着地して、車体が大きく傾いた。

 フロントガラスの向こうに見えた光景に、翔は目をみはる。

 人間だった──しかも老婆だ。巫女服のような和装に身を包んでいる。


「え、ちょっと、なに⁈」


 彼女の出現に妖種も慌てている。勢いよく蛇行して振り落とそうとするものの、老婆は片膝立ちのままビクともしない。

 いつの間にか手にしていた呪符をボンネットに貼り付けると、そのまま何かを引っぱり上げはじめた。車装をめくっている──否、まるでシーツが剥がされるように、何かが表面から迫り出てきた。


「いやーァ!」


 苦悶に顔をしかめる女の頭だった。車を乗っ取っている奴だと声で分かった。老婆はそれを外から引きずり出しているのだ。

 おかっぱ頭のてっぺんに貼られた呪布のせいで妖種は身動きが取れないらしい。老婆が立ち上がるにつれて、長く艶やかな首が、思いのほかガッシリした肩が、大きな円みを帯びた胸が露わになる。ヒトにも擬態できるようだ。

 翔達を咥えていた座席も、もとの形を取り戻してゆく。腕が自由になった巍狼がハンドルを握り直した。


「エコーさん! ハウザーに、僕から謝っておいてください!」


 ポンっと音がしそうな勢いで、妖種の腹から下が一気に抜けた。


(うげえ……)


 翔は嫌悪から吐き気を覚えた。女妖種の四肢の先端は、イカのような幾本もの触手の群れだった。グラマラスな胴体に触手とくれば、どうしても高校時代に味わった恐怖を思い出してしまう。

 そんな妖種の頭を鷲掴みにしたまま、老婆は翔達に微笑みかけ、「じゃあな」と指で合図する。トンっと、来たときよりずっと軽い衝撃を残して、両者は上方へと消えた。

 それを最後に、車内にも車外にも、あるべき静けさが戻った。


「……オレ、あの人、知ってるわ」


 いまの大騒ぎが嘘だったように、翔はぼんやりと口にしていた。


「そういえば、応援に行かれたのでしたね、以前」


 ああ、と翔は力ない相槌を打って、はたと思い当たった。


「敵じゃねぇって言ったな。あの……妖種?」

「桔梗の人です。僕らを支部に連行するつもりだったのでしょう」


 やれやれ、と翔はシートに体を沈めた。

 あれだけ暴走したはずなのに、パトカーが来る様子はない。クラクションすら、ひとつも鳴らされなかった。


「もしか……この車、気配消えてる?」

「ご明察です。さっきので、その術も剥がされてしまいましたけれど」


 そっか、とだけ言って、翔は巍狼が本題に入るのを待った。



 なつめ色の常夜灯だけが、部屋をほのかに照らしていた。


「零子さん!」


 ベッドで目を醒ました朱璃は、かたわらに零子を見てとるや、まっさきに抱きついた。彼女が無事であることを喜び、そして凰鵡を失った哀しみに、大声を上げて泣きじゃくった。


「大丈夫。きっと大丈夫ですよ」


 腕のなかの朱璃を撫でながら、零子は優しく諭す。自身の心もまだ安定しきっていないが、それをまるで感じさせない。


「私、感じるんです。凰鵡くんが生きてるって」


 これには維も朱璃も驚いた。


「零子さんも不動だったんです?」


 真嗚と顕醒、不動を極めたふたりには、親しい相手の位置を何処からでも察知できる力がある。


「そうじゃないんです。たぶん……オメガを通して、ですね」


 オメガと言うときに、わずかに声が震えたのが維には分かった。 


「どういうことです?」

「あの写真を見てたせいで、少し同調してしまっているんでしょうね」

「じゃぁ、やっぱりアレと凰鵡のあいだには、なんか繋がりがあるんですね」

「そうだと思います。深い原因まではまだ、分かっていませんが」


 そう言った零子は、今度は明らかに表情を暗くした。


「零子さん、無理しないでください」


 朱璃が懇願する。


「そうですね。では、本題に……」

「私から伝えましょう。支部長、横になってください」


 語気の弱まる零子に変わって、紫藤が場を継いだ。朱璃も慌てて体を放して、ベッドから降りる。


「支部長命令としてではなく、零子さん個人としての頼みだ。私達が援護するので、ふたりにはここから脱出し、第三区支部に向かって欲しい」


 朱璃がハッと息を呑む。かたや維は待ってましたとばかりに、ニヤリと笑みを浮かべた。 


「長老座の意向には背くことになるから、無理強いはしない。そもそも、凰鵡くんの力が今回の災厄を解決する鍵になるという意見があって、私達はそちらに賛同していたんだ」

「アタシらの預かり知らないおかみのほうで、一種の内紛が起こってる、てことですか?」

「仮にもその上の者として、巻き込んでしまい申し訳ない限りだ」

「それはいいのですけれど」朱璃が言った「維さんは分かりますけど、私が行ったって、闘えるわけじゃありませんし……」

「大事なのは」伏せったまま零子が言った「闘える人じゃなくて、凰鵡くんの心を支えられる人です」

「心……」

「朱璃さんには、それが出来るはずです。彼に、勇気を分けてあげてください」


 零子の言葉に、朱璃は胸の前で強く手を握る──その奥の痛みを逃がさず、しっかりと掴み取るように。


「はい。わかりました」


 そして、力強くうなずいた。


「翔はどうするんです?」


 維が訊ねた。彼もまた凰鵡にもっともちかしい人物。除け者にするのは気の毒というものだ。


「心配ない。たったいま通信を捉えた」


 紫藤が耳にはめたイヤホンを指す。


「桔梗の一員を幸運にも振り切って、第三区に向かっている」


 ふゆぅ、と維は下手な口笛を吹いた。訓練生が桔梗から逃れたとは前代未聞だ。幸運とはいうが、それが彼の最大のアドバンテージかもしれない。


「それから──」


 零子が続けて言った。

 だが、彼女の言葉の真意を、その時の維達は測ることが出来なかった。


「どうか、凰鵡くんに伝えてください……《オメガ》は、本当に倒すべきなのか……と」



 臭い……と真っ先に感じた。


「うっわ、海かよ」


 重い体を転がし、真嗚は波打ち際から避難した。全身、潮でずぶ濡れの砂まみれだ。帽子もなくしたらしい。

 顔を横に向けると、地平近くを照らす大きな光冠が見える。まるで満月が落ちてきたかのようだが、本物はちゃんと天空にある。

 随分と飛ばされはしたが、うまく陸向きの流れのなかに落ちられたらしい。漂着した岸も避難区域内と見えて、付近にひと気はない。消されていたかもしれないと思うと、まったく運の良いことである。


「いや、よかねぇやい。ベッタベタする……」


 ぶつぶつと文句を言いながら立ち上がる。海水は嫌いだ。早く何処かで洗い流したい。


「ちゅーか、あんなん聞いとらんかったぞ、アニキめ」


 瞬時に、弟子達の位置を把握する。

 じつのところ、破滅の光に呑み込まれる直前、真嗚と顕醒はとっさに個々を気の障壁バリアで包んだ――とくに凰鵡に対しては念入りに。それがオメガの力に反発し、押し出されたことで焼滅域からの脱出に成功はしたのだが、不規則な光の暴流を読みきる余裕まではなく、三人それぞれが別の方向へと吹き飛ばされてしまったのだ。


「あのアホめ、また無茶しよって……」


 とくに顕醒は真嗚以上に長時間、極大殺法を撃ちながら、障壁を張る際にも師と弟、ふたりの防御を優先した――自分はどうにかなるとでも思ったのだろうか。おかげで高度から海面に叩き付けられたにもかかわらず真嗚は無事だったが、手薄になった顕醒自身は危ういはずだ。が、どうやら無事らしい。


「うーん、よしゃ」


 少し考えてから、真嗚は砂まみれのまま走り出した。

 その足が向かうのは、弟子達からはまるで明後日の方角だった。



「本部では当初、凰鵡さんの霊力が何らかの理由で暴走するものと予想していたんです」

 西の果てにわずかな明るみを残す高速道路。オレンジ色の照明と、先行車の赤いテールランプに誘われるように車を駆りながら、巍狼は翔に語った。

 暴走──強い霊力を持つ人間には稀に、そういうことが起こりうるという。具体的には霊能力や超能力など、なにかしら超常的な力が発揮されるわけだが、〝暴走〟と言われるように、発揮者本人がそれらの制御を行うのはほぼ不可能である。またそれをきっかけに自身の力を知ったケースも多いが、たいていは自他の破滅で終わってしまう。

 とくに大規模かつ悲惨な事例を上げるなら、とある船上で暴走を起こした精神感応能力者(テレパシスト)の自殺衝動が周囲に共有され、乗員乗客全員が海に飛び込んだ。またあるいは発火能力者(パイロキノ)の肉体が半径数十メートルを巻き込む大爆発を起こして町ひとつを消した、などである。

 暴走のトリガーとなるのは感情の激発や不安定な情緒で、発揮者にとっての抑圧された環境や思春期が遠因となりやすく、また女性の場合は生理に伴うことが多い。


「それって……童貞とか処女とかも影響すんの?」

「え? ええ……はい」


 メイクの及んでいない巍狼の耳が赤くなる。〝生理〟と自分で言ったときには平然としていたが、この手の単語には怖じけてしまうらしい。

 しかし、たしかに凰鵡にはすべて当てはまるな、と翔はうなずく。天真爛漫に見えても、凰鵡はあれでかなり我慢しているところがある──とくに顕醒や、一般人と大きく異なる生き方に対して。


「話、折ってわりぃ。暴走して、どうなるんだ?」

「はい。凰鵡さんの秘める霊力は莫大です。それが暴走によって解き放たれたら、最初に被害を受けるのが麻霧老師だとしても不思議ではありません。それに、彼の霊力がすべて不動の気に注がれたなら、大規模破壊をもたらすことも充分に考えられる、というのが長老座の、大多数の結論でした」


 そのため、最悪の事態に即応できるよう、第一区支部の近くに衆統と桔梗が控えていたのだという。


「けれど、実際にはまったく別のことが起こりました」


 長老座の予測はのっけから外れたわけだ。


「アンタは最初から反対派だったのか?」

「いえ、夢を観た当初は、僕も長老座と同じ思いでした。ですが不動翁の意見を聞いて、考えを変えたのです」


 真嗚は最初から一貫して「《光》と凰鵡は別物」と断じていたらしい。しかしその論には根拠が薄く、また立場上、弟子を(かば)っていると思われても致し方なかった。


「もしか、流れを感じる、とか言ってた?」

「ええ。あの方には珍しいことではありませんが」


 揃って苦笑する。老害というほどではないだろうが、はたからは扱いづらくてしようがあるまい。


「ただ今回は、情報源があるようにも見受けられました」

「情報源ねぇ……でもアンタ、真嗚のシンパってわけじゃねぇだろ? なんで鞍替えしたんだ?」

「賭けてみたくなって」


 翔は首をひねる。無茶な自分と違って、手札の切り方は堅いタイプに見えるが。


「これから何が起こるか知っていても、誰にも信じてもらえない。そういう孤独感、僕も覚えがありますから」


 そう答える巍狼の横顔が、どこか寂しげに見えて、翔は「そっか」と静かに相槌を打った。

 ──みんな、お前に見えてるよりずっと、ズタボロになって生きてきたんだ。

 父が末期に残した説教の一節が思い出される。巍狼はどんな道を辿って今に至ったのだろう。少し、訊いてみたくなった。



 森の匂いがする。体じゅうが重くて、眠い。このまま二度寝したい。


(どうしたんだろう……起きなきゃ……かな?)


 近くに光と熱を感じる。パチパチと木の爆ぜる音がする。重い瞼を薄く開くと、夜のなかに、紅い火が揺らめいているのが見える


「寝ていろ」


 兄の声が聞こえた。が、そちらを向こうとしても、体が言うことを効かない。なにか大事なことがあった気がするのに。


(でも……いっか)


 兄がそう言ってくれるなら、もう少し休もう。起きてから考えよう。


(兄さん、ありがとうございます)


 疲労感と安心感に包まれて、凰鵡はふたたび眠りに落ちた。


「おやすみ」


 顕醒の声音でそう言うと、天風鳴夜は凰鵡の寝顔に微笑みつつ、手元の枯れ枝を火へとべた。


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