輝の節・漂落 其之弐『零散──あるいは偽りの階梯』
零散──あるいは偽りの階梯
Side Yui
「ォ唵──ッ!」
獅子のような凰鵡の吼え声とともに、光の礫が空間を走り、維の掌を撃った。不動の代名詞ともいうべき《練気》によって繰り出される奥技《気弾》である。
その威力に維は驚嘆する。自身も《金剛》の念法によって肉体を硬化しているためダメージはないが、腕に伝わる手応えは予想をはるかに超えていた。
少し前の凰鵡の気弾は、ほんのピンポン球ていどの大きさで、破壊力も本人のパンチと大差なかった。いまの一発は野球ボールのサイズ。速度も硬さも以前の比ではなく、普通の人間だったら手が吹っ飛んでいただろう。確実に、凰鵡は強くなっている。
だが可愛い弟分であり、また我が子のようにも思っている闘者の成長を、維は素直に喜ぶことができない。
「唵──!」
二発目が放たれる。これも維の掌に当たるはずが、こんどは狙いが逸れて脇腹に着弾する。ジャージが弾け飛び、肌が露わになる。
「ごめんなさい! 大丈夫ですか?」
「平気よ。アンタこそ大丈夫? 少し休んだら?」
「ボクも大丈夫です! お願いします!」
大丈夫の応酬。言葉から伝わる気概とは裏腹に、表情からは、焦燥と、獣じみた闘争心しか感じられない。
霊気酔いから醒めるや、凰鵡は何かに取り憑かれたように道場へと舞い戻り、一心不乱に瞑想と練気を繰り返していた。
維には解る──凰鵡はいま、恐怖に駆られ、それを必死に抑え込みながら、振り払い、足掻いているのだ、と。《オメガ》とやらがそうさせているのは間違いないが、それが何なのかは話してくれない。凰鵡にとって自分はまだ頼りないのだろうか、と思うと維は悔しくなる。ならせめて、この子が全力でやろうとしていることを、こちらも全力で受け止めてやろう。
一日じゅうでも付き合うつもりだったが、維のその熱意は早々にクールダウンさせられることになった。
「兄さん!」
「ああ、おかえりダーリン」
顕醒が道場に入ってきた。
「よかった、兄さん……お師匠様は?」
「上におられる」
凰鵡はようやく安堵した表情を見せ、その場にへたり込んだ。
が、ふたたび立ち上がると顕醒に駆け寄り、勢いよく床に額を付けた。
「──お願いします! ボクに、《極大殺法》を教えてください!」
凰鵡の言葉に、維は唖然とする。
極大殺法──内功という《活法》と、気弾という《殺法》、ふたつの側面をあわせ持つ不動の練気における〝殺〟の頂点──かつて、あの恐るべき強靱さを誇った《邪願塔》の巨人をも一瞬で消し飛ばした気の奔流である。
門弟ならざる維にその原理は分からないが、外から見るかぎりでは、膨大な量の気弾を極限まで凝縮し、一点に向かって解き放つことで、あらゆる物体や霊体を強引に焼滅させているようだ。
凰鵡はそれを修得するために、さっきから躍起になっていたのか。何のために? 決まっている。《オメガ》を倒すためだ。
だが、こうもみずから進んで何かと闘おうとする姿は初めて見る。顕醒のような強さを求めてはいても、凰鵡にとってそれは常に〝誰かを助けるため〟だった。ヒトや妖種が抱える心の闇を突き付けられ、何かを救うために誰かを傷つける決断を強いられ、世界は決して優しくないと思い知らされても、その想いは変わらなかったはずだ。
だが、今の凰鵡を見るかぎり、《オメガ》にむける情熱の源は、優しさではない。
──恐怖だ。
「凰鵡」
顕醒はひざまずき、平身低頭する弟の肩に手を置いた。
「最初から、すべてを話せ」
凰鵡の背がわずかに震えたのが、維にも見えた。
顕醒の声には、静かな──だが有無を言わせぬ──迫力があった。
Side Shou
講義に出たはいいものの、集中できるはずなどなかった。
学生らのあいだにはヒソヒソ声が飛び交い、翔もつい耳をそばだててしまう。情報収集なら叔父に任せておけばいい、現時点で自分に出来ることなどない……と、さっきは見切りを付けたが、現地の顗、そして凰鵡はじめ第一区の皆がどうしているか、気になっていまってしょうがない。
講義の時間は折り返したものの、残り数十分が半日のように感じてしまう。
「隣、いいですか?」
横から声を掛けられて、翔は反射的に「ああ」と応えた。そして違和感を覚えた。
事件の影響かどうかは定かでないが、広い講義室に、今日は空席が目立つ。なぜ、わざわざ自分の隣に来た?
また霊障の相談だろうか。じつのところ、昨今の訓練で鋭くなった霊感と、見て見ぬふりが出来ない性格とによって、入学早々、何人かに心霊関係の助言や諫言をしてしまったことから、翔は所謂「視える人」として、学内で少々、名を知られていた。
「大鳥翔くん、ですね」
翔は眉根を顰めて来訪者を見た。大きな縁なしの丸眼鏡の向こうから、豊かな睫毛に挟まれた切れ長の眼が、見つめ返してくる。
美女──十人が見たら十人ともそう評するだろう。細身の肢体を包む長袖のワンピース。長い髪はアップに纏められながらも、ウェーブの強い毛先を典雅に広げている。
だが、翔がもっとも驚いたのは、その艶やかさではなく、容姿と声とのギャップだ。
ハイトーンではあるものの、いまの囁きは間違いなく、男のものだった。
「……誰?」
来訪者にしか聞こえない小声で訊き返した。
「突然の訪問、申し訳ありません」
すこしクセのあるアクセントだが、丁寧な口調で青年は詫びた。
「僕は李巍狼。きみと同じ、衆の人間です」
Side Ormu
凰鵡は顕醒にすべてを語った──三日前に見た夢のこと、以前にも雲水の出現を予知していたこと、そして自分に語りかけてくる謎の声のことを…………
話しながら、今度ばかりは平手のひとつでも喰らうかと身を震わせたが、兄は正座を崩さず、静かに「そうか」と応えただけだった。
「そうか、じゃないわよもう!」
むしろ維が顕醒に噛みつく始末である。
「予知夢視るようになったってだけでも大事よ。それにこの子のは、何か……そう、なにか違う気がするわ。凰鵡、どうしてそんな大事なこと……今まで黙ってたの?」
問い詰めながらも、維は凰鵡を抱いて背を撫でる。
「すみません。自分でも信じられなくて……前のときは、みんなそれどころじゃなかったし」
「ああ……そうね、ごめんね。アタシも、自分のことしか考えられてなかった」
「いえ、維さんが悪いわけじゃないんです。本当に……」
「オメガって、例の《光》でいいのよね? それを凰鵡が倒さなきゃならないって、どういうこと? だいたい指図してンのは誰なのよ。顕醒、アンタひょっとして心当たりあるンじゃないの?」
言いがかりのような維の詰問にも、顕醒は黙ってかぶりを振る。
「前のとき、雲水はボクらを散々苦しめました。けど、けっきょく誰も、殺そうとしませんでした」
それは雲水に対する大きな謎のひとつとして、いまも衆で議論されている。《鬼不動・顕醒》《不動翁・真嗚》《万濤破山の顗》《鉄面妃・維》──のちの算出では衆の総合戦闘力のうち、じつに三〇パーセントを占めていたと目される四人組を、雲水はたったひとりで圧倒した。向こうがその気なら、闘者最強の顕醒すらただちに命脈を断たれていただろう。だが、そうはならなかった。
こちらを試しているようだった──それが、死闘を繰り広げた四人の共通意見だった。凰鵡が夢で聞いた「怖がるな」という言葉に一致していると、言えなくもない。
「今度のも、あの声の言うことが本当なら……僕が……! だから、お願いします!」
維の腕を振りほどくように凰鵡は身を乗り出し、兄にふたたび懇願する。
だが、顕醒が何かを言おうと口を開いた瞬間、別の声がそれを制するように、断じた。
「無理じゃ」
全員の目が、道場の入口に集中する。
「ふん。こないだの仕返しじゃ、アホ弟子」
音もなく、真嗚がこちらに歩み寄ってきていた。アホと言ったときの目は明らかに顕醒を見ていた。
「ッちゅうのはさておき……」
凰鵡の前に屈んで、落ち着かせるようにポンポンと肩を叩く。
「お師匠様……どうして」
「この口下手からは答えなぞ聞けまい。儂から言おう」
背後で一番弟子が眉根を顰めるが、師はどこ吹く風といった様子で、告げた。
だが、それは凰鵡にとって、とうてい受け入れることのできない真実だった。
「ちょい前、儂はおんしの気弾に〝これはなんじゃ〟と訊いたな。覚えとるか?」
凰鵡はうなずいた。よく覚えているし、ずっと心に引っかかっている。そのあと師が兄に対して、自分の指導方法について、もの言いたげにしていたことも。
「おんしの気弾は、不動の《練気》によるもんではない。ただの《念》で捻り出した、紛いもんじゃ」
Side Syuri
業務は一段落したものの、他の何も手に付かないくらい、朱璃の心は波立っていた。
ラウンジに上がってきた凰鵡は、先刻にも増して元気が無い。道場でまた何かあったのだろうか。維も一緒だが、めずらしく憮然としている。ただ、その不機嫌さは凰鵡ではなく、壁際にたたずむ顕醒に向けられているらしい。真嗚も降りたと思ったら皆とともにすぐに戻ってきて、また事務所へ入っていってしまった。
重苦しい空気のなかで、朱璃は隣のスツールに座る凰鵡の横顔を見つめるしかできない。頬杖をつき、大好きなコーラのカップにも口をつけず、眺めるともなしに外へ眼を向けている。
「……そういえば、翔、大丈夫かな」
ようやく言葉を発した。それが翔の話だったことに、朱璃の胸は少し苦しくなった。
「うん。まだ大学にいるって、さっき紫藤さんから連絡あった」
「そう。よかった……」
まったく嬉しそうに聞こえない。見るからに心ここにあらずだ。
「メールしたら?」
「……邪魔しちゃ悪いかなって…………ァッ!」
とつぜん、凰鵡が小さな叫び声をあげ、テーブルによじ登らん勢いで身を乗り出した。手がカップを横転させて、コーラの残りを机にぶちまける。
(凰鵡くん……⁈)
朱璃は絶句していた。
恐怖──凰鵡の表情からは、それ以外の何ものも感じられなかった。顔を縦断せんばかりに見開かれた瞼のなかでは、収縮しきった瞳がブルブルと震えている。
「凰鵡どしたの⁈」
ソファから駆け寄ってきた維が揺すっても反応がない。外に何か……まさか、また雲水か? 視線の先を追っても、朱璃にそれらしいものは見えない。
だが次の瞬間、凰鵡はハッと我に返ったように瞬きをして────
「零子さん!」
振り向いた──が、遅かった。
事務所の扉の向こうから、この世の終わりが来たような絶叫が響いた。
Side Gai & Mao
──約二分前。
「先輩。出現した敵性妖種、すべての確保、ないし討滅が確認できました。あらためて調査が開始されます」
瑞綺の言葉に、顗は「やっとか」と溜息を吐いた。妖種群への対処のために、《光》の調査は中断されていた。
衆の斗七山として名高い顗も東奔西走した甲斐あって、避難中の住民への被害は無論、のこと、妖種という存在の曝露も皆無のうちに事態は収束した。現在は警戒区域沿いにさらなる人員が投入されて、妖種の迎撃と結界の構築が行われている。
調査団に参加している同盟の妖種によれば、連中は《光》が持つ圧倒的な霊力に魅かれてやって来たらしい。本来なら縄張りを出ない種まで引き寄せるとは、あの《光》はさぞ美味そうに見えるらしい。
「はい。では、よろしくお願いします」
瑞綺が目を閉じて一礼し、すぅ、と深呼吸する。
計画では、まず対妖組織《神羅》の能力者が十人、力を結集させて《光》中心部に対する遠隔透視を行う。同時に、瑞綺をはじめとする感応能力者も、透視者と精神を繋いで観測役を担う。例えるなら透視者が望遠カメラで、感応者がフィルムである。
なにぶん未知の相手とあって能力者達の負担が危惧され、このような大人数かつ分担制となった。そのぶん、観測にも時間がかかることが予想されている。
だが、結果はあまりにも早く、訪れた。
「…………なに……これ……?」
瑞綺が目を見開いた。その両の眼球は、赤一色に染まっていた。
「ぅあッ!」
眉間に小さな裂け目が生まれ、シュッと鯨の汐のように鮮血を噴いた。
「瑞綺!」
「逃げて! ──!」
顗が名を叫ぶあいだにも、瑞綺は両方のこめかみに指を当てた。それは、彼女がもうひとつの力を使うときの仕草だ。
瞬間、眼も眩むような光が顗達を──あたり一帯を──呑み込んだ。
麻霧零子は電流でも浴びたかのように、ソファの上で身を反り返らせていた。拳が入るかと思うほど開かれた口は、普段の彼女なら天地がひっくり返っても出さないような悲鳴を迸らせている。
「零子くん!」
タヌキ先生の声すら、その叫びに掻き消された。
「誰も入るな!」
真嗚が扉に一喝しながらソファを飛び越え、零子の眼鏡を外した。
「活──ッ!」
恐怖に見開かれた双眸を両手で隠す。掌から光があふれ、零子の目の周りをぐるりと包む。
「──あ……ぅッ」
力を失ってソファに落ちた零子だったが、直後には床に転げて、激しく嘔吐していた。
「支部長の体調が悪化した。搬送具付きで、ふたり頼む!」
真嗚が内功で気を注ぐあいだに、タヌキ先生は医療班に内線を繋ぐ。
「零子ちゃんがダウンした。詳細をくれ!」
真嗚も零子の耳からヘッドセットを奪ってマイクに叫んだ。先方からの返答に、険しい表情がさらに青ざめてゆく。
「……あいわかった。先生、対霊障壁は増やしとったんじゃな?」
「もちろんです。最初の霊気酔いのあとで三〇倍増しです。通常業務にも支障が出るレベルですよ」
不動翁の問いに滔々と答えつつ、内線から戻った先生は零子をソファに寝かせた。嘔気はひとまず収まったようだが、赤子のように身を縮こまらせてガタガタと震えている。
「だっちゅぅのに、これはどういう──いかん、それじゃ……!」
彼女の左手が何かを強く握りしめているのに真嗚は気付いた。拳を開かせて中身を奪うと、苦々しげに顔を歪めた。
「よもや……」
第三区から送られてきた《光》の写真だった。本部や他支部と通信しながらも、零子は今のいままで、これを睨みつけていたのだ。どうにかして正体を突き止めようと必死だったのだろう。彼女らしいその使命感と執念が、裏目に出てしまった。
〝見る〟という行為は、目を通して対象を自分のなかに取り込むことでもある。ゆえに写真はときとして、時間や場所を超えて、被写体と見る者とを結びつける。まして、世界屈指の霊視能力と霊的情報取得能力を併有する麻霧零子は、たった一枚の写真からでも、真嗚にすら計り知れない強さで被写体と結びついてしまう。
だが最大の誤算は、《光》の最大瞬間霊力が皆の予測を遥かに超えていたことだ。除力加工を施され、コピーを重ねてなお、その力は写真を介して零子を撃ち、霊視力を抑える呪灰の眼鏡をもやすやすと貫いて、彼女の精神を灼いたのだ。
「あれ……なんなの…………こわい……助けて」
胎児の姿勢のまま、零子は頭を抱えて嗚咽を上げはじめた。錯乱がひどい。
真嗚はなおも額に触れて内功を試み、タヌキ先生も診療鞄から薬剤を取り出す。
「たすけて……みちさん……たすけて……おねがい…………」
支部長の口から零れた名に、ふたりは顔を見合わせ、そして重苦しい溜息を吐いた。
《光》への霊的調査は最悪の結果をもらたした。
透視者は全員、原因不明の全身破裂を起こして即死。彼らと同調していた精神感応者もことごとくが頭部破損を生じさせて死亡するか、重体に陥った。
その直後、《光》は直下に向かって広範囲の光条を照射。半径五キロ圏は一瞬にして焦土と化し、範囲内にいた人員も消失した。
そのなかには維の兄、《万濤破山の顗》もいた。
Side Ormu
事務所から出てきた師を見た瞬間、凰鵡は決断の時が来たことを悟った。
「零子さんは⁈」
真っ先に詰め寄った朱璃に、真嗚は微笑んで「大丈夫」と答えた。
「命に別状はないよ。ただ、いまは会わんでやってくれ」
「どういうことです? また倒れたんですか?」
「前とは、ちぃとばかり事情が違う。彼女の気持ちを思うんなら……」
朱璃はなおも問い詰めようとしたが、維がその肩に手を置いて制止した。
「爺さま、何があったの?」
今度はその維が訊ねた。
「……《オメガ》が、まわりを吹っ飛ばしよった。調査隊との通信も途絶えた」
維の表情があからさまに強張った。
「兄は、その調査隊にいたの?」
「おった」
「……そう」
凰鵡も朱璃も言葉を失う一方で、維は瞼を伏せ、苦々しげに呟いただけだった。
「ほいじゃ、顕醒。行くか」
真嗚の言葉に一番弟子は静かにうなずき、あとの三人は呆気にとられた。
「お師匠様……どちらへ?」
「決まっとろう。そのオメガんトコじゃ」
ああ、やっぱり……凰鵡は目眩をおぼえた。本当は最初から解っていた。いつもは謎めいて聞こえる師と兄の会話が、いまだけは手に取るように理解できる。
だからこそ外れて欲しかった。逃げ場がどんどん閉ざされてゆくようだ。
そして身動きできなくなった凰鵡に、運命の問いは突き付けられた。
「一緒に来るか?」
「待ってください!」
凰鵡を庇うように朱璃が声を上げた。
「話が見えません! なぜおふたりが行くんです? 零子さんは本当に大丈夫なんですか? ここは、どうするんです⁈」
「ごめん、おねえちゃん。いま全部は言えんが……」
真嗚はなおも微笑みながら、諭すように応える。その微笑が、凰鵡にはどこか寂しげに見えた。
「……すぐに支部長代行が来る。悪い奴じゃねぇが、ちと頭が堅ぇもんでな。儂らが動きにくくなる前に出ちまおうかと」
ペロッと舌を出して戯けてみせる。
「そうまでして……なんで……」
「さっきので、ようやく分かったことがある。顕醒も感じたな。それから……凰鵡も」
師の視線に、凰鵡は反射的に床を見る。
勘違いであって欲しかった。臆病さと劣等感が抱かせた杞憂であって欲しかった。だが師と兄も感じたのなら、自分の仮説は裏付けられたことになる。
夢のなかで視た、世界を呑み込む圧倒的な光。そこに感じた太陽のような熱と圧。そして、たったいまこの空間を貫いていった力の余波を、凰鵡は知っていた。
あれは、不動の《極大殺法》だ。
以前、兄が使ってみせた気の奔流が、何百倍、何千倍という規模で放たれたのだ。
なぜオメガが不動の技を……それよりも、そんな相手に、どうやって勝てと? こちらも同じ技を──いや、さらに強い力を手に入れるしかない。
だというのに、その道は断たれた。この十余年、必死で修めてきた不動は《不動》ではなかった。
(どうして……なんでですか、兄さん)
その答えを、ついに兄はくれなかった。
「凰鵡──」
思考の螺旋階段を降りつつあった凰鵡を引き上げたのは、意外にも、維だった。
「どうするの?」
中腰になって目の高さを合わせ、真正面から見つめてくる。
「……わかんないです」
「だめよ、しっかりしなさい」
ぴしゃりと打つような叱咤を喰らう。いつもなら答えを待ってくれるのに。
「維さん、そんな──」
「ごめん朱璃ちゃんは黙ってて」
いままでにない厳めしい維の態度に、凰鵡は彼女の怒りと憎しみを感じた。
当然だ。夢を視た時に話していれば、こんなことにはならなかったかもしれない。零子も酷い目に合わなかっただろう。そして顗も……………
すべて、自分のせいだ。
「いい、凰鵡? これはアンタの闘い。不動がどうこうとか極大がなんだとか、アタシには分からない。けど、闘うか逃げるか、それをいまハッキリさせなきゃいけないのは判るわ」
そう、凰鵡にも分かっているのだ。
維自身も、数ヶ月前にその決断を迫られ、見事に乗り切ってみせた。なんて強い人だ、と心から尊敬している。それは嘘ではない。
「それに気弾にこだわってるみたいだけど……アンタには《倶利伽羅竜王》があるじゃない」
ハッと、凰鵡はポケットのなかの得物を思い出した。
「顕醒にだって使えない技、いっぱい使ってんのよ。なんで自信持たないのよ」
そうだ。なぜ忘れていたのだろう。
気弾は紛い物でも、宝剣を通してでなら、自分はときに兄を超える力を発揮してきた。思い起こせば、あの雲水を唯一怯ませたのすら、竜王の一撃だったではないか(こっちのほうがボロボロになってしまったが)。
「……行きます」
静かに、だが力強く、凰鵡は応えた。
「凰鵡くん!」
「朱璃さん……ボク、闘うよ。お師匠様、兄さん、連れていってください」
「エエんじゃな?」
「はい。夢が本当なら、ボクが倒さなきゃいけないんです」
「うん、本気出しといで」
凰鵡の頭をポンポンと叩いて、維は顕醒に向きなおった。
「頼むわよ……マジで」
射殺すような維の視線にも、顕醒は眉ひとつ動かさずに、うなずくだけだった。
「……凰鵡くん、お願い……どうか無事で……」
朱璃は凰鵡の手を取り、祈るように胸の前で強く握りしめる。その目が今にも泣き出しそうで、凰鵡はまた少し迷う。だが心のなかで首を横に振り、無理やりにでも笑顔を作る。
「大丈夫。いってきます」
「おお、若ぇってエエのう。爺に見送り人はおらんわ」
真嗚の皮肉に、維と朱璃がクスリと笑みを漏らした。
凰鵡は、ひと欠片も笑えなかった。
維の言葉で自信が戻ったのは本当だ。だがその背中を最後に押したのは、罪悪感だった。彼女の兄を死に追いやってしまった。自分はその責任を取らねばならない。
維もきっと、それを望んでいるのだ。
Side Shou
講義が終わるころには《光》の話題はよりいっそう白熱していた。
「町が一個消えたって」「なにそれ、原爆?」「戦争?」「うそ、私らどうなるん?」
部屋を出てゆく学生の波に載って、不穏極まりないざわめきが拡散してゆく。
「止められなかったのか……」
李巍狼の不安げな声が、翔の耳に滑り込んでくる。
「おい、何が起こってンだよ」
自分でも速報を探してスマートフォンを点す。
紫藤からのメッセージが一通あったので、先にそれを開いた。
『私は支部へ行かねばならなくなった。お前は家にいてくれ。着いたら、また連絡する』
李巍狼のことだけでも訊きたかったが、それどころではなさそうだ。
しかし、考えてみれば叔父にこだわる必要はない。メンバーのデータベースにアクセスできる零子か朱璃あたりに確認してもいいのだ。
「家に帰れって言われた」
「分かりました。どうか、送らせてください。車で来てますから」
意外だった──いや、偏見なのだが、運転するようには見えなかった。
「道中に、あらためてお話しを」
講義のさなかにも、巍狼は自分について少し語ってくれていた。本来は本部務めなのだが、とある理由から翔に逢いに来たのだという。やはりと言うべきか、その理由とやらについては、まだ語ってくれない。
正メンバーとあって、翔も当初、敬語で話そうとしたのだが────
「どうか、普通に話して下さい。僕の方が年少ですし、本部といっても事務方で、闘者や情報員の皆さんには、足を向けて眠れません」
言葉遣いが少し古風で堅いが、そのぶん性格は律儀らしい。ただ、闘者や情報員は全国にいる。彼が普段どういう姿勢で寝ているのか気になったが、訊くだけ野暮かと保留した。
(悪い奴じゃぁなさそうだ……)
例によって翔の勘は「こいつは信用できる」と言っていた。だいいち、謀るつもりにしても遣り口が迂遠だ。
「…………ンだよ、それ」
と、苦々しげに吐き捨てたのは、構内を歩きながら確認した速報に対してだ。
《光輪》の直下にあった町が、半径数キロに渡って壊滅────
「あんた、まさかコレ知ってたのか?」
「…………夢で、視ました」
翔の問いに、巍狼は哀しげな表情で呟く。
「夢?」
「すみません、あとで、順番に説明させてください。あ、これです」
大学を出てすぐのコインパーキングに巍狼の車はあった。小型でクラシックカーの趣があるが、軽自動車ではない。彼によく似合っていると翔は思った。
「本部からコレで?」
訓練生の翔に本部の位置は教えられていないが、支部から近いと聞いたこともない。
「ええ。運転するの、好きなんです」
そう言って、初めて笑みを見せた巍狼に、翔は凰鵡を重ねた──中性的という意外に共通点もないのだが。
(あいつ、大丈夫なんかな……)
凰鵡が支部を発ったことなど知る由もなく、翔は促されるまま助手席に座った。