表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/13

輝の節・漂落 其之壱『光輪──あるいは狂える大陽』

輝の節・漂落ひょうらく 


光輪──あるいは狂える大陽



     Side Amatsukaze=naruya & Others


 アスファルトから立ちのぼる熱気がビルの谷間に陽炎かげろうを生んで、遠くの往来を歪ませる。だが道行く人々のしかめつらは、大気がろうする幻影ではなく、今年いちばんの猛暑のせいだ。

 誰も彼もが汗で体を湿らせながら通り過ぎてゆくのを、天風鳴夜あまつかぜなるやは涼しげな顔で見送りつつ、手にしたティーカップを口に運ぶ。

 通り沿いのカフェテラス。軒先のルーフが暴虐な日差しを防いでくれてはいても、屋外である以上、気温と湿度から逃れるすべはない。にもかかわらず、長く豊かな銀髪を纏めるでもなく下に垂らし、法衣のような長袖の白衣に身を包んだ青年の顔には、一粒の水滴も浮いていない。よほど暑さに強いのか、それとも感覚が麻痺しているのか……と、誰しもがその美貌に眼を引かれつつもいぶかしむ。

 ふと、何かを思い出したかのように、鳴夜は立ち上がった。次の瞬間には、その姿はテラスから消えていた。カップにはミルクティーがまだ六割がたも残っていたが、銀髪の美丈夫がいつ席を発ったのか、覚えている者はいなかった。


「……なんです?」


 ビルの屋上で、鳴夜は誰にともなく問いかけ、神秘的な眉の中央に皺をよせた。何処か虚ろゆえに、見る者の心を吸い込みそうなその瞳で、彼方の空にそびえる立派な積乱雲を見つめる。直下の町は豪雨に見舞われているだろう。

 だがその雲はいま、あり得ない速さで、天頂から散り始めていた。



 土と枝葉の匂いが垂れこめる山深く。濃く湿った空気を手で掻けば、水のように流れが見えてしまいそうだ。


 ──ぎぇ…………


 光る縄が、首無し人間のような異形を絡め捕って、大地に固く繋いだ。

 だが、顕醒は捕らえた妖種ようしゅをそこに留め置いて、すぐに山肌を駈け登った。

 見晴らしのよい岩棚のうえへと出る。緑の大地と青い空……あざやかな色彩の狭間へと、目を凝らす。

 しかし、同時刻に天風鳴夜が眺めていた情景から、顕醒のいる場所はあまりにも遠かった。



がい! 屋上に来てくれ!」


 トレーニングルームに飛び込んできた支部員の慌てように、顗は上下させていた二〇〇キロのバーベルを足下へと投げ、汗も拭かずに駆けだした。

 屋上にはすでに同僚達が詰め寄せ、同じ空を凝視していた。


「なんだありゃ……」


 遠くそびえる脊梁せきりょうの向こうの光景に、顗も己が目を疑った。

 山嶺をはるかに見下ろして天を衝く入道雲が、頭頂から霧散してゆく。まるで綿わたアメが溶けてゆくかのようだ。

 そして、雲を散り飛ばしてしているのはどうやら、一粒の光らしい。

 一直線に地上へと落下しているが、隕石の速度ではない。それに…………


「オイ! 医療班いるか⁈」


 誰かが叫んだ。すぐさま応える声が上がって、呼んだ方へと近づいてゆく。

 顗も胸騒ぎを覚え、無言で彼らに合流した。


「あ、顗さん! こいつ、いきなり……」


 同僚らの輪のなかで、青年がひとり、白目を剥いて体を震わせていた。


「《霊気酔い》だ」


 駆けつけた医療班員が倒れた青年に触れて、告げた。


「霊気酔いだぁ?」


 症名をオウム返しにして、顗はもういちど空を振り仰ぐ。

 光はまだ、稜線の上に見える。

 霊気酔いとは、霊感能力者が己の許容値を超えた霊気に曝された際に起こるショック症状の一種だ。強力な霊魂と接触したり、霊場に足を踏み入れた場合によくみられる。

 倒れた青年も支部トップクラスの能力者で、霊魂や名残(、、)の探知を専門としている。名残とは衆の符牒ふちょうで〝霊的痕跡〟のことを指す。

 だが専門とするだけに、彼は鍛錬によって強い霊的耐性を獲得してもいる。そう簡単に霊気酔いなど起こすはずがない──まして結界によって外部からの霊的干渉を防いでいる支部のなかで。


(あれは……なんなんだ?)


 顗の眼に、その光は巨大な《輪》として映っていた。まばゆい円の内側には、向こう側の空が、たしかに透けて見えるのだ。

 だが、何も無いはずのその中心部に、顗は何かの存在を感じずにはいられなかった。



 小さな悲鳴が聞こえて、朱璃しゅりは弾かれるように支部長のデスクへと顔を向けた。

 いつもどおり仕事をしていたはずの麻霧あさぎり零子れいこはいま、寒さに耐えるかのように自身を抱いて、体を震わせていた。

 灰色の眼鏡と達人級のナチュラルメイクでも隠せないほどに、顔色が悪い。頬を引き攣らせ、額には玉のような汗を湧かせている。


「朱璃さん、すみません……先生を……」


 零子が言うより早く、朱璃は医務室に内線を架けていた。簡潔に状況を伝えて医師を要請すると、一分と経たずにタヌキ先生が事務室へとやってきた。


「うん、《霊気酔い》だ」


 零子の様子を見るなり即断する。

 すると、見計らったかのように、こんどは医務室の方から内線が入った。


「はい、こちら事務所──」


 部屋の主に代わって応答した朱璃は、今度こそ頭が真っ白になった。


(なにが起こってるの……? なにが……?)


 医療班が言うには、凰鵡が譫妄せんもうのような状態に陥って、担ぎ込まれたというのだ。



 ──およそ一分前。

 凰鵡はゆいとともに支部の道場にいた。久しぶりにふたりとも体が空いていたため、組み手稽古を申し込んだのだ。


「どうしたのー? 避けてばっかじゃ、いつまでもタッチ出来ないわよ?」


 ジャージの胸にぎゅっと谷間を作って維が挑発する。

 くぅ、と凰鵡は歯噛みするが、同時に感嘆もする。あんな大きなものを胸にふたつも吊しながら、どうやってバランスを保ちつつ闘っているのか、いつもいつも不思議でならない。最近では自分のも少し大きくなってしまったから、なおさらコツを知りたい。腕のリーチにも制限が掛かるだろうに、今のところ凰鵡が伸ばした手はことごとく胸前でさばかれている。

 胸を借りるつもりが、まさか「胸にさわれたら凰鵡の勝ち」というルールにされてしまうとは。少し前の凰鵡なら「馬鹿にして」といきどおっただろう。今となっては兄をめぐる羨ましさこそあれど、以前のようなドス黒い嫉妬や疎外感はもうない。ふざけたルールを提案されても、苦笑いしつつ了承してしまっていた。いざ始まれば全力で乳房を狙っている自分にも、可笑しさを覚える。

 もちろん維からも手足は飛んでくる。最近では凰鵡も〝念を拡げること〟と〝流れを捉えること〟に慣れて、いくらかの連打もさばけるようになった。だが兄のように、回避と反撃を同時に、と思うと、どうしても感覚が混乱して上手くいかない。

 実戦とフルコンタクトの経験不足から来る攻勢の弱さ。それが自分の欠点だ。維に組み手を頼んだのは、それを克服したいからでもあった。

 そうして、二〇分ほど維の豊乳に挑み続けたときだった。


(あ──⁈)


 踏み込んだ瞬間、見えない何かが全身を貫いた。


「凰鵡⁈」


 維の声が遠い。視界が一気にぼやけて、膝が力を失う。畳が急速に近づき、手をつこうとしたが間に合わず、頭から床に倒れ込んだ。

 こんなにも疲れが溜まっていただろうか。月のものも、つい先日に終わったはずだが。

 違う──心が、確信を強いる。

 意識の向こうから、何かが────来る。


 ─────が、来る。

(来るな!)

 ──オメガが、来る。きみが────


「凰鵡!」


 維の声と、体を揺する手で、ハッと目が醒めた。


「オメガ……」

「おめが?」

「オメガが……来る」


 当惑する維の顔を、凰鵡は焦点の合わない瞳で見上げていた。震えが止まらない。汗が出るほど動き回っていたのに、いまは体の芯から、寒くてたまらなかった。



 紫藤しとう導星みちとしは依頼人との交渉場所であるカフェを出て、自家用車に乗り込んだところだった。


「臨時ニュースです」


 エンジンに火を点けた直後、カーラジオから流れた速報に、解いたばかりのパーキングブレーキを掛け直す。


「──県──市上空に、原因不明の巨大な発光体が現れたという情報が入っております。にわかには信じがたいことですが、事実であるとのことです」


 アナウンサーの声が震えている。無理もないことだ、と紫藤は思った。

 未確認空中現象(UAP)か、それとも未確認飛行物体(UFO)か──よしんば妖種だとしたら、こうまで大々的に姿を現すのは前代未聞だろう。とにかく、なんらかの自然現象であってほしい。


「この発光体の詳細は、まだ分かっておりません。現地では電波の乱れが発生しており、映像は入ってきていません。発光体は現在、上空で静止しているとのことです。繰り返します──」


 出現場所は、第三区支部の管轄内。だが、第一区支部も傍観者ではいられまい。


(これがそうなのか……一体、何が来たと……)


 紫藤はようやく車を発進させた。


     Side Shou


 世間が《謎の発光体》で大騒ぎとなっていることなぞ露知らず、大鳥おおとりしょうはその時限の講義に耳を傾けていた。

 大学に入ってから、はや三ヶ月。専行は民俗学。衆の任務の役に立つかと思ったが、かえって頭がこんがらがってしまう。風土や歴史ならばともかく、寓話や祭祀儀礼等、現代の目から見ればオカルトと呼べる分野に入ってしまうと、表で知られている知識に、肌で知ってきた事実が割り込んでくる。つい先日もレポートの文中に『妖種』と書き記して提出直前に気が付き、冷や汗をかいたくらいだ。

 表と裏の顔を使い分ける対妖者は珍しくない。実際、父も叔父もそんな素振りはまったく見せなかった。みんな器用だな、と感嘆する。叔父が自分を大学に行かせたのは、そういう処世術を学ばせるためだろうか。


(こんど訊いてみるか……)


 ふと、学生のあいだに、密やかなざわめきが拡がっているのを感じた。みな机の下でスマートフォンを灯し、隣席の友人らと小声で話している。


「なんかのフェイク?」「でもこっちのニュースでも話してる」「マジっぽい」「これ現地の人のコメントやろ?」


 大事件か、災害でも起こったのだろうか。

 気にはなるが、あえて確認しなかった。直接この場に影響するなら、学内放送やアラートで報されている。そうでない以上──どれだけ痛ましい出来事だったとしても──いま目の前の〝やるべきこと〟から気を逸らすべきではない。

 そして終鈴が鳴った直後、翔は残りの講義を休むべきか否か、悩むことになった。


(UFO? 妖種? いや、なんだそれ?)


 ディスプレイから伝わってくるのは、某所に《光の輪》らしきものが出現したという文面だけ。画像らしい画像はなく、実物を映したという写真は白一色だ。

 と、とつぜん端末が震え、叔父からの着信を告げた。


「ニュースを観たか?」

「光の輪っかの話?」

「そうだ。第三区と本部が連携して調査を始めているが、他の組織もかなり動いている」


 こっちの世界でも、かなり慌ただしいことになっている。つまり、それだけの脅威ということか。第三区と聞いて、まっさきに顗の顔が思い浮かぶ。


「オレも支部に帰ったほうがいい?」

「いや、第一区でも警戒はしているが、召集は掛けられていない。私もまだ外にいる」

「そっか。合流する?」


 現在、翔は訓練生であると同時に、紫藤の助手でもある。叔父の任務に同行することも少なくない。


「お前は普段どおり過ごしてくれ。たしか今日はもう一限、講義があったろう」

「ああ」

「ただ、周囲の人々の様子には注意しておいてくれ。パニックや、おかしな兆候があれば逐一私に報告して欲しい」


 一般市民の動向観察も任務のうち、か。


「わかった──待って、結局アレなんなの?」

「まだ分からない。確定情報がなく、推論だけが錯綜してる。第三区からの報告を待つしかないな」

「そうか……おじさん、気をつけて。やな予感がする」

「私もだ。異常があればすぐに報せろ。絶対にだ。ああ、それから」


 受話器の向こうで溜息が聞こえる。


「たぶん明日のは無理だろう。残念だ」


 明日、支部ではささやかなパーティーが行われる予定だった。翔の誕生日である。


「気にしないでよ。もう子供じゃないんだから」


 主役扱いされる気恥ずかしさもあって、翔自身は中止で結構なのだが、自分よりずっと楽しみにしていた凰鵡と朱璃が残念がるかと思うと、そっちのほうに心が痛む。

 叔父との通話を終えるや、翔はその手で凰鵡へのメールを打った。が、送信する手前で画面を閉じた。支部が警戒態勢に入った以上、闘者も出動に備えて待機しているはず。そんなときに、下手に連絡して気を使わせる必要はない。

 端末をズボンにしまいこみ、翔は次の講義が開かれる部屋へと向かった。


     Side Syuri


 朱璃の作業場はラウンジに移っていた。警戒態勢に入ってはいても、平時の業務もこなさねば案件は溜まる一方だ。

 事務所では零子が第三区や本部とリアルタイムで通信をしている。高度な機密に触れる遣り取りもあるとのことで、補佐といえど朱璃は同席を許されなかった。

 部屋を出されたことに不満はない。ただ以前のように、また零子が無理をして体調を崩さないかが心配だ。医療班でもそれは懸念されていて、いまはタヌキ先生が直々に付き添っている。

 霊気酔いの原因は、第三区に現れた《光》だという。現地とは四〇〇キロ近く離れている。感じ取れた零子も凄いが、《光》がそれだけ強い霊力を持っているのかと思うと身震いがする。

 現地ではすでに調査が始まっていて、かなりのデータも入ってきている。しかし朱璃の権限で閲覧できる報告書からは、まだ一般メディアと同程度のことしか分からない。

 客観的な画像や映像はいまだに皆無。カメラで撮影しようとすると、画面全体が〝白飛び〟するという。それでも、スケッチをネット上に掲載している人達がいるおかげで、おおよその状況は掴めたつもりだ。

 《光》は大多数の人に《光の輪》と見られている一方、一部の人からは《光の球》と認識されているようだ。この差が生まれる理由は判らない。

 たった四〇〇キロ先の空に、得体の知れない何かが、たしかに存在している。そのことが、朱璃には不気味でならない。怪異の究明など日常茶飯事だったはずだが、今度のは明らかに異質だ。

 異質……といえば凰鵡のことも気がかりだ。零子のような霊気酔いかと思えば、そうではないらしい。

 ──オメガが来る──

 意識が混濁しているあいだ、譫言うわごとのようにそう呟いていたと、維が教えてくれた。

 譫妄は落ち着いたらしいが、オメガが何かについては「兄さんが帰ってきたら話します」と言って、口を閉ざしたままだ。

 それでも、維も零子も口に出さないだけで、考えていることは同じだろう。

 《オメガ》とは、あの《光》のことだ、と。

 凰鵡が何を知っていて、《光》とどういう関係があるのか。それがいま、関係者全員にとっての疑問であり、不安である。

 本人もその空気を察してか、早々に道場へと引っ込んでしまった。維が付いてくれているが、自分には、恋しい人の身を案じることしかできない。

 無力感に、朱璃の胸はただただ鈍く痛む。


「──ッ⁈」


 背筋せすじを、悪寒が駆け抜けた。

 支部の結界が妖種の侵入を感知したのだ。

 窓の外へと目を凝らした朱璃は、直後、ホッと胸を撫でおろした。

 同時に、言い知れぬ騒がしさをも、その胸の奥に抱えた。

 ふたりの人物が正門から入ってきていた。

 ひとりは、数時間前に任を受けて出動した凰鵡の兄、顕醒だ。彼の帰還は皆の安心につながる。闘者とうじゃ最高峰《斗七山としちせん》の第一位、人呼んで《鬼不動おにふどう》。この支部の全員の力を合わせてもなお届かない、衆最強の男だ。一介の捜査員という地位に納まっているのが朱璃にはいつも不可解だが、ともあれ、これで凰鵡もオメガのことを話してくれるだろう。

 そしてもうひとり──警報を作動させた張本人は、人騒がせを悪びれる様子もなく、笑顔でこちらに手を振っている。

 顕醒が捕縛しにいった妖種……ではなく、妖種にして顕醒と凰鵡の師匠、かつ一番弟子と同じく《斗七山》の一峰、加えて智者最高峰の《智七山ちしちせん》にも名を連ね、衆首脳陣《長老座ちょうろうざ》の筆頭格たる最長老グランドマスターでもある──という肩書きのことごとくが、その見た目からはいまだに、まったく想像できない小さな巨人、《不動翁ふどうおう真嗚まお》だった。

 じつのところ、妖種といえども前もって来訪が分かっていれば、当人に対してのみ、結界による警報を解除しておくことも可能だ。つまり前回と同じく、今度もアポ無しで来たわけである。どこか野放図な不動翁らしいと言えばそうだが、朱璃の心はどうしてもざわついてしまう。

 呪殺事件の際には「たまたま休暇で来た」と言っていたが、いずれもこちらが困っているときに現れた。普段は本部に詰めているというが、零子の変調を知ってから来られる距離ではない。

 今度のことを、真嗚は、事前に知っていたのだろうか。


     Side Mao


「オメガ? あやつがそう言ったんか?」


 真嗚の頓狂とんきょうな声が、事務室のなかに小さく響く。

 師の隣では、顕醒もいぶかしげに眉根をひそめている。


「ええ」零子がうなずく「御本人は、顕醒さんが来たら話すとおっしゃっていて、詳細はまだ……」

「オメガが来る(、、)、か。おんし、なんぞ聞いとったか?」


 師の問いに、顕醒は静かにかぶりを振る。


「いまは道場で維さんと一緒です。先に、逢って来られますか?」

「いんや。儂はいま分かっとることを知りたい。顕醒は──」

「私も同じく」


 言葉を被せられ、不動翁は渋い顔で舌を出したが、何も言わなかった。


「わかりました。では、こちらを」


 零子は机上のノートPCをふたりに向け、現時点で第三区支部が得た《光》の情報を説明しはじめた。


 対象の出現時刻は一四時一〇分(推定)。

 出現場所は第三区支部より北北西約四五キロ地点の上空(推定高度一三〇〇〇メートル)。 同時刻、当域に差し掛かっていた積乱雲の天頂のなかから現れたと見られる。

 出現の兆候があったかは現時点で未確認。宇宙からの飛来物、当域での飛行体、その他の異常現象については、いずれの機関でも観測されていない。

 出現直後、対象は積乱雲を急速に蒸散させながら垂直に降下。このときの雲の蒸散は対象の熱量によるものと思われるが、気流の向きや気圧の状態に矛盾が生じているため、詳細は不明。

 その後、対象は高度約三五〇メートルで静止し、現在に至るまで肉眼で確認できる変化はない。

 対象からは未知の力場が放射されており、中心から半径約三〇〇メートル圏内では電気系統に異常が発生。ヘリ、ドローンによる接近調査は不可能。またそれ以上の広範囲に電波障害が確認されており、直下から半径約五キロ圏内の地域では、あらゆる無線通信機能が麻痺状態に陥っている。

 対象の外見はおおよそ〝どの角度からでも真円に見える《光輪》〟として視認されている。三角測量による算出では《光輪》の外径は約七〇メートル、内径は約六〇メートル。輪の内面に光源はなく、《光輪》の背後の景色が視認できる。

 しかし、実際には中心部に何らかが存在していると推察されるため、この現象は局地的かつ複雑な重力異常による光の屈折か、あるいは前述した未知の力場等によって視認者の知覚が歪められているため、と推察される。

 この推察の根拠として、少数ながら《光》を《光球》として視認している人々の存在が上げられる。これらの視認者は輪の内側について〝透過しておらず、より輝度の高い光で満たされている〟と証言。この見え方について、ほぼ全員が「太陽のよう」と形容している。

 彼らに共通する特性として、一定以上の霊視能力を持っていることが上げられる。また証言の比較から、内面の輝度は能力の強弱に比例している模様。

 ただし、これら霊視能力者をはじめとして、霊聴・霊触・霊媒など、霊感能力を持つ人々が一様に霊気酔いを発症しており、被害域は未特定であるもののはなはだ広範囲に及んでいる。現在、《大山流だいせんりゅう》《千引道ちびきどう》をはじめとする近隣の対霊障機関が随時、対処に当たっている。

 対象を映像に収めることは困難であり、おおよそどのような撮影機器を用いても画面全体が白飛びを起こす。


「ただ、それはデジタルでの撮影に限られるようです」


 そう言って、零子は一枚の写真を机に置いた。ポラロイドカメラで撮ったものだ。デジタルが主流になった今でも、霊障に対する現場調査などでは、まだまだ力を発揮してくれる。

 問題の被写体は、真っ白い球体だった。それが逆光状態を生んでいるためか、背景の青空は黒く染まってしまっている。


「こいつは、またドえらい玉響たまゆらじゃな」


 玉響たまゆら、あるいはオーブ──心霊写真でたびたび話題に上がる白い球体である。ほとんどの場合は空気中の微細な塵埃に光源が反射してレンズに映り込む自然のトリックだが、死者の魂魄こんぱくなどが同じ現象を起こすことも、ごく稀にだが、ある。

 ただ今回のそれは、それ自体が圧倒的な光源だ。


「や、コレを見とる零子ちゃんは大丈夫なんかい?」


 この写真はじか(、、)に送り届けられたものではない。現地で撮影されたものが、スキャンしてデータ化され、デジタル画像として第三区から一区へと送られ、そして一区でプリントアウトされ……と、いくつもの手順を踏まれたものだろう。それでも、まだ相当な力を感じる。読み込んだPCが霊障でダウンしなかったのが不思議なくらいだ。


「先方で除力加工を施されてますし、先生からも酔い止めを掛けてもらっていますから」


 微笑んでみせる零子だが、言葉の歯切れはあまり良くない。


「顕醒、できれば《内功ないこう》を頼めるかな?」


 同席していたタヌキ先生が言った。


「失礼します」


 顕醒が零子の手を取った。一般の社会ならセクハラと取られかねないが、触れられた零子は、むしろ少し生気を取り戻したようだ。《不動》を代表する奥技のひとつ《内功》は、練った気を相手の体内に流すことで、体調を整えたり、傷の回復を早めることができる。


「ありがとうございます。それから、こちらも」


 零子が片手で二枚目の写真を出す。一見すると黒地に白円があるだけだ。さっきの写真との違いは、コントラストの差くらいだろうか。


「サーモカメラによるものです。スペクトル分析では、対象の表面温度は……少なくとも六〇〇〇ケルビンに達していると」


 顕醒も真嗚も眉間の皺を深くした。太陽の表面温度でさえ五八〇〇ケルビン弱である。


「それでも現在、対象の周囲には高熱による影響が見られません」


 つまり、眼に見えない何かが、この熱をほぼ完全に閉じ込めていることになる。


「……顕醒」


 わずかな沈黙ののち、不動翁がいつになく重い声音こわねで呟いた。


「先に凰鵡を見舞ってやれ」

御意ぎょいに」


 こんどは顕醒も否と言わなかった。


     Side Gai


 上空には抜けるような青が広がっていた。正確には、《光》が曇天に大穴を空けているのだ。小山の展望台から見るその光景は荘厳ですらある──これが映画やアニメなら、だが。

 熱で雲が蒸発しているように見えるが、風はつねに《光》の方角から吹きつけてくる。


「なぁ、高気圧って冷たい空気でできるンだよな?」


 そばにいる闘者に、顗は訊ねた。理科は苦手分野だ。


「ええ、そうですよ」


 瑞綺たまきというその闘者は眉間に指を押し当てながら笑顔で答えた。彼女が精神感応テレパシーを使用するときにする仕草だ。


「すまん。邪魔した」

「いいですよ。人が多くて、集中しすぎると逆にキツいです」


 瑞綺はいま、周辺につどう感応能力者テレパシスト達とのあいだに張られた共同回線に参加していた。

 電波障害の起こる領域でも、念破には影響がないことが確認されていた。そこで、科学的観測をほとんど受け付けない《光》に対して、各種超能力(サイキック)による霊的観測が敢行されることになった。衆のみならず、数多の超常組織、対妖者らとの共同作戦である。

 《光》の直下から半径八キロ以内はすでに警戒区域に指定されていた。災害としては前例のない事象だが、原因不明の電波障害・機器障害に加えて、体調不良者も続出していたため、衆の想定よりも適用は早かった。眼下の町では今も県警や消防主動による避難誘導が行われている。むろん、体調不良者の症状が霊気酔いであるということは一般には伏せられている。


「現在の住民の避難達成率は四割。ちょっと遅いですね」

「お年寄りが多いしな。道もせま──ッ!」


 出しぬけに身体をひねって、顗は鋭い震脚しんきゃくから拳を振りぬいた。

 風がうねり、十メートル先で石と土が吹き飛んだ。顗の闘法、《万濤破山ばんとうはざん》の動きから生まれる衝撃波の威力である。


「先輩⁈ ……あ!」


 同僚の奇行に驚いた瑞綺だったが、土埃から倒れ出てきたものを見て疑念は氷解した。

 ふたりの視線の先では、真っ白い肌の、痩せた女が倒れていた。だが、その目は異様に巨大で、真っ黒く濁っており、口腔は割り開いた柘榴の実のようだ。妖種である。


「こいつは、たしかもっと東に棲んでたヤツだ。なんでここに?」


 昏倒しているのは、山奥に縄張りを持ち、通常は死ぬまでそこを出ない種だった。それが、なぜ今、こんなところにいるのか。


「──え!」


 瑞綺が眉間に指を当てなおす。


「どうした?」

「……コイツだけじゃないです。エリア内に、妖種が多数、出現してます!」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ