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皓の節・幕間

ごうの節 幕間まくあい



 ──オメガ消失から約三〇時間後。

 やはりこうなってしまったか、と紫藤は奥歯を噛んだ。目の前では、麻霧零子がベッドの縁に掛けている。

 ふたりともに、具眼術は取り払われていた。

 第一区支部に送り返され、今また、零子の部屋のなかで向かい合っている。


「本当に、導星さんには申し訳なく思っています。なにから、なにまで……」


 哀しげな声に、紫藤は首を横に振ることしか出来ない。こうなる気は、どこかでしていた。ひょっとしたら零子も、少しは望んでいたのかもしれない──邪推に過ぎないが。そして、そのうえで自分は、支部長の意志に従った。

 周囲は事件の後処理に追われている。これもその一環だ、と紫藤は己に言い聞かせる。


「あなたには結局、私のわがままに付き合わせてばかりで……こんな屈辱まで…………」


 眼鏡を外した零子の双眸から、涙が頬を伝って落ち、乾いたバスローブの膝を濡らす。

 紫藤はひざまずいて、彼女の震える手を取った。


「最後に確認させてください。本当によろしいのですね?」

「はい」零子は即答した「もともと、私には余る力だったんです。あの子を……見てあげられなくなって、傷つけてしまうくらいなら…………」


 嗚咽で言葉を詰まらせる。

 オメガ事件が解決された反面、その副作用とも言うべき大きな問題が発生していた。まさに、ふたりが今ここで、こうしている理由である。

 事件解決の立役者たる凰鵡のことを、零子が直視できなくなってしまったのだ。

 オメガを吸収した弊害である。もとから強かった凰鵡の霊力はいまや、平素の呪符では隠せないほどにまで増大していた。


「こんなことお願いできるの、あなた以外に、いないんです」


 鼻を啜りつつ、振り絞るように零子は続けた。


「拓馬さんが生きていたら、こんなことには……ごめんなさい」

「それでも、自分が引き受けました」


 そう言うと、紫藤はみずからのバスローブを脱ぎながら立ち上がった。

 零子の肩に手を掛け、ゆっくりとシーツに押し倒す。真っ暗な部屋のなかで、ふたりは静かに体を重ねた。


「みちさん……ごめんなさい、みちさん……好きです。好き…………愛してます…………つッ」


 かぼそい零子の愛言が、やがて、小さな呻きで途切れた。

 今日この瞬間まで、麻霧零子は処女だった。

 それはひとえに、眼に宿る力のためだった。

 未性交者、とくに処女の霊力や霊能力は、非処女のそれと比べて強いと言われることがある。だがそのじつ、性交の有無にそのような作用はない。〝処女あるいは童貞であることへの無意識的なコンプレックスに起因する、精神の不安定さ〟──それが霊力の発現を高める真の原因である。ゆえに、性交経験の有無が影響しない能力者も珍しくはないのだ。

 零子は前者だった。だが同時に、そのコンプレックスを逆用して、天賦の才にさらに磨きをかけてもきた。それが彼女の誇りでもあった。

 そのすべてを今、零子は捨てた。能力自体が消えることはないが、力が減衰するのは明らかだった。

 それでも後悔はなかった。

 否、もし相手が紫藤でなかったなら、コンプレックスは悪化したかもしれない。だからこそ、初めて感じる紫籐の肉体に歓喜すると同時に、彼への罪悪感に震えもする。仕方がないのだ……と、どこかで欺瞞を投げる自分を感じながら。



 山頂の公園。顕醒は展望台の柵に寄りかかり、夕刻の街並みを見下ろしていた。

 隣では維が(珍しく)静かに、彼の横顔を眺めている。


「兄さん」


 季節感のない黒ジャケットの背に、凰鵡は声をかけた。


「ようやく解放されたのね。調子どう?」


 兄より先に維が反応した。重体だった実の兄そっちのけで、ずっと凰鵡の心配をしていたくらいだから、当然と言えば当然である。


「いいですよ。ていうか、自分ではよく分からないんです」


 困り顔で凰鵡は頭を掻く。

 ラムダを殺めてしまったショックから一時は塞ぎ込んでいたものの、翔の強い説得や、あの状況では仕方がないという皆の意見を受けて、ようやく気持ちに整理がついていた。


 「いちばん悪いのは天風鳴夜。残念だけど、ラムダにも責任はある。凰鵡さんは悪くない」


 桔梗隊長であるハウザーにそう言われたのも大きかった。なお天風鳴夜については「またダミーだろう」という見解で全員一致していた。


「でも……」


 と、凰鵡は自分の手を見る。


「分からないだけで……自分がすごく危険な存在になったような気は、ずっとしてます。正直、誰かと一緒にいるのも、少し、怖いんです……」


 それでも凰鵡は柵へと歩み寄り、維とふたりして顕醒を挟んだ。


「ここで、兄さんがボクを見つけたときも、そうだったんですか?」


 兄とおなじ街並みを見ながら、訊ねた。


「お前を…………」


 珍しく顕醒が言葉を途切れさせた。

 少しのあいだ、風と刻が流れた。


「……お前を最初に抱いた私の手は、血にまみれていた」


 ああ……と、凰鵡は心のなかで大きく喘いだ。

 その光景が、そして兄がそのとき何を思ったかが、さまざまと頭に思い浮かぶようだった。

 同じ立場なら、自分も同じことを思っただろう。この子に、こんな手をさせるわけにはいかない……こんな手で触れ続けていいはずがない、と。

 渾名のとおり兄が鬼であったなら、あるいは違っていたかもしれない。だが凰鵡の知っている(そして凰鵡の好きな)顕醒は、決して鬼ではない。

 否、鬼になろうとしていたのかもしれないが、きっと、それは食い止められたのだ。他ならぬ、自分が現れたことによって。

 そして、無口で無表情だが、その裏ではいつも自分のことを気にかけ、成長を促してくれる、優しい兄であり、父親となった。

 今ハッキリとわかった。

 自分は愛されたがゆえに、殺法を授からなかったのだと。


「兄さん」


 体ごと兄に向きなおって、正面から見上げた。

 顕醒も、顔と体を弟に向けた。


「兄さんは、不動の気は意志そのものだ、って言いました。消えろって念じれば、相手を消せる、って」


 維が唖然としている。どうやら流派の奥義を自分がバラしてしまったらしいが、いまさら引っ込みは着かない。


「でも意志そのものなら、誰かを殺すためじゃなくて……誰かを助けるためにも、使えますよね」


 それはもはや問いではなく、凰鵡が辿り着いたひとつの答えだった。


「お願いします。本物の《練気》を、教えてください」


 静かだが、力強くそう言って、頭を下げた。

 ややあって、肩に手が置かれた。


「明日から始める」


 跳ねるように上がった凰鵡の顔に、満面の笑みと、感極まった泣き顔と、少しの驚きと、そして凜々しさが、一度に広がった。


「ありがとうございます! よろしくお願いします!」


 もう一度、勢いよく凰鵡は礼をした。


「今日はよく休め。翔達と、約束もあるのだろう」


 そう言った兄の顔が、凰鵡には笑っているように見えた。


「はい。それじゃ……また。お邪魔しました!」


 そう言い残し、凰鵡は展望台から飛び降りた。街までの直線コースである。


「めっちゃ突っ込みたいところあったけど……」


 凰鵡を見送った維が、顕醒に身を寄せる。


「……今度でいいわ」


 ふたたび街を眺めはじめた恋人に、腕を絡める。


「よかった。優しい子のままで」

「お前のおかげだ」


 維が眼を円くした。この男からこんな科白を聞いたのは生まれて初めてかもしれない。


「明日は豪雨ね。いや……もう、すぐかしら」


 夕陽の紅を覆い隠すように、街のうえには大きな黒雲が迫っていた。



「それで、結局オメガが何ものであったかは、要領を得られていない、と」

「すまねぇ」「すまんやで」


 PCの向こうで盛大な溜息を吐く霊祇に、真嗚と孤月は苦笑いして顔を見合わせた。ふたりは事後処理のためにまだ第三区にいて、霊祇も第一区支部長代行を継続している。

 凰鵡とオメガが感応したあの一瞬、ふたりのあいだで交わされた遣り取りの一部始終を零子は視た。それは確かだった。

 内容も、彼女が落ち着いた段階でひととおり聞いた。だがオメガについて判明した事実は、彼らの期待からはほど遠いものだった


「オメガのいた場所が」霊祇が言った「〝向こう側〟だったのか、この地球の未来なのか過去なのか、はたまたまったく別の星なのか……ままならんものですな」


 オメガの記憶のなかの〝星〟の姿は、その環境も地形も、この地球には似ても似つかないものだった。垣間見えた文明の痕跡もまた、現在の、そして現在判明している古代人類のそれとも、まるで系統を異にしていた。


「少なくとも」真嗚が言った「いま現在の〝向こう側〟ではなさそうじゃ」

「しかしあなたの理論では、この世界は〝こちら側〟と〝向こう側〟で成り立っている、という話だったはずでは?」

「この世界、はな」


 真嗚のひと言に、霊祇も孤月も眉を顰めた。


「一見バランスの取れた物事でも、視野を広く持ちゃぁ、それ自体も大きなバランスの一端に過ぎんかもしれん」


「ほんならオメガは……いや凰鵡も、この世界のまるまる外側から来たかもしれんッてワケかいな?」

「……なわきゃねぇな。SFが過ぎらぁ」


 頭を掻きながら舌を出して、真嗚は戯ける。

 だが、そこに釘を刺すように、霊祇が言い放った。


「ただ、そのSFじみたことが、こっちで実際に起こってまして」


 相手の反応を見るように、霊祇は数秒、言葉を切ってから、話を続けた。


「維捜査員以下二名の逃亡を手助けした藐都から話が聞けたのですが、それによると、どうやら未来の事象にかなり通じている者がいるようです。不動翁、お心当たりがおありなら、いま話していただきたいのですが?」

「儂かよ」

「今度のことでは、あなたもかなり信用貸しが過ぎたのでは?」

「そら否定でけんな」


 孤月も皮肉っぽく鼻で笑って、霊祇に賛同した。


「ウチも付きあい長いさかいに肩入れしたようなもんで、合点がいってアンタに着いとったワケやない。長老座もだいぶ荒れたし、霊祇にも要らん苦労さしてしもた。次こないな事あっても、ゴリ押しはもう効かんのとちゃうか?」


 ふたりの視線を浴びて、真嗚は沈黙していた。明後日の方角を向いた眼は、遠くの何かを見つめているようだ。


「……儂ンとこの顕醒な…………」


 ややあって、重い口を開くように、切りだした。

 そして、次に告げられた問いに、霊祇も孤月も、自分の耳を疑った。


「あやつ……近いうちに死なにゃぁならん、ッちゅうたら、ヌシら信じるか?」



「ごめん、お待たせ!」


 ブルーシートで覆われたフロアを抜けて、凰鵡がバルコニーへと出てきた。処理班の腕をもってしても、維が破壊した廊下と壁はまだ修繕されきっていない。


「おう、おかえり。あ、そこの床、割れてるから気を付けろ」


 凰鵡の清々しい表情に、翔は胸のつかえが取れるのを感じた。顕醒への頼み事はうまくいったらしい。


「おかえり、凰鵡くん!」


 翔と一緒にルーフを張っていた朱璃の顔にも、パッと笑顔が咲く。

 雨を案じて張られた幕のしたでは、テーブルにささやかながら御馳走とケーキが並べられている。予定より一日遅れの、翔の誕生日パーティーだ。

 この三人が揃うこと自体も久しぶりな気がする。事件のあいだはバラバラに動いていたうえに、終わったあとも個別の事後案件や聴取に追われて、どちらかとしか顔を合わせられなかった。


「翔、誕生日おめでとう! はいコレ!」


 と、凰鵡はパーカーのポケットからラッピングされた小さな箱を取り出す。


「ったく、いいのに……ありがとな」


 受け取りながら、照れ笑いを隠しきれない。本当に嬉しい反面、本当に苦手でもある。「開けてみて」とせがまれて開いてみれば、肉厚のボールペンだ。


「え、新しい暗器?」

「そんなワケないでしょもー!」


 などという冗談を交わしながら、翔はあらためて礼を言い、シャツの胸ポケットに挿した。


「朱璃さんからは何もらったの?」

「まさかのタイピン。ネクタイもろくにしてねーのによ」

「翔くんはいつもラフ過ぎるの。たまには紫藤さんみたいにビシッとしなさい」


 贈り物に文句を言われながらも、朱璃はフフンと自信ありげに言い返してみせる。叔父を引き合いに出されるとグウの音も出ない翔の性分を熟知している。


「と言われながら私も──」


 その声に、三人は揃って顔を巡らせた。


「──今回は、ずいぶんと恥ずかしいところを見られたがね」


 苦笑いを浮かべつつ、紫藤がバルコニーに出てきた。しかもその後ろには、いつもの眼鏡を掛けた零子もいる。


「零子さん! 大丈夫なんですか⁈」


 朱璃がまっさきに駆け寄る。彼女達のぶんも皿は用意していたが、正直、来られるとは思っていなかった。


「ご心配をお掛けして、すみません。お陰様で、もうこの通りですよ」


 と、三人を見回して微笑んでみせる。


「零子さん……あの、本当に」


 それでも凰鵡は不安げに身を強張らせる。


「ええ、本当です。なんなら、外してみせましょうか?」


 イタズラっぽく、零子は眼鏡のツルに指を掛けてみせた。


「あッ、いや、いいです。はい。でも……よかった」


 凰鵡を直視できなくなったことは周知されていたが、その回復にどんな手が用いられたかまでは三人の知るところではなかった。


「さぁ、今夜の主役は私じゃありませんよ」


 凰鵡の緊張も解けたところで、場の空気をもとに戻した。

 嫌がる翔を主賓席に置き、凰鵡と朱璃、紫藤と零子の組で、テーブルを挟むベンチ席に座った。


(……!)


 その瞬間、翔は気付き、息を止めた。

 触れあう肩と脚。互いを見る視線と、交わす声に籠もる熱っぽさ。

 凰鵡と朱璃の関係は、最後に見たときと、まるで別のものに変わっていた。

 自分へのバースデーソングが歌われるなか、翔の耳には、降り始めた雨の音だけが異様に大きく聞こえていた。



 降魔戦線 ーwarriors in the darknessー 悪滅我編 了

最後までお読みいただきまことにありがとうございます

またいずれかの作品でお逢いしましょう(^_^)ノ

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