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天の節・昇華 其之参『残暉──あるいは望まぬ飛揚』

まえがき


2025/7/30 翔と天風鳴夜の関係について、とんでもないミスを起こしていたので修正しました。

残暉ざんき──あるいは望まぬ飛揚ひよう



     Side Ormu & Others


 二度の爆発によってより傾斜を深くしたクレーターを、凰鵡は怯むことなく駆け下りる。

 オメガはまだ上空を行ったり来たりしている。警戒はされていないようだ。師や兄達が上手く気配を断っているおかげだ。


(竜王──!)


 ポケットから倶利伽羅竜王を抜き、凰鵡はありったけの念を込めた。


(唵……! 今度こそ、ボクと一緒に──!)


 竜の顎が開いた。吐き出される光が一メートルの刀身を成す。

 すぐさま、彼方のオメガに異変があった。それまでの高速飛行をピタリと止めたのだ。

 自分の霊力に反応した、と凰鵡は確信した。


(そうだ。オメガ、こっちに……)


 さらに駆け下りる。師が創り出した高台は消えてしまったが、今となっては距離を気にする必要はない。中央を目指すのは、もしものときに周囲の被害を抑えるためだ。

 出来れば、このままオメガを自分ひとりに引きつけたまま、すべてを終わらせたい。

 だが、それを許さぬ者達がいた。


(────‼)


 殺気が、一直線に凰鵡へと迫った。

 それは顕醒の張った気の障壁に阻まれ、鋭い音を上げて砕け散る。

 銀の弾丸──何処からか対妖者が狙撃してきたのだ。

 怖れていた事態がひとつ、現実になった──凰鵡が戦慄した瞬間、地上は戦場と化した。

 クレーターの外縁部からドッと鬨の声が上がり、何十人という人影が雪崩を打って押し寄せてきた。凰鵡とオメガの接触を阻止しようという対妖者の連合だ。たった今の狙撃手をはじめ、クレーターの外に潜んでいる者を含めれば、百人は軽く超えようか。

 当然というべきか、集団より先に、雨のような弾丸と念波が四人に襲いかかった。


「唵!」


 真嗚が背後に剣印をかざし、そのすべてを弾きながら、あまたの狙撃手達に向かって気弾を正確に撃ち返した。


「凰鵡! いまは振り向くなや!」


 師の声に、凰鵡は胸の苦しみを呑み込んだ。衆の作戦は、オメガに関心を寄せる全組織に向かって、事前に通達してある。にも関わらず、今なおこれだけの数のヒトや妖種が自分達に不審と敵意をぶつけてくるのだ。それは、あまりに哀しいことである。できれば戦いたくはない。話し合って解決したい。

 だが、それが無理な時もたしかにあるのだと、凰鵡は認めざるを得ない。人と人とが分かり合うことの過酷さは、まだ見習いの時から兄に教わってきた。

 だからこそ、誰かと解り合えるかもしれないと感じたその一瞬を、凰鵡は逃したくない──オメガに対してもだ。

 ごうッ、とはるか後方で風のうねる音がした。万濤破山の衝撃波だと、一瞬で分かった。顗が追いついてくれたのだ。


「よしゃ! こっちは儂らで引き受けた!」


 真嗚が雲脚を止めた。凰鵡のために、襲撃者達を迎え討つのだ。

 ほどなくして、凰鵡も歩みを止めた。爆心地の中央にできた池のほとりだ。これ以上は進めない。

 だが、オメガもほぼ真上に迫っていた。


「こっちからも来るわよ!」


 片翼を真嗚と顗に留められながらも、別の方角からの一団が押し寄せていた。


「顕醒、ちょい援護して! らぁぁ──ァ!」


 そこに維が突っ込んでいった。《金剛》で身を固めた雲脚による体当たりで、たちまち先頭集団がひと薙ぎされた。足並みが淀んだその瞬間に、顕醒の気弾が雨あられと降り注いだ。


(オメガ……ボクはここだ)


 師兄と維兄妹が襲撃者達を食い止めているあいだに、凰鵡は倶利伽羅竜王へとさらなる念を送る。

 二メートル、三メートル、剣士の念いを受けて、刃はさらに長く、太く……輝きを増してゆく。



「はじまる。いくぞ」


 クレーターからやや外れた岡の頂上から紫藤は凰鵡の様子を見て取り、顔の包帯を剥ぎ取った。呪紋に覆われた右眼が露わになる。


(来るか──!)


 場の空気が二重に変化したのを、翔は肌で感じた。熱風と冷気をいちどにぶつけられたような気分だった。

 ひとつは、叔父の右眼から発せられた強大な霊力。もうひとつは周辺から湧き上がった妖種の気配である。


(わりぃな!)


 さっそく足下から生えた顎だけの妖種に向かって、翔は手にした拓馬の腕──翔いわく《親父銃オヤジガン》──の引金を絞った。血の弾丸を口のなかに受けて、その妖種は木っ端微塵に吹き飛びながら融解した。

 その間、紫藤は動かず、じっとオメガの方向を見つめていた──甥を信じ、その右眼に力を集中させて。



「視えます……! オメガ、凰鵡くん、みなさんが……」


 第三区支部の一室では、零子が床に正座し、歯を軋らせんばかりに食いしばっていた。顔を覆う呪帯には、早くも汗が染みを作っている。

 零子の眼前には孤月が座して、呪帯に指をかざし続けている。みずからの掛けた術式にほころびが出ないか、常に探っているのだ。

 付き添う朱璃と巍狼にも緊張が走りっぱなしである。初めて顔を合わせるふたりだったが、朱璃は零子の被後見人、巍狼は弟子格とあって、互いに存在は聞かされていた。いまは零子を慕う者同士、左右から彼女の手を握って、その心を支える両翼を担っている。

 零子と紫藤に掛けられたのは《具眼術ぐがんじゅつ》──距離を隔てた二者の視界を共有する呪術だった。なんとしてもオメガを視る、と主張する零子だが、許容値を軽く超えてゆくオメガの霊力を前にして直視は不可能。そのため、緩衝材として紫藤の視覚を経由するという手段に打って出たのだ。

 幸か不幸か、この決断には紫藤が《邪眼》持ちであることも関係していた。邪眼に秘められた魔力には、霊力を蝕む作用がある。紫藤の眼に入ったオメガの霊力は彼の魔力によって大幅に減衰され、許容値以下となって零子に認識されるのだ。おまけに零子自身の霊視と霊的分析能力は健在であるため、霊気酔いのリスクだけを回避して、視ることに集中できる。

 だがそれを避け得ても、いまだ大きなリスクがみっつあった。

 ひとつは減衰されてなおオメガの霊力が強大であること。

 ふたつには、紫藤の視覚と一緒に、彼の魔力も共有されることで零子の心身にはやはり負荷がかかり続けること。

 みっつには、オメガを視認しているあいだの紫藤が、無防備になることだ。零子が紫藤の魔力を共有しているように、紫藤のほうも零子の強大な霊力を共有している。そして現地では、オメガの力に引き寄せられた妖種がいまだ大量に潜伏している。

 訓練生に過ぎない翔を第三支部に移送したばかりか、情報レベル高位のアーティファクトを武装として与えたのも、その護衛のためだった。無論、当初は他の人選が検討されていたが、翔にやらせることを作戦参加への絶対条件として譲らなかったのは、意外にも、つねに甥の身を案じて止まないはずの紫藤本人であった。



(いや! いい加減あきらめろやテメェら⁈)


 その翔はいま、一見呑気に毒を吐いているようでいて、その実かなり追い込まれているのを自覚していた。

 右手に親父銃、左手にボールペン型の暗器を握って、叔父の周囲を縦横無尽に駆け巡る。

 銃のおかげで攻撃力は申し分ないが、相手は怯んで逃げるどころか数を増やす一方で、おまけに出現場所のバリエーションが多い。四方八方に上下を加えて十方とはこのことだ。これまでの訓練で培ってきた技術・体力・感覚を総動員しているが、一体に暗器を突き立てながら、叔父に飛び掛かってくる別の個体を撃ち落とすというギリギリの状況が続いている。

 そしてついに、真上から紫藤に覆い被さろうとした異形への迎撃が、外れた。


「おじさ──!」


 自分のミスひとつで何もかもが終わる。絶望が翔を呑み込もうとしたときだった。

 その妖種が、とつぜん真横に吹っ飛んだかと思うと、爆散した。


「おくれてごめんよ!」


 何が起こったのか分からない翔を紫藤ごと守るように、二メートル超の巨体が現れた。


(このひとが……!)


 ひと目で判った。巍狼から聞いていた《超力星・蓬座》である。


「おらガキ、ぼさっとすんな!」


 さらにパーカー姿の女が翔と背中合わせになって、腕のなかの機関銃を妖種達に浴びせた。


「──誰だお前⁈」


 珍妙な装備に驚くよりも、その高圧的な態度に思わず腹が立って、翔は問うともなしに怒鳴っていた。


「アア、テメェから名乗れや格下! ぶっ殺すぞ」

「知るか! 味方殺すとか正気かオイ!」

「足手まといは殺すほうがマシだろがカス!」


 罵倒し合いながら、翔とラムダは数を競うように妖種を迎撃する。


「ふたりとも、そこまで」


 ハウザーが静かな一喝で、罵り合いに水を掛けた。そして次の瞬間、ここまでのふたりの討滅数を、まとめて超えていった。

 周囲に群れる十数体もの妖種達がまとめて空中に浮いたかと思いきや、吸い込まれるように一点に凝縮されて、直径約一メートルの肉の塊と化した。


「とう!」


 跳び上がったハウザーがそれを蹴りつけるや、肉塊は瞬く間に爆散して融解した。


(スゲェ……!)


 これが超力星の闘い方かと、翔はただ感嘆するほかない。

 念動力者というのも巍狼から聞いていたが、まさかあれだけの数の標的をひとつに圧縮し、一撃ですべてを討ち果たすとは。どんなパワーファイターかと思いきや、理に適った対集団戦法である。キックにもなにかしらの念法が用いられているのだろう。


「よくもちこらえた(、、、、、、)ね。きみ、すごい」


 しかも、こちらに向かって笑顔でサムズアップしてくれる(もちこたえた(、、、、、、)が正しいとは思うが)。


「あ、どうも──」


 翔がおずおずと礼をしようとした刹那、三人は弾かれるように、紫籐の見つめている方角へと顔を向けた。

 クレーターのなかに光が満ちていた。

 それは、全員が怖れていたシナリオだった。



 凰鵡の周囲では、衆と襲撃者達との激戦が続いていた。

 《斗七山》の三人を擁していることもあって、寡兵にも関わらず戦闘力では衆が圧倒していたものの、殺気の差が大きなハンデとなっていた。

 相手は仮にも対妖の同胞。たとえ正当防衛であっても、彼らの命を奪うことは控えよ、というのが本部の意向だった。それに従って、四人は殺害はおろか、なるべく外傷すら与えぬように立ち回っているのだ。

 それに対し、襲撃者達はその目標を凰鵡の殺害一本に絞ったらしく、果敢に顕醒達の排除と突破を試みてくる。殺しに来た相手を殺さずに無力化することは、殺して無力化するよりもなお難しい。まして襲撃者達は薬物でも使用しているのか、昏倒させても即座に覚醒する有様だ。目を見開き、怒りと殺意を剥き出しにして吼えるその様は、まるでこの戦いが人類の運命を左右する、決して敗北の許されない聖戦だとでも言いたげである。彼らの妄執がいかなる確信から生みだされているのかは定かでない。

 だがその妄執ゆえに、防衛陣を崩せないと踏んだ一部の者が、ついに暴挙へと出た。


(いけない──!)


 真上に輝くオメガの凶兆を、凰鵡はいち早く察した。


「のお”──ッ!」


 襲撃者のひとりが頭を爆散させて死んだ。凰鵡ではなくオメガのほうを討とうとして、念波を撃ち込んだのだ。この期に及んでなぜそんなことをしたのか、凰鵡にはとうてい理解できない。

 この状況では当然、オメガからの反撃は全員に来る。たちまちクレーターのなかに光の粒子が湧き上がった。


「カァン!」「カーン!」


 ふたつの方角から、一斉に光の柱が上がった。真嗚と顕醒の極大殺法──激戦のなかで気を練り続けていたのだ。

 だが、駄目だ……と凰鵡は直感する。師兄の撃ち方が、昨日とは違う。こんどはクレーター内にいる全員を──維兄妹だけでなく、襲撃者達までをも──守るように、ドーム型に気を拡散させている。これではオメガに届かず、殻を破れない。

 おまけに、難を逃れたのをこれ幸いにと、襲撃者達はあらためて顕醒や真嗚を狙った――彼らを殺すとどうなるか、分からないはずはないだろうに。

 オメガに全神経を集中させているふたりに、迎え討つ余裕はない。


「顕醒!」「爺さま!」


 標的にされた師弟に向かって維と顗が駆ける。


「ぎゃぁぁあああ──!」


 断末魔が上がった。

 襲撃者達のものだった。その身体は数千ピースの肉片と化していた。

 突如として、彼らの足下から無数の蟲が湧き、瞬く間に全身を食い荒らしたのだ。

 それらの大群はまた、他の襲撃者の周りにも湧いて、まるで牽制するかのように一人ひとりを取り囲んだ。


(蟲──⁈)


 驚く凰鵡を挟むように、ふたつの人影が、音もなく現れた。

 土の下からは銀髪の美青年が──

 そして背後の水面のうえには怪僧が──

 天風鳴夜と雲水──衆にとっての二大脅威の出現に、凰鵡は激しく動揺する。


「ここへきて意見が一致しますか、遊行者さん(ピルグリム)

「え?」


 鳴夜の言葉を理解できないあいだに、その背後では雲水が、両手に作った輪を天に向けていた。


「わ──ッ?!」


 爆風が全員を煽った。水面を狂わせ、空気をねじりながら、気の柱が天に昇った。極大殺法である。

 その大きさに、凰鵡は戦慄を禁じ得ない。不動である以上、使えるだろうという予感はあったが、兄と師のそれを遙かに上回る威力だ。

 その一撃が、オメガの殻を破ろうとしていた。これもすべて、相手を消し去らんとする雲水の意志の表れなのか。

 が、凰鵡は恐怖を振り払って、自分も倶利伽羅竜王に念を注いだ。理由は分からないが、雲水は自分達を助けてくれているのだと信じた。

 騒乱のなかで勢いを失っていた刃に、輝きが戻る。


「唵……竜王! ボク達を、繋げて!」


 殻の向こうに見えたオメガに、凰鵡は殺意なき刃を突き上げた。


(来るぞ、零子──!)


 その瞬間を、紫藤もハッキリと眼にしていた。


 緑も、獣も、虫も魚もいない。荒涼とした大地と、どこまでも真っ青に透き通った海だけの世界だった。

 ふたりだけが、この星の最後の住民だった。オメガと、つがいであるもうひとりのオメガだった。

 自分達の種がいかにしてこの世に生まれたかは知らない。だが彼ら自身は紛うことなく親の胎から産み出された兄弟であり、姉妹だった。

 オメガとは、物質としての肉体をもつ生き物ではなく、眼に見えるまでに凝縮された霊力の塊──極めて密度の高い幽霊のような生命体だった。霊体ではあるが、彼らは種の存続のためには生殖を要した。すべてが雌雄同体であり、またすべてが同じ個体であるがゆえに、オメガは誰とでも番い、誰の子をも胎むことが出来た。

 だが最後のオメガ達に、次代を生むことは許されなかった。オメガだけではない。彼らの住む星にはもう、新たな命を芽吹かせる力が残っていなかったのだ。

 霊気の枯渇──それを引き起こしたのは、ほかならぬオメガという種自身だった。強大な霊力の塊であるその体を維持しながら繁殖を繰り返した彼らは、星のなかで循環していた霊魂、すなわち、ありとあらゆる命を食い尽くしてしまったのだ。

 そして餓えによる滅亡が避けられぬと悟ったとき、種は悲劇の道を選ばざるをえなかった。

 それは互いを喰らい合うこと──ではなく、みずからを誰かに喰らわせることだった。つがいや子らを生きながらえさせたい個体達によって、種族のなかに自己犠牲が蔓延した。

 身を捧げる側は大事な者に生きて欲しい一心で命を投げ出し、悔いもなく消えていった。一方で、託された側は愛する者を喰らう哀しみに打ちひしがれ、先細ってゆく種への絶望を抱えて生き続けるほかなかった。その哀しみと絶望に耐えきれず、あとを追って自分も他の同胞へ身を捧げるという犠牲の連鎖が続き、それは最後まで止むことがなかった。

 ふたりの母であり父である存在も、かなり前に、自分の身を子らに供して死んでいった。残された子らは互いに最後の独りになることを厭い、己を差し出さないという契りを結んだ。彼らは共に飢え、共に死ぬことを選んだ。

 来る日も来る日も茫漠とした死の世界を飛び回り、星を横断する海溝の暗黒や、二千年前から燃え続けていると言われる大陸、砂や水底に埋もれた古代文明の遺構の数々を旅しながら、むつみ、互いをなぐさめ、この世に生まれたせめてもの歓びを分かち合った。だが、すべてが失われるのはもはや時間の問題だった。

 そして、ついに番は死に、オメガだけが生き残った。

 その死期の差は、生を受けた時期の差によるものではなかった。互いを供さないという誓いに反し、日々の慰め合いのなかで、番は秘かに自らの力をオメガへと注ぎ込んでいたのだ。オメガがそれに気付いたのは、番の死を目前にしたそのときだった。

 あまりにもエゴイスティックでナルシシズムに満ちた献身であり、裏切りだった。そうして生き存えさせられたオメガの胸中に残ったのは、愛でも希望でもなかった。

 星を割らんばかりの絶叫が上がった。誰ひとりとして受け取る者のいない号哭だった。

 番の存在は、自分がここに生きている価値を証明してくれる、唯一にして最後の拠り所だった。それをうしなったオメガにとって、世界はもはや孤独と絶望に満ちた──しかし空っぽの──檻でしかなかった。

 号哭はやがて、怒りと憎しみの怨嗟をも孕んだ。もはや、こんな世界に生きていたくなどなかった。いっそ、生まれたくなどなかった。一体、なぜこんな苦しみを得ねばならないのだ。誰の、何のせいなのだ。この大地、空、海、宇宙……なにより、先に死んでいった同胞のすべて、自分ひとりをここに置き去りにした番と、運命のすべてに怒り、すべてを憎み、怨み、そして呪った。

 その瞬間、周囲が〝渦〟を巻いた。

 空間が捻じ曲がり、加速度的に回転を速めてゆく。

 オメガには何が起こっているのか分からなかった。凄まじい流れと圧力のなかで、身体がバラバラになるかと思った。

 だが、次に気が付いたとき、そこは見知らぬ空の真っ只中だった。

 緑の大地。地上に蠢く数多の生き物。どこもかしこもが、感じたことのない生命に溢れていた。だがこの時のオメガにとって、それは豊富な食糧とは映らなかった。

 ただただ不安で、怖いだけだった。自分がどうなったのか分からず、頼るものもなく、寂しさのなかで身動きが取れなかった。


 ──大丈夫、だよ。


 凰鵡はそっと、その心に呼びかけ、自分が何ものであるかを伝えた。

 安堵と歓びが返ってくる。いままでオメガのなかにあったのは、孤独と恐怖だけだった。この未知の世界で、敵意の籠もった気配や念波にさらされ、自分を守るのに必死だった。

 そこに、凰鵡という同胞がようやく現れたのである。

 もはや疑う余地はない。霊体と肉体の違いこそあれど、自分達は、同種の存在なのだ。


 ──怖がらないで……


 そして凰鵡はその事実に驚き嘆くよりも、オメガの心に寄り添うことを選んだ。


 ──怖いのは嫌。寂しいのは……いや


 この世界がどうなっていて、オメガがどう思われているか。凰鵡がオメガを知ったように、オメガもまた凰鵡を通して、この世界を知った──そして、自分という存在が、どうあっても異物でしかいられないことも。

 払われることのない孤立への不安。満たされることのない「誰かに愛されたい」飢え。それは昨日までの凰鵡とまるで同じだった。

 何もかも叶わないのなら、いっそこの世界のすべてを潰してやろうか。そんな自暴自棄にも似た狂気さえオメガは抱きはじめていた。だが、それをすれば凰鵡が哀しむと悟ってしまった今、どうすることも出来ずに、ただ塞ぎ込むしかない。


 ──ぼくたちは、なんのために……


 それはオメガの言葉であり、凰鵡の声でもあった。

 なぜ、自分は生まれたのだ。どこから来て、なにを成すために…………

 凰鵡にも、それは分からない。自分達だけでなく、誰もが生まれてから死ぬまで、そうなのかもしれない。

 だが、そんな諦観で癒えるほど、オメガの哀しみは、理屈ではないのだ。


 ──大丈夫。ボクが一緒だよ。


 凰鵡はオメガを包み込んだ。昨夜、維と朱璃からもらった優しさを、分け与えるように。


 ──ボクがキミを守る。一緒に、探そう。


 ふたつの光が、重なった。



 周囲の者達にとって、それは一瞬の出来事だった。

 凰鵡が倶利伽羅竜王を突き上げた瞬間、眼も眩む閃光があたりを包んだ。

 オメガの力がすべてを呑み込んだか──誰もが死を覚悟したが、そうではなかった。

 その光が晴れたとき、破滅の妖輝は幻だったかのように掻き消え、オメガの姿もまた、不毛の荒野のどこにも見えなくなっていた。

 凰鵡の手にした倶利伽羅竜王が、光刃を呑み込んで、顎を閉じた。

 一体、何が起こったのか……誰もが途惑う静寂のなかで、凰鵡の体が、ゆっくりとかしいでゆく。


「凰鵡!」


 維と顕醒が駆け寄る。真嗚は襲撃者達を巨大な光の網で一網打尽にし、顗はさすがに疲れたとばかりに膝を突く。鳴夜の姿はどこにもない。


「凰──!」


 維は思わず立ち止まって身構えた。

 倒れ込む凰鵡の体を、雲水が受け止め、抱き上げたのだ。


「その子を返しなさい……お願い……ッ?!」


 闘志と怯えを一緒くたにして懇願する維の前に、スッと顕醒が歩み出た。

 そのまま、立ち止まることなく雲水へと進み、目前で向き合うと、おもむろに諸手を差し出した。

 その顕醒の腕へと、雲水は、凰鵡の身を引き渡した。

 そして右手に錫杖を出現させるや──がしゃん──遊環の音とともに消えた。


「何だったの……? 凰鵡は⁈」


 戻ってきた顕醒に問いながら、維は凰鵡の顔を覗きこむ。


「軽い霊気酔いを起こしただけだ」


 顕醒の腕のなかでは、少し眉をしかめた──しかしいつもと変わりない姿の──凰鵡が、気怠そうに、ゆっくりと瞼を開けたところだった。


「兄さん、維さん……ボク、出来たんですね」

「そうよ……! たく、アンタほんとに凄いわ」


 目尻に湧いた涙を拭いながら、維が手放しに褒める。


「あんなメチャクチャなやつ、ひとりで倒しちゃうなんて……」


 だが、顕醒の腕から地面へと降り立った凰鵡は、首を横に振った。


「倒したんじゃないです」

「え?」

「オメガはいます。ここに」


 と、凰鵡は微笑んで、自分の胸に手を当てた。

 それが比喩ではないと、維はやがて思い知ることになる。


「凰ー鵡ー!」


 遠くから聞こえた声に、凰鵡は驚いて顔を巡らせた。そして今度は、満面の笑みを浮かべた。

 翔がこちらに駆けてくるところだった。その後ろには紫藤と、桔梗のふたりもいる。


「翔ッ⁈ あはッ! 翔ー!」


 たまらず、凰鵡も親友に駆け寄った。彼がこっちに来ているなど、ひと言も聞いていなかったし、もう何日も逢っていないような気分だった。それだけに、あまりにも嬉しいサプライズだ。大鳥の腕を手にしているのにも驚いたが、きっと向こうにも色々あって、翔も自分と一緒に闘ってくれていたのだろう。

 だが、笑顔で駆けてくる翔の背後で、異変は起こった。


「ぅあ──ッ!」


 紫藤が呻いた。脚をもつれさせ、派手に転んだ。


「紫藤さん!」

「叔父さん⁈」


 凰鵡の声で翔も叔父に気付き、すぐさま反転した。


「来るな! 来ないで……くれ!」


 紫籐の叫びが、甥達の足を止めた。


(え、なんで……?)


 言い知れぬ不安が、凰鵡を立ち竦ませる。

 紫藤は右眼を手で覆い、尻餅をついたまま必死に後退っていた。

 顔の左半分は、彼のものとは思えないほどに引き攣り、歪んでいる。

 震えるそのまなこは、たしかに、凰鵡へと向けられていた。



「いやああああああああ‼」


 第三区支部の一室に、零子の絶叫が満ちていた。


「零子さん! 零子さん‼」


 暴れ狂うその体を朱璃と巍狼とで懸命に押さえつける。孤月は頭を鷲掴みにしながら、解術のための紋様を呪帯の上から描き加えていた。


「来ないで! いや! 視ないで! みちさん、視ないでえ‼ あああああアアアアッ‼」


 聞いているこちらの心までが引き裂かれそうな零子の姿に、巍狼は「まさか」と戦慄していた。

 自分が夢で聞いた彼女の悲鳴は、こっちだったのではないか……と。



「やはり、オメガを吸収してくださったようで」


 錯乱する紫藤以外の、全員の眼が、一箇所に集中した。

 天風鳴夜が、ふたたび姿を現していた。


「お前……それで、ボクを⁈ こうなるって分かってて、利用したのか⁈ 天風ェ!」


 凰鵡が殺気をみなぎらせて対峙する。

 隣では、翔も銃を握った手に力を込めていた。その殺気は凰鵡のそれに勝るとも劣らない。


「とんでもない。もともと、あなたの望みだったじゃないですか。私はお手伝いをしただけです」


 整然と言い放つ鳴夜に、凰鵡は奥歯をきしらせる。


「まさか、ボクの夢の声もお前か⁈」

「さぁ、なんのことやら…………おや、懐かしいものがありますね。大鳥……拓馬さんのですか、それは」


 凰鵡からの追求をはぐらかすように、鳴夜は翔へと眼を向けた。

 ぞくり……翔の背筋せすじが凍りついた。相手は父と金花蛍かばなけいを死に至らしめた仇敵だ。にもかかわらず、その顔に銃口を向けることすら出来なかった。

 天風鳴夜に手を出さないでください──巍狼の言葉を守ったわけではない。眼を合わされた瞬間、本当に動けなくなったのだ。まるで虚無を宿したかのようなその瞳──今までとは、底知れなさが段違いだ。

 チャクラメイト事件で相対したときは、女の姿をしていた。呪殺事件の最後に見たときは、はるか遠くにいた。

 これが、本物の天風鳴夜なのか…………

 そんな翔の戦慄を嘲笑うかのように、妖人へと身を躍らせた者がいた。


「テメェぇかああアアア──!」


 ラムダだった。


「ノー、ラムダ!」


 ハウザーの制止は間に合わなかった。我を忘れた復讐鬼の腕が、白衣に突き立てられていた。

 瞬間、手首から放射状に爆炎が上がり、鳴夜の上半身を吹き飛ばしていた。義手に仕込まれた爆薬ギミックだった。

 だが、散ったと見えた上半身は、次の瞬間には再集合して────


「あ⁈ ああああ──ッ!」


 女のなかに入り込んでいた。


「えっと、あなたは……誰でしたっけ?」


 それが、ラムダがこの世で聞いた最後の言葉になった。左の手首が折れてガトリング砲が剥き出しになったとき、彼女の意識はすでになかったのだ。

 そして砲身は、ぐるりと背後を向いて、狙いを定めた────翔に。


「やめろォォ‼」


 凰鵡の怒号とともに、目の前の空間から、光が溢れ出た。

 それはラムダと天風鳴夜とを呑み込んで、大地もろとも、跡形もなく消し飛ばした。

 誰もが目をみはった。翔も、維も、真嗚も、顗もハウザーも、回復の兆しを見せていた紫藤も、生き残った襲撃者達も──ゆいいつ顕醒だけが、眉根を顰めるにとどまった。


「あ……あ、ああ……!」


 凰鵡自身も、自分の発した力に戦慄した。

 翔を守りたかった。それだけのつもりだった。だが、自分は何をした? これは何だ?

 まるで制御が効かなかった。天風を倒すはずが周囲まるごと消し飛ばしてしまった。

 何の罪もない、桔梗の隊員すらをも…………

 オメガを吸収した代償が、これだというのか。


(ボクは……ボクは……ッ!)


 照りつける日差しのなか、猛烈な寒気に自分を抱き、膝を突いた。


「凰鵡ッ⁈」


 翔が駆け寄ってくる。


な……来ちゃだめ!」


 叫びは、すでに涙を含んでいた。


(ごめんなさい……ごめんなさいごめんなさい……!)


 頭のなかは、己への恐怖と、ラムダへの罪悪感で満ち満ちていた。

 消えろと思えば、簡単に消してしまえる。これがオメガの力であり、不動の力なのか。こうまで恐ろしいとは思ってもみなかった。


「凰鵡……!」


 だが、翔は止まらない。駆けてこそ来ないが、ゆっくりと歩み寄ってくる。銃すら地面に置いてしまった。


「駄目……翔ダメだよ! ボクは、もう……ッ」


 自分は今度こそ、本当にヒトでも妖種でもない存在──いうなれば怪物になってしまったのだ。ひとつ間違えれば、友すら消してしまうかもしれない。

 少しでも翔から遠ざからねば……そう思っても、体が言うことを効かない。

 そして、震えて動けないまま、凰鵡はついに、翔に捕まった。


「……お前に、何があったか分かんねぇけどさ」


 強く抱きしめながら、翔が耳許でささやいた。


「言ったろが。お前が何モンでも、ッて。そうだろ」


 凰鵡から、寒気が消えた。

 だが、体の震えを止めることは、出来なかった。

 のちに《オメガ事件》と呼ばれるこの闘いに幕を下ろす、最後の慟哭が上がった。


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