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天の節・昇華 其之弐『寂静──あるいは優しき克己』

寂静じゃくじょう──あるいは優しき克己こっき



「こんな重傷人まで駆り出すかよ」


 病室に入ってくるやいなや首筋に触れて内功を使い出した顕醒に、顗は露骨に顔をしかめた。管や電極は外されているが、その身はまだベッドの上にある。


「じゃが駆り出さにゃ、あとで文句言うじゃろ?」


 と言ったのは、顕醒と一緒に入ってきた真嗚である。


「まぁね。片腕でも、そこらの闘者よりかは動いてみせますよ」

「よしよし。さすが、若人はタフじゃな」

「で、今回は何すりゃいいんです? また〝行って殴る〟でいいんですか?」


 自分の取り柄を皮肉るように訊ねる。


「おう。じゃが状況だけは複雑での」


 真嗚がそう言ったとき、病室の扉が開かれ、ふたりの男女が入ってきた。


「ハウザー先輩!」


 顗は咄嗟に包拳礼を取ろうとするが、己の左手に気付いて、片手合掌に切り替えた。


「Oh! 顗、生きていたんだな。よかった……!」


 涙目になりながら、ハウザーは顕醒を押し退ける勢いで顗にハグをした。


「死んだと思って、維に酷いこと言ってしまった。許してほしい」

「いいんすよ。けど先輩、そのうちの妹に、まんまと逃げられたんですって?」

「Oh……」


 何故知っているのかと驚いた表情でハウザーは身を離した。


「不動翁、あなた教えました? でも知らないはず。ほわい?」

「やー……この一角、えらいむさ苦しいのー」


 巨漢達に押し潰されまいと扉近くに退避していた真嗚は、明後日の方向を仰いで誤魔化した。

 後ろに組んだその手には、ヒトの形に切った紙が握られていた。表面には幾何学模様のような呪文が描かれ、それは『孤月』の名で結ばれていた。


「あ、きみがラムダちゃん? 儂、真嗚。よろしゅう」


 ハウザーからの追求をかわすためか、隣で棒立ちになっている女に声をかけた。


「……どうも」

「忘れんうちに、李巍狼からきみへの伝言を言うとくよ」


 それまでヘラヘラしていた真嗚の顔に、スッと翳りがよぎった。


「天風鳴夜には手を出すな……じゃ」



 ふたりが風呂場を出たころには、外からの光も増して、朱璃の目でも房内がよく見えるようになっていた。


「や、おはよ」


 ダイニングでは維が朝食の用意をしてくれていた。さきほど姿を見なかったのは、地下の食糧庫に潜っていたためらしい。管理人のいない山房には、インスタントや保存食の類が備蓄されている。

 缶詰パン、ソーセージとチーズ、野菜スープ、輪切りパイン。昨夕からの食事が天風の焼いた川魚だけという凰鵡には、この上ない御馳走だ。


「兄さんは?」

「支部に行ったわ──ああ、第三区のほうね」

「なんで、支部のほうに?」


 食事を初めてすぐに朱璃が訊ねた。


「オメガにリベンジする準備だってさ。爺さまも向こうにいるみたいよ」


 真嗚の無事は、三人とも顕醒から聞かされていた。


「朝には帰るって言ってたけど、間に合うかしら……」

「どういう意味です?」

「んー、ふたりとも食べながら落ち着いて聞いてね」


 そんな言われ方をして落ち着けるはずもないが、とりあえず凰鵡は耳だけを維に、ほかは食べることに集中させた。


「ここ、囲まれてるっぽいわ」


 さぁッ、と朱璃から血の気の引く音が聞こえたような気がした。


「結界に触れないようにしてるけど、鳥とかが妙な動きしてるの。気配消しきれてないってことは、大半は素人に毛が生えたていどね」

「何で、です? 誰が……?」


 維が余裕そうな態度を見せても、朱璃はなお不安げだ。フォークを持つ手が震えている。


「狙いはボクだ」


 凰鵡はキッパリと言った。


「囲んでるのは、たぶん対妖者。ほかの組織とか、それに雇われてる人達……」

「凰鵡くん?」

「ごめん。昨日は言わなかったんだけど、ここに来るまでに、何人かに襲われたんだ。ボクとオメガが関係してるから……捕まえるか、殺そう、っていう話が、出てるみたい」


 凰鵡の言葉に、維が目尻を吊り上げて「そう」と呟いた。が、すぐにフッと笑みをこぼす。


「なんだか、こんなシチュエーション、前にもあったわね」


 凰鵡にも朱璃にもすぐにわかった。邪願塔事件の最後だ。あのときも山房で、大勢に包囲された。

 違うのは、顕醒と管理人がいないことだろうか。


「兄さんを、待ちますか?」

「脱出やね」


 と答えたのは、維ではなかった。

 声のした方を見て、凰鵡と朱璃はギョッと椅子から跳びはねかけた。

 開けた窓から、灰色の狐が室内に入り込んでいた。それもただの狐ではない。大型犬のように巨大で、尾が十六本もある。


「あれぇ、婆さまじゃないですか! よくご無事で!」


 維が嬉しそうに、どこか間の抜けた快哉を上げた。

 狐がフルッと身震いをすると、その瞬間にはもう、服を着た老婆へと変わっていた。


「孤月さん!」


 ふたりもようやく狐の正体を知って安堵した。朱璃とは呪殺事件の折りに、凰鵡とはそれ以前からの知り合いだ。


「脱出ってことは、ちょいヤバですか?」

「せやな。オメガが変な動きしとって、色んなトコが浮き足立っとる」

「変な動き?」

「それも含め、まぁ食いながらでええし、うちらの作戦聞いてや」


 そう切りだした孤月の襟首には、人型の紙が針で留められていた。模様じみた呪文で彩られ、末尾には『真嗚』と書かれていた。



 たった一発で、標的に大穴が空いた。対妖兵器の威力を試すために、妖種の体液でコーティングされたターゲットボードである。


「やはり、か」


 背後で実射を見守っていた叔父が、重々しく呟く。巍狼も「まさか」という面持ちで固まっていた。

 翔自身も信じられない。その威力もさることながら、反動の無さにこそ寒気を覚えた。前に撃ったときは、あまりに必死だったせいで何も気にしていなかった。

 その存在すら今まで忘れていた。よもや本部に保管され、研究されていたとは。

 だが、衆最高の霊科班をもってしても、機構や組成はほとんど解明出来なかったという。完全な〝アーティファクト〟である。

 かろうじて解ったことは、生物的な自己修復機能があるということ。弾丸は注水口のような部分から人血を注ぐことで、内部で自動的に精製されるということだった。

 解析が進まなかったことには、班の研究者達を多いに悩ませる、ある不具合に理由があった。

 引金を絞っても、弾がいっさい発射されないのだ。念波による遠隔射撃や、機器、電力等を用いた強制手段もまるで効かなかったという。


「撃てたけど?」

「そうだな。これではっきりした」

「なにが?」

「この銃は、お前にしか使えない」


 叔父が何を言っているのか、翔は理解するのに数秒を要した。


「担いでないよね?」

「こんな遣りかたでお前を巻き込むくらいなら、私が使っているさ」


 そう言って、紫藤は甥から銃を取り、自分でも引金を絞ってみせた。

 何も起こらなかった。


「指紋認証などで持ち主を判断する銃も存在するが、これの識別方法は不明だ」


 紫藤は銃を翔に返した。


「つまり、そういうことかもしれん」


 翔は銃身を握り、額に押し当てた。セイフティがあるかどうかも判らないが、暴発はしないと考えて良さそうだ。


(親父が息子に残した武器か…………)


 不思議な出来事ばかりの世界だが、いよいよファンタジーめいてきたな、と内心で苦笑する。

 しかも、よりによって今日である。


「あの親父にしちゃ、えらくおセンチなバースデイプレゼントだ」


 冗談のつもりだったが、叔父は眉を顰めただけだった。


「今日、お誕生日だったんですね。おめでとうございます」


 しらけた空気を和ませるためか、巍狼が祝ってくれる。


「さんきゅ……で、オレはこれで、何を撃ちゃいい?」

「できれば」零子が言った「誰も撃たずに済んでほしいのですけれど……」

「どういうことですか?」


 その問いには、叔父が答えた。


「お前には、私の護衛をしてほしい」


     *


 午前六時の少し前に、それは始まった。

 ──オメガが動いた。

 誰もが予想していない事態だった。

 みずからが作ったクレーターの外周をなぞるように飛び回りはじめたのだ。その光輪の直径も、電波障害の範囲も出現時の大きさに戻っていた。


「餌を探し回っとるな……」


 第三区の会議室で報告を受け取った真嗚の言葉に、部屋にいた全員が戦慄した。直下の霊気を食い尽くした今、オメガはさらなる養分を求めているのだ。その説を裏付けるように「オメガが通った周囲の霊魂や霊性が、あらたに吸収されている」との続報が寄せられた。


「すぐ何とかしねぇと」

「でも、どうやって?」


 顗とハウザーが全員の意気と焦りを代弁する。

 一刻の猶予もないのは事実だ。いまは爆心地をテリトリーと定めているようだが、活動範囲を広げるのは時間の問題だろう。かといって阻止しようにも、あの破滅の光の前には、斗七山の力すら蟷螂の斧と呼ぶに等しい。

 すると、真嗚が「ちょい待ち」と言って、何かに耳を澄ませるような仕草をした。手には、人型の和紙を持っている。


「……自分がやると言うとる奴がおる」

「誰ですそれは?」


 信じられないと言いたげに、第三区の支部長が問うた。顗もハウザーも同じ表情を不動翁に向ける。衆最強の顕醒はここにいる。その彼を差し置いてアレと闘おうという酔狂者は、一体何者だというのだ。

 そんな三者とは反対に、真嗚は我が意を得たというように、ニヤリとした笑みを顕醒に向けて、答えた。


「凰鵡じゃ」



 山房の周囲が一挙に殺気だった。オメガが活発化したという情報が人から人へと伝わったのだろう。

 これまで彼らが多勢を頼みに踏み込んで来なかったのは、互いに同盟を結んでいるわけでもない混成集団ゆえに「他者に先手を打たせて、後ろから利益をさらおう」という思惑があったことと、その最もな理由となる《鬼不動》の存在を警戒してのことだった。実際のところ顕醒はすでに山房を離れて久しいのだが、彼が出てゆくところを誰も感知できていなかったのだ(孤月が侵入したところもである)。

 だがオメガが動いたことで、突入の機運がにわかに広がっていた。凰鵡の殺害ないし捕縛がオメガの撃破に繋がるという確証の程度はそれぞれだったが、所属するコミュニティやクライアントの命を受けて動いている以上、彼らにも静観する余裕はなくなりつつあったのだ。

 その忍耐と使命感の狭間で、いくつかの組織が結託や取引をはじめようとしていた。

 その瞬間を狙って、凰鵡達は動いた。


「出たぞ!」


 凰鵡を先頭に、朱璃を背負った顕醒が続き、そして維を殿しんがりにして、四人が小屋から飛び出した。それを追って、対妖者達が殺到する。

 が、直後にまったく別の場所からも声が上がった。


「いや、こっちだ!」


 凰鵡がたったひとりで駆けてゆく。しかもオメガがいる地域に近い方角だ。四人組に混じっていたほうは、何かしらの幻術による囮だったのだ。最初のグループを狙った集団も我に返ったようにきびすを返し、後発の凰鵡を追跡した。


「綺麗に消えたなぁ」


 顕醒の姿でカラカラと嗤う孤月の声を背中に聞きつつ、凰鵡は彼女の手練に舌を巻いていた。

 最初に出たこっちが本物だった。むろん、裏をかくだけでは勘の良いものや、霊力で他者を識別できる者には見破られてしまう。だが、それらすら惑わしてしまうほどの変わり身を創り出せるのが《十六夜の孤月》だった。

 とはいえ、強い幻力を発揮しているぶん、あの偽凰鵡を形作っている呪符はそう長く保たない。電池のようなものだ。孤月を顕醒に変じさせている術もそうである。

 変わり身とはいえ、兄が笑ったらどんな顔をするのか見てみたかったが、凰鵡は振り向かずに、定められた方角へと走り続けた。

 向かうは山頂と山頂を繋ぐ尾根。オメガのいる地域に対しては真横の方角であり、よしんば包囲されれば退路を失う危険もある。本来なら悪手である。

 孤月の術と、注意深く走ったこともあって、凰鵡達は追跡者達に見つかることなく、第一関門を突破した。

 深い山林が、丈の低い草木と岩場に変わる。尾根に出たのだ。飛び抜けて高い山ではないが、一気に駆け登ったために、空気の薄さが少しだけ肺を重くする。鍛えている凰鵡にはその程度で済むが、負われているとはいえ朱璃の体調が気がかりになる。

 周囲の山々が見渡せる道を降って、隣の山頂を目指す。ここからが本当の危険地帯だ。見晴らしがよいのは追っ手にも同じである。

 案の定、尾根が登りに変わったところで、最初の襲撃者が来た。手にした長い木刀が、音もなく一閃される。


(竜王──!)


 凰鵡は宝剣を繰り出し、相手の刀身を斬り裂きながら駆け抜けた。そして襲撃者は驚く暇もなく、後続の維から回し蹴りを喰らって、中腹の緑に消えた。

 静謐にして一瞬の攻防だったが、常人には掴めない闘志のようなものが山の空気に伝わったらしい。しばらくして、いくつもの気配が下から押し寄せてきた。孤月の変身も解けているために、躊躇なく登ってくる。


「うわぉー来た来たきたきたァー!」


 もはや黙っている必要はないとばかりに、維が叫んだ。どこか楽しげな様子に、凰鵡はいつか翔とふたりで妖種から逃げ回った時のことを思い出す。

 そして今度も、凰鵡達の疾走は、ただ逃げるためだけのものではない。

 次の頂上を間近にして、追跡者達の先頭集団が四人を間近に捉えた──と見えた瞬間だった。 

 ごうッ──行く手から突風が巻き起こり、尾根の側面を撫でながら追跡者達を吹き飛ばした。凰鵡達が巻き込まれてもおかしくない距離だが、少し余波を感じた程度だった。


「兄ッ‼」


 声だけで、背後の維がどんな顔をしているか凰鵡には分かった。

 山頂で拳を突き出しているのは、紛れもない《万濤破山の顗》だ。このルートを選んだのは第三区支部からの援軍と合流しやすくするためだったが、まさに最高のタイミングでの、予想外の助っ人だ。

 その左腕がないことに凰鵡は愕然とするが、彼が笑顔で親指を背後へと向けるのを見て、また込み上げてくる涙をグッと堪えた。


「ありがとうございます!」


 顗のそばを走り抜ける。うしろでガツンと音がする。兄妹で拳を打ち付け合ったのだろう。

 そしてまた、大地が揺れるほどの震脚と、風がうねる音に送られて、凰鵡達はなおも次の山頂を目指した。


(ちっ、やっぱバランスが悪ぃな)


 二発目の正拳突きを放って、顗は心中で毒づいた。不動のふたりに気を注ぎ込まれたことで、重傷上がりとは思えぬほど体は軽いが、やはり本調子とはいかない。とくに腕一本の喪失は、覆しがたい大きなハンデだ。


「おうっと」


 咄嗟に硬化した体に、坂下から飛んできた鉛の弾丸が幾重にも跳ねる。顗の一撃を見て、向こうもついに火器を解禁したらしい。


「しゃらくせぇ!」


 空間を叩き折らんばかりの回し蹴りを放つ。発せられた衝撃波が、颪というにも暴力的な空圧の雪崩となって山肌を下り、そこに潜んでいた射手達を谷底に突き落とした。


 「せめて五割は削ってくれぃ」


 と、不動翁には言われたが、まったく納得できない。


(せめて九割は潰してやるよ爺さま!)


 この地形は、敵から丸見えと同時に、こちらからも一望できる。鉄壁の防御と衝撃波を用いる『万濤破山の顗』にとっては、一方的に敵軍を叩きのめせる格好の陣地なのだ。

 かたや、凰鵡達の身はふたたび鬱蒼うっそうとした木々のなかにあった。尾根の標高が下がっているのだ。

 何人かの追っ手の気配がまだある。顗が抜かれたとは思えない。うまく回り込まれたか、それとも最初からここで網を張っていたか。


「伏せろや!」


 凰鵡と維が身を低くし、孤月が呪符をばら撒いた。

 それらが次々と空中で爆ぜた。銃撃ではない、と凰鵡は直感的に悟った。今のは念波だ──おそらく発火能力パイロキネシス。そして孤月の呪符が、その念波を誘引して誤爆させたのだ。まるでミサイルに対するフレアである。

 だが敵のなかに超能力者がいるのは、誤算とまではゆかずとも、厄介な事態に違いはない。


「ウチから離れんなや!」


 孤月がさらに幾枚もの呪符を周囲に展開する。たちまち四方から押し寄せる念波にそれらが破裂し、斬り裂かれ、け、じ切られてゆく。


「婆さん! 埒が明かないわよ!」


 維の言うとおり、これでは防戦一方。いくら孤月が大量に呪符を隠し持っているといえど、この山を突破する前に力尽きかねない。

 だが、その心配も瞬く間に霧散した。

 展開する呪符の外周で、光の爆風が起こった。見えない壁が念波を弾いたようだ。


(念動障壁──⁈)


 驚く凰鵡の横に二メートル超えの巨体が並んだ。ハウザーだ。その隣にはラムダも追従している。


「あらハウザー、アンタも来てくれたのね」

「Off course。孤月老師達は我々が護衛する」

「おねがいします! ──ッ⁈」


 凰鵡が叫んだ瞬間、周囲の木の間や枝の上、そして草叢から次々に、閃光と短い悲鳴が上がった。それだけで、皆には誰が来たか分かった。


「兄さん!」


 顕醒が音もなく飛び込んで、最後尾に着いていた。


「遅いわよ! どこで油売ってたの!」


 痴話喧嘩でも始めそうな維の怒号を、顕醒は無視した。


「きばりや! 武運、祈っとるで!」

「凰鵡くん──!」


 朱璃の声が山野に消えた。孤月が走路を逸れたのだ。ハウザー達が左右を固めつつ、山を駆け下りてゆく。その先にあるのは第三区支部。彼女達とは、ここで一時のお別れだ。


(朱璃さん……ボク、ちゃんと戻ってくるから)


 顕醒に維、これまでずっとその背中を負ってきたふたりを引き連れるように、凰鵡は先頭を走った。



「こっち来ねぇよな?」


 翔はかたわらの紫藤に問うた。


「大丈夫だと思いたいな」


 双眼鏡片手に紫藤が応える。呪紋に覆われた右目はいま、別の呪帯で隠されている。

 翔達がいるのは、凰鵡達のいる場所から西にずっと離れた低山の頂である。そこからでも爆心地は一望できた。

 クレーターのうえを飛び回るオメガの速度は相当なものだ。とくに時折見せる旋回は驚異的で、ジグザグやピストン運動など、慣性の法則をまるで無視している。おなじ動きが出来る飛行体といったらUFOくらいしか思い浮かばない。

 当然、表社会のほうは一触即発の状態で、自衛隊の航空機や巡航ミサイルがいつでも飛ばせる態勢にあるばかりか、米国艦隊による戦術核の使用すら検討されているらしい。


(効くとは思えねぇけど……)


 遠目とはいえ、初めて目の当たりにするオメガに、翔は不思議と恐怖を感じなかった。あの光球の中にいるのが、凰鵡と同じ姿だからだろうか。



 森が途切れるところで、真嗚は弟子達を待っていた。


「お師匠様!」


 師の手前で立ち止まって、凰鵡は肩を上下させつつも礼をした。


「来たの。昨日よりエエ(ツラ)しとるでないか」


 顕醒と維にも目配せをして、真嗚はニヤリと笑う。


「ありがとうございます。……これは」


 ふと、凰鵡の目が、かたわらの土の上に吸い込まれる。子供のアナグマが、くったりと横になっていた。怪我をしているようには見えないが、寝ているにしては無防備すぎる。

 元気がない──霊力が衰えている──オメガの影響が、生きているものにも出はじめているのだ。

 その仔アナグマを元気づけようと、凰鵡はしゃがみ込み、手を伸ばしかけて、止めた。

 立ち上がり、木の間の先に広がる空を仰ぎ見る。


「凰鵡、今度はぬしが先陣じゃ。合図は任せた」

「はい……!」


 己の耳を疑うほど躊躇いなく(うなづ)いていた。昨日までの自分なら、先陣を切れと言われれば間違いなく怖じけていただろう。

 振り向いて兄と維を見る。維が笑顔でサムズアップする。兄は相変わらずの無表情だが、凰鵡にはその顔がどこか、微笑んでいるように見えた。

 すぅ、と息を吸い、凰鵡は言った。


「それじゃあ……行きます!」


 土を蹴り、決着の地へと飛び出した。



「来た!」


 紫藤の声に翔はギョッとする。

 が、オメガではなかった。


「あそこだ。ほら」


 と言って紫藤は甥に双眼鏡を渡し、地上を指す。覗いたレンズの先の光景に、翔はまた快哉を叫びたくなった。

 オメガによって裁断された山林から、凰鵡が飛び出してきたのだ。


「私達も出よう」


 紫藤の合図で、ふたりは山を駆け下りた。


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