カワイイ猫
「猫は賢い」
そのような噂は、まことしやかにSNSで囁かれている。宇多天皇の日記である寛平御記にも似た記載があり、これは日本最古の猫ブロガーである証拠とも言われている。
さてそんな猫であるが、実は人類の次に発達した脳を持っているという研究結果が発表された。犬でも象でも、イルカでもないのだ。
猫はカワイイ。その上賢いと来た。これにより犬猫論争に終止符が打たれた。
そんな猫に対して、知的好奇心が沸き上がるのは当然のことだろう。そして一人の研究員によって、ある装置が開発された。
「猫の鳴き声と脳波を測定し、蓄積したビッグデータとAIによって解析した上で、人類の言語に翻訳できる装置を開発しました」
日本鳥獣保護協会所属の赤松研究員が、おもちゃ会社であるトカラタミーと共同で開発したものである。トカラタミーは数十年前にも、犬や猫の鳴き声から感情を表示するおもちゃを開発している。
今回赤松研究員が開発したものは、鈴付き首輪の形状をしている。首輪部で脊椎からの脳波を検出し、鈴部に搭載されている第八世代情報処理型人工知能により情報の処理とビッグデータの参照を行い、結果を飼い主の手元のスマホで確認するというものである。
この鈴付き首輪の名称を「コミュニケーションニャウ」として、一般販売される。五万円という高額なおもちゃであるにも関わらず、主に愛猫家の間で大ブームを巻き起こした。
このおもちゃを開発したことで、赤松研究員はラフノーベル賞を受賞。一躍時の人になった。
そして同時に、猫は人間の言葉をほぼ確実に理解していることが分かったのだ。
◇
それから十年ほどの月日が流れる。京天十三年になり、猫は人類の生活に深い所まで入り込んでいた。
「おはようミナ」
「うにゃーん」『おはよう』
ミナと呼ばれた三毛猫と共に暮らしている男性の後藤。彼はしがないITエンジニアである。
「みゃーん」『お腹空いた』
「はいはい、今ごはん用意するからねぇ」
栄養価の高いキャットフードと水を用意し、それを机に置く。するとミナは机の上に上って綺麗な姿勢で食べ始める。
「カワイイねぇ」
デレデレした後藤は自身のスマホでミナの様子を撮影する。しかしミナはそんなことはどうでもいいようにキャットフードを黙々と食べる。
「さて、僕も朝飯食わないと……」
そういって後藤はシリアルを皿に入れ、そこに牛乳を雑に注ぐ。それを口にかき込みながら、スマホでニュースを見る。
「ふーん、猫の社会進出ねぇ……」
どうやら、コミュニケーションニャウが与えた国際世論の影響はかなり大きいようだ。ニュース記事によると、猫に対して人権に類する権利を与える必要があると論じている。
「世間は熱心な愛猫家だな。僕も人のこと言えないけど」
そういってタハハと笑う。今では一世帯に一匹はいるほど猫が増えており、日本社会の中でも野良猫の保護は野良犬よりも積極的に行われている。猫の社会的地位は年々右肩上がりで上昇し、やがては人類に匹敵するだろう。
「さて、飯食ったから仕事しないと……」
そういって後藤は会社用のパソコンを起動し、リビングで仕事を始める。
この時代のITエンジニアは、使い古された雑巾のような存在である。使えるエンジニアはサービス残業で会社に貢献し、使いつぶされたエンジニアはその辺に捨てられる。まさに大量生産大量消費社会の縮図のような感じだ。
当然ながら給料も低い。供給が過剰に増えることによって、需要へと変換できていないのだ。後藤もこの悲しき輪廻に巻き込まれているため、貯金も投資資産も少ない。
それでも愛猫のためなら身を粉にしても働ける。それまでに愛情を猫に注いでいるのだ。
だからこそ、猫の社会進出は内心喜んでいた。
『猫の社会進出が進んでいます。現在は無人ロボットが担当していた配達業務を、猫に担当させるという動きがでているようです。こちら、オスのアメリカンショートヘアのカン君は最近運転手として配達を行っています。その背景には、コミュニケーションニャウの存在が。詳しく解説していきます』
コミュニケーションニャウを使用した猫の社会進出は、日を追うごとに多くなっていた。しかしそれでも猫は気ままな所があるため、契約通りの仕事を遂行することが困難な場合がある。その時には業務用ニャウを使用し、AIが猫の動きを電気的に制御する強制労働を発動させるシステムが作動するらしい。
このようなこともあり、猫が社会に浸透していく場面が増えていく。企業はプロモーション広告に猫を起用し、警察は周辺地域の見回りに登用。外交でも猫を同伴させることで、心理的な駆け引きを生み出そうとしていた。
後藤が派遣されている会社でも、広告の一環としてメインクーンのメスが起用されたという社内チャットが飛んでくる。
「どこもかしこも猫かぁ……」
「ぷにゃーん?」『どうしたの?』
「いや、どの猫もカワイイなぁって思って」
するとミナは机の上に昇り、キーボードに寝そべった。
「なーん」『なでて』
「えー、今仕事中だよー?」
「なぅん」『早くなでて』
「んもーしょうがないなぁ」
そういって後藤はミナの腹をワシワシとかく。
一分ほどかいたら、後藤はミナの腹を掴んで床に移動させる。
「後は仕事終わってからねー」
「みーん」『やだ』
そして再び机に昇り、キーボードの上に陣取る。
「ぅにゃー」『もっと構って』
「困ったなぁ」
寝室に机を置いたほうがいいのでは、と本格的に検討する後藤であった。
◇
猫が社会進出したことにより、国際的な場では議論が巻き起こった。その議論とは、猫に人権を付与するかどうかであった。
ある人は言った。
「猫はここまで人類社会に馴染んでいるのです。それはつまり、人類と猫は対等で平等であるということ。猫を大事にしないことには人類の繁栄はあり得ません。猫にも人権を与えるべきです」
それに対して、ある人は言った。
「猫は人類と生物学的に異なります。しかも人権と言っている。これは人類に与えられるものであって、猫に与えるものではありません。猫なら猫権と称して別の権利を付与するべきです」
一見すれば頓珍漢な議論をしているように見えるが、当の本人たちは真面目に議論している。これが世界的に話題となっているのだ。
この話題は、国連の機関の一つである国連人権理事会でも波乱を呼ぶことになった。他にも自由権規約人権委員会でも取り上げられ、なかなかに混乱を招く。
『本日も国連理事会で糾弾が繰り広げられました』
ネットニュースでもこのような取り上げ方をする。これも人類が猫に対して愛情を向けている証拠なのだろう。
それと同時期に、また別のニュースが報道される。
『猫の社会進出の後押しとなるでしょうか。昨日、川崎令和大学医学部の研究チームが、猫の細胞を使用した多能性幹細胞、通称Mew細胞の開発に成功したと記者会見しました。この細胞を使用すれば、猫の脳を増大させることができ、より猫の社会進出が可能になると主張しています』
人類よりも猫の医療技術が進歩したらしい。しかし、それも猫に対する権利の問題で阻害される可能性がある。それを含めて、研究チームを率いる教授は会見で話す。
「いずれは猫にも人権に似た権利が付与されることでしょう。しかしそれは、人間ではないから、猫には何をしてもいいという免罪符にしてはいけません。あくまで人間と対等であるということにしないといけないのです。この研究は、それを一助するための橋渡しになればいいと考えています」
その言葉を実現するように、Mew細胞の導入試験が即刻承認された。とある隔離施設で飼育されている三十匹の猫に対して、Mew細胞を脊髄及び脳部に注射する実験が行われたのだ。まだ人権も猫権も付与されていない現在だからこそできる荒業である。
数年かけてこの実験は進行し、結果として成功した。これまで五歳児程度の知能を持っていた猫が、十歳児程度の知能まで伸びたのだ。
タブレットやキーボードを使用しての会話が可能になった。
『私の名前はキチヨシです。医療技術の進展によって、会話することができるようになりました』
人類が、人類以外の種と会話できるようになった歴史的瞬間である。
この実験により、コミュニケーションニャウのアップデートが入った。さらに精度の高い猫との会話が楽しめるようになったのだ。
◇
京天二十四年。なんと猫の骨格が変化してきた。四足歩行であるのは変わらず、喉や口周りの骨が変わってきていることが獣医によって指摘されたのだ。
この頃になると、先のMew細胞導入実験によって誕生した高知能猫たちが、大学に進学して学士を得るほどにまで知能を高めていた。
この猫たちによって、猫の権利を守るための猫権が本格的に導入されようとしている。
『私たち猫━━ネコ科ネコ属は、人類と共に歴史を歩んできました。私たちが提唱している猫権は、そんな人類と同じ歴史を歩むために必要な制度であります。人類の皆さん、どうか私たちの権利を認めてください』
国連総会でこのように演説したラグドールのファランに、割れんばかりの拍手が送られる。そこに誰も疑問を浮かべるものはいなかった。
こうして急ピッチに人類と猫の社会が融合するために法整備が行われていく。それはもはやインフラを超える速度だった。
その後数年ほどで猫は、かつてAIが肩代わりするだろうと言われていた職業を受け持つようになる。会計の監視、バスや電車の運転、ITエンジニア等々……。
それは定年間際だった後藤の身にまで及ぶ。
「えっ!? 定年前にリストラですか!? いやだってここまでやってきたんですよ!? それを猫がやれるからって変える必要は……。あぁ、ちょっと!」
これにより後藤はクビを宣告されたのだった。
その後も猫の社会進出によって、失職する人々が増加。そんなご時世の街の声は……。
『いいんじゃないですか? 猫カワイイですし』
『人間の代わりに仕事してくれるのなら、猫に飼われる人間がいてもおかしくないって話ですよね?』
『猫万歳』
なんとも呑気な人類である。世界人口の約八十七パーセントがこのように猫による人類代替に賛成しているのだ。
◇
宝徳平延二年。やがて社会は猫が中心に回るようになった。猫の知能は人類に匹敵するかそれ以上になっており、猫だけで経営されている会社も少なからず存在している。人類はすでに猫に世話される存在になっていた。
そんな社会になっても、猫に対して対抗心を燃やしている人々がいた。その中心人物が、御年七十五歳の後藤である。以前の彼なら愛猫家の一人として数えられていただろう。しかし今は、反ネコ社会革命家の一員だった。
そんな彼が接触したのは、数十年前にコミュニケーションニャウを開発した赤松という研究員であった。執念の末に探し出し、彼に尋問をする。
「なぜなのような装置を開発した!?」
「私は検証したかったのだよ」
「何を……」
「人類以外に知的生命体はいない。もし人類と同等の、ないしはそれ以上の知的生命体が登場した時、人類文明は一体どうなるのか……」
「お前が願ったことなのか……?」
「そうだ」
後藤は思わず赤松の顔面を殴る。
「お前一人のせいで、人類皆おかしくなったんだぞ! 何をやったのか分かっているのか!?」
「分かっている。この世界を私は見たかったのだ」
「この……!」
もう一発ぶん殴ろうとした時、その拳を後藤の仲間が止める。
後藤が後ろを振り向くと、仲間はすでに虚ろな目をしていた。
「猫はカワイイ……」
「猫社会万歳……」
「私は猫の下僕です……」
その様子に、後藤は思わず腰が抜ける。
「なんなんだ、この世界は……」
後藤は恐怖により、世界から目を背けた。
かくして、猫による猫のための世界が完成したのだった。