私の中国体験記
私は桜井俊貴26才。
北京に来て、早半年になる。
来た当初は会話おろか日常会話の聞き取りもままならず劣等感に苛まれ、日々右往左往していたが、現地にいる日本人学生や日本語学科の学生、他の国の留学生と接するうちにだんだんと語学力が身に付いてきた。
3ヶ月ほどたったある日、互相学習、エクスチェンジの相手である大学院生の王リ強さんと一緒に天津に一泊二日の小旅行に行くこととなった。
中国は一般的に東北、華北、華南などに分けられるが天津に近い河北省は北京と同じグループで華北地域と呼ばれている。
列車の中で中華料理の話になった。
中国の諺に北咸南糖东酸西辣という言葉があり、つまり中国東北地方含む中国北部は、東京でいえばしょっぱい、塩気のきつい料理が多く、上海を含む南の地方はあっさりとした割と日本人受けする料理が多い。
これは江南と呼ばれる上海に隣接する江蘇省や浙江省、江西省などの料理も含まれる。
代表的な料理に龍井明蝦と言う龍井茶という銘茶とえびを使ったあっさりとした塩味の炒め物や日本でもお馴染みの豚の角煮、红烧肉、いわゆる東坡肉。鯉の甘酢あんかけ(糖醋鲤鱼)、糖醋排骨や日本では俗にパーコー麺といわれる排骨面など実に多種多様である。
閑話休題。
ここで中国の酒に関する談義をひとつ。
中国の酒の飲み方は円卓で小さいガラス製の盃を持ち、机の縁で数回鳴らし干杯と言いながら二锅头という白酒(バイジュウ、パイカルとも言う。日本で言うと焼酎に近い酒である。)をよく飲む。
この二锅头という酒はアルコール度数55度と非常に度数が強い酒で飲み過ぎは厳禁である。
酒に弱い人が飲み過ぎたら二日酔いどころか急性アルコール中毒で即刻あの世行きだろう。
私も酒では七転八倒、正直死ぬ思いをした。
また、お茶にも違いがあり、華北をはじめとする北方は正直言って水の質があまり良くなく、茉莉花茶(ジャスミン茶)の類、いわゆるジャスミンの香りをつけたお茶を飲む。
それに対して福建省や海峡を隔てた台湾などは烏龍茶を飲む。
烏龍茶で有名なのは英語でオリエンタルビューティーと呼ばれる東方美人や鉄観音などだ。
私は驚いたのはウーロン茶にも砂糖が入っていることと、オレンジジュース、ファンタなども温めて飲むこと習慣があることだ。
上海の付近、南の方では紹興酒をはじめとする黄酒(ファンジュウ、醸造酒の類。)
日本で最も知られている四川料理は中国西部の四川盆地を中心に発達した料理で、麻婆豆腐をはじめ麻婆茄子ともいえる鱼香茄子であるだとか鶏肉の角切りとカシューナッツの四川風炒め宫保鸡丁、揚げ豆腐の四川風煮込み(家常豆腐:ジャーチャンドウフ)などが挙げられる。
これは四川料理の神様と言われる陳建民氏が日本へもたらしたものである。
さらにその息子である陳建一さんが日本人の味覚に合うように改良し一挙に日本中に広まった。
そして忘れてはならないのが小麦の文化と米の文化、東北三省は主に米が主食で東北大米という有名なブランドがあるがそれ以外は具なしの中華まん、饅頭や水餃子などが主である。
水餃子の具は芹菜明蝦と呼ばれる中国セロリとエビミンチなどもあるといいそれらを宝石の翡翠に例えて翡翠水饺というらしい。
他に俗に包子と言われている豚まん、中華まんの類もだ。
また王さんが聞くところによると饅頭に練乳をつける文化もあるという。
また中国のイスラム教徒、回族はムスリム専用の回民食堂という食堂がありそこで食事をする。
私も一回食事をしたが結構美味かった記憶がある。
あと一般的に知られている料理にトマトと卵の炒め物などがある。
孜然羊肉というラム肉のクミン炒めも旨かった。
あと、河北省特産の栗を使った糖炒栗子やサンザシを使った冰糖葫芦などがある。
これは日本で言うとりんご飴に相当するだろうか?
天津郊外の駅につき、叔母夫婦が出迎えてくれた。
車を走らせること20分少々、立派な一軒家にたどり着いた。
ドアを開けるや否や親族の人たちが口々に話しかけてきた。
どうやら王さんが先に連絡を入れてくれていたらしい。
私の語学力を加味してとのことだった。
小王、好久不见了
你身体怎么样?
身体好吗?
你们还没吃饭吗?
两位坐一下吧
试一试
多吃 一起聊天儿吧
おーっ、リ強。
元気だったか?
お腹空いてない?
さぁ、二人とも座って。
料理もたっくさん作ったわよ。
さぁ、ほらっ遠慮しないで。
今日からあなたの中国でのお母さんになるから。
ほらっ、食べなさい。
言われてるよ.
それから中国の家庭料理をいただきながら色々な話をした。
時にジェスチャーを交えながら話し、そして語り合った。
心连心、心が通い合うとはこういうことなんだろう。
今日は遅いからお暇しますと言ったら姉の部屋があるからよかったら使ってとのことだった。
純粋に考えればそれもそのはず。
存分にそのご厚意に甘えることにした。
出発の時、私たちは固い握手と抱擁を交わした。
お土産にということで伝統的な中国の縁起物である中国結びや剪纸と呼ばれる切り絵細工、ジャスミン茶、そして御多分に洩れず量り売りの焼き栗一斤(500g)を手渡された。
列車の中で食べるとしよう。
私はこう見えても甘党で特に焼き芋や焼き栗には目がない。
何から何まですいませんというと。
叔父さんたちに「また来なさい。僕らはいつでも歓待するよ」という温かいお言葉を頂いた。
クラスでは北京語言大学のテキストを使っていた。
クラスにはイタリア、スペイン、アメリカ、カナダ、オーストラリア、韓国、ベトナムなどが在籍していた。
日本人は神奈川の平塚出身の商社マンが一人、広島県民が一人、新潟から一人、そして中国地方山陽出身の私とバラエティ豊かだった。
精读や阅读はなんとかできたが听力が今ひとつで王さんと共に特訓を重ねた。
王さん自身、天津訛りがあり本的な北京語じゃないけど。
許してねとのことだった。
日本で言えばさしずめ東京と信州のような関係なのだろう。
その甲斐あってか聞き取り能力も格段にアップしたように思う。
ただ花儿や小孩儿、大嘛花儿など儿化のアクセントがきついのと北京訛りいわゆる京片儿でかなり苦戦した。
映画で言えば漂亮的妈妈などでよく出てくる言い回しだ。
日本人学生との付き合いが悪かったからか悪評が立ち陰でキザな男と言われていたようだ。
今、半年過ぎて分かったこと。
それは自由闊達、全ては自己責任。
そして成果も自分自身にリターンするということだ。
私はそう信じている。