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ノア・リライツ 短編 -在りし日の夢-

作者: 少女計画




*******




病院の一室。



独特の白さが室内に入る光を反射させ、目を開けなくても今日がいい天気なのだと気付く。



窓は少し空いているのだろう。



ぼんやりとした木漏れ日と小鳥たちの歌声で、春がすぐそこに迫っているのがわかる。



そんな暖かな室内に、既に声もうまく出せないほど干からびた私の体は、ベッドに横になることしかできないでいた。



上体をあげようとしても酷く億劫で、体が鉛のように重たいのだ。




「あ……ああ」




寝起きは特にひどいものだ、咽が掠れてまるでゾンビか何かのような声しかでない。



手探りで介助ベッドの操作をし、上体を起こす。



せっかくこんなにも良い空なのに、心電図のモニターと酸素吸引機の音のせいで、いささかそれも台無しだ。




「はぁ……」




窓にはまだ眠っている桜の木、視界にあるだけで、五つ、いや六つだろうか。



彼女が私のお見舞いに病院に寄付したものだ。



入院してすぐに、私一人一緒に桜が見れないことを憂いた彼女が、トラックの荷台いっぱいに桜の木を積んできたのだ。



あの破天荒ぶりは誰しもが驚いたが、今となっては良い思い出として一笑に伏せる。




「……」




ただ、……きっともう私は次の桜を彼女と見ることはできないのだろう。



この体は私一人では生きることもままならない。



繋がれた管はまさしく私の生命線であり、これなくして私はこの弱った肉体を維持させうることはできないのだ。



だが、もうそのことに対しての悲しみも辛さも、痛みも感じない。



決して暗い感情というわけではない。



達観したと、自分で言うのも変だが、もう全てを受け入れたのだ。



人は生まれ、最後は死ぬものだと。



だけど……。



また、彼女の顔が脳裏をよぎる。



こんなことを考えてしまうときでさえも、私は彼女のことと結び付けてしまうのだ。



一人病室で思うのは、彼女と、妻、それと多くの仲間との日々だけ。



あの日、彼女と出会い、言葉を交わし、好きになった。



叶わない願いだと知りながら告げた。



彼女は私なんかじゃ到底想像できないほどに、多くのことを知り、多くのことを見、そして多くの出会いと多くの別れを覚えていた。



だからきっとこの思いは私の一方的なものだと確信していた。



それでも彼女は、叶わない願いを告げてもいつものように接してくれた。



笑ってくれた。話してくれた。




「……ああ、懐かしいなぁ」




最近ではもう目もあんまり見えない。



歳のせいだと彼女は笑ってくれたけど、きっとそうじゃないことは私も、彼女も分かっていた。



涙が目から零れる。



悲しみの波が胸いっぱいに広がっていく。



なんとか手で拭おうとしたいけれど、そこまで持っていくほど筋力はないからそんなこともできない。



悲しい。



私が死ぬことではない。



そんなことは別に私が悲しむことではない。



彼女を一人孤独にさせてしまうことが、それだけが悲しく、そして唯一の心残り。




*******




9歳:




彼女と初めて会ったのは私が小学三年生ぐらいのときだっただろうか。



家の近くの公園、そのベンチに彼女は大きな体を縮こまらせて眠っていた。



両親は共働きで鍵っ子だった私は、よく公園で一人遊具遊びや、買ってもらったゲーム機で時間を潰したものだ。



最初、彼女を見つけたときはなんだかいけないもののように感じて、家に帰った。



だけどその次の日も、その次の日も彼女は公園の青いベンチでスヤスヤと眠っていた。



まさか自分が見つけたあの日からずっと寝ているんじゃないかなんて、そんなことあるはずがないのに、興味を持った私は彼女が起きるのを待ってみた。



一時間が経って、二時間が経って、そろそろ帰らないといけない時間になっても、彼女が目を覚ますのを待ってみた。



次第に夕暮れ、ちょうど彼女の髪色のような空の時間になると、寝返りを打ちベンチから豪快に落ちて目を覚ました。




「げふっ……いってぇ」




私が最初に思ったのはヤバい人だ、だった。



背中まである綺麗な夕日色の髪は、地面に落ちたことで砂が付いていた。



小学生の落書きのようなキャラクターが描かれたTシャツにジーンズ、白衣という格好は、どう見たって不審者でしかない。



だからとっさに逃げようと、今日見たことは忘れようと家に帰ろうとしたが、後ろから聞こえてきた声に私は足を止めるしかなかった。




「……ん?なんか落ちてる……。さく……ら……?」




衣服に付ける名札を走り去るときに落とし、彼女に拾われてしまったのだ。



このときは、涙目で脚を翻し後悔の念しかなかったが、あれを運命と呼びたい時期もあったことを今も鮮明に覚えている。




*******



12歳:




小学六年生の頃、私にはある日課があった。



授業が終わるとクラスの誰よりも一番に学校を飛び出し、家にランドセルも置かずにそのまま公園に行く。



理由は単純だった。



なぜなら、私はあの日出会った彼女と頻繁に会っていたから。




「こんにちは、夕日色のお姉さん」


「あれ、また来たんだ。君は暇だね。あと、その呼び方はやめてほしいんだけど」




公園の青色のベンチは彼女の特等席みたいに感じていた私は、最後までそのベンチには座らなかった。




「いやですよ。だって、お姉さん名前教えてくれないじゃないですか。


もしも教えてくれたら、僕の名前も教えますし、それに別の呼び方もしますよ」




小学生ながらに生意気だったと思う。



いや、小学生だったから生意気だったのかもしれない。



私は彼女に自分の名前を教えてしまうのが、なんだかいやで彼女が名前を教えてくれるまで決して言わなかった。



このころから私の頑固さはさして変わっていない。



それに両親には言ったことはないが、実を言うと私は自分の名前があんまり好きではなかった。



あまりにも安直な名前に。




「そうだな……じゃあ、私の名前は、ペペペモリアだよ。ということで、君の名前は?」


「絶対ウソだ!そんなふざけた名前の人いるわけないじゃん!」


「……ぷっ!あはははは」




彼女は時折こういった言動をすることがあった。



自分にしかわからないことを言って、その言葉自体を懐かしむ。



表情は笑っているように見えたけど、どこか寂しそうでもあったから私は、一層頑固になっていたものだ。




「ふん!もういいです。それで今日も話、してくれるんですよね?」


「ん?今日もするの?だったら、先にほら……出して」




差し出された手に、いつものように躊躇いなくランドセルから取り出したモノを渡す。



透明な袋で梱包されたそれの役割は、まさしく報酬金。




「はい……どうぞ」


「うんうん、よしよし……」




渡したそれの包みを剥がし、中を確認すると大きな口を開け一口かぶりついた。




「今日は、普通にパンだけなんだね。ジャムとかなかった?」


「あったけど、ジャンケンに負けた」


「ああ、それは残念……まあ、食べれるだけありがたいからいいけどね」




給食のあまりモノを渡す代わりに話を聞かせてもらう。



これが当時の私の日課だった。



異常な関係なことは今だからわかるものの双方に利があったのだから、良かったのか。




「いいから、早く。パン渡したんだから早く聞かせてくださいよ」


「わかったわかった。それで、どこまで話したんだっけ……?」


「冒険者メアリアがスイアンと凍える大地に到着したところです!」


「ああ、そこらへんね」




彼女が話すのは冒険物語だった。



内容は知的好奇心旺盛なメアリアと流浪の冒険者スイアンが出会い、二人で未開の地に冒険し、既存の地図でもわかっていない場所に挑むという古臭いながらも心躍らせる物語。



決して話自体にアニメや漫画のようなカッコいい設定も、セリフも頻繁することはなかったが、二人の人間くさい掛け合いや苦難に私はひどく引き込まれたものだ。




「……ということで、メアリアはスイアンに顔面を思いっきり殴られ、なんとか朦朧としていた意識が戻ります。ですが、逆に目が冴えすぎてあまりの痛みにカウンターをくらわしました」


「あははは!やっぱりスイアンは所詮スイアンなんだね」


「そう!スイアンは所詮スイアンなんだよ!」




そうして私の小学生時代は彼女と彼女が語る冒険譚と共に、あっという間に終わった。



卒業式の日、彼女に報告しようといつもどおり公園に行ったら彼女はもういなかった。



彼女はこの日を境に忽然と姿を消したのだ。




*******




15歳:




中学の三年間は何事もなく過ぎて行った。



友達は少なかったが、友達と呼べるやつはいた。



しかし、どうにも家がそこまで近くではなかったので、なかなか放課後に遊ぶこともなかった。



部活動もなんとなくパソコンが使える部活に入って、なんとなくこなして、なんとなくで終わった。



楽しくなかったわけじゃない。



だけど、結局このとき名前を知ることのできなかった彼女のことを私は忘れられなかった。



常に頭のどこかには彼女の顔を思い浮かべ、メアリアとスイアンの物語の続きが聞きたかった。



私にとって、彼女と過ごした時間はそれほどまでに衝撃的でそれほどまでに彼女のことが、既に気になっていたのかもしれない。



そんなある日再会は突然にやってきた。




*******




16歳:




高校は家に一番近い公立高校に入った。



やりたいことがあったわけでもなかったが、中学からなんとなく目の前のタスクをこなしているだけだった私は、そこそこに学力はあったものの特別なにかに興味を持つことはなかった。



彼女と最後に言葉を交わして既に三年。



もう忘れるべきだと、少しは成長した心で思うもやはりどうしてもそんなことできなかった。



いつか会えるかもしれないと、そんな奇跡のような偶然にすがっていたある日。



高校の帰り、コンビニに寄るとカップラーメンのコーナーに見たことのある髪の女性がいた。



夕日色の髪。ダサいTシャツにジーンズ。



白衣は着ていなかったけど、彼女だとすぐにわかった。



でも、なんと声をかけたらいいのかわからなくて店に出るタイミングで頑張って声をかけることにしたが、彼女は一向にカップラーメンコーナーから動かなかった。



見ているとまるで鬼でも殺さんとする形相で、二種類ある期間限定のカップラーメンのどっちかでずっと悩んでいたのだ。



私もなんとしてでも彼女と話したかったので、粘っているとようやく決めたのか、すっと出た手は期間限定の隣にあったスープ春雨に伸びていた。




「そっちなのかよ!」


「?」




ツッコミを入れずにはいられなくて、声大きくした私に彼女を含めた店内の視線が集まる。



すいませんと顔を赤くし恥ずかしい思いをしたのは、私の人生で一番恥ずかしいと思った瞬間だ。




「……あ、えーと……」


「……君」


「あ、はい……なんでしょう……」




スープ春雨を持ったまま彼女は私に近づき、小学生のころにはまったく気にならなかった容姿や胸なんかに目が移ってしまい、なんとか目を泳がせながら返事をしていたと思う。



それにもしかしたら、私のことを覚えていてくれているのかもという淡い願いもあったのだ。




「……君、こっちのカップ麺とこっちのカップ麺、期間限定なんだけど。


どっちがいいと思う?」


「……は?」


「いや、だから、ここにカップ麺あるでしょ。


どっちも期間限定なのね、それでどっちにしようか悩んでたの。


結局まあ期間限定なんて当たりはずれあるし、だったらいつもあるこっちかなって選んだけど、君が声たからかに宣言したわけだから是非参考にと思ってね」




期待は儚く崩れ去り、ただ参考までに他人の意見を聞きたいだけだったみたいで、私が長年想像していた奇跡的な再会はしたものの全然感動的ではなかった。




「こっちがいいと思います」


「……なるほど。じゃあ、スープ春雨と比べたら?」


「……スープ春雨で」


「ふむふむ、ありがとう。


よし!じゃあ、折角だから期間限定二種とスープ春雨全部買うことにするよ!」




彼女はやはり破天荒、いや何と言ったらいいのだろう、常に私の考えの斜め上を行く発言しかしていなかった。



だからこそ、私はその普通ではない彼女を特別に思い、特別な彼女のことを好きになってしまったのだと思う。




「……どうもー」







コンビニでのまったく感動的ではない三年ぶりの再会を果たした私は、あの後帰ろうとする彼女に自分のことを正直に話した。



小学生の頃、近所の公園のベンチで眠っていたあなたに、物語を聞かせてもらう代価として給食のあまりものを渡していた少年は僕です、と。



いったい何を言っているんだろうと思ったが、気付かないふりをして。




「あー!ああ、ああ、そんなこともあった!あった!

 

 あれだ、なんか生意気な癖に話始めると目を輝かせて聞いてた、あの子か」



「……はい、そうです。その子で間違いないです」




応えににくい言い方はわざとなのか、記憶と全く変わっていない彼女に自分の名前を初めて言った。



最初からこうしていれば、彼女の名前をもっと早くに知ることができたのにと思いながら。




「へー、良い名前じゃん。じゃあ、私も。

 

 私の名前はアメリア・アインス。気軽にアメリアお姉さんって呼んでいいよ」


「……アメリア……アインス」


「ちなみに海外出身ってわけじゃないから。


アレね、継ぐ名ね」


「わかってます、すごい古い名付け方で一部では、まだ残っているっていう」


「おお、詳しいね」


「そんなことないです。中学生でも知ってますよ」




こうして彼女と出会ったことで、私の止まっていた時間は再び進みだした。



あのコンビニに行けば彼女はだいたいいた。



もしいなくても公園にいけばそこで携帯を開いて何かを調べているようだった。



特段彼女に会えたからと言って、何かが変化するわけでもなかったが、私はかねてから思っていた希望を話したことがある。




「アメリアさん、あの……一つお願いがあるんですけど」


「んー?なに?」




その日も公園のベンチで横になりながら、彼女はコンビニで買ったジャリジャリ君を食べ、器用に携帯を操作していた。




「昔、話してくれた物語の続きを……その、聞かせてくれないかなぁって」




高校生にもなっておきながら、私はいまだにメアリアとスイランの冒険の続きを求めていた。



もしかしたらどこかにある物語なのかもしれないと思い、ネットで検索したが出てくることもなく。



私小説なのかもと、知りうる限りの小説投稿サイトを探したが、やはりなかった。



あの物語は彼女だけが知っている物語なのだとわかったのは、中学のクラブ活動中のこと。




「えー、なんで?」


「なんでと言われましても……」


「んー、じゃあさパン買ってきてよ。お金渡すから」


「え!」


「なに?そのくらいの代価は払ってって意味で言ったんだけど……もしかして怖かった?」


「いえ、全然。むしろそれだけで聞かせてくれるんだな……ってところに驚きました」


「ふーん、ま、パン食べてる間だけだからね」




このとき私は初めて彼女の驚いた顔と照れる顔を見たような気がした。




*******




18歳:




高校三年の冬は私にとって大きな変化の年だった。



大学に進むか、就職するか、まさにその二つの道が目の前に現れ私は途方に暮れていた。



というのも将来のことをこれっぽっちも考えていなかった私は、先のことが全く想像できていなかったのだ。



だがそこで父が三者面談の場で、こいつは俺の会社に就職させるんで心配しないでくだせえ、と廊下まで聞こえる声で宣言してしまった。



根っからの根性論者で高校を中退した父は、よくわからないツテで土木系の会社に就職した。昔から忙しく、口癖は俺のようにはなるな、だったのだが……。



もちろん、先生も最後は自分で決めるものだよと優しく言ってくれたが、名のある進学校から浪人生は輩出したくないのか、それとなく就職の道もいいのよ、みたいなことを言われたこともあった。




「……と、いうことがありまして、僕はどうしたらいいと思います?」


「いや知らないよ。帰って両親と話すか、勉強しなさい」




私は学校であったことを彼女によく伝えていた。



主に愚痴だったので彼女はほとんど聞き流していたが、それでも意見を訊ねると、僕が一番に欲しい言葉を返してくれた。



ただ、この年の彼女は忙しいのかそんな優しさはなく、正論でひたすら殴ってきた。




「そんなこと言わないでくださいよ。精神状態も結構ギリギリなんですよ」


「はー?大丈夫大丈夫、本当にヤバいときはひたすら死ぬ方法しか考えなくなるから」


「え、なにそれ。こわ」




ブラックジョークを平気な顔して言うから時折怖くなるときもあった。



今にして思えば、こういう冗談は全て彼女の実体験だったのかもしれないと、このときの私には想像もつかなかったが。




「じゃあさー、いっそのことお父さんの会社に入れば?」


「え、なんでそうなるんですか?」


「は?それはこっちのセリフだよ。逆に何で、お父さんの仕事場は嫌なの?」




ふと投げかけられた質問にすぐに返せなかった私は、たしかに自分は何で嫌なのか考えたことがなかった。




「まあ私は誰の味方でもないただの口先マンでしかないけど。

 

もしもたくさん考えてそこまで嫌な理由がなかったら、飛び込むのもいいんじゃない?


ってことだけは君の相談に対しての応えにはしておくよ」




そのまま彼女は用事があると次第に暗くなってきた夜に身を溶かしていった。



このときのことはよく覚えている。



口先マンと自分を卑下しながらも、いままで私の愚痴や勉強に付き合ってくれたこと。



真剣に聞いていないようでちゃんと聞いていること。



私はそうして、飛び込んでみることにしたのだ。




*******




24歳:




父のいる会社に入って早いもので五年の月日が経った私は、既に二十四歳になっていた。



仕事柄、体に負荷がかかるため、筋肉もそこそこつき上腕二頭筋、三角筋共に好調。



腹筋は割れ高校のときの自分と比較すると確実に、腕の太さも脚の太さも太く、力強い男になった。



職場の先輩からも可愛がられ、仕事帰りには無理のない付き合いがあり、特に仲のいい先輩や同期とはさらに筋肉に磨きをかけるためにジムに行ったりもした。



仕事は忙しいがやりがいもあり、特に家を建てる、形にするということに対してとてもやりがいがある。



二年前に腰をやった父は還暦を目前に仕事を辞め、今では家でぼけっとテレビを観ては母と共に散歩したり、料理にせいを出しているそうだ。



私はというと社宅に住み始めたため、実家にはあまり顔を出せないでいた。



だから、彼女ともあの後一度も会えていない。



小学生のときとは違い、あの夜は何だか予感がしたのだ。



これでまた、会えなくなるんだろうと。



連絡先を教えて貰えばよかったと気付いたのは、無事に就職が決まり、父と母の三人で喜んだ日のこと。




「おい、どうした?ぼけっとしてるとあぶねえぞ」


「はい!すいません!」




仕事中であるにも関わらず、こんなことを考えてしまっていたのは、五年という経験値にある程度の慣れと余裕があったからだと思う。



こういうときこそ、事故が起こると父には耳タコになるまで言われていたため、気を引き締めなければ。



そのまま順調に経験を積み、彼女から勉強を教えて貰っていたので数字にも強かった私は、33にして次の現場のリーダーを任された。




*******




33歳:




周りをみればほとんどの同年代は子供が一人ぐらいはいた。



そうでなくても、左手の薬指にキラリと光る結婚指輪を輝かせていた。



さらに言えば、結婚してなくても今付き合っている人がいて、必死にプロポーズ考えている人はいっぱいいた。



だが、私はどれでもなかった。



子供なんているはずもなく、まして結婚も、付き合っている相手さえいない。



いわば売れ残り。



ただ理由があるとすれば、私には好きな人がいたからだ。



自慢ではないが私はそこそこモテた。



職場にいるデスクの女性から告白されたこともあった。



だが私には好きな人がいるんだ、そう言うと泣いて走り去っていき、次の日彼女は仕事を辞めていた。



予想できなかったのはなぜかそれが悪いように広まり、私はその子をその気にさせておいて、責任を取らないクズ野郎という謎のレッテルを張られ、なんとか汚名返上するまでに四年もかかったこと。



汚名返上なんて言ったが、実を言うと四年もしたら噂の方が空中分解した。



今思えば彼女みたいな人を地雷というのだろうかと、思ったりもする。



さんざんな目にあったため、逃げるように仕事に打ち込んだ。



焦りもあったが今は仕事が楽しかった。



これまで多くの現場を経験してきたが、やはり何度やっても飽きたりなんかしない。



その都度その都度に学ぶことがあり、自分の至らなさを痛感する。



充実していた。



それでもやっぱり、もう一度でいいから彼女と会いたかった。




*******




40歳:




自分の40回目の誕生日にいよいよ焦りを抱いてきた。



両親がそろそろ孫の顔が見たいとかなんとか言っていたのが懐かしいくらいには、焦る。



私はこの頃には、会社の現場責任者という位置にいた。



皮肉なことに仕事以外に特段やることのなかった私は、仕事仲間の時間が合わなかったときには資格取得の勉強をし、これは取っておくべきといういくつかの資格をあさりまくっていた。



あまりにも早すぎるキャリアアップに非難の声があがると思われたが、そんなこともなく。



結婚、子供という二つの単語の心配を除けば順調と言えば順調だったのだろう。



だからこそ、もう諦めるべきと決めたのもこの頃だった。




*******




45歳:




あれほどないと思っていた職場恋愛をした私は念願かなって妻ができた。



結婚式は盛大に行い、それでも私の懐には些細すぎる出費だった。



職場の先輩、後輩、高校、中学のときの友達、連絡が取れる人は全員呼んだ。



妻は私の七つも年下だが、年齢なんて関係ないと私のことを愛すると神の前で誓ってくれた。


互いの両親、親戚、友人多くの人に祝ってもらえたのは、とても嬉しかった。



これが幸せなのかと、表情には終止笑顔があり、表情筋が痛かった。



ただ……。



足りない。



あと一人だけ足りなかった。



私が知ってる顔は彼女を除いて全員来てくれた。



だけど、私に最も影響を与えてくれた彼女がここにいないことを、私はどう思えばいいのかわからなかった。



そう思ってしまうこと自体が、妻と式に参加してくれた皆を裏切る行為だと心に蓋をした。




*******




46歳:




仕事も家庭も両方のバランスに気をつけながら順調に前を向けていた。



妻は円満退社し現在は結婚を機に購入した我が家を守ってくれている。



私の両親の家の近くに建てたのは、妻がその方が子供ができたとき安心できるからと、私のことも気遣ってくれた。



子供も家族計画を考え、生まれてくる子供の先を見据えると……こう言ってはなんだが早い方が良いと、現在妊娠三カ月目。



妻よりも私の方が年は取っていたので心配だったが、どうやら杞憂に終わったようだ。



それでもまだスタート地点に立っただけだと、気を抜かず早三カ月、次第に膨らむ妻のお腹に言い得ぬ不思議さと奇妙さ、母性、父性、愛情、不安、いろんな感情が沸いてくる。



それらすべてが楽しみなんだと気付き、こんなにも何かを待ち遠しいと思ったのは本当に久しぶりのことだった。



だけど……。



神様は本当に意地悪でこの数カ月後、妻は流産した。







妻はどうやらお腹の中で子供が育てられない体らしいことがわかったのは、流産直後のこと。



笑顔が似合う妻に面影はなく、まるで抜け殻のようになってしまった。



精密検査もすぐはやめた方が良いという助言もあったが、本人としてはきっと理由がほしかったのだと思う。



きっと何でもいいからそのせいにしたかったのだ。



それが自分のことでも、他人のことでもいい、何でもいいから仕方がなかったと言いたかったのだ。



互いの親への報告は私一人ですることにした。



妻は病院の方で少しの間預かってもらい、診断されてすぐに向かった。



冷静に考えれば妻と一緒にいるべきだったのに。



きっと私も相当まいっていたのだ。



妻と二人で抱えるにはあまりにも大きすぎる出来事に、早く誰かを巻き込みたかった。



最初に両親に告げた。



父のことだから何か言ってはいけないことを感情に任せて言うと思ったが、そんなことはなかった。



ただ一言、そうか、とだけ呟き今日は妻と一緒にうちで泊まっていけと、いつもは読みもしない新聞で顔を隠していた。



心に余裕がなかったのに、それが父の優しさだと気付けたのはどうしてなのかはわからない。



妻の両親への報告は母が一人で行ってくれた。



私も行くと言ったが、いいからお前は今すぐ病院に行って一緒に帰ってこいと父に言われた。



他県に住んでいる妻への両親の悲しい顔が目に浮かぶ。



どんなに毅然に振舞っても心の底では悲しみが大量生産されている。



瞼の裏のダムはもう決壊寸前で、根性論だけで必死に我慢した。



運転している間に泣いてしまったら危ないから、こういうときこそ事故が起こるものだと知っていたから。




*******




47歳:




妻はあれから少しは立ち直ったものの以前と同じような笑顔を見せることはなくなった。



最初の頃は食事も睡眠もトイレでさえ、何もできなくなってしまったため一時休暇をとり精神科に二人で通った。



両親も妻の回復に尽力してくれ、一年が経ち私は仕事に復帰した。



金銭的な問題は倹約かと言うわけではなかったが、二十代、三十代ほとんど使わなかったこともあり、あからさまな問題はなかった。



仕事に復帰すると会社では、それぞれにお菓子や足つぼマッサージの券、映画チケットなどを貰った。



本当はもっと祝いたいと表情に出ていたが、皆気を使ってくれて嬉しかった。



そんな折り、私は彼女に再会することになる。




*******




49歳:




ある古びれた本屋の店主から、改装工事をしてほしいという一本の電話が入ったのが事の始まり。



そこは近隣住民からは何で潰れないかと不思議に思われていた場所。



所謂いわくつきの店だと事前情報として現場に行く前に知った。



もちろん、いわくつきだろうが金銭的なやり取りが発生している次点で、手を抜くなんてことは決してしない。



ただ、おかしなことに依頼が直接的だったことと担当者一人で来て欲しいと何だか怪しさが拭えないところもある。



それでも来てしまったのは父譲りの頑固なプライドと、電話越しの相手の声に聞き覚えがあったから。



まさかそんなと笑ってしまえればよかったのに、私は確かめざるにはいられなかった。







古本屋の店主は店内で待っていた。



外観はあまりにも古く一番合っている言葉はオンボロだろうと、悪態をついてしまうのも仕方がないほどに、中も外同様に埃やカビ臭さで充満していたから。




「すいませーん、ご依頼いただい……」




私はありえないものを見た。



ここに来る前、普通に考えれば例え彼女がいたとしても、少なくとも60は越えているのだから、きっともうあの日の彼女には出会えないと。



だけど、そう思っていた私の普通は易々と壊された。




「あ、もしかして建設会社の人ですか?工事してくれるっていう?」




彼女は夕日色の髪を後ろで結んで、ダサいよくわからないキャラクターのTシャツにジーンズ、それに白衣を着ていた。




「あの?どうしました?もしかして、お客さん?」


「あ……あ……」




疑問譜だけが頭の中にいっぱいいて、もしかしたら自分は夢でも見ているのだろうかと錯覚する。



これが現実だと気付いたのは、何度目を擦っても、何度瞬きをしても目の前の彼女は、あの日出会ったときと何ら変わっていなかったから。




「……アメリア、さん。……ですか?」


「!」




驚いた表情はまさにそうなのだろうと確信があった。



まさかこんなにも近くにいたなんて信じられなくて、なぜ彼女があの日から変わっていないのかなんて、すぐにどうでもよくなって。




「アメリアさん……私です、桜田です。桜田……」


「ああ……、そういう……ことか」




震える声で自分の名前を噛まずに言えたことでさえ奇跡のように感じてしまう。



上の名前だけで私だと気付いてくれたことに、不思議な感動を抱いてしまったのは、嬉しさが溢れているからなのだろう。




「まさか、電話したのが君のとこだったとは……。

 

 しかもよりにもよって、君が来るとはね。

 

 まあ、なんだ。久しぶり、元気にしてた?」







彼女に再会した私は、彼女にこれまでのことを話していた。



いったいどうして年をとっていないのか、今思えば最初に気になる質問を後回しにしてこれまでのことを一方的に話してしまった姿は、子供のそれのようだっただろう。



話終えた私に彼女は、嘆息と元気そうでよかったと呟き、初めて自分のことを語ってくれた。



彼女はある『モノ』を探していると言った。



それは様々な形をしていて、例えば剣であったり、銃であったり、本であったり、天秤であったり、本当に千差万別の形をしたそれは、不思議な力を秘めたモノだそうだ。



まるで物語の中のマジックアイテムみたいなモノだなあと言ったら、まさにそうだと真剣な顔で応えられ、顔には出さなかったが少し興奮していた。



彼女はそれら全てをまとめて『遺物』と呼んでいた。



言葉通りの意味ならそれは遥か昔から存在するモノと言う意味だ。



もちろんもっと深い事情があり、きっと私の想像では追いつくことのできないいろんなことがあったのだと思う。



それでも追求しなかったのは、ひとえに彼女を困らせたくなかったのだ。



多くの秘密を抱えていることは、既に彼女の秘密を知っただけで簡単に想像できてしまうから。




「それで、どうしてうちに電話を?」


「ああ、そのことなんだけどね」




彼女が求めていたのは、秘密基地の建設だった。



本当に子供が夢想するようなことを言ったものだから、はじめはからかっているのだと思ったが、どうやら彼女は本気だった。



古本屋の地下に広大な空間を作り、そこを遺物回収の拠点とすると。



あまりの話の大きさに身がすくんだが、既に機材と地質調査の結果、完成予想図さらには多額の資金と、必要な物は概ねそろっていた。



だが実際に作るとなると彼女一人ではどうにもできなく、他の協力を仰いだそうだ。



彼女が計算した図面は恐ろしいほどに緻密で完璧だった。



これならば問題なく完成させることはできる。



本当に馬鹿げた計画に、あの日彼女と出会ってから少しは大人になった私も、様々なしがらみがあるとわかっていながら、既にやる気になっていた。



だからこそ、私も相応の意思表示をしなければならない、そう思って私は抱えていた案件を終えると今の職場を辞め、信頼できる仲間を募ることにした。



この子供じみて馬鹿げていて、でも本当に本気の壮大な計画を行うために。




*******




52歳:




私の最後の大仕事が始まった。




「アメリアさん、本当にいいんですね?」


「ああ、もちろん。頼むよ」


「わかりました」





まさか人員を集め、足りなかった必要な資材や道具を全て用意するだけで三年の歳月を要するとは思わなかった。



集まった仲間は土木関係の知識経験があり、協調性、信頼性、そしてなによりこの計画のこと、彼女の秘密を口外しない者とあまりにも難しい裁定基準だった。



元の職場に迷惑を掛けるわけにもいかず、各地を練り歩き実際に話して親しくなった者、計三十七名。皆承知の上で協力することを望んでくれた大馬鹿たちだ。



もちろん私もその一人。




「では皆さん、本日から秘密基地建設工事を始めます。


私も経験を積んできたものですが、秘密基地を作るのは初心者なので、皆さんの協力が必要不可欠だと思います。


ですが、ここにいる皆は、こんな馬鹿げた計画に我こそはと信じてついてきてくれた者たちだと思います。


正直完成目途は、あまりにも規模が大きく秘密裏に行う以上未知数ですが、何卒皆さんの力を最後の最後までお貸しください。


それでは、よろしくお願いします」


「「「「「「おおおおおおおおおおーーーーー!」」」」」」




秘密裏にと言っているのに、古本屋の外にまで響く大馬鹿たちの叫び声は天高くまで届きそうだった。




*******




90歳:




ふと目を覚ますと時計の針が少しだけ進んでいた。



おそらく眠ってしまっていたんだろう。



死の間際、人は走馬灯を見ると言うが私にとってそれがあの夢だったのかもしれない。



全ての思い出が遠い過去であるのに、まるで昨日のことのようにも感じる。



数瞬前の景色とは大差ないので、あともう少しだけ生き続けてもいいということだろう。



夢の最期は、私があの計画を始めたところで終わってしまった。



だが、あの後はいったいどうしたんだったか……。



なんだか、さっきまでは鮮明に思い出せた気がしたのに、もう記憶も朧気だ。



コンコンコココン、コンコココン。



病室の扉が軽快なリズムで鳴る。



相手は誰かなんて、思い出す必要もない。




「やあ、久しぶり。調子はどう?」


「ああ、今日は良い方だよ」




顔を歪めて精一杯に全身に力を入れる。



本当はそんな顔見せたくないけど、彼女の前でみっともないかっこうはしたくない。




「そっか、よかったよかった」




にこやかに笑う彼女は記憶の中のどのときと比べても、一切の変化のないあのときのまま。



夕日色の髪とダサいTシャツにジーンズ、それと白衣。



変わらない。



この世界の何もかもが少しずつ変わっているというのに、彼女の外見は記憶の中のままだ。




「さっき夢を見たんだ」


「夢?どんな?」


「私がアメリアさんと、出会った日々の思い出だったよ」




ベッドの横の丸椅子に座った彼女は、ゆっくりとしか話せない私の言葉を最後まで待ってくれる。




「……最初の出会いはいつだったかなぁ」


「おぼえて……いるんだろう?私が小学生のときさ」


「ああ、そうだった。生意気な癖して、私が話をしてやると目をかがやかせていたね。

 

今だから言うけど、実はあの頃食事もままならないほどに忙しかったんだよ。

 

 おかげで公園のベンチの寝心地の良さと君と会えたのなら、結果オーライだったかも」


「ふ、ああ、そうかもしれないね。……小学校を卒業したら、それから……」




夢の光景が今一度脳裏をよぎる。



感動的ではないが、奇跡のような偶然の再会。




「君とはコンビニで再会したんだよ。期間限定のカップ麺を選んでいるときに」


「……そうだ。君は、まったくおかしな人だったよ。結局、全て買ってしまうんだもの」


「あれは君が私にツッコミを入れたからだろう。


それに私から言わせればそれは君もだよ」


「?」




あははと笑って、私の眼を見ながらどこか遠いところを見ているようだ。




「だって、本当にあんなものを作りあげてしまうんだもの」


「あんなもの……?」




私は何か作り上げたのだろうか。



うまく思い出せない。




「秘密基地さ。


もう18年も前の話か。建設開始から20年。


空間を作り終えても、もともと狭い通路を通って運んで、中で組み立てての作業だったから本当に掛かってしまったけど。


だけど本当に作りあげた。


現在の技術ではない物も取り入れていたのに。


それでも皆最後まで作りあげてくれたんだよ」


「……そうか。私は、秘密基地をちゃんと……」


「完成させたよ」




うっすらとだが、完成したときの皆のはしゃぎよう、拳を突き上げて全員で歓喜の叫びを上げたことを思い出せた。



そうだ。たしかに私たちは作りあげたのだ。


「……そうだ、アメリアさん、教えて欲しいことがある」


「なんだい?」


「妻はどうしたんだろうか?


父は?母は?仲間たちは?

 

 私はどうにもダメでうまく思い出せないんだ、悪いが教えてくれないだろうか」




たしか秘密基地を作り終えて、私たちは皆バラバラになって……。



それから……。




「……うん。


奥さんも、ご両親も、仲間たちも皆最後は安らかだったよ。


ちゃんと誰一人かけることなく全員見送った。


皆、寂しくないようにたくさんの人の中いったよ」


「……そうか、そうだったね」




妻は私が病院に入院してすぐに大病を患ってしまった。



互いにいい歳だったから、その可能性があることはわかっていた。




それでもベッドの上で涙する私に寄り添ってくれた彼女は、文字を打つのもままならない私と妻の伝言遊びに付き合ってくれたのだ。



私の代わりに、彼女が妻の最期を見送ってくれたのだ。




「奥さん、最後まで君の心配をしていたよ。


あの人は平気な顔して辛いのを隠すからって」


「……妻には私の勝手で、本当に迷惑をかけてしまったからなぁ」




秘密基地を建設することになったときも、作り終えた後も、その後、私がアメリアさんに抱いていた本当の気持ちを告げていいか、相談してしまったときも。




「大丈夫、ちゃんと向こうに行ったらこっちでできなかったぶん、迷惑たっくさんかけてあげるとも言ってたから」


「……あはは、そうかい。それは、楽しみだなあ」


「ああ、楽しみだね」


「アメリアさん、最後に一つだけいいかい?」


「……最後なんて言わないで、何でもきくといいよ」




僅かに彼女の声音が小さくなった気がした。




「アメリアさんは、寂しくないかい?」


「……っ」


「私はそれだけが最後の心残りなんだ。


皆は家族や、君に見送ってもらえたけど……。


それじゃあ、アメリアさんが一人ぼっちになってしまうだろう」


「……」


「私はそれが、どうしても悲しくて、心配で。

 

それなのにあなたを置いて、先に行くのが申し訳なくてね……」




おぼつかない様子で話すのは、うまく言葉を探しても、もう何と言えばよいかわからなかった。



思ったことをそのまま言葉にしても彼女を苦しめるだけだとわかっていたのに。



だが私の予想はいい意味で裏切られた。




「……ぷっ、あははははは。なーんだ、そんなことが最後の質問でいいのかい?」


「?」


「私の身を案じてくれるのは嬉しいけど、心配する必要はこれっぽっちもないよ」


「どうしてだい?」



きっと笑い涙なのだろう、そっと右手で拭った彼女は楽し気に話す。



「なあに、簡単なことさ。


私は、これから新しく仲間を作ろうと思っているからだよ」


「なかま……」


「ああ、これから止まっていた多くのことが動き出す。


もう私一人だけじゃ、キャパオーバーなのさ。


それに……だって……君たちなんだよ」


「?」


「君たちが私に仲間の大事さを思い出させてくれたんじゃないか。


一人で無理なことも、皆でやればって。


だから君が私の心配をする必要はない。


私は一人じゃないよ」




ふふ、と笑う顔には寂しさはない。



未来を希望する笑顔は今の私には、あまりにも眩しい。




「……ああ、そうか。


よかった。よかった。本当によかった。一人じゃないんだね」


「ああ、一人じゃない」


「よかった、よかった、一人ぼっちは寂しいからね」


「そうだね、大丈夫、寂しくないよ」


「よかった」




彼女の表情は慈愛に満ちたそれとも、長い時間をともに過ごした親友に向けるそれとも言えた。



よかった、彼女が寂しくなくて。




「……ねえ、やっぱりもう一つだけ、最後にお願いをしてもいいかな?」


「もちろん」




優しい声音。



綺麗な純色の青い目が潤んでいる気がした。




「最期に私の名前を呼んではくれないかい?……アメリアさん」




私の声はとても小さく、弱く、今にも霧散してしまいそうなほどだった。



でも、問題はない。



彼女だけに伝わってくれればそれでいいのだから。




「ああ、わかったよ」




彼女の顔がよく見える。



夕日色の髪。



純色の青の瞳。



私の初恋の相手。




「おやすみ、———春生」




それが私と彼女の最期の会話。




*******




光の中、既に彼女の顔は見えなくなっていた。



不思議なことに先ほどまで感じていただるさも、苦しさも何もかもが嘘だったように体が軽い。



病院のベッドも彼女も何もかもが消え、眩しい光に瞬きをすると、眼前若い女性とその後ろ、肉付きのいい男たちが、大きな桜の木の下で手を振っていた。




「おーい!早くー!」




困惑の感情はなかった。



ああ、皆待っていてくれたのだと不思議な現象をすぐに納得する。



ふと自分の体を見ると若かりし頃、ちょうど妻と出会った頃と同じくらいに戻っていた。



手を振る皆の方に向かって走る。



ああそうだと、走る感覚はこんなにも気持ちがよいものだと思い出すとともに、輪郭がはっきりと見えた妻と仲間たちのもとに到着した。




「みんな、待っててくれたのかい?」


「あったりめーだろ、皆、お前がすぐに来ないこと願いながら、気長に待ってたのさ」


「そうだぜ。ま、こいつとかは一番早く来たからって、一人先に行こうとしてたんだけどな」


「お前!それは言わないって約束だっただろ!」




懐かしいどんちゃん騒ぎに視界が滲む。




「あなた、ちゃんとお別れはできた?」




妻も私と同じように、若いときの姿だった。



子供が産めない体だと言われ、思い悩み、心を塞いでしまった影はもうどこにもない。




「うん、ちゃんとできたよ」


「そう、よかった……。


私もここにいる皆も、全員、あの人に見送ってもらったの。

 

 あの人のおかげで一人寂しくいく人も、寂しくなかった。

 

 皆、あの人には感謝してもしきれないの」




涙を流し始めてしまった妻の肩をそっと抱く。



気が付くと皆、静かに泣いていた。




「……だから、私たちはここであの人がこっちにやってくるのを待とうと思ってる」


「……それは」


「わかっているわ。


だけど、もう私たちにはそれぐらいしか、返せるものがないから……。


だって、そうじゃないと彼女一人だけ一人ぼっちなんて悲しすぎる」




妻も仲間たちも、皆彼女がこっちに来れないことは知っているはずなのに。



その言葉に誰も否定しなかった。



でもそれは、彼女の未来をきっと聞いていないからだ。




「大丈夫、大丈夫なんだよ」


「え?」



驚く皆に声を大きくして、彼女との最後の瞬間のことを話した。



最後の彼女の思い。



未来を願い、希望を持ち、私たちのことを仲間と言ってくれた彼女の言葉を。




「皆もきいてほしい。ここにいる皆は、協力し支えあい、仲間の秘密を共有したものたちだ。

 

彼女を心配に思うのはわかる。だけど……彼女は、もう大丈夫。大丈夫だったんだ。


新しく仲間を作るんだと言っていた。


それを皆が思い出させてくれたと言っていた。


今まで一人だった彼女が、だ。


……だったら、今わたしたちがやることはなんだろう?


彼女がこちらにやってくるのを待つことか?


違う、彼女を応援することだ。期待することだ。


新しい仲間とまた、笑えるように願うことだ」




ここで待つことはあまりにも彼女の負担になってしまうだろう。



もしも彼女がこっちに来ることになったとして、そのとき私たちがここで待っていたら……。



彼女のことだからきっと喜んでくれるだろう。



自分はとても長い間、皆を待たせてしまったのだと、悔いながら。



そんなこと、決してしてはいけない。




「だって、彼女は、わたしたちの大切な仲間なんだから……」




こんなにも悲しいのに、こんなにも嬉しいのは何でなんだろう。



こんなにもここにいたいのに、こんなにもここにいたくないのは何でなんだろう。




「……そう、ね」




花びらが舞い散る桜の木の下、私たちは声を出して泣いていた。



皆、彼女からたくさんのものを貰った



たくさんのことを教えてもらった。



生きること、死ぬこと、過去、現在、未来、様々な話を聞いた。



妻も彼女と話したからこそ、今こうして笑えている。



泣けている。




「……それじゃあ、皆、そろそろ行こうか」




涙を拭って、桜の木の下から一番光輝く向こうの方に足を向ける。



そこがどこかなんてわからないけれど、きっとこっちであっているだろう核心はあった。



もう、後ろは振り向かない。



私の手に妻の手を重ねる。



小さいけど暖かくぬくもりのある手だ。



きっと彼女は、アメリアさんはこれからも想像のできない長い時を生きるのだろう。



それでもまたどこかで、奇跡のような再会を願わずにはいられない。




*******




おしまい





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